原発の再稼動についての疑問①

日本では、安倍さんの「日本の原発は世界一安全」という旗の下に、原発再稼動に向かって進もうとしています。

日本政府の言うには、「世界で一番厳しい規制基準」だそうです。
そして、平和ボケしている日本国民は、福島で事故が起きたとはいえ、それでも日本の原発は海外の原発に比べればはるかに安全だと思っている人も多いはずです。
私は、たとえどんなに安全だと感じられる原発であっても、すべて廃炉にすべきだと思っている一人です。
その理由としては、原子炉に向かってくる災害に対しては無力だからです。
それは地震や津波だけでなく、テロもあるし飛行機事故だってあります。

ただし、そのような災害が「100パーセントない」と仮定して、果たして日本の原発を再稼動していいものか検証してみました。
安全な原子炉として、絶対に必要なものは、
①原子炉の耐用年数
②免震重要棟
③ベントフィルター
④コアキャッチャー

だと思います。

(1)原子炉の耐用年数
まず原子炉の耐用年数ですが、2006年の資料では、日本では、原子力、水力、火力発電所のいずれも耐用年数を規定するものはないそうです。
原子力発電所を構成する機械装置類の適切な補修、交換等と法律により義務付けられている定期検査等に合格することにより、半永久的に運転を継続することが可能とまであります。
でも、それと同時に、「2003年10月の制度改正に伴い、運転開始後30年を経過する原子力発電所は、運転年数が長期間経過していることから、設備の経年劣化に関する技術的な評価、保全計画等を策定して、10年を超えない期間ごとに再評価を行うことが法令上義務付けられている」とあります。
つまり、まわりくどい言い方ですが、「原子炉の耐用年数は30年」と決めています。

法政大学の宮野廣さんの「原子炉の寿命」問題(その4:運転継続への提言)の中では、新たな原子力安全規制としての原子力発電所(プラント)の寿命として、
・30年の供用期間
・30年目を迎える前に、高経年技術評価では、60年の視野で健全性評価を行い、10年の延長
・40年目を迎える前に、・・・同様の評価と更なる10年の延長
・50年目・・・
・継続して評価
とあり、なんとも甘い見解になっています。
こんな見解だと、原子炉の耐用年数なんてないに等しいのですが、では当初で廃炉の予定だった30年以上稼働の原子炉はどれだけあるのでしょう。
・敦賀発電所 1号基 1970年運転開始 44年経過 沸騰水型原子炉
・美浜発電所 1号基 1970年運転開始 44年経過 加圧水型原子炉
・福島第一原子力発電所 1号基 1971年運転開始 43年経過 沸騰水型原子炉
・美浜発電所 2号基 1972年運転開始 42年経過 加圧水型原子炉
・福島第一原子力発電所 2号基 1974年運転開始 40年経過 沸騰水型原子炉
・高浜発電所 1号基 1974年運転開始 40年経過 加圧水型原子炉
・島根原子力発電所 1号基 1974年運転開始 40年経過 沸騰水型原子炉
・高浜発電所 2号基 1975年運転開始 39年経過 加圧水型原子炉
・玄海原子力発電所 1号基 1975年運転開始 39年経過 加圧水型原子炉
・福島第一原子力発電所 3号基 1976年運転開始 38年経過 沸騰水型原子炉
・美浜発電所 3号基 1976年運転開始 38年経過 加圧水型原子炉
・伊方発電所 1号基 1977年運転開始 37年経過 加圧水型原子炉
・福島第一原子力発電所 4号基 1978年運転開始 36年経過 沸騰水型原子炉
・福島第一原子力発電所 5号基 1978年運転開始 36年経過 沸騰水型原子炉
・東海第二発電所 1号基 1978年運転開始 36年経過 沸騰水型原子炉
・福島第一原子力発電所 6 1979年運転開始 35年経過 沸騰水型原子炉
・大飯発電所 1号基 1979年運転開始 35年経過 加圧水型原子炉
・大飯発電所 2号基 1979年運転開始 35年経過 加圧水型原子炉
・玄海原子力発電所 2号基 1981年運転開始 33年経過 加圧水型原子炉
・福島第二原子力発電所 1号基 1982年運転開始 32年経過 沸騰水型原子炉
・伊方発電所 2号基 1982年運転開始 32年経過 加圧水型原子炉
こんなにもあります。
全部で50基の中で、実に21基もあります。

京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんによると、原子力発電所の場合には絶対に交換できない部品があるそうです。
これは、原子炉圧力容器と呼んでいる、原子炉の本体というか圧力鍋は、猛烈な放射能の塊で、大きいものでは1000トンもあるような超重たいものなので、当然交換はできません。
これは鋼鉄でできているそうですが、金属は普通は延性ですが、温度をどんどん冷たくしていくと、ある温度より冷たくなると脆性になるそうです。
その金属が中性子を浴びていると、脆性になる温度がどんどんどんどん高くなってくるそうです。
そして、運転をすればするだけ脆くなる温度が常温に近づいてくるそうです。
当初は、30年か40年中性子に浴びせ続ければ、普通の温度で鋼鉄がガラスのような性質になってしまうだろうと予測を立てて原子力発電所の寿命は30年から40年だとしたとのことです。
これが真実ならば、いくら評価をしたところで、最長に稼動しても40年ということになります。
事故があった福島第1原発の1号機は事故の年の3月26日に設計寿命の40年を迎えています。
しかし東電は前年の3月に、1号機は最長60年まで現状維持で使えるという技術評価書を国に提出し、経産省の原子力安全・保安院が事故の年の2月7日に、今後10年間の運転継続を認可したばかりでした。
実に、認可してから1ヶ月後に事故があったことになります。
この技術評価の責任者は、NHKでおなじみになった御用学者、東大の教授の関村直人さんです。
評価書の内容をよく読むと「高経年化対策上、着目すべき経年劣化現象が抽出されている」とか「耐震安全性を満足しない結果」などと書かれてはいますが、結局は、「60年まで使っても大丈夫」と「お墨付き」を与えています。
原子炉を設計した設計技師の話では、「そもそも、設計上の耐用年数は40年です。それだって、あくまで設計上の話で、配管などが経年劣化でボロボロになってくるから、実際に40年も持つのか分からない。ところが、70年代に造られた原発の耐用年数が近づいてくると、国と東電は60年まで使えるという見解を打ち出した。原発の経年劣化が明らかなのに、運用基準を延ばすなんて、技術者からすれば信じられない話です」と述べています。
こんな古い原子炉は、当然廃炉にすべきなのは言うまでもありません。

そして、福島の原子炉には重大な欠陥があったそうです。
沸騰水型原子炉は、「マークⅠ型」とも呼ばれており、経済性を優先するあまりに小型に造ったため、冷却システムなどに余裕がなく、地震や大規模停電になると爆発しやすいという欠陥があることが、爆発事故を起こした原子炉の設計にかかわった日米の元技術者がそろって証言を始めています。
アメリカを代表する原子炉メーカーであるゼネラル・エレクトリック(GE)の元エンジニア、デール・ブライデンボーさんのインタビューでは、「福島原発の事故は私たちが想定したシナリオよりもはるかに悪い。このままだと、何千もの命が失われる可能性がある。それが怖くてたまらない」と言っています。
このブライデンボーさんは、福島第一原発の1~5号機で使われている「マークⅠ型」原子炉の原設計をした人物です。
1号機の建造が始まった1960年代は、日本はまだ自力で商業用原子炉を造っていなかったのでGE頼りでした。
このあとの2号機はGEと東芝が共同で建設し、3、4号機になってようやく東芝や日立製作所が主体で造りました。
そして、炉心損傷を起こしている1~3号機はいずれも、GEの設計を基にしたものです。
ブライデンボーさんは、在職中から、この「マークⅠ型」の安全性に疑念を抱いていたそうです。
1975年に同僚2人とともにGEを退職すると、米原子力規制委員会と共同戦線を張って「マークⅠ型」の製造中止を訴えてきたたそうです。
ブライデンボーさんは、「マークIは大規模事故に耐えうるようには設計されていません。冷却システムがギリギリの容量で設計されているため、電力供給が途絶えて冷却システムが止まると、爆発を起こす危険性がある。使用済み核燃料の貯蔵プールも最新型のように自然に冷やされるタイプではないため、電気が切れるとすぐに温度が上がってしまう」と言っています。
福島でも地震で冷却システムが止まり、1、3号機はいずれも格納容器の圧力が高まりました。
使用済み核燃料の貯蔵プールの温度が上がり、消防車などで必死に水をつぎだしました。
指摘どおりです。
68年から77年まで日立製作所の関連会社「バブコック日立」に勤務し、福島第一原発4号機の圧力容器などの設計に関わった田中三彦さんは、「マークⅠが欠陥を抱えているとの米国での指摘は当時から知られていました。格納容器全体の容積が小さいため、炉心部を冷却できなくなって、圧力容器内の蒸気が格納容器に抜けると格納容器がすぐに蒸気でパンパンになってしまう。最悪の場合は格納容器が破裂してしまう心配がありました」と言っています。
田中さんは、「今回、津波による電源喪失などで炉心冷却システムがすべて動かなくなったことで、格納容器が破裂しそうになりました。1号機の格納容器が8気圧になったのがそれを物語っています。運転中の格納容器は中の気体が外へ出ないように1気圧よりもすこし低くしており、設計上も約4気圧までしか耐えられないので、ものすごく大変な事態でした」とも言っています。
東京電力は、このような事態になったことで、格納容器にある「ガス放出弁」を開けて、容器内の圧力を下げざるを得なくなりました。
そしてこの弁こそ、ブライデンボーさんが会社人生をかけてまで求めた「マークⅠ型」の安全対策の一つでした。
ブライデンボーさんは、「80年代後半、私の訴えの一部が認められ、圧力を逃すガス放出弁を取り付けることが義務づけられました」と言っています。
ガス放出弁がなければ今回、早い段階で格納容器が爆発しただろうと言われています。
ただし、皮肉にもこのガス放出弁から出た放射性物質を含む蒸気のために、原発周辺の放射線濃度が上がり、作業員らが被曝しています。
さらに、炉内で発生した水素ガスも蒸気と一緒に出て、1号機と3号機で水素爆発を起こし、建屋を吹き飛ばしました。
「マークⅠ型」の欠点はこれだけではありませんでした。
田中さんによると、「圧力容器に付属する再循環ポンプは、重さが数十トンもあるのに支えが不安定で、大地震時に再循環系の配管が壊れないかがよく問題になってきました。もし壊れると、ここから冷却材が格納容器へ噴き出し、『冷却材喪失事故』という悪夢になってしまうからです」と言っています。
再循環ポンプは、原子炉内に発生する気泡を取り除くためのもので、最新型では圧力容器内にあるそうですが、福島原発のような古い型では圧力容器の外にあります。
田中さんは、「格納容器の圧力の上がり方、水素爆発の起こり方などから推測すると、とくに1、3号機では今回、冷却材喪失事故が起きたように思えます」と言っています。
こんなにも欠陥のある原子炉で、当たり前に稼動していたとはなんとずさんなことでしょう。
東電の慢心はもちろんですが、国にたいしても怒りがこみ上げてきます。
これはまさに人災でしょう。
いろいろな人の忠告から、格納容器の欠点に気づいていたことは明らかだと思います。
でも、ガス放出弁について当初は「そんなバカな。格納容器は放射性物質が外に漏れないようにするものだ」としばらく検討していたそうです。
設置されたのは90年代に入ってからだそうです。
「マークⅠ型」のコンパクトな設計については、ロシアの専門家は、「安全性よりも経済性を優先した結果ではないか」と指摘しています。
ブライデンボーさんもCNNのインタビューで、「社員だった当時、上司にマークⅠ型の廃炉を嘆願すると、上司は『そんなことをしたら、わが社の原子炉部門だけでなく、会社自体がなくなってしまう』と聞き入れられなかった」そうです。
被災から11日後の22日に、福島原発にはやっと電源が回復し、温度計が復活しました。
1号機の圧力容器の温度が設計限界の309度を超える400度だったことがわかり、東電はあわてて炉内への注水を増やすことにしたのは周知の事実です。
しかし、注水を増やすと、それによって発生する蒸気で圧力容器内の圧力が格納容器に抜けて、再び格納容器が爆発する危険が高まることになります。
これだけとっても、小さかった格納容器という欠陥が、今も福島原発を苦しめています。
やっぱり、どう考えても、人災です。
「マークⅠ型」は、ほかにも女川原発、浜岡原発、島根原発、日本原子力発電の敦賀原発で使われています。
浜岡の1号機と2号機は09年に運転を停止していますが、敦賀1号機は70年、島根1号機は74年の運転開始だから、もう設計寿命の40年です。
女川1号機は運転開始84年で比較的新しいのですが、これまで制御棒が抜ける事故がたびたび起こっています。

②免震重要棟 ③ベントフィルター ④コアキャッチャーに続きます。
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