オーストラリアの落書き事情

オーストラリアの落書きを紹介します。

去年の2月頃だったと思いますが、ビルの外壁に落書きをしたとしてオーストラリア国籍の少年2人が逮捕されています。
2人は観光で来日し、「街に描かれている落書きを見て、渋谷は落書きしていいと思った」と言っていました。
オーストラリアは、私が行ったのはパースとメルボルンだけですが、とにかく落書きが多い街でした。
きれいなアート風な落書きが多いのですが、それでも落書きは落書きです。
列車に乗って車窓から眺める景色の中には、落書きがひっきりなしに入ってきました。
特に、パースからフリーマントルへと向かう列車は、線路側の家の壁はほとんどが落書きでした。
オーストラリアは落書きを許可しているのかと思ったしだいです。
オーストラリアで目に付いた落書きを紹介します。

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パースの中心地から少し離れたレストラン街です。
この付近の壁は落書きだらけでした。

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ここはパースの中心地です。
画質が上の写真の落書きと似ているので、同じ人が落書きをしたのかも知れません。

P1170475.jpg
ここはパースの一番賑やかなところです。
壁だけでなく、柱にも落書きがあります。
あまりにも綺麗なので、落書きに見えませんでしたが、落書きは落書きです。

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メルボルンの中心地の路地です。
綺麗なアートですが、落書きには違いありません。

P1260885.jpg
メルボルンの中心地から少し離れたところです。
このように立体的な画像がオーストラリアの落書きの特徴のようです。

三畳紀について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回は三畳紀について調べてみました。

三畳紀(Triassic Period)は、トリアス紀と訳すこともありますが、地質時代の年代区分の一つです。
【期間】
中生代を三つに区分した時代で、古生代のペルム紀と中生代のジュラ紀の間に位置し、中生代の最初の紀です。
約 2億5217万年前から約 2億130万年前までの期間と言われていますが諸説あります。
【名前の由来】
三畳紀の名は、南ドイツで発見されたこの紀の地層において、この時代の地層の古典的研究が行われたドイツで、赤色の砂岩、白色の石灰岩、茶色の砂岩と堆積条件の異なる三つの地層群が累重していることに由来し、1834年に地質学者のフォン・アルベルティが名づけたそうです。
しかしドイツでは海成層は三畳紀の中期に限られているので、国際的な標準としてはアルプスやヒマラヤ、さらにカナダ北部の海生動物化石に富む地層に基づいて国際的な時代区分が行われているそうです。
一般には、前期(インドュアン、オレネキアン)、中期(アニシアン、ラディニアン)、後期(カーニアン、ノーリアン、レーティアン)の3期7階に区分されています。
【生物】
ペルム紀末の大量絶滅の後、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現したそうです。
六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えました。
また、類縁するベレムナイトが著しく多数にわたって現れました。
棘皮動物のうちウニ類は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったのですが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じました。
このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復したそうです。
三畳紀の海成層の示準化石として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、原生動物の放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミスがあり、歯状の微化石コノドントは生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、層位学的にはきわめて重要だそうです。
なお、ダオネラは、現在のホタテガイに近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的見地からも重視されています。
陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていません。
ペルム紀においてすでに主竜類などをはじめとする爬虫類が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄しました。
主竜類の中から三畳紀中期にはエオラプトルやヘレラサウルスなどの恐竜や翼竜、ワニが出現、また主竜類に近い系統からカメ類が現れました。
爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚をウロコや硬い甲羅でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していきました。
この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生脊椎動物のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定されています。
中でもこの時代にワニ類を輩出したクルロタルシ類は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていました。
三畳紀の恐竜化石は特に南アメリカ大陸で多数検出されており、北米・アフリカ・ヨーロッパなどでも確認されています。
湿地帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食するシステムが成立していたことが推測されています。
カメは、現存種には歯のある種はないものの、オドントケリスやプロガノケリスなど初期のカメには顎に歯があったことが確認されています。
また、四肢は現在のゾウガメに類似しており、陸上生活者であると考えられています。
三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかったそうです。
最初の哺乳類が現れたのも三畳紀であったと言われています。
哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくてもネコか小型犬ほどの大きさであり、多くの種はドブネズミかハツカネズミの大きさほどしかなかったそうです。
三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったそうですが、三畳紀に入ってその一部が海に進出しました。
イクチオサウルスなどの魚竜や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつプラコドンなどの鰭竜類(Sauropterygia)、タラットサウルス類、板歯目などです。
魚類のうち、サメのなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的でありましたが、硬骨魚類は海中において顕著に繁殖しました。
両生類は、中期に体長5メートルを越すと推定されるマストドンサウルスがあり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられています。
両生類には、分椎目のアファネランマに代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえありましたが、三畳紀を通じてその多くは衰退していったそうです。
【植物】
陸上の植物では、シダ植物や裸子植物が著しく分布域を広げ、ボルチアやアメリカ合衆国アリゾナ州におけるアラウカリオキシロンの珪化森林にみられるようにマツやスギの遠祖となる針葉樹が現れました。
種子植物でありながら独立した精子をつくるイチョウ類やソテツ類、ベネティティス類も多く見られました。
湿地帯には、現在のシダ植物のヒカゲノカズラ科の類縁種である古代リンボクが豊富にのこり、シダやトクサも密に分布していました。
また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていました。
【岩石】
三畳紀は大規模な海進がなかったので、安定大陸上には陸成層や台地玄武岩が知られ、海成層はほとんど分布していないそうです。
ただし、テチス海域や環太平洋の変動帯および準安定地域には、しばしば石灰岩や層状チャートを含む三畳紀の海成層が発達しています。
これらは、プレートテクトニクスの発展に伴って、海洋底堆積物が小陸地とともにプレートの水平運動によって大陸縁部に順次付加されて形成されたと解釈されるようになりました。
日本の三畳紀層は、かつては分布が狭いと考えられていたのですが、従来古生代とされてきた外帯(太平洋側)各地のチャート層や石炭岩から相次いで本紀を示すコノドント化石が検出されました。
さらに放散虫の研究により、これらの多くはジュラ紀から白亜紀前期の泥質岩にとりこまれた異地性の岩体であることが判明しました。
これらは激しく褶曲していますが、もともとは広大な海洋底にたまった薄い堆積物で、大陸縁をなしていた日本列島に付加されたと考えられています。
一方、内帯(日本海側)および外帯の一部には、三畳紀前後に形成された花崗岩や広域変成岩とすでに付加されていた古生代の地層が分布し、これらを基盤とする三畳紀後期の陸棚性ないし瀕海(ひんかい)性の厚い堆積物がいくつかの小地域に分布しています。
これらはしばしば炭層を含み、産出する軟体動物化石にはシベリア方面と共通する種が多く知られています。
愛媛県でも、領家変成岩類 (2億2000万年前) の分布が見られます。
領家変成岩類は高縄半島の基部に分布しています。
岩盤は、砂質,泥質,石灰質,塩基性のホルンフェルス~片麻岩から成り、泥質のホルンフェルスから三畳紀~ジュラ紀の放散虫化石が発見されています(鹿島・増井,1985)。
この領家変成岩類は、南縁部で和泉層群に不整合に覆われています。
【気候】
古生代の終わり頃には、ほとんど全ての大陸が合体し、三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されました。
また、山地をくずして内陸部に広大な平野をつくる陸地の平原化現象があり、内陸部の平野には乾燥気候の影響で砂漠化の進行が著しく、赤色の砂が堆積していったそうです。
また、砂漠のところどころにはオアシスが点在したそうです。
パンゲア大陸の周囲には、パンサラッサと称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側にはテチス海と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は珊瑚礁となっていました。
古生代終期に寒冷化した気候も、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇していったものと推定されています。
ペルム紀に30パーセントほどあった酸素濃度も10パーセント程度まで低下し、ジュラ紀頃までの約1億年間、低酸素状態が続いたそうです。
三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられています。
この地向斜から、2億もの年月を経たのち、アルプス・ヒマラヤ造山帯など新期造山帯と称される若い山脈が形成されていくものとみられています。
三畳紀の終わりに、地球上の陸と海の生物の少なくとも半分が絶滅したそうです。
これを契機に恐竜が勢力を拡大し、その後1億3500万年にわたり地球を支配することになりますが、ワシントンD.C.にあるカーネギー研究所で地質学を研究するテレンス・ブラックバーン(Terrence Blackburn)さんによると、多数の動植物種が化石にその痕跡を残さなくなるのと同時期に、非常に大規模な溶岩の噴出が起こっていることが確認されたそうです。
この溶岩がアメリカ一国の上に堆積したと仮定すると、その高さは90メートルを超える計算になるそうです。
このとき噴出した溶岩は洪水玄武岩と呼ばれ、60万年の間に4回に分けて噴出したそうですが、そのうち最初の火山活動が、多くの生物種の絶滅につながったとブラックバーンさんは見ているそうです。

オーストラリアの中心地のシティでの右折事情

オーストラリアの中心地のシティでの右折事情を紹介します。

日本の交差点では、「まず右端のレーンに車線変更し交差点の中心付近で停止、対向車を確認して右折」が常識ですが、メルボルンのシティで右折する場合は違っていました。
“KEEP LEFT”という標識があり、“RIGHT TURN FROM LEFT ONLY”と丁寧に図でも説明しています。
この標識がある一部の交差点では“Hook Turn(ホックターン)”と呼ばれる右折方法をしなければいけないようです。
右折方法として、
① 左端のレーンに車線変更し、右折の指示器を出します。
② 交差点にゆっくり進入し、信号が変わるまで先ほどご紹介したマークのところで待機します。
(下の図では、二つめの車の場所です。)
③ 進行方向の信号が青に変わったら素早く右折します。

右に曲がりたいのに一度左に寄るというのは日本人の感覚からすると妙な感じで、本当に右折できるのかな?と不安な気がします。
オーストラリア内でもこの方法をとっているのはメルボルンのみだそうです。
ではどうしてメルボルンではこのような右折方法をとっているのでしょうか。
それは、メルボルンを代表する交通機関”トラム(路面電車)”に関係しています。
道路の中央をトラムが走るメルボルンのシティでは、道路の中央に近い右車線で右折待ちをするとトラムと接触してしまったり通行を妨げてしまう危険性があります。
毎日数多くのトラムが行きかっているメルボルンのシティでは、事故や進行妨害で遅延してしまうことは各方面へ大きな影響を及ぼします。
そのため、トラムのスムーズな運転を妨げないよう”Hook Turn(ホックターン)”という右折方法がとられているそうです。
最初の頃は、シティで、左端に停まって、右折のウィンカーを出している車を見かけたときにはびっくりしました。
「これって安全なのかな?」と思いました。
松山でも路面電車が走っていますが、右折の場合は当たり前のように軌道敷内に入って右折できるのを待っています。
後ろから電車が来ようと平気です。
「電車のほうが止まってくれるだろう」と思ってしまいます。
でも、確かに電車優先は常識です。
普通なら遮断機があり、待たなければいけないところです。
したがって、メルボルンの”Hook Turn”のほうが常識なのかも知れません。


この標識がある一部の交差点では“Hook Turn(ホックターン)”と呼ばれる右折方法をしなければなりません。


このように右折します。

ペルム紀について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回はペルム紀について調べてみました。

ペルム紀(Permian period)は、二畳紀とも言い、地質時代の年代区分の一つです。
【期間】
古生代を六つに区分した最後の地質時代で、古生代石炭紀と中生代三畳紀との間の約2億9890万年前から約2億5217万年前までの期間と言われていますが諸説あります。
【名前の由来】
ペルム紀の名称は、石炭紀の夾炭(きょうたん)層の上に、化石を多産するかつての呼称二畳紀の海成層が模式的に発達する、ウラル山脈の西側にペルムPerm(またはペルミPerm')というロシアの地名があります。
これにちなんでイギリスの地質学者マーチソンが1841年に命名したそうです。
国際的にはペルム紀が紀の正統名として使用されていますが、日本や中国では慣用的に二畳紀を使用する場合もあります。
二畳紀の名称は、ドイツのダイアスDyas(二つの層という意味)の訳語に由来しているそうです。
ドイツをはじめとして西ヨーロッパでは、同時代の地層は、新赤色砂岩層を含む下部層と、石灰岩、白雲岩、岩塩、石膏(せっこう)層を主体とした上部層より成り立っており、二畳紀の名はこれより生じたそうです。
【生物】
ペルム紀には、巨大な両生類や爬虫類が生息していました。
その中には、恐竜や鳥類、現生爬虫類の祖先となる双弓類もいました。
脊椎(せきつい)動物では、単弓(たんきゅう)類の哺乳(ほにゅう)類型爬虫(はちゅう)類が発展を遂げています。
このグループの盤竜類は乾燥した一連の環境に進出し、大型化し、なかには植物食に進化したグループもいました。
盤竜類の子孫である獣弓類は本紀後期に放散し、分布範囲をより寒冷な高緯度まで拡大したそうです。
爬虫類では、この紀に放散が生じ中生代での発展へと引き継がれています。
昆虫では完全変態の種族が進化したのも、この頃でした。
ペルム紀の浅い海の堆積物からは、豊富な軟体動物、棘皮動物、腕足動物の化石が産出しています。
また、三葉虫なども繁栄していました。
ただし、海域では、大規模な氷河の発達による海水準の低下によって、大陸棚の浅海部が失われ、三葉虫、四放サンゴ類、腕足類など古生代を代表する海生無脊椎動物は、急速に衰退し、当紀末までには、当紀に低緯度のテチス海域で栄え、重要な示準化石(標準化石)となった紡錘虫類や一部のアンモナイト、ほかの多くの無脊椎動物とともに絶滅していったそうです。
【植物】
植物では、石炭紀に栄えた鱗木(りんぼく)や封印木などのシダ植物は姿を消し、かわりに乾燥に耐えられる針葉樹、イチョウ、ソテツなど裸子植物も増え始めていました。
裸子植物は、シダ植物から進化した樹木で、これらの植物のために、古生代の石炭紀からペルム紀の地層には、石炭が埋蔵されています。
【岩石】
ペルム紀の地層は世界各地に広く分布しています。
南半球のゴンドワナ大陸では、厚い陸成層の発達が知られています。
テチス海域では、厚い石灰岩の堆積が行われています。
日本には海成のペルム系がよく発達しています。
二畳紀の名前のとおり、新赤色砂岩層を含む下部層と、石灰岩、白雲岩、岩塩、石膏(せっこう)層を主体とした上部層より成り立っています。
名前の由来となった、ロシアのウラル山脈西部のペルム地方によく発達しているのは、石灰岩,砂岩,泥灰岩,礫岩などよりなる地層群です。
愛媛県の構造帯のなかで、黒瀬川構造帯があります。
黒瀬川構造帯を構成している岩石は、黒瀬川古陸の岩類、古生代の付加体、堆積層の三つに分けられます。
このうち、三滝火成岩類や寺野変成岩類は、古生代のオルドビス紀からデボン紀になけて大陸をつくっていた岩石で、岡成層群などのシルル紀からデボン紀の地層です。
ただし、堆積層は、黒瀬川古陸の岩石や古生代の付加体を不整合におおうペルム紀から中生代ジュラ紀の地層と言われています。
【気候】
石炭紀末に超大陸パンゲアが形成された結果、シベリア大陸とヨーロッパ大陸の間にあったウラルの海域、南半球のゴンドワナ大陸と北半球のヨーロッパ・北アメリカ大陸の間の海域が陸化し、超大陸の内部に広い砂漠が発達するようになり、また、ゴンドワナ大陸では極を中心に大規模な大陸氷河が発達しました。
その結果、大陸では乾燥化と寒冷化が進行しています。
ペルム紀の初期には、ゴンドワナ大陸が南極地域にあり、大規模な氷床が発達していたため、気候は寒冷でした。
しかしゴンドワナ大陸が北上して南極地域を脱したことから、氷床は融解しはじめ、気温は上昇し、ペルム紀の末期には激しい気温上昇が起こり、地球の平均気温は23℃にも達しました。
これは、6億年前から現在まででもっとも高い気温だそうです。
そして、ペルム紀の終わり(P-T境界)に、地球史上最大規模とも言われる大量絶滅が起こっています。
このとき絶滅した種の割合は、海洋生物のうちの96%で、全ての生物種の90%から95%に達すると言われています。
ペルム紀末絶滅の特徴として、他の大絶滅に比べて、その後の生命の回復にきわめて長い時間がかかっていることで、回復に要した時間は、1000万年とされています。
絶滅の原因として考えられているのは、大規模な火山活動です。
スーパープルームにより地球史上もっとも激しい火山活動が起き(この火山活動が現在のシベリア・トラップを形成したとされ、噴出した溶岩の量は、富士山が過去一万年間で噴出した溶岩の量の10万倍であったとされています)、それによる気候変動がメタンハイドレートを融解させて更なる気候変動が起こるなどの大規模な環境変化が発生し、大量絶滅に繋がったとする説があります。
このように、火山灰による低温化、火山ガス中の二酸化炭素の増加、メタンハイドレードの溶解などが原因ではないかとされています。
火山からCO2が噴出した場合、CO2量はその後徐々に減少するはずですが、ぺルム紀末には、CO2の増加が長期に続いており、回復に1000万年もかかったことが説明できないという批判があります。
もうひとつの説は、巨大隕石の地球への衝突です。
実際に、この時期にイリジウムの濃集が確認されており、さらに大規模火災があった痕跡も見つかっています。
しかし、隕石説も、ペルム紀末のあまりにも大規模な絶滅と、その後の回復に要した時間の長さをうまく説明できないそうです。
ペルム紀末の特徴として大きいのは、大気中のCO2の増加です。
さらに、大気中でも海水中でも、13C/12Cの値が急速に小さくなっていることが報告されています。
これは、蓄積されていた有機物中の12Cが、大量に空中に放出したことを示しています(植物は光合成の際に、12Cを多く吸収する)。
また、海水中の酸素濃度が低下して、2000万年もの長期にわたって海水が酸素欠乏状態にあったことが判明しています。


オーストラリアでのガソリンスタンド事情

オーストラリアでのガソリンスタンド事情を紹介します。

私は、メルボルンで車を運転したのですが、オーストラリアは日本と同じ左側通行なので、特に違和感はありませんでした。
ただし、ガソリンスタンドは少なく、特に繁華街のシティでは見かけませんでした。
ハイウェイで100kmに1箇所くらいでしょうか?
それなりに気にしていないと、スピードも速いので通り過ぎてしまいます。
オーストラリアではガソリンスタンドのことを「ぺトロール・ステーション(Petrol Station)」と呼んでいるそうです。
計量方式は日本と同じで、「リッター」を使用していました。
事前のネットでの検索では、給油方式は都市周辺がセルフ・サービス、郊外や地方ではフル・サービスが一般的と書いてあったのですが、私が見た限りではすべてがセルフ・サービスでした。
そして、沿線道路沿いでは24時間営業の店も多いようです。
店舗は純然たるガソリン・スタンドとコンビニエンス・ストアーのような形態が見られます。
ガソリンの種類には「Regular(レギュラー)またはLeaded(レディッド)」、「Super Unleaded(アンレディッド)」、「Unleaded(アンレディッド」の3種類あり、レンタカーは「Unleaded(アンレディッド)」を給油するようです。
セルフ・サービスの給油の手順としては、
・車を給油スタンドに付け、「Unleaded」のホースを取り上げる。
・メーター(ガソリンの量と金額)は自動的にゼロとなり、給油できる状態になる。
・給油の量は任意なので、量または金額の切りが良い所で、止めることもできる。
このような手順なので、ほとんど日本と変わりません。
給油が終わったら、車を給油スタンドから離して停めるのがいいようです。
そして、支払いカウンターへ行き支払うのですが、支払うところは店の中がほとんどで、店のほうでもう何リットル入れたのかが把握していました。
したがって、給油スタンドの番号を伝えることも私はありませんでした。
事前のネット検索では、給油スタンドの番号を伝え料金を支払うとか、車は料金を支払うまで、移動しないことがオーストラリアでのルールと書いてあったのですが、ずいぶん違うなと感じたしだいです。

P1120026.jpg
ハイウェイのガソリンスタンドはこのような造りです。
右側のショップで支払いをします。
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