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これからの錦織圭

日本人のWOWOW加入の人の多くは、朝早くから錦織圭のテニスで一喜一憂したことでしょう。
結果は残念でしたが、立派なファイナリストです。
今後、何十年以上にわたって語り継がれていくことでしょう。

ただし、錦織圭の未来はこんなものではないと思います。
松岡修造が、20年前にウインブルドンでベスト8に入ったときには日本中で大騒ぎだったのですが、同じ四大大会の全豪オープンで、2年前の2012年に錦織圭がベスト8に入ったときはそんな大騒ぎではありませんでした。
これは、錦織圭のテニスは、ベスト8くらいでは満足できるものではないと誰もが思っていたことの証です。
まだまだこれからも、何回も何回もファイナリストになって、そしてその中で優勝することもあると思います。
今日はまだ出発点だと思います。
より大きな飛躍に期待します。

世界の誰もが知ってしまった錦織圭

全米オープンの錦織圭の活躍はものすごいものです。

8月上旬に、右足裏にできた嚢胞の摘出手術を行い、完治には3週間かかると言われていました。
ほとんどぶっつけ本番で全米オープンに挑んだ錦織圭に、それでも期待はしていましたが、まさか四大大会のファイナリストになるなんてびっくりです。
4回戦のラオニッチ、準々決勝のバブリンカとは、連続で5セット、4時間超の試合は、コート上は照り返しで50度近い中での消耗戦だったにもかかわらず、ものすごいショットの連続でした。
錦織圭は、体力面で不安だと思っていた私の想像を全く裏切ってくれました。
そして、ジョコビッチとの試合は、錦織圭を世界のトップだと誰もが感じさせてくれました。
思えば日本人の男子シングルスで、四大大会は誰も本戦に残れない時代が何年も続きました。
松岡修造のウインブルドンのベスト8が、ずっと四大大会の伝説で、それも約20年前のことです。
つまり、松岡修造からあとで、錦織圭が現れるまで日本男子はまるで世界では歯が立たなかったことになります。

まだあと1試合あります。
世界に発信した錦織圭のテニスとしては、もう充分なのですが、あとは遊び心でチリッチとの試合を楽しんでほしいと思います。

全員野球の小松高校

小松高校は残念ながら敗れてしまいました。
「早柏君をあのまま投げさせていたら」とか、「9回にキャッチャーを代えなかったら」とか、いろいろと素人ながらに考えてしまいますが、すべて結果論です。
小松高校は全員野球がモットーで、それで愛媛県大会を勝ちあがりました。
ぎりぎりの差で負けはしましたが、「小松野球」は見せたと思います。
胸を張って帰ってきてほしいと思います。

小松高校と宇佐美監督

夏の高校野球が始まりました。
プロ野球と違って、一度負けたら終わりの高校野球は、それだからこそ必死さが伝わってきて感動してしまいます。
今年の愛媛県の優勝は、「済美の安楽」に期待したのですが、打線が少し弱かったのか負けてしまいました。
その中で、勝ち抜いて愛媛県の代表になったのは小松高校でした。
全国的には全くの無名校ですが、この小松高校は、かつて今治西高校や川之江高校を甲子園に導いた名将の宇佐美秀文監督が監督をつとめています。

ここで宇佐美秀文監督のプロフィールを少し紹介します。
宇佐美監督は、1957年生まれの57歳です。
今治西高校で野球をやっていましたが、レギュラーではありませんでした。
在学当時も今治西は甲子園には出場したのですが、選手として宇佐美さんがプレーする機会はなかったそうです。
そして早稲田大学に進みました。
早稲田大学でも宇佐美さんは野球部に入部しました。
信頼の厚さと実績から副主将をつとめるようになり、元阪神タイガースの岡田彰布さんらとともに早稲田大学のリーグ連覇に貢献しています。
大学卒業後、1981年に川之江高校に赴任しました。
2年間コーチをつとめ、監督に就任した1983年に同校を夏の甲子園に導きました。
そして1994年からは母校である今治西高校の監督に就任しています。
そして今治西を夏1回、春4回甲子園に導きました。
1995年の夏の大会では、ヤクルトスワローズの藤井秀悟投手を擁してベスト4まで勝ち上がっています。
この期間の戦績は次の通りです。
昭和57年選手権  64回  川之江(1) 1回戦敗退
● 2-7 東農大二
昭和58年選手権  65回  川之江(2) 2回戦敗退
◯ 3-0 日大山形
● 5-6 岐阜一
昭和60年選手権  67回  川之江(3) 3回戦敗退
◯ 3-0 八戸   
● 2-3 高知商(延長11回)
平成3年選手権  73回  川之江(4) 1回戦敗退
● 2-6 弘前実
平成7年選抜   67回  今治西(5) ベスト4
◯ 1- 0 富山商
◯ 3-2 広島工
◯ 5-4 神港学園(延長13回)   
● 2 -6 銚子商
平成10年選抜 70回  今治西(6) 3回戦敗退
◯14-2 東筑
● 1-2 関大一
平成11年選抜  71回  今治西(7) ベスト4
◯12-8 金足農(延長10回)
◯ 7-3 高田
◯ 8-5 日南学園
●3-11 水戸商
トータルで9勝7敗です。
甲子園でベスト4を2回しているのはものすごい実績です。
そして、今治西高校を勇退した後、宇佐美さんは6年ほどラジオ解説などをしていたのですが、もう一度、甲子園を目指したいと考え、2010年に愛媛県立小松高校の監督に就任しました。
でも、宇佐美さんが就任した時点の小松高校は、甲子園を目指すどころか、県内屈指の弱小校にすぎませんでした。
私の印象でも小松高校は、一回戦を勝つのが難しいくらいに弱かったと思います。
宇佐美監督が就任する前でも、3年間は公式戦で一回も勝てていませんでした。
そんな弱小野球部に部員を集めるだけでも一苦労だったそうですが、宇佐美監督の指導により、部員たちの意識も次第に変わってきたそうです。
甲子園への意識づけや厳しいトレーニングで、選手たちはメキメキと力をつけていったそうです。
そして、宇佐美監督が小松高校に就任した翌年の2011年に愛媛県秋季大会では、小松高校はなんと県内で優勝を果たします。
四国大会に進みましたが、残念ながら強豪の高知高校に勝てず甲子園へは行けませんでした。
でも、それを機に野球部員が市外からも集まるようになりました。
そして挑んだ2014年夏の愛媛大会です。
プロ注目の安楽智大投手擁する「済美高校」や、春のセンバツ大会に出場した「今治西高校」が優勝候補の筆頭だといわれていました。
しかし、そんな前評判を覆し、ノーシードの小松高校が愛媛大会を制し、悲願の初甲子園への切符を手にしました。
小松高校の甲子園への道のりとしては、
(1回戦) 小松高校11-0小田高校(5回コールド)
(2回戦) 小松高校11-1川之江高校(6回コールド)
(3回戦) 小松高校7-6帝京第五高校
(準々決勝)小松高校8-4新居浜商業高校
(準決勝) 小松高校9-2西条高校(8回コールド)
(決勝) 小松高校10-1松山東高校

第3シードの帝京第五高校ではやや苦戦しましたが、第2シードの西条高校も含めて、他の試合はぶっちぎりです。
強いと言われていた川之江高校に11-1の6回コールドで勝ったときに、私の中で「もしかしたら」と思ったことは確かです。
弱小野球部を、たった4年で甲子園に導いた立役者である宇佐美監督は、スピード感のある機動力野球が特徴です。
バンドを多用したり、スチールをかけたりして対戦相手をゆさぶり、投手の継投も素早いです。
そして、「全員野球」をモットーとしていて、愛媛大会では一試合平均で16人が出場していました。
がんばっていれば試合に出れる!という起用法が、野球部員たちのやる気にもつながっているのだと思います。
スラッガーもいます。
土岐篤功選手は「逆方向を意識させていても右中間方向にすごい打球を飛ばす」そうです。
そして、初出場の高校は、利府、鹿屋中央など、低い予想の高校も勝っています。
愛媛の高校野球ファンとしては、小松高校がどんな旋風を起こしてくれるのか楽しみです。

白鵬の会見拒否に思う

大相撲夏場所で優勝した白鵬が一夜明け会見を拒否したというニュースが流れてきました。

25日深夜まで説得を試みたという部屋の関係者は「理由はいろいろあるようですが、どうしても嫌なようです。申し訳ありません」と説明しています。
会見は強制ではないようですが、今までの28回の優勝の後はすべて会見しているので、「何故?」と思ったのは私だけではないはずです。
14日目の取組後から“異変”はあったそうです。
鶴竜に勝って優勝王手も、支度部屋では無言を貫いたそうです。
そして、この時点で一夜明け会見には応じないと言っていたそうです。
会見に応じないということは、何かに不満を持っているということでしょう。
噂レベルの話ですが、白鵬は次のようなことに不満を持っているかもしれないと言われています。
①舞の海が、モンゴル勢ばかりが横綱になり、それで相撲の人気が落ちているなんて言ったこと
②今場所の稀勢の里との一番の立ち合いに対し、悪く言う人がいること
③千秋楽の日馬富士戦で、稀勢の里の優勝を願う人が日馬富士コールをしたこと

まず、舞の海発言ですが、、「昭和天皇と大相撲」と題し“記念講演”をした舞の海秀さんが、「外国人力士が強くなり過ぎ、相撲を見なくなる人が多くなった。NHK解説では言えないが、蒙古襲来だ。外国人力士を排除したらいいと言う人がいる」と語っています。
そして、それに対して参加者から拍手が湧いたそうです。
“日の丸”旗を手にした男性が「頑張れよ」と叫び、会場は排外主義的空気が顕著になったそうです。
さらに舞の海さんが、「天覧相撲の再開が必要だ。日本に天皇がいたからこそ、大相撲は生き延びてこられた。天皇という大きな懐の中で生かされていると感じる。皇室の安泰を」と結ぶと、大拍手が起こっていたそうです。
私は、「大相撲には外国人力士は必要ない」と思っている一人ですが、私と違って舞の海さんは、「だからといって外国人の力士がいない相撲なんてもはや考えられない」とも言っています。
このことに白鵬が腹を立てたのなら、ものすごく見識が甘いと思います。

次の、稀勢の里との立ち合いですが、よっぽどの力の差がない限り、相撲の勝敗は立会いでほぼ決まると言われています。
今回に限らず、今までの稀勢の里との立ち合いでは、白鵬は、1~2回は「待ったをする」のを前提で構えている気がします。
白鵬は横綱です。
横綱が大関に対して呼吸を合わせるのは、私にとっては当たり前のように思えます。
相撲史に残る立合としては、昭和15年春場所8日目の双葉山対竜王山戦があります。
このとき竜王山は双葉山を牽制する意味で仕切り1回目で立ち上がったところ、予想に反して双葉山は驚くことなくそれに応じて難なく勝っているそうです。
白鵬だって、平成25年大相撲春場所7日目、結び前の時天空対白鵬戦で時間前の立合いがありました­。
時天空は時間前に立つ作戦だったようですが、前の仕切りのときにその兆しは見せたのですが、結局立てなくて、次の仕切りで白鵬の方が先に突っかけて、結局白鵬が簡単に勝っています。
横綱としてはなにかせこい気がします。
稀勢の里との立会いは、私もテレビで見ていましたが、2度にわたり呼吸をわざと合せなかったととられても仕方がないと私は思います。
横綱としては、失格だと思いますし、当然相撲協会やこの周辺で悪く言う人がいるとは思いますが、これで白鵬が逆ギレするのは違うと思います。

日馬富士コールが起きたことは、他の歓声にもおされて私は気が付かなかったです。
でも、確かに日馬富士コールが起きたことは少しむっときたかもしれません。
ただし、白鵬と日馬富士との人気度よりも、その日の日馬富士コールは、日馬富士を積極的に応援するというよりも、白鵬が負けて稀勢の里との優勝決定戦があることを望んだものだと思います。
私は日本人ですから、ずっと優勝ばっかりしているモンゴル人を応援するよりも、唯一優勝できそうな日本人を応援しています。
きっと、国技館に来ている大多数の日本人も同じ気持ちだったろうと推察できます。
このことで会見しなかったとしたら、やはりものすごく見識が甘いと思います。
ただし、前日から一夜明け会見には応じないと言っていたそうなので、これは違うと思います。

会見をしなかった理由はいずれわかるとは思いますが、横綱であり優勝者です。
単にわがままで「やめた」は許されないことと思います。
この件だけでも、白鵬は横綱として失格だと私は思います。
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