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ロシアの軍事侵攻に思うこと

ロシアがウクライナに軍事侵攻を開始して10日で2週間となっています。
何ともいたたまれない状態になっていますが、こんな状態になって思い出すのはロシアとシリアの内戦です。

2011年に端を発し、現時点(2022年1月)で約11年にも及ぶ内戦が起こっているシリアでは多くの難民が生まれ、今も支援を必要としている人で溢れています。
シリア内戦のきっかけはアラブの春と言われていますが、アラブの春の火種となったのがジャスミン革命という民主化運動だそうです。
これは2010年12月にチュニジアで起こっており、その波が中東諸国へ波及しました。
この民主化運動はやがて近隣アラブ諸国へ広がっていき、2011年にアラブの春へと発展しました。
エジプトでは30年続いたムバーラク政権、リビアでは42年続いたカダフィ政権が崩壊したのは日本でもトップニュースだったので、皆さんの記憶にも残っていると思います。
他にもサウジアラビアやモロッコ、イラク、アルジェリアでも同様の民主化運動が活発化し、この動きはシリアへも広がっていきます。
シリアではアサド大統領による独裁政権が40年にも渡って続いていたため、国民は長年社会経済への不満を抱いていました。
そして2011年、アラブの春を皮切りにシリアでも抗議運動が始まりました。
この中心となったのが政権から虐げられていたスンニ派の人々です。
スンニ派を中心とした抗議運動はシリア全土に広がり、シーア派を主とするアサド政権政府軍とスンニ派を主とする反政府軍との間で内戦へと発展したのです。
当初は紛争ではなく、民主化を求めるだけのデモ運動に過ぎませんでした。
デモ運動が激化したのは、反政府軍が近隣国から様々な支援を受けることで武装蜂起をし、自由シリア軍を結成したことが要因とされています。
さらに自由シリア軍が政府軍を圧倒したことで、シリアでの民主化の契機が高まることとなりました。

プーチンが2015年にシリア戦争への参加を決めたのは、旧ソ連が崩壊して以来、旧ソ連国外では初めての軍事行動でした。
それはアサド大統領の政府を救い、戦争の流れを彼に有利にし、シリアの指導者が、シリアの大部分を残忍に支配し直すことを可能にしました。
ロシアの空爆は、しばしば病院や学校、市場などを無差別に襲いました。
プーチンはまた、シリアにおいて巧みな外交手腕を発揮しています。
西側諸国と協定を結び、介入を暗黙のうちに受け入れざるを得ないようにしています。
シリア反体制派を支援するNATO加盟国のトルコと合同パトロールを行い、一部の地域で停戦を実施しました。
イスラエルとは、シリア国内のイラン関連の標的に対して、イスラエルが空爆を行うことを認める協定を結んでいます。
また、シリア上空を飛行する米軍機とロシア軍機の衝突を防ぐため、アメリカとの間にいわゆるデコンフリクション・ラインを設定しました。
同時に、アサド大統領による化学兵器や樽爆弾の民間人への使用を捏造と断じ、国際社会で彼を擁護しようとしました。
シリア国内では、ロシアはソフト・パワー戦略を展開しました。
地域によっては、ロシア文化を広めるためのフェスティバルが開かれ、シリアのテレビではロシアの国歌が流れ、自分たちに都合の良いプロパガンダが乱造され、民間人に温かい食事が振る舞われたそうです。

現在も状況は一向に改善の兆しが見えず、1,100万人にものぼる人たちが、国内外での避難生活を余儀なくされています。
また、そのうち約560万人が、シリア難民としてトルコやレバノン、イラク、ヨルダン、エジプトといったシリア周辺国で避難生活を送っています。
シリア危機が起こる前のシリアの人口は約2,200万人だったため、総人口の半数以上が難民または国内避難民になったということになります。

そして今回のウクライナです。
シリアでのロシア軍の軍事侵攻のきっかけはシリア内での内紛からです。
当時の独裁政権やイスラム国の存在もあったとは思いますが、今回のウクライナへの軍事侵攻は、プーチンのエゴでしかないと思います。
シリアみたいにうまくいくと思ったのでしょうか?
人間の命は一つだけです。
この一つだけの命を簡単に奪い取れるのは、それは人間ではなく人間の姿はしていても悪魔だと思います。
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