ベトナムの「クチトンネル」

現在では、ベトナムの観光地にもなっている「クチトンネル」があります。

ホーチミン市から北西約70kmに位置する「クチ県」は、ベトナム戦争を語る上で欠かせない場所です。
約20年もの歳月をかけて掘られた全長約250kmにも及ぶ「クチトンネル」は一部が開放されており見学できます。
この「クチトンネル」は、ベトナム戦争中に、南ベトナム解放民族戦線によってゲリラ戦の根拠地として作られ、ここよりカンボジアとの国境付近までトンネルが張り巡らされています。
戦時中には、南ベトナム解放民族戦線の兵士たちは様々な工夫をして、狭いトンネル内に身を潜めて暮らしていました。
現在では観光地化して、当時の生活の様子や戦争中に使われた罠の数々が、戦争史跡公園として残されています。
「クチトンネル」は、ベトナム戦争中、アメリカ軍を苦しめたゲリラ戦の基地となったトンネルです。
このトンネルは最初は1階建てであったのですが、アメリカ軍の猛攻に耐えるために次第に奥深くなり、最後には3階建てになっているそうです。
全長約250kmといったら愛媛県の端から端までと同じ距離です。
このトンネルの規模は、当時でもアメリカ軍の予想を遙かに超えていたと思います。
ゲリラは、昼間はトンネルに潜んで、アメリカ軍の隙をついて攻撃し、アメリカ軍が帰った夕方からは田んぼや畑に行く生活をしていたそうです。
このため、食料を確保できたので、アメリカ軍はついにお手上げとなったそうです。

ベトナムには暗い歴史があります。
日本が明治維新を起こしている時代、東アジアが西欧列強に揺さぶられていた時代に、ベトナムは阮朝という統一国家を形成していました。
しかし、元々中国色の強い北ベトナムと、チャンパ王国という古代から続く南ベトナムを無理矢理統一した形だったために、西欧列強の中のフランスに、反乱・内乱・お家騒動の間隙を突かれ、植民地化されてしまったところから始まります。
そして、第二次大戦末期には、フランス兵を下した大日本帝国軍がベトナムの実権を握り、今度はベトナム帝国という日本の傀儡政権( かいらんせいけん 名目上には独立しているが、実態では事実上の支配者である外部の政権・国家によって管理・統制・指揮されている政権) が誕生してしまいます。
しかし、半年もすると日本は第二次大戦に敗れ、ベトナムは無政府状態となります。
このとき、フランスに支配されていたカンボジア、ラオスとともにベトナムも独立を宣言します。
ところが、第二次大戦終戦後フランスがベトナムに復帰し、南ベトナムに傀儡政権を樹立させ、北部の独立したベトナム民主共和国と交戦状態に入っていきます。
フランスはアメリカに援助を受け、ベトナム民主共和国はその大戦力に対し、ゲリラ戦で対抗し、見事にフランスを下しました。
これが1954年のことですが、その頃にはアメリカとソビエトの対立構造が出来上がっており、ベトナムもその冷戦に深く巻き込まれている状態でした。
フランスからの支配から解放することに成功したベトナム民主共和国でしたが、アメリカの工作によりフランスがいなくなったはずの南部にまたもアメリカ傀儡政権と呼べるベトナム共和国(南ベトナム)が誕生し、とうとうアメリカ本体が出てくる戦いへと突入していきました。
「クチトンネル」は、その南ベトナム解放戦線の代表的な戦闘方法、ゲリラ戦の代表的な戦術施設です。
南部ベトナムのホーチミンにあると言うことは、正に南ベトナムの首根っこを掴む位置にあります。
現在ツアーで洞窟内に入ると、やたら危なそうな、昔の忍者屋敷にありそうな罠が多数見学出来るそうです。
この洞窟内を走り回り、アメリカ軍を翻弄し、侵入してくるアメリカ軍をこの罠で牽制していたことになります。
近代的な重装備のアメリカ兵に対し、この忍者が使うような罠で対抗し、そして、最終的にはそのアメリカ軍を撤退へ追い込んだというのがスゴイことです。
しかし、内情は苦しかったらしく、アメリカ軍の攻撃の次に亡くなる人が多かったのが、マラリアなどによる病気だったそうです。
また、空気の欠乏、そして何より食料の欠乏など、ゲリラ戦も生死をかけた戦いだったと思います。
洞窟で思い出すのが、硫黄島でのアメリカ軍の火攻め水攻めです。
トンネルというのは、両方から攻めたらどうしても逃げられません。
硫黄島では逃げられなかったものが、この「クチトンネル」で逃げられたのは、トンネルの長さが半端でないくらい長かったことによるものだと思います。

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インドシナ戦争とベトナム戦争の間、このベトナムのクチにある巨大な迷路は重要な役割を果たしました。
近年、「クチトンネル」は人気の観光スポットとなっています。
旅行者は非常に狭苦しい空間を通り、致命傷を与えるブービートラップを見たり、テト攻勢が計画された地下司令部を見ることができます。
トンネルのサイズは大柄な旅行者に合わせて作り直されたものなど、いくつかのサイズが存在します。

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写真上は、最も大きい通路ですが、立って歩けるので作り直されたものでしょう。
下右の写真は出入り口ですが、それにしても小さく、アメリカ兵では出入りできないと思います。












トンネルの出入り口です。
この上に枯れ葉や木の葉を乗せていたので、近くを歩いていても出入口を見つけることができないそうです。




















地下トンネルの内部です。
これは最も大きな通路です。
大きな通路でも、中腰で歩ける程度です。
小さい通路は、這って行かねばならないので通行困難です。
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