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ダウンザホールハンマー工法によるさく井工事

さく井工事の現場です。

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大口径の井戸工事を行っています。
トラッククレーンを使用しての掘削作業です。

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掘削の様子です。
リーダーを立て、オーガースイベルを滑らすダウンザホールハンマー工法です。

井戸の点検検層の種類

井戸で長年揚水を行うと、種々の障害が発生してきます。
その障害は、
①揚水量の減少
②水位の低下
③排砂
④揚水機の故障
などです。
揚水量の減少や水位の低下などはスクリーンの目詰まりによるものに起因し、排砂増加等による揚水機の故障は、井戸構造自体の破損に起因することが多いのが特徴です。
この様な障害が発生した場合、その原因の究明が重要です。
原因の究明としては、障害に至るまでの経緯や使用状況などの情報収集と井戸点検検層を実施し、その解析結果からその対策工(井戸洗浄及び、井戸修復工事を含めた改修工事)等を立案することになります。

井戸点検検層としては、次のようなものがあります。
①温度検層
孔内温度の局所的変化から、 地下水流入・漏水箇所および帯水層の判定に有効です 。
②電気伝導度検層
電気伝導度は溶存電解質成分は多いほど、高い値を示すことから、 地層水( 地下水・温泉) の流入箇所検出に非常に有効です 。
③水中カメラ
孔内にTV カメラを入れて、 直接見ることにより 、ケーシングの破損、 スクリーンの目詰まりなどを一目瞭然に把握できます 。
④微流速検層
自然・揚水状態での孔内の縦流速を測定することで 、地下水流入箇所とその水量を把握できます。

耶馬溪の羅漢寺にある安山岩質の火山砕屑物

耶馬溪の観光地である羅漢寺を紹介します。

羅漢寺の案内では「大化1年/645年にインドから来た法道仙人が洞窟に感動してお寺を開いた」とされています。
ここまで古いと俄かには信じがたいのですが、史実にある歴史では、延元2年(1337)に円龕昭覚がこの岩窟に16羅漢を祀ったとあります。
延元4年(1339年)には、中国から逆流建順という僧が来寺し、円龕昭覚とともに五百羅漢像を造立したと伝えられています。
標高250mの耆山南斜面は、急斜面になっています。
この厳しい岩山の中腹に位置する羅漢寺は、慶長5年(1600)から曹洞宗になった古刹で全国羅漢寺の本山と言われています。
寺域には凌雲閣、無漏窟などがあり、無漏窟には3,700余体の石仏が安置されています。
ただし、写真は撮ってはいけないことになっていました。
どうしていけないのかはわかりませんでした。
羅漢寺ふもとのリフト乗り場近くにある禅海堂は、青の洞門を完成した後に禅海和尚が起居し、安永3年(1774)に88才の生涯を閉じたところです。
堂内にある禅海和尚の墓は、香煙の絶え間無く、多くの地元の人々に慕われているそうです。
また青の洞門を掘るために使用した槌やノミ、錫杖、茶釜などの遺品も、保存、展示されています。

耶馬渓(やばけい)は、大分県北西部に位置し、日本最大の溶岩台地が山国川などに浸食されてできた峡谷で、国指定名勝となっています。
このうち、羅漢寺橋、青の洞門、羅漢寺耶馬、擲筆峰、宇曽の景などの一帯は、第四紀更新世前〜中期の耶馬溪層の分布域にあたります。
耶馬溪層は、全層が安山岩質の火山砕屑物、すなわち火口より放出された火砕流堆積物が固結してできた地層であり、その層厚は,約300m に達するそうです。
羅漢寺橋付近の基礎地盤は凝灰角礫岩で形成されており、凝灰質に包まれた礫質部分は、安山岩および溶結凝灰岩により構成されています。
岩質は極めて堅硬であり、地盤変状の兆候は認められていません。

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この安山岩礫は、全部くっついています。
最初に見た時は、安山岩だけの礫岩かと思いました。

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クローズアップ写真です。
すべて安山岩の礫です。

イメージ 9
これが撮ってはいけない、五百羅漢・地蔵など約3700体の石仏が安置されているところです。
羅漢寺のパンフレットより入手しました。

大分県臼杵の柱状節理

大分県臼杵の柱状節理

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大分県臼杵の風連鍾乳洞に行く途中の河川で見かけた柱状節理です。
あざやかな六角柱が連続していました。

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少し拡大した写真です。
こんなところが、観光地でもなく普通に眺められるのは得した気分です。

エスワティニ王国のシベベ‐ロック

エスワティニ王国のシベベ‐ロックを紹介します。

シベベ‐ロック(Sibebe Rock)を紹介する前に、エスワティニ王国の紹介もしないといけません。
エスワティニ王国は、アフリカ南部に位置する立憲君主制国家です。
イギリス連邦加盟国のひとつで、周囲を南アフリカ共和国とモザンビークに囲まれた内陸国で、首都はムババーネです。
正式名称は英語で、Kingdom of Eswatini(キングダム・オブ・エスワティーニ)です。
1968年9月6日にイギリスより独立した際の国名はスワジランド王国だったそうで、これは「スワジ人の国」という意味から付けられたそうです。
しかし現地語である「スワジ」と英語の「ランド」を掛け合わせた言葉であるために一部の国民からの不満があったことを受けて、2015年からスワジ議会でも国名変更について審議されました。
そして、2018年4月19日、国王のムスワティ3世はマンジニで執り行った独立50周年記念式典での演説に於いて「私はこの国の名前を元に戻す」として、国名を現地語に則り「エスワティニ王国(Kingdom of eSwatini)」と改めることを宣言しました。
これはスワジ語で「スワジ人の場所」という意味になるそうです。
エスワティニ王国は、南アフリカ共和国の東のほうにポツンとあり、南アフリカに囲まれている小さな国です。
アフリカ大陸に3つある黒人王国の1つで、いろいろな意味で南アフリカにお世話になっているようです。
ただし、アフリカではごみの少ない国のようで、街中も、治安が悪いと感じることは全くないそうです。
ただし、旅行の際は夜歩きなどは控えるのが良いそうですが、基本夜は店がやってないそうです。
また、エスワティニ王国は元イギリス領なので、なかなか欧米の文化も入っているそうです。
言語は英語が通じますし、キリスト教が多いそうです。
お店はチップ文化があり、10%ぐらい払わないといけません。
基本的には年上の人を敬う文化もありますが、たまにレジの定員さんがやけに横柄だったりと、すべてが徹底されてるわけではないようです。
また、王国ならではの文化も色濃く残っているそうです。

そして、シベベ‐ロックですが、首都ムババネの北西郊にある山で、高さ約350メートルの花崗岩の岩山であり、一枚岩としてはオーストラリアのウルル(エアーズロック)に次ぐ大きさとされています。

 
小高い山がシベベ‐ロックです。

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これくらい登ると、草も木も生えているので、一枚岩だとわかりにくいそうです。
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