熊本大地震は、400年前の慶長大地震と類似

熊本大地震は、400年前の慶長大地震と類似しているとのニュースがありました。

慶長大地震(けいちょうおおじしん)は慶長年間(1596年-1615年)に日本列島で起こった地震です。
ただし、慶長伊予地震、慶長豊後地震、慶長伏見地震発生は文禄5年に起こっており、その後、これらの天変地異を期に文禄から慶長に改元されているそうです。
1596年の3つの地震は記録の日付が錯綜しており、豊後地震を9月1日とするものもあります。
1605年慶長地震は定説であった南海トラフが震源ではないという異論も出され、従来三陸沖が震源とされた1611年の地震も北海道太平洋沖に震源を持つ超巨大地震との説が出される等、震源域に諸説あって不明なものも多いそうです。
慶長大地震としては次のような地震です。
①1596/09/01:慶長伊予地震(M7前後)
伊予国(今の愛媛県)をおそった地震で、中央構造線沿いと推定される地震です。
②1596/09/04:慶長豊後地震(M7前後)。
豊後国(今の大分県の大部分)をおそった地震で、中央構造線と連続している可能性がある地震です。
別府湾-日出生断層帯で発生し、慶長伊予地震との連動型地震とされています。
③1596/09/05:慶長伏見地震(M7前後)。
近畿地方をおそった地震で、京都や堺で死者合計1,000人以上と記録されています。
伏見城の天守や石垣が損壊、余震が翌年春まで続いたそうです。
有馬-高槻断層帯、あるいは六甲-淡路島断層帯における地震とされ、上記二つの地震に誘発されて発生した可能性があるそうです。

400年前と同じところがまた揺れるとは限らないのですが、「中央構造線」の通っているところは、危険箇所と言えると思います。
私は愛媛県に住んでいるので、慶長伊予地震について詳しく調べてみました。
発生日は1596年9月1日(文禄5年閏7月9日亥刻)夜で、規模はマグニチュード (M)7.0 です。
「中央構造線」の川上断層セグメント(岡村断層・石鎚断層・川上断層・北方断層・重信断層・伊予断層)のトレンチ調査で確認されている最新の断層活動の有力候補とされる地震だそうです。
また、これらの断層の東方延長の池田断層・父尾断層も同時期(16世紀)に活動したという調査結果もありますが、これを否定する見解もあります。
断層の長さから推定される地震の規模はマグニチュード7前後ですが、被害記録は限られており正確な規模は不明だそうです。
3日後とも言われている、1596年9月4日に豊予海峡を挟んで対岸の大分で発生した慶長豊後地震(本地震による連動型地震とされる)と、4日後の1596年9月5日に発生した慶長伏見地震(ともにM7.0規模と推定)を合わせて、中央構造線上及び、その周辺断層帯で発生した一連の地震活動の一つとされています。
被害としては、
伊予郡保免村(現松山市保免)の薬師寺の本堂や仁王門が崩壊しました(『薬師寺大般若経奥書』『伊予温故録より』)。
周布郡北条村(現西条市北条)の鶴岡八幡宮の宮殿が転倒、宝蔵、神器、記録が地中に没しました(『小松邑誌より』)。
周布郡広江村(現西条市広江)で人家に被害があり、村宅が湮没したため村民らは今の地に移住したそうです(『小松邑誌』より)。
板島城(現在の宇和島城郭)で破損がありました。
慶長伊予地震の被害についてはこの程度で、亡くなった人は記録にはありません。
その後の慶長豊後地震では、豊後奥浜(沖の浜)が海没し、人畜二千余死亡と記録されています。
これは、当ブログでも紹介しましたが、かつて別府湾には「瓜生島」とよぶ島があって栄えていたという伝説があるのですが、その島が、大地震により一夜にして海中に没したというものです。
そして、次の日の慶長伏見地震では、先に述べたように京都や堺で死者合計1,000人以上と記録されています。
地震の規模から判断すると、慶長伊予地震は「前震」になるのでしょうか。
瀬戸内海が震源地になると、現在では伊方原発があるので、小さいマグニチュードでも危険なことになります。
それにしても、これだけ大昔から大地震があった地震国の日本で、どうして原発なんか造ったのでしょうか?
政治家の欲が、日本を、そして地球を滅ぼさないことを祈るばかりです。

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赤く塗っているのが活断層です。
九州から愛媛県にかけては「中央構造線」が連続していて危なっかしい状態です。

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