世界で最も危険な湖

ロシアの南西チェリャビンスクの、カザフスタンとの国境近くにカラチャイ湖という美しい湖があります。

でも、このカラチャイ湖は、世界で最も危険な湖と言われています。
ここにはロシア最大のマヤク原子力施設がありました。
元は核兵器開発のために造営され、長い間外国人が足を踏み入れることを禁じられてきました。
このマヤク原子力施設での放射能汚染事故は、実に1957年の事故から32年も隠ぺいされていたそうです。
放射能汚染事故とは、1957年9月29日、マヤーク核施設にある放射性廃棄物の貯蔵タンクが爆発し、中にあった70~80トンの高レベル廃棄物が、爆発の勢いで上空千メートルまで舞い上がって風下の北東に流れ、広範な地域を汚染しそうです。
大気中に飛び出した放射能量は、チェルノブイリ原発事故時の40%に当たる約74万テラ(10の12乗=1兆)ベクレルです。
このうち90%がマヤーク施設内に落下し、残り約74000テラベクレルが村や畑、川や湖、森などに降り注いだそうです。 
この爆発事故は、1986年のチェルノブイリ原発事故が発生するまで、旧ソ連で最大の放射能汚染事故でした。
ですが、旧ソ連ではすべてが秘密にされました。
この爆発事故は、一説では、チェルノブイリよりもひどかったとも言われています。
核開発で旧ソ連をリードしていたアメリカの中央情報局(CIA)は、1959年にこの事故を知ったのですが、1957年にイギリスのウィンズケール(現セラフィールド)で起きた軍事用原子炉の大事故や、アメリカ内での核工場での事故などもあり、「自国の核開発の足かせになっては」と、アメリカ政府も秘密を保ったそうです。
これが、「ウラルの核惨事」「キシュティムの事故」として世界に知られるようになったのは1976年です。
イギリスに亡命した旧ソ連の生物学者であったジョレス・メドベージェフ博士が、科学雑誌に暴露したのがきっかけでした。
旧ソ連政府は、1989年に、ペレストロイカが進む中で、ようやく正式に事故を認めたそうです。
事故では従業員や住民被害のほかに、マヤーク敷地内の除染作業などに従事した、全国各地から招集の兵士2万人以上も被曝したそうです。
1992年になり、初めて科学者が調査を始めると直ちに“世界一汚染された地域”であると宣言されました。
閉ざされた間、施設内ではメルトダウンが繰り返されました。
半減期が30年と言われるストロンチウム90やセシウム137などが、付近のテチャ川に垂れ流され、また、工場敷地内のカラチャイ湖に投棄されていた川に垂れ流しされたそうです。
これは、チェルノブイリ事故の際放出された放射能の量を何倍も上回る放射能が放射性廃液だそうです。
抹消された廃棄マニュアルに基づき、放射性廃棄物はカラチャイ湖に沈め、湖水でフタをし封印していたのですが、1967年に深刻な干ばつに見舞われ、水位が下がると沈殿物が露出して、再び地域を汚染したそうです。
そして、現在も付近は居住が禁止されています。
今でも、この湖畔に1時間佇むと、6000ミリシーベルトの放射線を受け、致死量を超えるそうです。
付近住民には癌が21%増、先天性欠損症が25%増、白血病は41%増と、明らかな健康被害が見られたそうです。
だが当時医師たちが放射能の影響について言及することは禁じられたそうです。

原発の事故になると、もう取り返しのつかないことになるのは目に見えています。
マヤク原子力施設での放射能汚染事故は、1957年の事故から約60年も経つのですが、未だに6000ミリシーベルトの放射線を受けています。
このような事故のデータがあって、そして福島の事故をを目の当たりにして、まだ原発再稼動を選択する日本政府の考えにはどうにも理解できません。

Alamy
一見すると美しく見えるカラチャイ湖の風景です。
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