東赤石山の橄欖岩

東赤石山の橄欖岩を紹介します。

石鎚山地から東に延びる支脈の七番越からハネズル山までを赤石山系と呼び、西赤石山、東赤石山、二ツ岳など1400~1700mの山々が連なっています。
東赤石山(ひがしあかいしやま)は、愛媛県四国中央市(旧宇摩郡土居町)と新居浜市(旧宇摩郡別子山村)の境界で、この山地の中央部に位置し、標高1,706mで赤石山系では最高峰です。
東赤石山は、日本二百名山、花の百名山、および四国百名山の一つともなっています。

この東赤石山を中心として、前赤石山西面から権現越えまでの赤石山系の稜線は、地質的には三波川変成帯に属し、超塩基性岩が広く分布するため「東赤石山橄欖岩体」と呼ばれ、橄欖岩(カンラン岩)という岩石で構成されています。
これに対し、北側斜面は「五良津岩体」と呼ばれ、角閃岩やエクロジャイトなど高圧下で生成した変成岩が見られます。
橄欖岩は表面が赤っぽいのが特徴です。
赤石の名は、東赤石山を形成する橄欖岩に含まれる鉄分が酸化して、岩が赤く見えることに由来し、古くは赤太郎尾と呼ばれたそうです。
玄武岩マグマが次第に冷めてゆくとき、最初に出現する結晶は橄欖石です。
そして、橄欖岩が水と反応すると蛇紋岩になります。
橄欖岩の露出は、北は赤石越えへの登山口、東は肉淵谷のあたりまで広がっており、先に述べたように、全体の呼称を「東赤石橄欖岩体」と呼んでいます。
橄欖岩は地球のマントル(地下深部数10km以上)を構成する比重の大きい岩石なので、私達人間の住む地表まで上昇してくるのは大変に稀れなことなので、東赤石岩体のような広大な露出を持つ橄欖岩はめずらしいものです。
そして、1970年代にはザクロ石を含む岩石が詳細に記載された場所として、世界的に有名な存在になりました。

日本列島の位置するユーラシア大陸の東縁は、「沈み込み帯」と呼ばれる地球の大構造を成していて、今から何億年も前から、海洋プレートが大陸下部へ沈み込んでいる場所です。
沈み込み帯では、海洋底の堆積物や火山岩がプレート運動に引きずられて地下深部へ潜り込み、高温高圧条件の変成作用を受けます。
赤石山系を含む別子地域一帯は、地質学的区分で言うと三波川変成帯に属し、今から約6000から9000万年ほど前の白亜紀の沈み込みに伴って深部(20~100km)で変成作用を受けた岩石が、地表まで上昇してきています。
この地域で有名なエクロジャイトはその代表的な変成岩の一つです。
沈み込み帯の深部では沈み込むプレート(スラブ)の上側にはマントルがあります。
このマントルは、火山マグマの発生する場所と考えられており、その性質を知ることが地球科学の重要課題となっています。
近年の名古屋大学岩石学グループの研究成果から、東赤石岩体は、深さ100km以上の沈み込み帯深部から上昇してきたマントルの断片であることが分かってきました。
このことは、東赤石山の露頭で、沈み込み帯マントルの物理的、化学的特徴を直接観察できることを意味します。
現時点で、この最深部の情報は、おそらく世界でも東赤石山でしか手に入れることができないと言われています。
東赤石山の橄欖岩は、沈み込み帯内部で揉まれ押されて、深さや時期の異なる何段階もの変形を受けてきています。
今までの研究では、まず、これらの変形の順序と温度圧力条件、すなわち変形史と変成史を明確にし、そして、最深部(~100km)での変形は、水(H2O)に富む特異な条件であったことを明らかになりました。
その鍵になったのは橄欖石結晶の中の微細包有物だそうです。
主に東赤石山北面で採取した橄欖岩を30μmの厚さまで薄く削って、光学顕微鏡で橄欖石結晶を観察すると、数μmの微細な包有物が無数に見られます。
これは、変形構造との関係から、最深部の変形に伴って橄欖石に取り込まれたことは明白です。
これを顕微ラマン分光という方法で分析した結果、蛇紋石という鉱物が含まれていることが判明しました。
微細包有物は、水に富んだ流体包有物が変成作用によって変化したもの(仮像)、と解釈できます。
すなわち、東赤石岩体の最深部の変形が水に満ちた状況で起こったことを示す証拠になります。
この観察は、大変重要な意味を持っています。
私達に身近な水という物質は、沈み込み帯マントル内において、例えば岩石の融点を下げて玄武岩質マグマを発生させたり、岩石の粘性を下げてマントル流動を促進したりして、地質現象に重要な役割を果たすことが知られています。
そのため、地質学の世界には「沈み込み帯深部では水があふれた状況でマントル物質が変形している」という漠然とした認識がありました。
しかし、不思議なことに、天然の橄欖岩体からは、マントルの変形と水の関係を明確に示す証拠が見つかっていませんでした。
科学の問題は、シミュレーションなどの推察的な手法だけでは解決できません。
やはり、真実を知るためには、また、理論を組み立てるには、実物を具体的に解析し、天然の実験結果を確認することが重要になります。
東赤石岩体の歴史において、最深部で水が変形に関与したことを証明する上のデータは、東赤石岩体が持つ「沈み込み帯マントルのモデルケース」としての価値を高めることになりました。
ここから、橄欖岩に水が寄与した結果として、実際に地球で何が起こったのか、を読み解くことができると思います。

なお、北側斜面は、先に述べたように、「五良津岩体」と呼ばれ、角閃岩やエクロジャイトなど、高圧下で生成した変成岩が見られます。
嶺北(旧土居町側)にはクロム鉄鉱、ダン橄欖岩を採掘した赤石鉱山が1980年ごろまで存在し、登山道は、土居町河又(こうまた)を南進し、五良津(いらづ)林道終点からこの赤石鉱山を経由するルートが一般的でした。
現在では五良津林道の水害による荒廃の一方、嶺南(旧別子山村側)は道路整備が進んだため、同村筏津(いかだづ)、瀬場(せば)からのルートや、同村床鍋(とこなべ)から権現越経由のルートが一般的です。
なお、嶺北からは、土居町河又または五良津林道終点から五良津尾根の送電線保線路を利用し、権現越に至るルートもあり、それぞれ3~4時間ほどかかります。
山頂一帯はゴヨウマツ、ツガ、クロべなどの針葉樹が多く、峻険な岩峰と相まって特異な山容を呈しています。
かつては茂っていたであろう落葉樹は、300年近く続いた別子銅山の影響か、今ではすっかり姿を消しています。
そして、東赤石山のもう一つの魅力は多彩な高山植物にあります。
その種類の多さは四国随一です。
ゴゼンタチバナ、キバナノコマノツメ、タカネバラ、そして東赤石固有のオトメシャジンなどが、花季には岩礫地に咲き乱れています。
山頂からは赤石山系の山々や瀬戸内海などの展望が開けており、約20分下ると赤石山荘があります。


「東赤石山橄欖岩体」の露頭です。
赤石の名は、東赤石山を形成する橄欖岩に含まれる鉄分が酸化して、岩が赤く見えることに由来しているそうです。
この橄欖岩はやや風化が進んでいるようです。

 
別子銅山の鉱床もみられます。
この鉱床は、変成岩(三波川変成帯)中に現れる層状含銅硫化鉄鉱床です。
これは海底火山などの活動にもたらされた熱水鉱床の一種と考えられ、海洋プレートと共に日本列島へ潜り込む際に日本列島に付加されたものです。
別子銅山では、純度の高い黄銅鉱・黄鉄鉱が産出されました。
スポンサーサイト
最新記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
カウンター
検索フォーム
QRコード
QR