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触ったら危険なトビカズラ

触ったら危険な植物にトビカズラがあります。

トビカズラ(飛蔓 Mucuna sempervirens Hemsl)は、アイラトビカズラ(相良飛葛)とも言い、マメ科トビカズラ属に分類される常緑つる性植物です。
花期は5~6月で、幹は直径30cmにも達し、葉は3小葉から成ります。
小葉は長楕円形、革質で光沢があり長さ7~15cm程度で、先端は急に細く尖っています。
5月頃に、古い枝から総状花序を垂れ下げ、長さ6~8cmで暗紫色の蝶形花(ちょうけいか)を多数つけます。
中国の長江流域が原産地とされ、日本にも広く分布していたとされていますが、現在では、熊本県菊花町相良(あいら)の丘陵の崖に一本のみ自生しているトビカズラは樹齢千年とも言われ、1940年(昭和15年)に国の天然記念物に指定され、1952年(昭和27年)に特別天然記念物に格上げされました。
更に1976年(昭和51年)には指定エリアが拡大され保護されています。
また、2000年に長崎県佐世保市の沖にある九十九島の無人島である時計(とこい)島で自生しているのが発見され、自生しているのはこの2本のみだそうです。
トビカズラの名の由来として、二つのはなしが伝わっています。
治承・寿永の乱(源平合戦)の頃に、壇ノ浦の戦いで敗れた平家の残党が相良寺に落ちのびた際に、豊後竹田の源氏方の武将である緒方惟栄が寺を焼討をしたそうです。
焼き討ちの際に寺の千手観音は飛翔してこのカズラに飛び移り危うく難を逃れたという伝説です。
また、一説には千手観音がカズラに姿を変えて飛来し、走落の坂を下る緒方三郎の足にからみつき、落馬したところを残兵が討ち取ったとも伝えられています。
トビカズラは霊華「優曇華」(うどんげ)と呼ばれ「霊華時を隔て開花することあり。開花すれば必ず国家的事変がある」と言い伝えられてきたそうです。
事実、1929年(昭和4年)5月に35年ぶりに開花した翌年に満州事変が勃発したそうです。
また、仏教の世界では「三千年に一度開花し、その時は金輪王が出現するとも、如来が現われる」とも言われています。
このトビカズラですが、牧野植物園では花と実の両方を見られるのですが、注意書きも書いてありました。
大粒の葡萄の房を沢山ぶらさげたような景観で、危険度はないように思われますが、実には棘があり、実に触れると、細かい棘が無数に刺さるそうです。

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牧野植物園のトビカズラです。
アケビのような蔓で、何も害はないように思えますが注意書きの看板がありました。

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まるで葡萄のようです。
でも、触ると大変なことになってしまいます。

熊本大地震は、400年前の慶長大地震と類似

熊本大地震は、400年前の慶長大地震と類似しているとのニュースがありました。

慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596年-1615年)に日本列島で起こった地震です。
ただし、慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年に起こっており、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されているそうです。
1596年の3つの地震は記録の日付が錯綜しており、豊後地震を9月1日とするものもあります。
1605年慶長地震は定説であった南海トラフが震源ではないという異論も出され、従来三陸沖が震源とされた1611年の地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出される等、震源域に諸説あって不明なものも多いそうです。
慶長大地震としては次のような地震です。
①1596/09/01:慶長伊予地震(M7前後)
伊予国(今の愛媛県)をおそった地震で、中央構造線沿いと推定される地震です。
②1596/09/04:慶長豊後地震(M7前後)。
豊後国(今の大分県の大部分)をおそった地震で、中央構造線と連続している可能性がある地震です。
別府湾-日出生断層帯で発生し、慶長伊予地震との連動型地震とされています。
③1596/09/05:慶長伏見地震(M7前後)。
近畿地方をおそった地震で、京都や堺で死者合計1,000人以上と記録されています。
伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続いたそうです。
有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされ、上記二つの地震に誘発されて発生した可能性があるそうです。

400年前と同じところがまた揺れるとは限らないのですが、「中央構造線」の通っているところは、危険箇所と言えると思います。
私は愛媛県に住んでいるので、慶長伊予地震について詳しく調べてみました。
発生日は1596年9月1日(文禄5年閏7月9日亥刻)夜で、規模はマグニチュード (M)7.0 です。
「中央構造線」の川上断層セグメント(岡村断層・石鎚断層・川上断層・北方断層・重信断層・伊予断層)のトレンチ調査で確認されている最新の断層活動の有力候補とされる地震だそうです。
また、これらの断層の東方延長の池田断層・父尾断層も同時期(16世紀)に活動したという調査結果もありますが、これを否定する見解もあります。
断層の長さから推定される地震の規模はマグニチュード7前後ですが、被害記録は限られており正確な規模は不明だそうです。
3日後とも言われている、1596年9月4日に豊予海峡を挟んで対岸の大分で発生した慶長豊後地震(本地震による連動型地震とされる)と、4日後の1596年9月5日に発生した慶長伏見地震(ともにM7.0規模と推定)を合わせて、中央構造線上及び、その周辺断層帯で発生した一連の地震活動の一つとされています。
被害としては、
伊予郡保免村(現松山市保免)の薬師寺の本堂や仁王門が崩壊しました(『薬師寺大般若経奥書』『伊予温故録より』)。
周布郡北条村(現西条市北条)の鶴岡八幡宮の宮殿が転倒、宝蔵、神器、記録が地中に没しました(『小松邑誌より』)。
周布郡広江村(現西条市広江)で人家に被害があり、村宅が湮没したため村民らは今の地に移住したそうです(『小松邑誌』より)。
板島城(現在の宇和島城郭)で破損がありました。
慶長伊予地震の被害についてはこの程度で、亡くなった人は記録にはありません。
その後の慶長豊後地震では、豊後奥浜(沖の浜)が海没し、人畜二千余死亡と記録されています。
これは、当ブログでも紹介しましたが、かつて別府湾には「瓜生島」とよぶ島があって栄えていたという伝説があるのですが、その島が、大地震により一夜にして海中に没したというものです。
そして、次の日の慶長伏見地震では、先に述べたように京都や堺で死者合計1,000人以上と記録されています。
地震の規模から判断すると、慶長伊予地震は「前震」になるのでしょうか。
瀬戸内海が震源地になると、現在では伊方原発があるので、小さいマグニチュードでも危険なことになります。
それにしても、これだけ大昔から大地震があった地震国の日本で、どうして原発なんか造ったのでしょうか?
政治家の欲が、日本を、そして地球を滅ぼさないことを祈るばかりです。

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赤く塗っているのが活断層です。
九州から愛媛県にかけては「中央構造線」が連続していて危なっかしい状態です。

大島の大入池の伝説

以前に、当ブログで、地殻変動によってできた「シュードタキライト」を紹介したことがあります。

「シュードタキライト」は「地震の化石」で、1995年に愛媛大学の研究グループにより発見され、現在では国の天然記念物に指定されています。
この場所は、愛媛県の西側、八幡浜の「大島」です。
八幡浜市の沖合いに位置し、定期船に揺られること約25分で着く離島群です。
大島だけでなく、山王島、地大島、粟ノ小島、貝付小島の大小5つの島を合わせて「大島」と呼ばれています。
大島と山王島、地大島はそれぞれ橋で結ばれ、海面すれすれの道を自転車で走るとまるで海面を走っているような清々しさだそうです。
私も、20年ほど前に仕事で「大島」に行きました。
仕事の合間にその頃にはまだあった旅館(今はもう旅館は1件もないそうです)で自転車を借りて地大島の東端にある貝付小島まで走りました。
その時に見た大入池の、とても不思議な感触は今でも忘れられません。
その日は晴れていたのですが、大入池の門をくぐったとたん薄暗くなったような印象を受けました。
遠くではカラスが鳴いているし、周りは暗いしで、竜でも出てきそうな印象でした。
この大入池の別名が竜王池と呼ばれているのは後で知りました。
大入池には伝説があるそうです。
五反田の保安寺裏の小池に雄の龍神が住んでいたそうです。
でも、段々と成長してくるにつれ住んでいた池が手狭になってきて、どこかへ住まいを移したいと考えていました。
そこで目をつけたのが大島の大入池でした。
ある日龍神が娘に化けて舌間の海岸に出ると、そこへ一人の貧しい漁師が通りがかったそうです。
漁師は親切に、龍神を船に乗せて大島まで渡ってくれました。
漁師の親切に感謝した龍神は正体を明かし、「もし私の事を口外しないならばこの船をいつも大漁にしてあげよう」と告げたそうです。
それ以来、漁師は大漁続きとなったそうですが、ある日うっかり口を滑らしてしまうと途端に魚は揚がらなくなり、もとの貧乏に戻ってしまったそうです。
これが一般的な龍神伝説ですが、私が地元の人に聞かされたのは、これとは違う話でした。
あるとき、街から来た若者がこの大入池を見つけ、ボートを浮かべて釣りをしたそうです。
そして、驚くほどの大量のうなぎが釣れたそうです。
その日に持って帰ってみんなでうなぎを食べたそうですが、翌日には食べた人は死んでしまい、うなぎも蛇に変わっていたというお話です。
私が聞いた話のほうが恐怖感があります。
大入池は、海岸のすぐ横なので、汽水池かも知れないのでうなぎがいるかどうかも疑問です。
でも、あまり大きくない島に、これだけ大きい池があるのは、それだけで不思議な気がします。

龍伝説がいくつも残る八幡浜において龍神の安住地とされている神秘的な大入池(別名・竜王池)。
大入池(別名・竜王池)は、龍神の安住地とされている神秘的な池です。
この写真では、周りは明るい印象ですが、私が行った時は昼間なのに薄暗い感じでした。

普段は離島だが、引き潮になると地大島から道が現れて渡れるようになる貝付小島。島の裏側には白亜の灯台が建ち、西予市の諏訪崎から眺めることができる。
普段は離島ですが、引き潮になると地大島から道が現れて渡れるようになる貝付小島です。
島の裏側には白亜の灯台が建っています。

八幡浜大島地図
大島の右端には、大入池も貝付小島も載っています。

弥陀ヶ原高原の「池塘」

富山県に立山がありますが、そこの標高2000m付近の湿地帯に「餓鬼田」があります。

立山(たてやま)は日本の飛騨山脈(北アルプス)北部、立山連峰の主峰で、中部山岳国立公園を代表する山の一つです。
雄山(おやま、標高3,003 m)、大汝山(おおなんじやま、標高3,015 m)、富士ノ折立(ふじのおりたて、標高2,999 m)の3つの峰の総称です。
立山は古来より霊山として崇められ、この世に天国と地獄を見ることができる立山曼荼羅(悟りの世界)でも有名なところですが、ここの弥陀ヶ原高原に「餓鬼田」があります。
「餓鬼田」は、「池塘」と言われる小さな池のようなものです。
「池塘」(ちとう)は、「地塘」「池溏」とも書きますが、これは湿原の泥炭層にできる池沼です。
高層湿原が形成される過程において、堆積した泥炭層の隙間が水で涵養された部分ができますが、これが「池塘」であり、周囲とは隔絶された環境であるため、独特の生物相ができています。
そして、「池塘」と「池塘」の間は地上、地下の水路でつながり、時に泥炭層の一部が浮島として浮遊することもあります。
「池塘」は池沼の堤を、「池溏」は池沼の水をそれぞれ指すという説もあり、中国語の「池塘」は日本語における一般的な池を表し、湿原の泥炭層にできるものに限定されないそうです。
弥陀ヶ原高原は標高約1,600~2,100mに広がる大草原で、「餓鬼田(がきだ)」または「餓鬼の田圃」と呼ばれる「池塘」は、標高2000m付近の湿地帯に多く分布しています。
名前の由来として、餓鬼道に落ちた亡者が、飢えをしのぐために田植えをしたところからつけられたと言います。
しかし、稲が実るはずもなく、この餓鬼田と地獄(地獄谷)が結びつき、餓鬼伝説が作りあげられたようです。
「餓鬼田」という名称も立山らしい用語ですが、仏教でいう「餓鬼」とは、悪業の報いとして餓鬼道に落ちた亡者のこと、やせ細って、のどが細く飲食することができないなど、常に飢渇に苦しむという、仏道では生前に贅沢をしていたものが落ちるとされる地獄のことをいうそうです。
立山は、先に述べたように、古来より霊山として崇められ、この世に天国と地獄を見ることができる立山曼荼羅でも有名なところで、弥陀ヶ原に点在する池塘を「餓鬼田」と呼んで地獄に見立てる発想が生まれたそうです。
亡者が餓鬼道に落ち、その空腹を癒すために田んぼのようにも見える「池塘・餓鬼田」に苗を植えて空腹を満たそうとしたことから、この弥陀ヶ原の「池塘」が「餓鬼田」と呼ばれるようになったとの言い伝えがあります。
ただ実際に見える「餓鬼田」に生えているのは稲ではなく当然高層湿原の草木です。
弥陀ケ原の泥炭湿原の「池塘」は、多量の積雪や低温多湿な環境で発達したものです。
ここに生える稲のような草は、ミヤマホタルイというカヤツリグサ科の植物で、周囲にはワタスゲの群落やモウセンゴケなどの湿生植物が見られています。
近年は乾燥化の影響か、以前に比べて数が減っているとも言われています。


写真のように、大小様々な「地塘」があります。
これは、多量の雪や水によって、表土が移動するために出来たと考えられています。

諏訪湖の「御神渡り」

諏訪湖の「御神渡り」を知っていますか?

「御神渡り(おみわたり)」とは、全面凍結した湖面の氷が、昼夜の気温に応じて膨張と収縮をした際に、山が連なるように氷がせり上がる(亀裂が入る)“自然現象”のことを言います。
そして、この現象が起きる時には、大きな音が響きわたるそうです。
「御神渡り」は“自然現象”なので、毎年必ず出現するものではないそうです。
ただし、「御神渡り」が現れると、「御渡り神事(みわたりしんじ)」(無形民俗文化財指定)が諏訪湖畔で執り行われるそうです。
例年だと1月~2月の間に出現し、数日~数週間見られるそうです。
でも、この2年間(2014年・2015年)は出現していません。
3年前の2013年は、1/22に出現が宣言され1/28にほぼなくなりました。
2012年は2/3・2008年は1/30・2006年は1/9・2004年は1/29に出現したそうです。
この神事では、氷の亀裂の状態で、その年の天候や農産物の吉凶や世相を占うそうです。
そして、古式に則った神事を行い(「御渡注進状」を神前に奉納する注進式だそうです)、宮内庁と気象庁にその結果を報告しています。
注進式は「御神渡り」が出現しなかった年でも行われるそうです。
「御神渡り」が現れない状態は、「明けの海(あけのうみ)」と呼ばれているそうです。

諏訪湖の湖面に盛り上がった御神渡りの氷
すごい波で、氷が飛び上がっています。


湖に、氷が割れるくらいの波が立つなんて、不思議な現象です。
よく見ると、薄い氷なので、比較的暖冬の年に起こるのかも知れません。
去年も一昨年も、諏訪湖周辺では大雪だったと聞いています。




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