愛媛県の「DASH島」の地形・地質と歴史

かつては、テレビでも有名でした「DASH島」こと由利島を紹介します。

由利島(ゆりじま)は、伊予灘に位置し、愛媛県松山市に属する島です。
松山港の沖合16kmの無人島で、面積0.45km2の小島で、標高194mです。
地形的には、大小二つの島が砂州で繋がっており、それぞれ大由利、小由利と呼ばれています。
地質としては、小由利のほぼ全域と、大由利の中腹から頂上にかけての基盤岩は安山岩で、大由利の中腹から下は、高縄山系でよく見られる粗粒花崗閃緑岩で構成されています。

この由利島は、当時の人気グループTOKIOのテレビ番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の無人島を開拓する企画「DASH島」の舞台になっていました。
その番組では、この「DASH島」は、どうやら瀬戸内海の無人島のようだと言われていましたが、これが由利島だったそうです。

「DASH島」でも言っていましたが、弥生時代の土器が出土しており、この頃から人が住んでいたものと思われています。
この頃には、既に周防国(山口県)や安芸国(広島県)、それに九州との中継地となっていたと見られています。
かつては由利千軒と呼ばれるくらいたくさんの人家があったと言われていますが、弘安年間(13世紀)に地震(津波とする説もあり)により水没したと言われ、海中にそれをうかがわせる石積みも見えます。
特に、真ん中の石浜の部分が陥没して今の姿になったと言い伝えられています。
付近の海域は古くから鰯などの好漁場として知られ、高浜港と二神島との漁民の間で、漁場をめぐる争いが絶えなかったそうです。
また、近世には紀州の塩津村から漁期のみ人が住み着き、今日でいう入漁料を払って漁労を行っていたそうです。
後年には、忽那諸島の二神島や長師(中島)だけでなく、安芸の瀬戸村や岩城島(越智諸島)などからも出漁し、争いが絶えず、寛文9年(1669年)にとりかわされた取り決め文書が残っており、干鰯として加工していたそうです。
その後は、次第に二神島から漁民が移り住むようになり、特に昭和初期には好漁が続き、夏の漁期には数百人が暮らしていたそうです。
ここには、かつて、連絡用に赤電話が引かれ、出作の人や漁民などの連絡用として用いられていたそうです。
家屋型の電話ボックスもあり、作家でエッセイストでもある椎名誠さんは、この島を訪ねた際に赤電話を使用したことなどをエッセイで紹介しています。
この赤電話は、無人島時代にも年2000円ほどの公衆電話使用料があったそうです。
利用が少ないため撤去する動きがあり、二神島の住民が費用をもつことで存続されたものの、結局、海底ケーブルの切断により1993年(平成5年)には不通となり、電話機も撤去されたそうです。
また、太平洋戦争時には日本海軍により、大由利に監視台も置かれていたそうです。
やがて不漁となったため、人口も減り、1960年(昭和35年)には人口6人との記録があります。
1965年(昭和40年)にはこの6人も島を離れ、無人島となったそうです。
砂州のところにはかつて集落、漁港があり、魚干し場や井戸の跡が残っています。
この由利島は、現在は無人島なので定期便などは出ていません。
実際に行くとしたら、松山港からのチャーター便を借りて行く方法が一番いいのかもしれません。
しかし、無人島といっても由利島には所有者がいます。
関西学院大学の論文によると、由利島の所有者は田村富男さんだそうです。
したがって、許可なく無断で上陸すると「不法侵入」に当たるそうです。
そのため、無断上陸すると最悪の場合3年以下の懲役又は10万円以下の罰金になります。
現在では、無人島になったことも影響しているのか、ここは大型のアジを始め、カレイ、グレ、太刀魚、キス、メバルホゴ、鯛といろんな釣りが楽しめるそうです。
ただし、上陸すると不法侵入ですが。


ひょうたん島みたいな、大由利島と小由利です。
真ん中で細くなっているところが砂州で、ここの部分が主に水没したと言われています。

1114dash_island10
この細くなっているところが砂州です。

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由利島の地形をわかりやすく説明しています。


ここが、南の石浜です。


朽ち果てた集落です。
南の石浜に上陸し高い山の方へ少し入ると10軒ばかりの朽ち果てた集落があります。
もう廃墟なので、コウモリの巣になっているようです。
朽ち果てた集落の奥の山際には大きくて深い井戸もあります。


低い山の方へ進むと港があります。
太平洋戦争の時、海軍の人が来て細長い池の、海に面した部分を切り開き港にしたそうで、住民の人は港と呼ばず池と呼んでいたそうです。
今は小船の緊急避難場所として使われているそうです。
また小説家の椎名誠さんが、キャンプをして本に取り上げた場所でもあり、TVでお笑いのタレントさんが無人島生活をして、いかだで脱出すると言う番組の舞台でもありました。


ここが北の石浜です。


電話ボックスです。
昭和40年(1965年)に無人島になるまで何十名もの人びとが生活し、このように電話も引かれていて、無人島になった後も1993年まで海難事故などの緊急連絡用として話す事が出来たそうです。
この付近では、黒いウサギを何匹も見かけるそうです。
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