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戦争で亡くなった竹内浩三さんの詩

日本では、安保関連法案について、各種世論調査では、8割を超える大多数の人々が、今国会での強行採決は、主権者としての国民の意思を踏みにじる立憲主義と民主主義の破壊として反対との事です。
6月の時点では、5割ちよっとの人たちの反対だったはずなのに、やはり国会での対応に問題があったのでしょう。

では、安保関連法案が成立すれば何が変わるのでしょうか?
柱になるのは集団的自衛権の行使を限定容認した点だと思います。
密接な関係にある国が攻撃されれば、政府は「存立危機事態」に当たるかどうかを判断し、日本の存立や国民の権利が危うくなるケースのことで、これに該当すれば自衛隊は他国軍と一緒に戦うことができるという法案です。
危機管理としては当たり前のことなのですが、戦争法制としての本質をもつと捉えると、今までの戦争の経験がある人たちにとっては不安なのは言うまでもありません。
在日アメリカ軍は、日本を守るために活動すると言われていますが、アメリカ軍が攻撃されても日本の自衛隊は一緒に戦うことができないのが今の日本の憲法です。
そんな事態が実際に起きれば日米同盟は立ちゆかなくなる恐れがあるので集団的自衛権を行使すべきだという議論は昔からあったのですが、それは日本人の本質ではないはずです。

戦争で命を落とした多くの若者たちの中に、陸軍の兵士としてフィリピンのルソン島に送られ、1945年4月9日の戦闘で、わずか23歳の若さで命を落とした、竹内浩三さんという人がいました。
70年前に戦争で亡くなった三重県伊勢市出身の詩人・竹内浩三さんの作品を集めた展示会が、今、名古屋市内で行われているそうなので、この作品を紹介します。

特に、「骨のうたう」は今なお多くの人々の心を打ちます。

「骨のうたう」(原型のまま)
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや
こらえきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や 女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音を立てて粉になった

ああ 戦場やあわれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった

竹内浩三さんは、1921年(大正10年)、三重県宇治山田市・現在の伊勢市で、呉服屋のうちに生まれました。
十代のうちに両親をなくし、たった一人の肉親である姉を頼りにして、学生時代を送っています。
詩を書き、友人たちと漫画の雑誌を作るなどしていたそうですが、映画にも深い関心を抱き、1940年(昭和15年)日本大学の専門部・映画学科に入学します。
1942年(昭和17年)9月、半年早い繰りあげ卒業によって故郷に戻り、陸軍の部隊に入ることになります。
1943年(昭和18年)9月に、茨城県西筑波飛行場の滑空部隊に所属してからも、言葉を書きつけることはやめませんでした。
小さなノートに、日記をつけたのです。
見つかれば取り上げられてしまうようなものなので、トイレやふとんの中でこっそり書いたそうです。
いっぱいになったノートは、姉のもとに送られ、現在において私たちのもとに届いています。
日記は、竹内浩三さん自身によって「筑波日記」と名付けられ、二冊が残されています。
漫画や日記を、読めば読むほど、竹内浩三さんという人がいきいきと身近に感じられてきて、心をつかまれます。
死にたくはなかったのに強いられて死ぬことになる一人の若者の姿が、ありありと浮かび上がってくる内容となっています。
1944年4月14日の日記の一節です。
「戦争ガアル。ソノ文学ガアル。ソレハ、ロマンデ、戦争デハナイ。感動シ、アコガレサエスル。アリノママ写スト云ウニュース映画デモ、美シイ。トコロガ戦争ハウツクシクナイ。地獄デアル。地獄モ絵ニカクトウツクシイ。カイテイル本人モ、ウツクシイト思ッテイル。人生モ、ソノトオリ」。
1944年6月19日の日記の途中からですが、
「おれだって、人に負けないだけ、国のためにつくすすべはもっている。自分にあった仕事をあたえられたら、死ぬるともそれをやるよ。でも、キカン銃かついでたたかって死ぬると云うのは、なさけない気がするんだ。こんなときだから、そんなゼイタクもゆるされないかもしれぬ。自分にあたえられた仕事が、自分にむいていようがいなかろうが、それを、力一ぱいやるべきかもしれぬ。しかし、おれはなさけないんだ」。
こういう内容を、軍隊での生活の中でこっそり書きとめています。
まだあります。
「兵営の桜」
十月の兵営に
桜が咲いた
ちっぽけな樹に
ちっぽけな花だ
しかも 五つか六つだ
さむそうにしながら
咲いているのだ
ばか桜だ
おれは はらがたった

「南からの種子」
南から帰った兵隊が
おれたちの班に入ってきた
マラリヤがなおるまでいるのだそうな
大切にもってきたのであろう
小さい木綿袋に
見たこともない色んな木の種子
おれたちは暖炉に集って
その種子を手にして説明をまった
これがマンゴウの種子
楠のような大木に
真っ赤な大きな実がなるという
これがドリアンの種子
ああこのうまさといったら
気も狂わんばかりだ
手をふるわし 身もだえさえして
語る南の国の果実
おれたち初年兵は
この石ころみたいな種子をにぎって
消えかかった暖炉のそばで
吹雪をきいている

現在行われている竹内浩三さんの展示会は、竹内浩三さんの作品を通して戦争について考えてもらおうと企画されたそうです。
戦時中の日本を独自の視点で詠んだ詩や、軍隊に内緒で綴った日記など、約40点が展示されているそうです。
展示会は、来月30日までだそうです。
近くの方は、ぜひ行ってみてください。

橋下徹さんの引退

昨日、大阪市長の橋下徹さんが今年の12月で政治家を引退するとの記者会見をしていました。
実行力のあるりっぱな政治家です。
ただただ残念です。

占守島での日本兵の遺骨発見

当ブログで、2年ほど前に「終戦後の占守島の戦い」を伝えたことがありますが、先日、ロシア政府は、日本兵とみられる5人の遺骨を発見したと発表しました。

占守島(シュムシュ島)は、太平洋戦争で日本が降伏し、ポツダム宣言受諾直後の1945年8月18日に旧ソビエト軍が突然侵攻し、武装解除を進めていた旧日本軍の守備隊と激しい戦闘になった場所で、ロシア側によりますと、双方合わせて700人以上が死亡しました。
占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)8月18日~21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘です。
何度でも書きますが、ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明に、日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍が占守島に奇襲攻撃を行いました。
ポツダム宣言受諾していたので武装解除中で無防備だった日本軍守備隊との戦闘になりました。
戦闘は日本軍優勢だったのですが、軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立し、23日に日本軍は武装解除されました。
その後、捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留されました。

いまさらですが、ロシア国防省は、埋葬されていない日本兵とみられる5人の遺骨を発見し、遺骨のそばには、旧日本軍のヘルメットなどが残されていたということです。
また、今回の調査で旧日本軍の水陸両用の戦車やアメリカの軍用機なども見つかったと発表しました。
実に70年も経っています。
今回は、地理学の専門家などが現地調査を行ったと言っていますが、今まで占守島の調査は何も行っていなかったのでしょうか?
そして、今発表した理由は何かあるのでしょうか?
戦史研究だけの問題ではない気がします。

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こんなにも大きい戦車が70年も経た今見つかったと言われても何か不自然です。

南スーダンへの実弾輸出

日本政府は、12月23日、アフリカの南スーダンで国連平和維持軍(PKO)の一員として活動中の韓国軍に、実弾1万発を無償で提供したそうです。

この日の午後に、持ち回り閣議を開き「緊急性と人道性が極めて高いので『武器輸出三原則』の例外として適用することになったそうです。
『武器輸出三原則』とは、日本政府による武器輸出規制および運用面の原則のことです。
三原則は、
①共産圏への輸出
②国連が輸出を禁止した国
③紛争当事国、その可能性がある国
への武器輸出を禁止したものです。
但し、他の地域への武器輸出は「慎む」とされているため、武器輸出そのものを禁止しているわけではありません。
しかし、日本は、今までは原則として武器および武器製造技術、武器への転用可能な物品の輸出をしていません。
このような内容の『武器輸出三原則』によって、原則に当てはまる武器輸出が事実上禁止されていますが、このことを直接規定した日本の法律は存在していません。
かといって持ち回り閣議くらいで、このような重要なことを決定していいのでしょうか?

南スーダンは、2011年7月に独立した「世界で最も新しい国」ですが、現在の状態を見ると紛争当事国と言ってもいい状態です。
12月15日に、首都ジュバで有力民族ディンカ人中心のキール大統領派と、対立するヌエル人のマシャール前副大統領派による武力衝突が起き、ジュバでは少なくとも500人が死亡したとされています。
この戦闘は国内各地に飛び火し、ジュバの国連施設などには、住民約4万人が避難しています。
実弾提供は、韓国軍が要請したとのことですが、国会審議もせず、『武器輸出三原則』を無視してまで決定したのには憤りを感じます。
「特定秘密保護法」を成立させた強引で野党無視の姿勢といい、今回のことといい、自民党の横暴さが目立ちます。

山本美香さんの死から1年

内戦が続いていたシリア北部の主要都市アレッポで去年の8月20日、 日本人女性ジャーナリストの山本美香さんが銃撃を受け死亡してからちょうど一年経ちました。
彼女が亡くなってから、同級生たちがつくった山本美香記念財団は、世界中で起こっている様々な紛争と、その紛争下で暮らす人々の現状を伝えることなどを目的としていますが、これらの人たちの願いも虚しく、紛争はもっと過激になっているように思えます。

シリアだけでなく、エジプトでも危機的な状態です。
この内紛を終息させるためには世界の政治家がもっと危機感をもたないといけないと思います。
EUは、今回のエジプトの治安維持を批判する声明を出してはいますが、オバマの声明を見てもアメリカからなんらかの圧力は期待できないと思います。
国連にしても、シリアやチュニジア、イエメンなど近隣国での内乱に介入せずエジプトに対してのみ制裁なり軍事介入はできないと思います。
今も、チュニジア・シリア・エジプトからの難民がぼろ舟に乗ってヨーロッパを目指して逃げてきているのが現状です。
ただし、途中で座礁する船がほとんどで、うまく渡れても難民収容所に入らされてしまいます。
ここは、EUに助けてもらいたいところですが、何もしていないのが現状です。

山本美香さんの死を無駄にしないためにも、まず世界中に情報発信し、このような内紛の現状を知ってもらうことが、終息させる近道だと私は思います。
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