松山市の二神島について

松山市には離島がたくさんあります。
この中で、今回は旧中島町から編入合併して松山市になった二神島を紹介します。

二神島(ふたがみじま)は、忽那諸島の南西端に位置し、北には怒和島や津和地島、西約4kmには山口県の周防大島が迫っています。
周囲10 kmで、面積 2.15 km2です。
東西に細長い形をしており、島の南側は切り立った崖が続いています。
もともとは松が多く茂っていたことから「松島」と呼ばれていたようですが、1500年頃、藤原鎌足の流れを組むといわれる長門国の豪族・豊田氏の一派がこの島に移り住んで二神氏を名乗ったと言われていることから、その頃すでに二神島と呼ばれていたのかもしれません。
室町時代から江戸期にかけての文書「二神文書」が残っています。
その後二神氏はこの島を拠点とする水軍として勢力を誇っています。
安養寺の裏山には600年にわたる二神家代々の墓が残されています。
産業は、小規模な漁業とだんだん畑での柑橘類の栽培が盛んでミカンや伊予柑が島の経済を支えています。
また、水産業は、釣島などとともに、たこつぼ漁で知られ、漁港にはつぼが山積となっており、特徴的な漁港景観を形成しています。
小学校は、二神小学校ですが、2007年度でも児童3名で、2008年10月 児童が「二神島-歴史と芸術の島-」と題するリーフレットを作成後、2009年4月以後から休校となっています。
中学校はありません。
平成22年の国勢調査では、人口 166人、世帯 98戸です。
瀬戸内の他の小島同様、極端に高齢化が進んでおり、2013年現在でも、島内に12歳未満の子供はいなくなっています。
漁業を中心として他の島しょから離れていたがゆえに、近代化されていない生活が色濃く残っていたことから、1972年に『ナショナルジオグラフィック』誌で大きく取り上げられました。
日本テレビ『進め!電波少年』の企画「電波少年的無人島脱出」で、挑戦者のRマニアの2人が生活した無人島は近隣の由利島でしたが、イカダを作って脱出し辿り着いた先が二神島でした。
昭和47年(1972年)に、世界的権威を持つ地理雑誌「ナショナル・ジオグラフィックマガジン5月号」に二神島が26ページにわたって紹介されたそうです。
その後、アメリカの高校の世界地理の教科書にも掲載されているそうです。
近代化されず、日本古来の美しさを残したパラダイスの島として紹介され、雄大な自然や、古くから伝わる文化がそのまま残された観光スポットが各所に散りばめられています。

二神島全景の写真
二神島の全景です。
二神島の集落は、港の泊まる場所にある二神地区の1つの集落のみです。
昔ながらの石を積んだ石垣や、石段の階段はとても情緒ある瀬戸の島の景観だそうです。
宇佐八幡宮から少し北になる石段の景観も、映画『船を降りたら彼女の島』でロケに使われました。
漁港はゴミゴミとして、きたない場所であることも少なくないのですが、二神島の漁港は、海がきれいだし、きれいな海の景観にマッチしています。

ビャクシン自生地の写真
ビャクシン自生地があります。
県内でこれだけの群落を形成しているものはめずらしく、昭和29年11月24日に県の天然記念物に指定された群生地です。
城の山と呼ばれる岩山に数十本のビャクシン(イブキ)が群生していて、中には、根周り5m、樹高約21m、推定樹齢300年以上の大木も見られます。

大サボテンの写真
梅田さん家に大サボテンがあります。
樹齢130年を越え、高さ5mにも及ぶ大サボテンです。
昭和42年に高松宮殿下もご観覧され、記念碑がたてられています。
個人宅の庭に生えているので、見学の際には一言断わってからお願いしますとの事です。

アラレ浜の写真
瀬戸内海ではめずらしい丸石の浜で、アラレ浜と言います。
大小様々、色とりどりの丸石が、波に洗われてカラカラと心地良い音をたてます。
正面には無人島である由利島も望む事が出来ます。

妙見神社の写真
妙見神社が、航海の安全と、豊年豊漁を授かる神様として妙見山の中腹に祭られています。
もともと山頂に祭られていたのですが、あまりの尊厳さのため船影の見えない場所に移したそうです。
戦国時代には近くを通る船は帆を畳むというしきたりがあったそうです。
この山は霊山として崇められていて、現在でも女人禁制で、女性は山道の途中にある祠までしか入ってはいけないと言われています。

宇佐八幡神社の写真
二神地区に、宇佐八幡神社があります。
1094年建立で、境内へは170段の階段を上って参拝します。
明治時代に興居島から伝わった船踊りが奉納されていましたが、過疎化の影響で踊り手がいなくなり、現在は行われていません。
10月の祭礼では全国的にも珍しいおみどり神事が行われ、伝統を継承しています。
応仁天皇など3神を祭っているといわれ、映画『船を降りたら彼女の島』でもこの場所がロケに使われました。

二神家の墓の写真
二神家の墓です。
この島を統治していた二神家一族の墓が約600年に渡って残っています。
貴重な歴史資料として考古学的調査研究の対象とされています。
晩年を画家として過ごした最後の領主、二神司郎氏の墓には、パレットと絵具の装飾が施されています。

梨岡素岳の漢詩碑の写真
梨岡素岳の漢詩碑があります。
梨岡素岳は日本を代表する篆刻家です。
関東大震災に遭い家屋が半壊し、夫人の故郷である二神島に隠棲しました。
その後、本浦の丘にアトリエ「臥雲山房」を築き、風月を友とし詩書画、篆刻に専念して余生を送ったそうです。

futagami-map
二神島の詳細な地図です。
二神集落を少し山に向かって登ると海と集落が見下ろせるそうです。
私は、二神島には縁がなく、一度も行ったことがないのですが、もともと二神は海のきれいな島なので、集落がマッチした景観は、とてもやすらげる景観だそうです。
スポンサーサイト
最新記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
カウンター
検索フォーム
QRコード
QR