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「沼田の河岸段丘」について

群馬県沼田市の河岸段丘を紹介します。

「沼田の河岸段丘」
この名前を知っている人は多いと思います。
川を底辺としていくつもの段が重なったこのような地形を河岸段丘(かがんだんきゅう)といいます。
平坦な部分と傾斜が急な崖とが交互に現れ、平坦な部分を段丘面(だんきゅうめん)、急崖部分を段丘崖(だんきゅうがい)と呼んでいます。
段丘面は地下水面が低く、段丘崖の下には湧水が出ていることが多く見られます。
「沼田の河岸段丘」は、広さ高さともに大規模で、形もはっきりしているため、日本一美しい河岸段丘とも言われています。
片品川沿いに利根川と合流する前の下流域で段差が深くはっきりとした河岸段丘が発達しており、地理の教材に掲載されるほど有名です。
市街地は一番高い段丘面に位置し、玄関口であるJR上越線沼田駅との高低差は約70m以上もあります。
この河岸段丘は、椎坂峠や雨乞山、子持山などの高い場所からはっきりと確認することができます。
それだけでなく、市内にはいくつもビュースポットが設けられ、中には飲食店や露天風呂から一望できるところもあります。
この河岸段丘ですが、昔々、沼田一帯は大きな湖だったそうです。
そして、長い年月の間に、湖に流れ込む川が泥や砂を運び、次第に埋め立てられて、湖は平原へと姿を変えました。
その後、平原の低い場所に水が流れるようになり、現在の利根沼田地域を流れる利根川・薄根川・片品川が生まれました。
それぞれの川の両岸では、棚田のような階段状の地形を見ることができます。

江戸時代にはその険しい地形を利用し段丘上に沼田城(ぬまたじょう)が築かれました。
群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城です。
二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城でもあります。
沼田城は、上野国利根郡(現:群馬県沼田市)にあった城(丘城)で、幾つかの守護城に囲まれた堅城です。
沼田氏の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田信幸氏の沼田領支配の拠点として機能していました沼田藩の藩庁で、はじめは倉内城と称していたそうです。
沼田城は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となったそうです。
そして、本能寺の変後は真田氏の支配城として、後北条氏と争っています。
江戸時代に城主は真田家5代、天領、本多家3代、黒田氏(譜代大名)2代を経て、土岐氏12代目に明治維新を迎えています。
真田氏時代には5層の天守や3層の櫓が建てられたそうですが、時代とともに縮小し、本多氏時代には三の丸を改修して館を建てる程度の規模になったそうです。
明治維新後、1916年に旧沼田藩士の家の久米民之助によって城地が購入され整備されています。
1926年には沼田町(沼田市)に寄付され、現在は沼田公園となっています。
2017年続日本100名城(138番)に選定されています。

河岸段丘
これが、「沼田の河岸段丘」ですが、河岸段丘は、写真にするとわかりずらいと思います。
実際に行って見るのが一番だと思います。
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