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西之島の近況報告

小笠原諸島の西之島の近況報告です。

小笠原諸島の父島の西の約130kmにある西之島は、3年前の11月以降、活発な噴火活動が続いていましたが、半年前の観測を最後に噴火や溶岩の流出は確認されていません。
5月20日に海上保安庁が航空機で上空から観測を行ったところ、噴火や新たな溶岩の流出は確認されなかったそうです。
4月の調査では、火口から大量の白い噴気が出ているのがおよそ2か月ぶりに観測されていましたが、今回はそれも確認されなかったみたいです。
でも、火口からは青紫色の火山ガスの放出が確認されたほか、火口の縁などの地表の温度は依然として高く、周辺の海域では、海底から出る火山ガスなどで海水が変色している様子も観測されたそうです。
また、島の周囲には海岸の浸食などによって砂浜が広がっていることが確認され、島の面積はおよそ2.66k㎡と、前回の調査の時点よりも僅かに拡大しているそうです。
調査に同行した東京工業大学の教授である野上健治さんは、「前回確認された白い噴気は高温のガスで熱せられた雨などの可能性があり、新たなマグマの供給を示す現象は認められず、静穏の状態にあると考えられる」としています。
海上保安庁は、火山活動は依然として続いているとして、近くを通る船舶などに注意を呼びかけているそうです。

海底火山の噴火の島「スルツェイ島」

日本では、海底火山の噴火により出現した島として、西之島が有名ですが、アイスランドにも、同じような海底火山の噴火の島でスルツェイ島があります。

スルツェイ島(スルツェイとう、アイスランド語: Surtsey)は、アイスランドの南にある無人島です。
今から50年以上前の1963年に出現しました。
出現における歴史として、
1963年 - 11月14日 アイスランド南西海域付近で操業中の漁船が硫黄臭に気付き、午前7時に噴煙を確認しています。
11月15日 - 海上に新島を確認しました。
12月6日 - フランスの週刊誌記者が上陸し、新島を「Surtsey」と命名しました。
12月16日 - 科学者が初上陸しています。
1964年(1月) - たびたびの噴火で標高173メートルを記録しました。
2月2日 - 第二火口が形成され、第一火口の活動が停止しました。
4月 - 4月までに新島の周囲は1.7キロに達しています。
4月4日 - 地上に出現した第二火口から溶岩の湧出が始まりました(29日まで)。
7月9日 - 溶岩の湧出が再開しました(翌年1965年4月まで)。
1965年 5月 - アイスランド政府が聖域宣言し、入島は許諾制となります。
Surtsey Research Society(スルツェイ島研究学会)が設立されました。
1967年 6月4日 - 火山活動が停止しました。
2008年 7月8日 - 第32回世界遺産委員会でアイスランド初の自然遺産として登録されました。

4年間も火山活動があり、日本の西之島と並んで、海底火山の噴火から新島を形成した典型例として有名です。
なお、「スルツェイ」はアイスランド語で「スルトの島」を意味するため、正確には「スルツェイ島」は重複表現だそうです。
アイスランドは大西洋中央海嶺上にあり、もともと火山活動が活発です。
スルツェイ島は誕生直後から波による浸食にさらされているが、火山活動による面積拡大が浸食を上回り、島の消失は避けられました。
現在では、
面積 - 2.8 km²
標高 - 173 m
です。
西之島が
面積 - 2.71 km²
標高 - 38 m
なので、西之島が少しは小さいみたいです。
噴火の形態には、「ハワイ式噴火」「ストロンボリ式噴火」「ブルカノ式噴火」「スルツェイ式噴火」「プリリー式噴火」「プリニー式噴火」「ウルトラプリニー式噴火(カルデラ噴火)」などのタイプがありますが、スルツェイ島の噴火は、「スルツェイ式噴火」と呼ばれています。
従来では、「ウルトラブルカノ式」と呼ばれていた噴火形式で、マグマたまりの中の水蒸気圧力が上昇することによって爆発するタイプですが、高温のマグマが海水に触れることによって、大量の水蒸気を発生させ大爆発を起こすところから、マグマ水蒸気爆発の事です。
スルツェイ島の噴火が典型例であったところから、「ウルトラブルカノ式噴火」は逆に「スルツェイ式噴火」と呼ばれるようになりました。
西之島は「ストロンボリ式噴火」です。
「ストロンボリ式噴火」(-しきふんか、英:Strombolian eruption)は、噴石、火山礫、火山弾が数千メートルの高さに達する噴火に用いられる分類で、名前はイタリア共和国ストロンボリ山から取られています。

スルツェイ島はベストマン諸島の南方20キロメートルにある孤立した陸地で、全くの荒れ地から始まった土地に植物や動物が繁殖してゆく順序やきっかけを調査する貴重な研究拠点となっています。
植物はほとんどが海鳥が持ち込んだもので、噴火2年後の1965年に維管束植物の生育が初めて観察され、灌木が現れたのはようやく1998年になってからだったそうです。
海鳥が島に群れを作るようになったのは1970年頃からで、最初に、フルマカモメとハジロウミバトが留鳥として住みついたそうです。
海鳥の大量のフンにより、溶岩と火山灰からなる荒れた島の土壌は、次第に植物の生育に適したものに変えられていったそうです。
アザラシの繁殖が始まったのは1983年だそうです。
西之島も、同じような歴史をたどるのでしょうか。


上空から見たスルツェイ島です。
この写真でみると、現在でも活発な火山活動が続いているようです。


島で人間に許されている居場所は、この研究者用の簡素な小屋だけのようです。
ここはスルツェイ島研究学会が管理しています。

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1963年11月14日にアイスランド沖に出現したスルツェイ島ですが、西之島の画像とダブります。
ユネスコによれば、1964年に調査が開始されて以来、海流によって運ばれた種や、カビ、微生物、菌類の出現が観察されており、65年には初めて維管束植物が確認されたそうです。
2004年までには、維管束植物は60種にまで増え、コケ類75種、地衣類71種、菌類24種が確認されているそうです。
また、同島では89種の鳥類が記録されており、うち57種はアイスランド国外から飛来したものだそうです。
さらに335種の無脊椎動物が生息しています。

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これもスルツェイ島の写真ですが、いつ頃の写真でしょうか?
あまり植生がありません。
西之島も、50年たってもこんな感じなのでしょうか。

伊豆諸島のベヨネース列岩

伊豆諸島にベヨネース列岩があります。

ベヨネース列岩(ベヨネースれつがん)は、ベヨネース岩礁、ハロースとも呼ばれていますが、伊豆諸島の岩礁群です。
欧名は「Bayonnaise Rocks」だそうです。
東京都の直轄であり、都の出先機関である東京都総務局八丈支庁が所管していますが、どの町村に属しているかは未定の状態だそうです。
伊豆諸島の南部で、東京都から南に408km、青ヶ島の南約65kmに位置し、3個の烏帽子形の大岩礁と数個の小岩礁から成り、海面下約1500mに基底をもつ海底火山の外輪山(カルデラ直径10km)の西縁で、基盤岩は玄武岩(SiO2 47~52%)です。
1952~1953年に活動した明神礁(主にデイサイトSiO2 63~69%)はベヨネース列岩の東約10kmにあり、比高約300mの円錐状をなし、山頂に直径約600mの火口をもつ後カルデラ火口丘です。
この明神礁とベヨネース列岩の間には、直径約8kmの海底カルデラ「明神礁カルデラ」が存在し、その中央に最浅水深372mの中央火口丘があります。
カルデラ底は環状に分布し、水深は1000mを越えるそうです。
ベヨネース列岩は、「明神礁カルデラ」のカルデラ縁上に位置しますが、形成時期は明神礁カルデラより古いそうです。
下の写真でも想像できるように、植生はほとんどなく、渡り鳥の休息地となっています。
近海ではしばしば海底噴火が発生しています。
周辺は黒潮が流れていて好漁場のため、釣り目的で漁船で岩礁に上陸する人もいるようです。
大型の魚が釣れるそうですが、常に波浪にさらされるため、波にさらわれたり海に転落する危険があり、磯釣りに慣れた上級者向けとされています。

ベヨネース列岩は、1846年にフランス海軍のコルベット「バイヨネーズ」が発見し、名前はこれに由来しています。
1896年以降、火山活動による海面異常や海底噴火がみられ、1906年、1946年、1952年 - 1953年には付近の明神礁で新島も出現しました。
この新島は青ヶ島からも遠望できるほどに成長したのですが、その後荒波に呑まれて海中に没しています。
下表の活動記録にもあるように、火山活動のため、ベヨネース列岩は危険で、そのうえ常に波浪にさらされ接岸は非常に困難でした。
しかし、1953年10月5日にアメリカの海洋観測船「ベアード号」の調査団長がゴムボートで上陸し、岩石採取に成功しています。
ベヨネース列岩は波浪で上陸困難だったことから、波浪の巣という意味で別名「ハロース」とも呼ばれるようにもなりました。
2012年3月15日の東京都議会予算特別委員会の質疑において、中野区の都議であった吉田康一郎さんが、ベヨネース列岩の個々の岩(島)に命名をするとともに、「ベヨネース」という洋名についても、日本語由来の名称を付けるべきと提案しています。
この時に、吉田さんは、列岩の総称に「波浪巣島」「波浪巣岩」、3個の大きな烏帽子形の岩に「北烏帽子岩」「中烏帽子岩」「南烏帽子岩」、小さな岩礁に国に倣って「東小岩」「西上小岩」等の名称を提案し、都民に広く名称案を募り、知事を長とする選考委員会で選定することを求めています。
これに対し、当時の都知事だった石原慎太郎さんは「大賛成でありまして、責任を持ってやりたいと思います。」と答弁しましたが、それから4年経った現在でも和名には変わっていません。

写真でもわかるように、現在は、この岩礁に住むものはいません。
でも、近年ではこの岩礁での研究が進められ、この岩礁を開拓する光景も見られるそうです。

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これがベヨネース列岩ですが、今にも白波に飲まれそうな感じです。
この岩礁に住むというのはとんでもない事だと思います。

ベヨネース列岩における有史以降の火山活動の記録
年代現象活動経過・被害状況等
▲1869(明治2)年噴火海底噴火。
▲1870(明治3)年1マグマ水蒸気噴火?、あるいはマグマ噴火?小島噴火:詳細不明。噴火場所は明神礁。
▲1871(明治4)年噴火海底噴火。噴火場所は明神礁。
▲1896(明治29)年マグマ水蒸気噴火?、あるいはマグマ噴火?噴火場所は明神礁。
小島岩が噴出し烈しく波浪する。
▲1906(明治39)年マグマ水蒸気噴火、あるいはマグマ噴火噴煙:4 月14 日。軽石浮流。噴火場所は明神礁。
▲1915(大正4)年マグマ水蒸気噴火、あるいはマグマ噴火海底噴火:岩石噴出、噴煙。噴火場所は明神礁。 4 月14 日海底噴火。7 月1 日噴煙、海水噴き上げ。
同上噴火6 月19 日。噴火場所は明神礁及び高根礁。
▲1934(昭和9)年(海水変色)海底噴火:5 月20 日。海水黄変、硫黄臭。噴火場所は明神礁。
1945(昭和20)年1火山ガス10~ 11 月。乳白色に海水変色。噴火場所は明神礁。
▲1946(昭和21)年マグマ水蒸気噴火、マグマ噴火噴火場所は明神礁。
新島出没:1 月新島発見。2 月長さ200m、幅150m。4 月4個の新島(高さ約36m)。10 月高さ100m のもの1 個。12 月 海面下に沈下。
▲1952~ 53(昭和27~28)年マグマ水蒸気噴火、マグマ噴火、(海水変色)降下火砕物、火砕サージ、溶岩ドーム、火砕物重力流、(海上浮遊軽石)。噴火場所は明神礁。 大爆発を伴う新島出現。9 月17 日海底噴火(噴火した浅瀬を明神礁と命名)。新島は径百数十m、高さ数10m。中・下 旬に大爆発。9 月23 日新島沈没。9 月24 日調査中の水路部所属第5 海洋丸遭難、31 名殉職。10 月11 日頃再び新島 出現(翌年3 月11 日頃消滅)。4 月5 日頃みたび新島出現(9 月3 日頃海面下に沈下)。
▲1954(昭和29)年噴火11 月4 日。噴火場所は明神礁。
▲1955(昭和30)年噴火6 月25 日。噴火場所は明神礁。
1957(昭和32)年火山活動?5 月2 日。場所はベヨネース列岩付近。 海面に深海魚の死体浮遊。海底火山活動によるものと推定。
▲1960(昭和35)年マグマ水蒸気噴火、(海水変色)7 月21 日。噴火場所は明神礁。
噴煙2,000~ 3,000m、軽石浮遊。
▲1970(昭和45)年マグマ水蒸気噴火、(海水変色)1~ 6 月。噴火場所は明神礁。 噴煙、軽石浮遊。
▲1971(昭和46)年(海水変色)3 月18 日、8 月21 日。噴火場所は明神礁(3 月18 日)、明 神礁の北東約7 海里地点(8 月21 日)。
▲1979(昭和54)年(海水変色)7 月13 日。噴火場所は明神礁。
▲1980(昭和55)年(海水変色)11 月15、18、19、26 日、12 月23 日。噴火場所は明神礁。
▲1982(昭和57)年(海水変色)8 月10 日。噴火場所は明神礁。
▲1983(昭和58)年(海水変色)5 月12 日。噴火場所は明神礁。
▲1986(昭和61)年(海水変色)10 月24、25 日。噴火場所は明神礁。
▲1987(昭和62)年(海水変色)10 月21 日、12 月9 日。噴火場所は明神礁。
▲1988(昭和63)年(海水変色)3 月18、19 日。噴火場所は明神礁。

日本活火山総覧(第4版)(気象庁編、2013)より抜粋しました。

立ち入り禁止の孀婦岩

神秘の島とも言われている孀婦岩の紹介をします。

孀婦岩(そうふがん、-いわ)は伊豆諸島の島です。
同諸島の最南端にある無人島で、北緯29 度47 分38 秒、東経140 度20 分07 秒に位置し、所属市町村未定のため東京都の直轄となっており、東京都総務局の出先機関である八丈支庁が管理事務を行っています。
ちっぽけな島ですが、日本の気象庁により活火山とされています。
場所は、東京の南約650km、鳥島の南約76kmに位置する標高99m、東西84m、南北56mの顕著な黒色孤立突岩です。
火道内のマグマが硬化してできた典型的な岩頸です。
岩頸(がんけい)は、岩栓(がんせん)、突岩(とつがん)とも言いますが、この地形は、火道内のマグマが硬化してできた形成物です。
火山が侵食によって削られて、火道内の岩栓が地表に現れた独特の地形です。
この下にはマグマ溜まりが存在することがあり、その圧力によって火山爆発が起こることもあります。
孀婦岩の岩質は玄武岩です。
頂上付近には水面に対して垂直方向の柱状節理が認められます。
面積は0.01平方kmで、カルデラ式海底火山の外輪山にあたり、孀婦岩の南西2.6km、水深240mには火口があります。

孀婦岩について初めて確実な記録を残したのは、イギリス人で元海軍大尉のジョン・ミアーズでした。
彼は交易のため二艘の船団でマカオを出発、ミンダナオ島を経て北アメリカに向かう途上で孀婦岩を目撃したそうです。
ミアーズの記録によると1788年4月9日、彼は初めてこの岩を目撃し「その岩に近づくにつれ、我々の驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」と書き記しています。
ミアーズは、この岩をその不思議な形から旧約聖書の創世記(19章26節)において神の指示に背いたために塩の柱に変えられてしまった女性に見立てて「Lot's wife(ロトの妻)」と名づけました。
ミアーズの報告と実際の岩の位置は緯度が大きく異なっており、実際よりも17度も東にされています。
日本語文献では1885年の『寰瀛水路誌』に初めて「孀婦岩(ロッツワイフ)」の名が現れますが、これは「Lot's wife」を「やもめいわ」と意訳したもので、やがて音読して「そうふがん」と読まれるようになったと考えられています。
今日では「そうふいわ」と呼ばれることも多いようです。

孀婦岩は、立入禁止地帯になっているようですが、世界の名だたる立入禁止地帯の中で、近寄るのが困難なものの筆頭格だそうです。
伊豆諸島は、伊豆大島や三宅島、八丈島などの名前が有名ですが、先に述べたように、周囲に同じような島がまったくないことから未亡人を意味する孀婦の名がつけられているようです。
孀婦岩は「島」とされていますが、実際には「島」というよりは「岩」のようです。
周囲の海の水深は約2000mだそうですが、そこから真っ直ぐに切り立った岩が海面まで飛び出しています。
標高は99mで、全面が切り立った崖です。
それに、周囲の海域は潮流も複雑でつねに激しい波が打ち付けているので、近寄っても上陸することは非常に困難だそうです。
また、この島を見たいと思っても、近くを通る公共交通機関は存在していないそうです。
伊豆半島の下田から漁船をチャーターして向かうのがもっとも簡単な方法だそうですが、漁船のチャーター料は、燃料代を含めて200万円近くかかるそうです。
豊かな漁場なので、大物を狙う釣り人やダイビング愛好者を対象にしたツアーも組まれていようですが、それでも往復で40万円近くかかるそうです。
この島の周囲は、断崖絶壁になっていますが、頂上にはわずかな平地があるそうです。
このような尖った形状のために上陸することは困難ですが、1972年に早稲田大学の学生が上陸、登頂に成功しています。
2003年にも、ロッククライミングで登頂した例などが存在しますが、転落事故も記録されています。
記録によれば、漁船などから、ボートを下ろして手こぎで島に近づく方法が用いられるそうですが、島の周囲は黒潮に洗われて、激しい波が打ち付けているそうで、小型のボートで上陸しようとすると、海が穏やかな時でもうねりで4~5mも波の中を上下しながら進まなければならないそうです。
そして、船から飛び降りると同時に岩にしがみつき、海に引きずり込まれないうちに岩肌をよじ登るという芸当が必要になります。
そこから、頂上へ登るルートも困難で、いくつかの登頂成功事例があるとはいっても、正確なルートが確立されているわけではありません。
落ちたら一巻の終わりですが、それ以前の問題としてここは立ち入り禁止地帯です。
頂上は、畳数枚分の広さがあるそうです。
そして、そこには、鳥が種を運んできたのか、イネ科の草が生えているようです。

海域の周辺は火山の熱で温められた海水のため、プランクトンもよく育つ豊かな漁場です。
海鳥の生息地となっているため、島は鳥の糞で白くなっています。
周辺では海底火山が活動中だそうで、1975年に孀婦岩の北約500 メートルの海域に緑色の変色水の発生が観測されたそうです。
戦後において、小笠原諸島と沖縄がアメリカ統治下に置かれていた時代では、この孀婦岩が事実上日本最南端の地になっていたそうです。

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柱状節理のいたずらでしょうか。
それにしても、荒波にもまれてもびくともしていないのは、よっぽど硬質の玄武岩なのでしょうか。

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孀婦岩の周囲の海の水深は約2000mだそうですが、そこから真っ直ぐに切り立った岩が海面まで飛び出しています。
標高は99mですが、全面が切り立った崖です。
こんなところを登るのは自殺行為ですが、この島に上陸するのさえ困難なようです。

桜島での爆発的噴火

桜島で、また噴火しました。

噴火の時刻は5日の18時56分頃とされています。
桜島の昭和火口で爆発的な噴火が発生し、噴煙は約2200mまで達したそうです。
昨年9月以来、爆発的噴火が収まっていた桜島(鹿児島市)で、約5カ月ぶりに2000mを超える噴煙が立ち上り、噴火警戒レベルも2から3に戻りました。
現在のところ、その後の噴火は観測されていないそうです。
今日は、気象台の職員3人が到着し、車で島を回りながら火山灰の状況を確認したり、噴火当時、風下になっていた島の南東部の展望台で、今回の噴火によって飛んできた可能性のある1cmほどの大きさの噴石を採取したりしていたそうです。
今回の調査では、火山ガスの濃度なども計測するほか、県の防災ヘリを使って上空からも火口の観測を行っていて、これまでの噴火と異なる点がないか調べるそうです。
調査に当たった鹿児島地方気象台の高橋冬樹技術専門官は、「今回の噴火は去年700回以上起きている噴火と同じ性質のものと考えているが、詳しく調査を行って、火山活動に異変が起きていないか見逃さないようにしていきたい」と話していました。

桜島では噴火警戒レベルがレベル3の入山規制に引き上げられたのですが、立ち入り禁止の範囲の外にある島の観光名所では、ふだんと変わらず山の眺めを楽しむ人たちが訪れていたそうです。
立ち入り禁止の範囲の外にある桜島の展望所では、今日も、午前中から観光バスで島を回る観光客やサイクリングを楽しむ人たちが訪れていて、地元の人によりますと、ふだんと変わらない人出だということです。
私も去年桜島に行ったのですが、周遊道路はあまり危機感なく通っていました。

桜島島内で、昭和火口から約3km離れた鹿児島市有村町に住む農業山下三次郎さん(85)は噴火時、自宅でテレビを見ていたそうで、「ドーンという車の事故のような音がした。久しぶりで少し驚いたが、家も揺れず、活発な時の10分の1くらいの音だった。こんくらい何のこともない。灰もぱらつく程度」と話していました。
対岸の桜島と鹿児島市街地を結ぶ桜島フェリーの市街地側ターミナルで、桜島から市街地の自宅へ帰宅途中の会社員山口博さん(54)は船内のテレビで噴火を知ったそうです。
「桜島にいたが、全く気づかなかった。長く爆発がなく、やっと通常に戻った感じ。静かな方が怖いので、逆に安心しました。鹿児島にとってはこれが普通。県外の人が危ないと思わないかが心配」と話していました。
鹿児島市危機管理課の木口屋博文課長は「長期的にみれば活発な火山活動は続いており、いずれ噴火すると考えていた。もとに戻っただけ」と受け止めています。
地元の人は、もう慣れっこになっているのですね。

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噴火の瞬間の映像をNHKがFacebookに公開しています。
それを見ると、火口からマグマが吹き上がる様子を確認することができ、山を滑るマグマ、空には稲妻が走っています。
この映像だけみると恐ろしい光景に見えます。
桜島の噴火は、桜島から50kmの所に原子力発電所(川内原発)があるということから、海外でも話題になってました。
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