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イスラエルとハマスの過去について

イスラエルとパレスチナ人の中の「ハマス」との戦争が始まりました。
唐突に「ハマス」がイスラエルへ攻撃したようにも見えますが、この攻撃はロシアとウクライナとの戦争と違って(ロシアとウクライナとの戦争はロシアが悪いのは明らかです)簡単なものではありません。
この問題を考えるにあたり、何故イスラエルはこの土地で建国されたのかを振り返ることだと思います。
そして、それを振り返るには、2000年前に歴史を遡る必要があります。

パレスチナの地には、ユダヤ教を信じるユダヤ人の王国がありました。
しかし、この国は2000年ほど前にローマ帝国に滅ぼされてしまいます。
この時には、ユダヤ人は、パレスチナを追い出されて世界に散り散りになってしまいます。
これを「ディアスポラ」と言います。
その後パレスチナの土地の支配者は、歴史に応じて変わっていきますが、アラブ人、今で言うパレスチナ人が住み続けることになりました。
散り散りになってしまったユダヤ人はヨーロッパや中東、アフリカで暮らすことになります。
ただ、特にヨーロッパでは差別や迫害に苦しむことになりました。
ユダヤ教の国で新しい教えを広めたのがイエス・キリストです。
彼はユダヤ教の聖職者たちと対立し、十字架にかけられてしまいました。
このため、のちにヨーロッパでキリスト教が広がると、ユダヤ人はキリストを処刑した人たちとみなされ、差別や迫害の対象になってしまいます。
ユダヤ人はそれぞれの土地で、普通の人がなかなか就かないような仕事に就かざるを得ませんでした。
その代表例が金融業です。
やがて金融業の需要が増すにつれ、その土地土地で富を握るようになります。
また、昔から自分たちの宗教を守るのに熱心で、子どもの教育にも力を入れてきました。
識字率が高く、知識階級の中でも影響力を持つようになります。
いろいろなことが重なって、疫病などの災難が起きるとユダヤ人を迫害する、という歴史が繰り返されてきました。
迫害が続く中、19世紀にユダヤ人たちの中で、かつて王国があったパレスチナの地に戻ろう、国をつくろうという運動が起こります。これを「シオニズム運動」と言います。
それが現実化してくるのが第1次世界大戦の時です。
イギリスが「ユダヤ人の国家建設を支持します」と約束したそうです。
ユダヤ系の財閥、ロスチャイルドから資金援助を引き出そうという狙いだったと言われています。
一方イギリスは、当時パレスチナを含むアラブ地域を支配していたオスマン帝国を切り崩すため、アラブ人にも「オスマン帝国と戦えば、独立国家をつくる」と約束しています。
さらに盟友のフランスとは、この地域を山分けする密約も結んでいたそうです。
歴史上、これが悪名高い「三枚舌外交」と呼ばれるものです。

結局、オスマン帝国の領土は、イギリスとフランスが山分けすることになりました。
ユダヤ人は「だまされた」と思いつつ、パレスチナの地に移り住む動きを強めていきます。
そして、最後の決め手となったのが、ナチス・ドイツによるホロコーストです。
ホロコーストとは、第二次世界大戦中の国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)支配下のドイツ国(ナチス・ドイツ)やその占領地においてユダヤ人などに対して組織的に行った絶滅政策・大量虐殺のことです。
これにより600万人のユダヤ人が殺害されました。
もう二度とユダヤ人が迫害されることはあってはならないと、悲願の国をつくる思いを強めていったのです。
ナチスの犠牲者になったユダヤ人への同情もあり、1947年には「パレスチナの地に国をつくらせよう」という国連決議が採択されました。
そして翌年には、ユダヤ人がイスラエルの建国を宣言します。
パレスチナ側からすると広大な土地を取られてしまうため、「勝手に国をつくられるのはおかしい」と反発しました。
建国の翌日(1948年5月15日)には周辺のアラブ諸国がイスラエルに攻め込みました。
これが第1次中東戦争です。
イスラエルは最初は苦戦しましたが、国連の分割決議で認められた土地は死守しました。
その状態で国を少しずつ造っていきますが、パレスチナは相変わらず国にならない状態でした。
周辺のアラブ諸国は、イスラエルに対する憎しみを募らせながら緊張状態が続きました。
中でも決定的だったのが、1967年の第3次中東戦争です。
イスラエルは、戦争前まで認められていた休戦ラインを越えて、国際法上、認められていないところまで占領したのです。
この時イスラエルは事実上「パレスチナ」と呼ばれていた土地のすべてを、統治下に置くことになったのです。
入植地の建設も、これ以降加速します。
占領地での入植活動は、国際法に違反する行為です。
こうしたことから、それまで国際的には「被害者」とみられていたイスラエルは占領者となり、ある意味「加害者」としてみられるようになります。
結局25年間で4回も戦争が繰り返されるのですが、毎度イスラエルが軍事的に圧倒しました。

戦争に負け続けたアラブ側、パレスチナ側は、このままでは耐えられないと「インティファーダ」と呼ばれる住民の抵抗運動が広がっていきます。
住民がイスラエル軍に石を投げて抵抗するのです。
一方、パレスチナの外では、アラファト議長率いるPLO=パレスチナ解放機構という組織が各地でイスラエルに対する武装闘争を展開します。
そしてもう1つ、大きな動きがありました。
1991年にイラクで起きた湾岸戦争で、イラクがクウェートに侵攻したことがきっかけで起きた戦争です。
当時のイラクのサダム・フセイン大統領は旗色が悪くなる中で「アラブの正義のためにパレスチナを解放する」と言い出して、はるか遠くのイスラエルにミサイルを数十発も発射しました。
アラブ世界の同情を集めようとしたのです。
これをきっかけに国際社会から「パレスチナ問題を解決しないと何が起きるかわからない」と事態打開を求める声が高まります。
そして、その後の歴史的な合意=オスロ合意へと向かっていくことになります。
1993年、アメリカとノルウェーの仲介で、イスラエル・パレスチナ双方のトップにより交わされたのが、パレスチナ暫定自治合意、いわゆるオスロ合意です。
パレスチナに暫定自治区を設置して、いずれはイスラエル、パレスチナの双方が共存することを目指しましょうという内容です。
和平交渉の期限とされていた2000年までは楽観論が広がっていました。
双方の人たちの多くが、共存できる夢のような時代がくるのではないかと思っていたのです。

ところが、2000年9月、当時右派の政治家でのちに首相になるシャロン氏が、エルサレムのイスラム教の聖地に足を踏み入れてしまいます。
エルサレムの旧市街には「嘆きの壁」というユダヤ教の聖地がありますが、その上側に「岩のドーム」というイスラム教の聖地があります。
同じ構造物の壁と天井が、ユダヤ教の聖地とイスラム教の聖地としてくっついているのです。
シャロン氏は大勢の警察官に守られながら「嘆きの壁」の上側にある階段を上り「岩のドーム」を一回りして、「私は平和の使者だ」と言って帰ってきました。
礼拝中だったイスラム教徒は、それを見て暴徒化しました。
そして今度はイスラエルの警察がそれを力ずくで鎮圧し、死傷者が出たのです。
これをきっかけに、各地で激しい衝突が始まってしまいます。
約7年もの歳月をかけて築き上げてきた和平への希望が、わずか数日で崩れていきました。
これが導火線になって、暴力の応酬が始まりました。
イスラエルの街中では、バスが吹き飛ばされるような爆弾テロが起きるようになりました。
これに対してイスラエルは、パレスチナの過激派の拠点を空爆します。
衝突が長期化していく中、イスラエルの世論が右傾化し、選挙であのシャロン氏が首相になります。
シャロン氏は、ヨルダン川西岸の境界に食い込むように分離壁をつくりました。
テロリストがイスラエル側に入ってこないようにするためのものです。
高さは、最も高いところで8メートル、全長は700キロ以上にもなりました。
この壁ができて、テロが減ったことをきっかけに、危害がないなら交渉はもういいじゃないか、という考え方がイスラエル側で広がっていきます。
持続的な国を作るためには和平しか手段がない、という考え方が次第に失われていったのです。
パレスチナ側では、オスロ合意後、暫定自治政府のトップとしてパレスチナをまとめていたアラファト議長が2004年に亡くなります。
後を継いだのはアラファト議長と同じ、穏健派の政治勢力「ファタハ」に属していたアッバス議長でした。
和平派の指導者として期待されたのですが、過激派を抑えるだけの力がなかったというのが大半の評価です。
それで、イスラム組織の「ハマス」に2006年の議会選挙で負けてしまいます。
「ハマス」とは、イスラム教の教えを厳格に守ろうという人たちで、ガザ地区を中心にパレスチナの解放を訴えています。
「過激派」と呼ぶ人も多いのですが、軍事部門でイスラエルと武装闘争を続ける一方、慈善活動や教育支援で貧しい人の生活を支えたりもしています。
その「ハマス」は選挙に勝ったあと、2007年からガザ地区を独自に支配するようになってしまいます。

一方、ヨルダン川西岸はイスラエルと和平交渉を続けるという立場をとっている「ファタハ」が統治を続けています。
パレスチナが一体ではなくなってしまったのです。このため、パレスチナ内での和平への足並みがそろわなくなってしまいます。
その結果、和平交渉そのものが、ほとんど行われなくなりました。
イスラエル側も、パレスチナ側にやる気がないのなら別に急がない、という態度でした。
「ファタハ」がやる気でも、「ハマス」がテロを繰り返すのであれば、そんな連中とは話ができないというような感じです。
結局、今のまま現状維持でいこうという力のほうが強く働いてきたのです。
その後は今に至るまで、事あるごとに衝突が起きてきました。
「ハマス」がガザ地区からイスラエルに向けてロケット弾を撃ち、イスラエルが報復として空爆することの繰り返しです。

20世紀に入って、アメリカには、ヨーロッパで迫害されていた、たくさんのユダヤ人が逃れ移り住んできました。
アメリカの全人口3億人余りのうちユダヤ系は約500万人ほどですが、政財界・学会、様々なところに影響力を持つ優秀な人物を輩出しています。
さらにアメリカには、政界にイスラエルの利益をなるべく反映させるように働きかける大きなユダヤ系のロビー団体があります。
大統領選挙では民主党も共和党も選挙資金を目当てに、ユダヤ系ロビーに気をつかうところがあります。
このため、民主党・共和党ともに影響を受けるのです。

こうした背景もあって、アメリカは中東戦争以来、イスラエルに巨額の軍事援助を続けています。
イスラエルの立場や治安を守り、国家として存続できるようにする、というのが民主党政権・共和党政権を問わず、共通しているのです。

歴代政権の中でイスラエル寄りの姿勢が突出していたのが、トランプ政権です。
一番極端だったのはアメリカ大使館をエルサレムに移設したことです。
イスラエルはエルサレムが首都だと主張していますが、国際法上、占領は認められていません。
ところが、トランプ政権は大使館をエルサレムに移設しました。
一方でパレスチナへの支援を打ち切るなど、露骨にイスラエル寄りの政策をとりました。
このため、ただでさえ止まっていた和平交渉は、ますます進まなくなってしまいました。

バイデン大統領は、パレスチナ問題に取り組む姿勢を見せ、中東和平に取り組むだろうという多くの人の期待のもとに就任しました。
ただ、現実問題では、アメリカの外交政策はなんといっても対中国が最優先です。
中東では、トランプ政権がご破算にしたイランとの核合意をいま一度結び直すという課題の方が優先順位としては上なので、パレスチナ問題は後回しになっているのが実情です。

一方で、パレスチナを支援してきたアラブ諸国にも変化が生まれます。
エジプトとヨルダン以外のアラブ諸国はみな「パレスチナ問題が解決するまではイスラエルは認められない」という立場でした。
ところが、トランプ政権時代に和平交渉再開が絶望的になった中、UAE=アラブ首長国連邦やバーレーンが立て続けにイスラエルと国交を結んだのです。

今では、アラブの盟主を名乗るサウジアラビアも、イスラエルとの国交正常化を模索していると言われています。
パレスチナ問題が全く動かない中、イスラエルとしてはパレスチナを飛び越えてアラブの一部と和解できれば国際社会の中での活路が開けると考えました。
そこをうまい具合に当時のトランプ大統領が取り持ったのです。
このあと、スーダンやモロッコといった、アフリカのイスラム教の国も続きます。
パレスチナ問題が解決するまではイスラエルを認めないと言っていた「アラブの大義」の鉄則が崩れていったわけです。
こうしたことに対して、パレスチナ人は裏切りだと怒りました。

イスラエルとアラブ諸国の一部が和解した、対立関係に風穴を開けたという点では評価できる面もあります。
一方、パレスチナ問題が解決しないまま置き去りにされてよいのかと思っている人たちもいて、プラスの面とマイナスの面があります。
物事がより複雑になってしまったのです。
国際機関はどう対応してきたのかと言うと、国連の機関が懸命に、人道支援などの努力をしても、実際に物事が決まる安全保障理事会ではアメリカがイスラエルを擁護するわけです。
イスラエルがガザ地区に侵攻するたびに、国連の安全保障理事会ではアラブ諸国が非難決議を採択しようとしますが、アメリカが拒否権を発動して、それをつぶしてきました。
ガザでは、イスラエルが軍事攻撃を続け、大勢の人が亡くなるのを目撃した人もたいさんいます。
現状の国連のシステムでは現地の悲惨な状況を救うことは難しいようです。
パレスチナ問題は、世界が置き去りにしているのが現状ですが、はっきりしているのは、ガザ地区には、今も必要最低限の生活さえできない人たちがいるということです。
希望すらなくなり、イスラエルに占領され抑圧された状態で暮らすのが正常かといえば決してそんなことはありません。
また、ヨルダン川西岸では、入植地がまだら状に広がっていて、40万人のユダヤ人入植者がこの土地に住み続けています。
本来パレスチナ人が望んでいた土地を取り戻す見通しは到底たたない、将来像が描けなくなっているのです。

今回の「ハマス」による大規模な攻撃がイスラエル側に多くの死傷者を出し人質が取られていることは、決して許されるものではありません。
一方で、イスラエルによる占領やガザ地区の封鎖が続いてきたことが、今回のような悲劇を招いたというのも事実です。

パレスチナ問題の解決がいかに困難だとしても、それを放置し続ける限り、将来にわたって混乱や対立の火種が残り続けています。
国際社会はいまその現実と改めて向き合わなければならないのだと思います。
私も、いろいろな文献を調べていくうちに、非常に複雑で難しい問題だと感じました。
だけど、たった一つしかない命の取り合いである戦争だけは一刻も早くやめさせなければなりません。

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