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完新世について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回は完新世について調べてみました。

新生代 第四紀 完新世(かんしんせい、Holocene)は地質時代の時代区分の一つです。
【期間】
新生代の第四紀を二つに分けたときの最後の世です。
約1万1700年前から現在までの期間で、後氷期または現世とも言われています。
かつての沖積世(Alluvium)とはほぼ同義です。
従来では、完新世の始まりは 1 万年前からとされていたのですが、2008年5月に国際地質科学連合(IUGS)により、新しい定義がありました。
国際標準模式層断面及び地点(GSSP)によると、グリーンランド中央部から採取された氷床コアの研究に基づき、によってその下限が定義されました。
期間は、約1万1700年前からと前述しましたが細かく見ると、0.011784Ma (1万1,784年)以降の時代を指すとされています。
国際標準模式層断面及び地点(こくさいひょうじゅんもしきそうだんめんおよびちてん、Global Boundary Stratotype Section and Point 略称:GSSP)とは、各地質時代を区切る境界を示すものとして、国際的同意の下に定められた層序断面及び境界の位置のことです。
この、約1万1700年という期間は、今の人の寿命が約100年としたらものすごく長い期間ですが、地球の歴史の約45億4000万年前から比べるとほんの一瞬ということになります。
【名前の由来】
完新世はかつては沖積世と呼んでいました。
沖積層および対応する洪積層という語は、古く北ドイツなどで、丘陵などの上に残した氷河堆積物を洪積層、それを侵食した谷を埋める積物を沖積層と呼んだことに由来しています。
しかし、先に述べたように、沖積層はその下半部が時代的には更新世であることが明らかになって、この名称は時代区分の名称としては国際的に使用されなくなっています。
【生物】
更新世末から完新世初めにかけて、人類の直接の祖先であるヒト(ホモ・サピエンス・サピエンス)が世界規模で拡散しました。
人類の生活はそれまで、遊動しながらの狩猟(漁労)採集活動生活であったのですが、大きな川の流域などで定住農耕牧畜生活に大きく転換しました。
そして徐々に人類が文明を築き始めて現在に至っています。
地球各地が湿潤化して森林が増加、逆に草原が減少してマンモスやトナカイなどの大型哺乳類の生息環境が縮小し、彼らを絶滅させました。
その他の動物、そして植物は現在そのままです。
【地質】
時代に形成された地層は完新統と呼ばれています。
これは、沖積低地を構成する軟弱な砕屑物の総称です。
本来の意味は現在の河川活動によって形成された一連の堆積物のことを指し、日本では、最終氷期に刻まれた谷を埋めて現在の地表面までを形成する一連の地層で、沿岸湖沼、浅海の堆積物も含みます。
更新世の地質と違い、圧密をほとんど受けていないため、軟弱な地層であり、地震動を増幅させたり、地下水のくみ上げによる地下水面の低下で収縮し、地盤沈下を引き起こしたりします。
【気候】
ヤンガードリアス (Younger Dryas:YD) と呼ばれる「寒の戻り」期(約1万4000〜1万1500年前)がありました。
ヤンガードリアスは、更新世の終わりのヨーロッパの気候区分で、最終氷期が終わり温暖化が始まった状態から急激に寒冷化に戻った現象のことです。
これが終了し、気候環境が一転して地球全体が温暖化し、氷河がモレーン(堆石)を残して後退しました。
人類はこの時代の始めごろから農耕を覚え、温暖な気候のもと人口が急増し、文明が発達しました。
期間が短いため大規模な大陸の移動などはないのですが、完新世の初期には、大陸氷床の融解によって海面が130m以上急激に上昇しました。
特に完新世の気候最温暖期と呼ばれる時代には、現在より3mから5mほど海水準(陸地に対する海面の相対的な高さ)が高かったとされています(縄文海進)。
その後、海面は緩やかに下降し、海水準は直近の2,000年ほどは比較的安定しています。
スンダランドが海中に没し、現在のインドネシアやフィリピンなどに相当する地域がユーラシア大陸から分離して島となりました。
ベーリング海に存在した陸橋ベーリンジアが温暖化の海進により水没し、北米大陸はユーラシア大陸から分離しました。
9600年前ころ、ドーバー海峡ができ、グレートブリテンが大陸から切り離されています。
日本付近の海面高度は完新世の始めには現在より100m程低い位置にあったのですが、著しい温暖化とともに急速に上昇し、7000年前ごろには現在のレベルを超えてプラス3mまで上昇しました。
この現在より温暖な時期を気候最温暖期あるいはヒプシサーマルと呼んでいます。
その後海面はやや低下して現在の位置に至りました。
海面が上昇して、それまで陸上の河川であった低地に海水が侵入し、河川の堆積物の上に海の地層が堆積しました。
完新世のこの海進は、これらの地層とその相互関係が、最初に記載された東京の地名をとって「有楽町海進」と命名されています。
この海進により関東平野の低地に海が侵入し、かつての河川沿いに奥深い入江が形成されました。
この入江の沿岸には縄文早期から前期の貝塚が各所に形成されていて、このためこの海進は、先に述べたように「縄文海進」とも呼ばれています。
気候最温暖期には現在は九州西部に主要な分布の限界があるハイガイなどの亜熱帯の貝類が東北地方南部部にまで進出していました。
房総半島の先端付近には小規模ながらサンゴ礁も形成されました。
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