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フランスの秘境と呼ばれるコルシカ島

フランスの秘境と呼ばれるコルシカ島を紹介します。

コルシカ島 corsica(フランス語では corse)は、地中海の島で現在はフランス領だそうです。
古代にはローマの属領、ゲルマン人の諸国の支配を受けた後、ジェノヴァ共和国領となっています。
18世紀にジェノヴァから独立運動が起きたそうですが、結果的にフランス領となりました。
コルシカ島は、フランスに最も近く、その南にサルデーニャ島があります。
中心都市は現在は西岸のアジャクシオです。
コルシカ島は、ナポレオンが生まれたところです。
ナポレオンのボナパルト家は、北イタリアから16世紀初めにコルシカに移住して地主となった家で、ナポレオンの父のカルロは農園を経営してはじめは独立運動に加わったのですが、フランス王が介入してくるとそれに協力したことによって貴族の称号を与えられました。
コルシカ独立運動がしっぱに終わった翌年の1769年8月15日、ナポレオンはカルロ=ボナパルトの子としてにコルシカの中心都市アジャクシオで生まれました。
その生家は現在も残されており、記念館になっています。
1779年、10歳のナポレオン少年は家族と共にコルシカを離れ、ブーリエンヌ陸軍幼年学校に入学しました。
ナポレオンはコルシカがフランス領に戻ってから、1799年に3日間だけ滞在しただけで、その後は足を向けることはなかったそうです。
コルシカ島はナポレオンだけが見所ではありません。
地中海にある山の多い島で、スタイリッシュな海岸沿いの町、鬱蒼とした森、険しい山(最高峰はサント山)が特徴です。
島の約半分は公園内にあり、難関の GR20 を含むハイキング コースがあります。
大勢の人で賑わうピエトラコラバから、遠く離れたサレッチアやロンディナラまで数多くのビーチがあります。
1768 年以来フランス領になっていますが、イタリア文化の影響が今でもはっきりと見られます。

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何と言っても、コルシカ島の見どころは断崖絶壁と、その上に立つボニファシオの街並みです。
美しい地中海に、険しくそびえ立つ絶壁、そしてその上に風情のある街並みは、絶賛された絵画のようです。

コルシカ ナポレオンの生家
これは、19世紀の絵画ですが、コルシカ島アジャクシオのナポレオンの生家を描いています。

「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョ

「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョを紹介します。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(Civita di Bagnoregio)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落(フラツィオーネ)です。
首都ローマから約100キロのラッツィオ州の北に位置する小さな村で、ラッツィオ州とトスカーナ州ウンブリア州の境にあります。
チヴィタの歴史はローマよりも古く、2500年以上前にエトルリア人によって作られたと伝えられています。
海抜は462mあり、トゥーフォと呼ばれる火山噴火による貧弱な棚状地層の凝灰岩でできた大地は、雨や風、川の侵食などの影響を受けやすいため、エトルリア時代から古代ローマ時代にかけて、自然の城壁を利用する目的で丘の上に町が作られ、チヴィタもそのひとつだったそうです。
現在では「陸の孤島」といった風貌になっていますが、もともとこういう状態で作られたわけではありません。
長い歴史のなかで、凝灰岩を支える広大な粘土質部分が、地震と雨風で浸食され、町の崩壊は約1000年にも渡って続いたそうです。
1287年から5回の地震に見舞われ、1764年の大地震で隣町バニョレージョへつながる道が崩壊し、多くの住民が町を離れたことにより、チヴィタは廃墟の町になりました。
今でも、雨や風などによる浸食に加え、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされています。
そのため、イタリアの小説家ボナベントゥーラ・テッキにより、「死にゆく町」(il paese che muore)と呼ばれるようになりました。
町の入口の道路標識にも、イタリア語で「il paese che muore(死にゆく町)」と書かれているそうです。
現在では数人ほどの住人が暮らすのみだそうです。
自然の城壁に囲まれ、町全体が要塞のようになっているチヴィタですが、町に入る唯一の道である300mもの長い橋を渡ってサンタマリア城門をくぐると、中世にタイムスリップしたかのような町並みが広がります。
石畳の道に石造りの建物が並び、町の中心広場には聖ドナート教会が建ち、1500年代の粉ひき場などがあります。
町の真ん中にメイン通りとなる道がまっすぐ通っており、小1時間あれば町中を散策することができます。
少し歩いているとすぐに町の端っこへと出てしまいますが、そこから見渡す周囲の景色も見事です。
小さな町とはいえ、カフェやレストラン、バー、土産店、宿泊施設もあるので、立ち寄り散策だけでなく、町に泊まってのんびり過ごすこともできます。
訪れる観光客は後を絶たないそうです。

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これを絶景と呼ぶのでしょうか?
それとも危険なところというひとくくりの観光地なのでしょうか?
このチヴィタを訪れるには、ローマやフィレンツェからの日帰り観光ツアーもありますが、チヴィタと同じく崖の上にあり、「世界一美しい丘上都市」といわれるオルヴィエートを拠点にするのが便利だそうです。
チヴィタとオルヴィエートの2つの天空の町をめぐる観光ツアーもあり、オルヴィエートに宿泊してチヴィタへ日帰り観光するという旅程もおすすめだそうです。
また、オルヴィエートの見どころは、なんといっても中央にそびえる大聖堂です。
300年もの歳月をかけて建設された荘厳なドゥオモでは、素晴らしいイタリアゴシック建築だけでなく、ミケランジェロが絶賛したフレスコ画やイタリア最大級のパイプオルガンも必見だそうです。


チヴィタとは1本の細い橋で結ばれており、途中から坂道になっています。
こちらでは1.5ユーロの入場料を払います。
この橋は新しく見えますが、1965年完成だそうです。
10分弱かけて坂道の橋を登ります。
日陰などは全く無いので、日差しが強い季節には帽子やサングラス、履きやすい靴が必要になります。


イタリアの村なので、ちゃんと教会もあります。
小さなお土産屋さんや、ホテル、レストランなどがあるだけですが、雰囲気は中世そのままです。
食料品屋やスーパーは当然ないので、バーニョレージョまで行かないといけません。
それを考えると、住民のかたは、なかなかの労働です。

「雲母」は「きらら」と呼ぶの?

「雲母」について調べてみました。

少しでも岩石を知っている人なら「雲母」という鉱物名は知っていると思います。
実は、日本人の姓でも、この珍しい「雲母」という姓があるそうです。
静岡県に多く、特に小笠郡菊川町吉沢に集中してみられるそうです。
また、北海道にもみられるようです。
そして、「雲母」は、当然「うんも」と読むかと思いましたが、「きらら」と読むそうです。
姓の由来としては、雲母(うんも:鉱石)の産地であり、きらきらと光ることから名前がついたそうです。
そして、この「雲母」と、「きらら」≒「吉良」とは深い関係があるようです。

「吉良」と言えば、真っ先に吉良上野介を思い出しますが、もともと吉良家のルーツは清和源氏で、源義家(八幡太郎)の孫に当たる足利義康(よしやす)を始祖としているそうです。
義康は父から下野国足利庄(今の栃木県足利市)を贈与されて拠点としていました。
後の足利幕府を担う足利氏のルーツもここになるそうです。
三河の吉良氏はこの足利の流れから誕生しているそうです。

愛知県では、幡豆郡に「吉良町」(きらちょう)がありました。
2011年4月1日に西尾市に編入され、現在では表面から姿を消してしまいましたが、名鉄の駅名として「吉良吉田駅」はまだ健在だそうです。
そして、この地は江戸の高家として名高い吉良上野介義央(よしなか)公が治めていたところです。
足利義康の孫に当たる足利義氏(よしうじ)という人が、三河国吉良荘を与えられてこの地に赴任したのが発祥だそうです。
義氏はこれを機に「足利」姓を改め「吉良」姓に変えたそうです。
これは、言うまでもなく、この地が「吉良」という地名だったからということになります。

そして、「吉良」はどんな意味かというと、それが「雲母」に由来するそうです。
「雲母」はアルカリ性金属・鉄・アルミニウムなどを含む六角状の結晶でうすく剥がれる性質を持っています。
その光沢が美しいことから「きらら」とも呼ばれてきたそうです。
つまり「雲母」と書いて「きらら」とも読むことの由来です。
その「きらら」から「吉良」という地名が生まれたことを知って、義氏は姓を「吉良」に変えたそうです。
実際、この地に雲母が採れたという証拠もあります。
平安時代に出された『続日本紀』の元明天皇記に和銅6年(713)、大倭・三河の両国から「雲母」(きらら)を「輸納」させたと書かれています。
その雲母が採れたのは旧吉良町北部にある八ツ面山(やつおもてやま)別名「きらら山」だったとされています。

元禄14年(1701)に起こった赤穂藩主浅野長矩(ながのり)の江戸城内での刃傷(にんじょう)事件の後、吉良上野介は翌年討ち入りによって殺害されてしまいます。
その後ドラマ化された「忠臣蔵」「赤穂浪士」などで吉良上野介は一方的に悪者にされてきた感があります。
これは、地元の人にとっては遺憾というしかないそうで、何故かというと、いかなる理由があろうとも殿中で刀を抜いたのは浅野長矩であったのは事実だからだそうです。
吉良上野介は地元に多大な貢献をしたことで知られています。
特に治水工事で知られ、洪水に悩まされていた「鎧ヶ淵」と呼ばれていた沼地に全長180mの堤を一夜にして築かせ、人々を驚かせたそうです。
その結果稲穂が豊かに実るようになったことから「黄金堤」(こがねづつみ)と呼ばれたそうです。

地下水・土壌汚染について

地下水・土壌汚染について調べてみました。

地下水・土壌汚染が発生するには、まず汚染源が存在しなければならないのですが、同じ汚染物質でも、環境への放出の仕方や量、そして場の条件により、汚染の様相はかなり異なってきます。
汚染物質の地中(土壌層と地下水層,あるいは不飽和帯と飽和帯)での挙動を決める要因は
・汚染源の特徴(環境への放出形態など)
・汚染物質の物理化学的特性(環境中での分解性も含む)
・水文・地質条件(土壌層・帯水層の物理化学的特性,水理条件など)
です。
今回は、地下水・土壌汚染の中で、病原性微生物などによるものと、重金属類によるものを調べてみました。

(1)病原性微生物など
細菌,原虫,ウイルスなどが、1970年頃までの主要な地下水汚染原因で、赤痢,コレラ,チフス,そして近年では腸管出血性大腸菌O157などの細菌による事例が報告されています。
発生事例は激減したものの、一般に個人所有の浅井戸は必ずしも衛生状態がよいとは言えない面があるので、注意が必要となります。
特に、非常災害用井戸として指定されている浅井戸は多く、井戸周辺の維持管理は重要です。
また、学校や飲食店などでの発生が年間数件の割で報告されていますが、基本的に未消毒である場合や、消毒装置の不備や故障が主な原因となっていることが多いのが特徴です。
近年注目されているのが、原虫あるいは寄生虫であるジアルジア(鞭毛虫)、クリプトスポリジウム(胞子虫類)、エキノコックス(多節条虫)などです。
これらの原虫は現行の塩素消毒レベルではほとんど不活性化されず、病原細菌に比べて感染力も強いことから重大な問題になりつつあります。
ジアルジアでは、ビーバー、エキノコックスではキタキツネが宿主としてあげられているように、動物(人間を含め)を媒介して広がります。
地下水中で広範囲に拡散していくことはないようで、地下水汚染事例では、井戸への下水・汚水,表流水の混入が主要な原因で、家庭用や専用水道の井戸の場合が多いようです。
しかし、1996年に埼玉県越生町で発生したクリプトスポリジウムの集団感染事例では水道水源となっていた伏流水が汚染され、水道水を介し大きな被害となりました。
ウイルスは、細菌より小さく、消毒剤に対する抵抗性もあり、肝炎ウイルスなどが地下水汚染事例として多く報告されています。

(2)重金属類
重金属は、金属のうち、比重が4~5以上のものでありますが、ここではカドミウム,鉛,クロム,水銀の4元素のほか、砒素,セレン,フッ素,ホウ素などを含めて重金属類とします。
重金属は公害の主原因で、
・足尾鉱山による渡良瀬川流域の銅,カドミウム
・イタイイタイ病として知られる神通川のカドミウム
・土呂久鉱山の砒素
・水俣病の水銀
などが挙げられます。
鉱山関係のものは一般に土壌汚染、地下水を含めた水系汚染を下流一帯に発生させています。
規模は小さいのですが、過去に頻繁に地下水汚染を引き起こしたのが、メッキ工場からの六価クロムやシアンです。
また、汚染事例の多い金属製造業関係では、複数の金属類が同時に検出される例が多くみられます。
重金属はpHや酸化還元状態に挙動が左右され、一般に水への溶解度が低く、土壌に吸着されやすく、通常のpHでは不溶性の水酸化物を形成するなど移動性は大きくないものが多いため、土壌汚染が発生した場合でも、地下水汚染にまで拡大する場合は多くありません。
ただし、クロムや砒素など、価数の違いにより挙動が異なることもあります。
メッキ工場での六価クロムは、Cr2O72-の陰イオンとして排出されるので、地下水汚染を引き起こしてきました。
重金属類の場合、自然由来で汚染が発生することも多々あります。
すなわち、自然界の土壌・岩石・地層に含まれる有害物質が高濃度に溶出し、地下水汚染となる場合があります。
これらの物質は、必須微量元素であったり、濃縮していれば資源でもあり、温泉水の主要成分となったりしています。
この自然由来の地下水汚染は頻度も高く、深刻な場合もあり、2010年に施行された改正土壌汚染対策法では自然由来と考えられる場合でも法の対象となりました。
代表的な自然由来の汚染物質としては砒素,フッ素,鉛,ホウ素,水銀,カドミウム,セレンなどが挙げられます。
特に、砒素はバングラデシュなど世界各地で問題となっており、海成堆積物中に多く存在し、地下水開発(揚水)により、地下環境が変化することで誘発されていることが多くなっています。
また、砒素は硫化鉱物に含有されることも多く、そこから溶出し汚染となることもあります。
フッ素は班状歯の原因となる物質ですが、近畿・中国・四国地方では主に花崗岩類を起源とし、九州および中部・関東・東北・北海道では火山・温泉起源とし、汚染は全国的に発生しています。
地下水・土壌汚染の関連の年表は下記の通りです。

1948 農薬取締法 水質汚濁防止小委員会(資源調査会)
1951 水産資源保護法
1953 水俣病
1955 イタイイタイ病(神通川) 水道普及率上昇
1956 工業用水法
1957 水道法(→水質基準の省令化,1958)
1958 下水道法,工場排水の規制に関する法律
公共用水域の水質の保全に関する法律
1959 トリクロロエチレン生産急増
1962 建築物用地下水の採取の規制に関する法律
1964 毒物及び劇薬取締法改正 第2 水俣病(阿賀野川)
1965 テトラクロロエチレン生産増加,クリーニング業急増
1966 水道水の水質基準改正(陰イオン活性剤,六価クロムの追加)
1967 公害対策基本法 合成洗剤ABS → LAS 切り替え
1970 水質汚濁防止法(直罰規定,上乗せ基準)
玉川浄水場取水停止
廃棄物の処理及び清掃に関する法律
農用地の土壌の汚染防止等に関する法律
(特定有害物質:カドミウム,銅(1972),砒素(1975))
1971 環境庁発足
有機塩素系農薬の販売の禁止及び制限を定める省令
1973 化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律
(PCB,DDT,BHC 使用禁止)
1974 水質基準に水銀,カドミウム追加
地盤凝固剤問題化(アクリルアミド系など使用禁止)
1975 秦野市地下水の保全及び利用の適正化に関する要綱
(地下水利用協力金)
六価クロム汚染表面化(日本化学工業クロム鉱滓)
1978 水質汚濁法等改正(総量規制) ラブカナル事件(アメリカ)
レッカーケルク事件(オランダ)
1981 シリコンヴァレーの地下水汚染問題化(アメリカ)
1982 地下水汚染実態調査(環境庁) 
トリクロ3 物質問題化(ハイテク汚染)
1983 浄化槽法
1984 トリクロロエチレン等の水道水暫定水質基準
湖沼水質保全特別措置法
1986 化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律改正
(トリクロロエチレン等の第二種特定化学物質追加)
チェルノブイリ原子力発電所事故
1988 津市水道水源保護条例 ゴルフ場農薬問題
1989 千葉県地下水汚染防止対策指導要綱
水濁法改正(地下浸透禁止,常時監視) 
地下水質評価基準(11 項目)
1990 千葉県ゴルフ場等の開発事業に関する指導要綱
(農薬使用禁止)
ゴルフ場使用農薬の暫定水質目標(21 種類,厚生省),
同排水の暫定指導指針(環境庁)
熊本県地下水質保全条例
1991 土壌の汚染に係わる環境基準(25 項目)
1992 長野県水源保護条例
水道水質基準の見直し
(厚生省,1993 年12 月施行,26 → 46 項目)
水質環境基準の見直し
(環境庁,9 → 23 項目,+要監視項目25)
1993 環境基本法
地下水評価基準の改定(23 項目) 要監視項目の設定(25 項目)
秦野市地下水汚染の防止及び浄化に関する条例
ヒ素による地下水汚染(バングラデシュ)
1994 水道原水水質保全事業促進法・水道水質保全特別措置法
重金属等に係わる土壌汚染調査・対策指針
有機塩素系化合物に係わる土壌・地下水汚染調査・対策暫定
指針
1995 水濁法改正(浄化措置命令)
1996 社団法人土壌環境センター設立
1997 地下水の水質汚濁に係わる環境基準(23 項目)
環境影響評価法
1999 地下水の水質汚濁に係わる環境基準に硝酸性窒素・ホウ素・
フッ素追加
持続性の高い農業生産方式の導入の促進に関する法律
(持続農業法)
家畜排せつ物の管理の適正化及び利用の促進に関する法律
(家畜排せつ物法)
2000 ダイオキシン類の環境基準
浄化槽法改正(単独処理浄化槽の禁止)
2001 環境省設置
硝酸性窒素及び亜硝酸性窒素に係る土壌管理指針
2002 水質汚濁防止法改正
土壌汚染対策法
東京都豊洲新市場予定地における土壌汚染の確認
2003 化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律改正
(生態系影響審査の追加)
茨城県神栖市における有機ヒ素化合物
(ジフェニルアルシン酸)による地下水の汚染
2004 水道水質基準の見直し
(基準項目50,管理目標設定項目27,要検討項目40)
残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約発効
2006 東京都北区豊島五丁目地域ダイオキシン類土壌汚染
2009 地下水の水質汚濁に係わる環境基準に塩化ビニルモノマー,
1,4- ジオキサン,1,2- ジクロロエチレン追加
化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律改正
(国際条約との整合性の確保)
2010 水道水基準の見直し
(基準項目50,管理目標設定項目27,要検討項目44)
土壌汚染対策法改正(自然由来の土壌汚染も対象)
2011 東北地方太平洋沖地震・福島第一原子力発電所事故
東京都土壌汚染対策アドバイザー派遣制度開始
2012 熊本県地下水保全条例改正(地下水利用に許可制導入)
印刷会社で胆管癌が多発
(1-2,ジクロロプロパンおよびジクロロメタン?)

アメイジア大陸について

超大陸について調べていますが、今回は、未来の超大陸であると考えられているアメイジア大陸について調べてみました。

アメイジア大陸(Amasia)もしくはノヴォパンゲア大陸(Novopangea)は、プレートテクトニクスにおいて、現在より約2億年後に地球に出現する可能性があると考えられている超大陸の一つです。
アメイジアは「アメリカ」と「アジア」を繋げたもので、ノヴォパンゲアは「新しいパンゲア」の意味です。
パンゲア大陸は、当ブログでも紹介しましたが、2億年以上前に存在したとされる超大陸で、現在の大陸に分裂したとされています。
アメイジア大陸は、地球内部のマントルが長年をかけて対流することでプレートが移動し、アフリカ大陸、ユーラシア大陸、アメリカ大陸、オーストラリア大陸の合体によって形成されると推定されています。
その際には太平洋は消滅し、そこに大山脈が出現するそうです。
その後、太平洋の跡からの大規模なプルーム現象が起こると予測されています。
なお、東ユーラシアと北アメリカが直接衝突し、その南にオーストラリアが衝突する形になるか、オーストラリアが両者の間に割り込むところまで北上するか、南極大陸がオーストラリアの南側に衝突するか単独の大陸のままで残るかなどについては予想が分かれています。
一方で、イェール大学のミッチェル博士らは、北極を中心に形成されると推定しています。
アメイジア大陸とは逆に、大西洋が消滅するような形で超大陸が形成されるという説もあり、この超大陸はパンゲア・ウルティマ大陸またはパンゲア・プロクシマ大陸と呼ばれています。
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