日本の「お城」について

日本には、どの都道府県にも「お城」があります。

(1)日本の城の種類
この「お城」は、地形によって、山城・平山城・平城・水城と、大きく4つの種類に分けられています。
①山城
険しい山の地形を生かして、山肌に築かれた天然の要塞のことです。
ただ、戦を重視しているため、交通の便が悪かったり広い領地を支配するには向いません。
南北朝時代~戦国時代初期までの主流の「お城」です。
②平山城
山城ほど急峻ではない山や丘陵に築かれた城で、丘城とも呼ばれています。
平野の中にそびえる小高い山や丘陵に築くため領地支配や街道の防衛、家臣団の屋敷や城下町の形成など、政治的(経営的)側面が出てきます。
戦国時代の終盤から多く築かれています。 
③平城
平地に築かれた城です。
山城よりも収容できる兵士数も格段に増えることより、戦乱がおさまった江戸時代初期に多く作られています。
城下町や政庁としての政治的側面が強いのが特徴です。
④水城
平城と同じですが、河川や海(湖)を天然の堀として活用して築かれています。
河川や海に面しているため海運による経済活動に適しています。
水の上に浮いている様に見えるため浮城とも呼ばれています。

(2)日本の城の移り変わり
「お城」の移り変わりとしては、鎌倉時代までは、居館を拠点にしていた武士が、南北朝時代に入ると山に砦などを連ねた臨時的な軍事施設として山城が出現し、なかには山岳寺院を戦闘時に砦として利用することもありました。
これが室町~戦国期になっていくと、平時は平野に居館、非常時に山に籠る詰めの城としての軍事施設から、戦の恒常化に伴って山麓に居館を取り込んで恒常的な軍事施設へと変わっていきました。
そして、戦国期が中盤~になっていくと戦の戦術が接近戦から鉄砲の普及に伴って集団戦へと変化します。
また小大名は淘汰され各大名の家臣団も大きくなり戦闘への動員人数も増え組織的な戦いとなります。
大軍での戦になるため兵の収容できる規模が必要となり、また見通しの利く丘陵などに城が築かれ平山城が増えていきます。
関ヶ原以降、戦乱が収まり、城が政庁としての機能が主軸となっていきました。
江戸時代となると「一国一城令」によって小城郭はほとんど破棄され、織豊時代に拡充された大規模城郭を拡充して政庁としての昨日が優先されるようになり、平城か平山城が主流となりました。

(3)日本の城の関連語録
・平城 (ひらじょう)
先に述べたように、平地に築かれた城郭のことで、水利との関係が重視され、築城にあたっては、城下町プランも含んでいます。
軍事・政治・経済の拠点として、築港なども伴っています。
本格的な平城としては、豊臣秀吉による「大坂城」が創始で、近代大名の居城として「松本城」・「名古屋城」・「大垣城」・「赤穂城」・「二条城」・「広島城」・「津城」などが平城の典型です。
・山城 (やまじろ)
山の地形を利用し、独立した山または山脈の一部に築かれた城です。
山岳城郭が全国的に見られるようになったのは、南北朝の争乱期で、籠城戦用として山に城が築かれるようになりました。
室町時代になると、比高(麓からの高さ)100~200m級の山城が、守護の居城として一般化し始めます。
戦国時代になると、居城はますます大規模になりました。
家臣集団を集中機銃させる大山城も築かれ、日常生活に必要な物資を用立てるために、城下町も出現しました。
織田信長の「岐阜城」・「安土城」は、多数の家臣団屋敷を曲輪ごとに配した典型的な大山城です。
江戸時代まで、天守や櫓などの建物が整備されていた唯一の戦国山城が、「備中松山城」です。
城下町は以後の臥牛山(がぎゅうざん)山頂には、今も二重の天守がそびえています。
その他「山中城」・「高取城」・「小谷城」・「岩国城」・「岡城」・「津和野城」等があります。
「松山城」も、二之丸から本丸までの比高でも約90mもあることから、江戸時代には山城と分類されていたようです。
・平山城(ひらやまじろ)
山城は戦闘面では強いが、領国支配をおこなう政庁として、また居住性という点で不便でした。
そこで戦国期には、丘陵の上部を利用する平山城が築城されました。
山地と平地、両方の地勢を利用した城です。
城下町に集まった領民に対し、権力誇示のために豪壮にして華美な城が造られました。
「岡山城」・「姫路城」・「熊本城」等安土・桃山時代に創設された城には平山城が多いのが特徴です。
その他「松山城」・「犬山城」・「彦根城」・「伊賀上野城」「和歌山城」・「徳島城」・「大洲城」・「宇和島城」等があります。
・丘城(おかじろ)
丘陵城郭の略称で、平山城のうち丘陵上を城地としたものを丘城とも呼んでいました。
主に戦国末期の支城クラスの城にみられ、「武蔵滝山城」・「下野佐野城」などがこれにあたります。
・麓城(ふもとじろ) (里城)
戦争状態が続く戦国時代には、豪族たちは山上の城郭に籠って敵の来襲に備えました。
しかし、それでは不便なので、それほど危険が迫っていないときには、山麓の居館に住むようになります。
その居館を麓城や里城と称しました。
・水城・海城
河川や湖、沼や湿地帯、海などを利用して縄張(設計)された城のことです。
地方の水軍に便利なうえに、水の要害でもあり、敵が侵入をしようとしても、容易ではありません。
水城のうち、海を利用したものは、海城とも言います。
水城には浮城の別名をもった城が多くみられます。
港湾を城郭の内側に取り入れ、堀を湖沼で代用したり、海水で満たします。
水城の代表的なものは、「高島城」・「高松城」・「今治城」・「中津城」・「三原城」です。
毛利氏の本城である「萩城」は山城ながら水城とも言われています。
又、水城(みずき)というものがありますが、これは、山と山との間に低地を横断して堤を築き、そこに水を蓄えて敵軍を阻止しようとするものです。
これは、大宰府の北の防備として、福岡県筑紫郡大野町に築かれており、古代の城の一種です。
・浮城(うきしろ)
自然の川や海ばかりではなく、人工の堀に囲まれた城のことも言います。
城が、幾重にも設けた人工の堀に囲まれて、人造湖に浮かんだようにみえるところから名づけられたものです。
・ふけ城
ふけ池(湿地帯)の要害として築いた城です。
城の周囲にふけ池があると、要害として有利でした。
「名古屋城」は、城の北側に低湿地帯があり、それを要害として築造されているので、ふけ城とも呼ばれています。
また同城の曲輪に「御深井丸(おふけまる)」があり、ふけ池に近い曲輪のことである。
・沼城
沼を要害として、後堅固に築いた城のことです。
・島城(しまじょう)
島そのものや、島同然の半島を城地しとしている城のことです。
村上水軍の「来島城」・「能島城(のじまじょう)」や、三浦氏が籠った「相模新井城」などがあります。
・海賊城 (かいぞくじょう)
平安末期より、水軍の根拠地となった城のことです。
海賊とは、水軍のことであり、港湾の監視が目的で、港の出入口付近の丘陵上に築かれました。
瀬戸内海では、小さな島全体が、海路を監視していた「来島城」・「能島城」などもあります。
松浦水軍の「松浦城」・北条水軍の「三崎城」・「浦賀城」九鬼水郡軍の「鳥羽城」などもこれに属します。
「能島城」は村上水軍の根拠地で、周囲を急潮が流れています。
その狭い水路で城が関所の役割を果たし、通行する船から関銭をとったそうです。
・本城 (ほんじょう)
これは、2つの意味があります。
一つは、幾つかの城群、支城、枝城、端城に対して、中心となる城のことです。
この城には、大将・主将の居城でもあり、支城や砦と異なるところは、必ず城主がいることを言います。
二つ目は、城での中心曲輪、「本丸」のことです。
江戸城では、本丸と付属する諸曲輪を総称して「本城」と呼んでいました。
・根城(ねじろ)
中世の用語では、「ねじょう」とも読みます。
根本の城の意味で、領国内に多くの城があり、全体で統一をなす場合、その中心の城のことで、本城と同意語でもあります。
根城のあて字で「子城」と書くことがあります。
「ねじろ」と読みますが、「ねじょう」と読むときは、二重あるいは三重ある城郭の中心曲輪をさしています。
太田道灌時代の江戸城に、「子城」と呼ばれている箇所があり、本丸を意味するものと思われます。
支城(しじょう) 多くの城が、同一活動をする場合、中心となる城に従い、補助的な活動をする城のことです。
本城を支えるため、一定の地域に設けられ、通常は、出城、砦、陣屋などと呼ばれます。
近世において、江戸城が天下全体の支配力をもつ幕府の本拠である「本城」とすると、全国各地の諸藩の城が「支城」ということになります。
各藩に置き換えると、藩主の居城に対して、領内の陣屋が支城的性格を持っています。
枝城(えだじろ) 支城と同じ意味の城のことです。
本城を根城と言うのに対し、支城を枝城、又は「出城」とも呼びます。
・端城(はじろ)
本城に付属した小規模な城のことです。
支城、枝城と同義語で、地域によって、「端城」と呼ばれます。
「福岡城城」には領国内に6つの端城がありました。
「若松城」・「黒崎城」・「鷹取山城」・「益富城」・「小石原城」・「麻低良城」で、6城とも、元和の一国一城令で廃城となりました。
・繋ぎの城(つなぎ)
二つの重要な地点、例えば本城と支城との間、中間において、両者の連絡を保つ役目の城のことです。
前線への兵站地ともなり、移動する兵の休憩地ともなりました。
「伝えの城」も同意語です。
本城と支城との距離があったり、事情があってふたつ以上繋ぎの城を置く場合は、繋ぎの城の中心となる城を定め、それを「繋ぎの根城」と呼んでいます。
・砦・取手(とりで)
本城付近や、領内の要所に築かれた比較的小さい城のことです。
だいたい根城から3里~6里(約12~20km)ぐらいの間隔でも設けられていました。
敵が侵入して来た場合は、そこでひと防ぎするためです。
又、敵の領地内を占領した場合、見方からは張り出した城であるというので「取手」とも言いました。
そり規模は、単郭がふたつ程度、周囲には土塁と堀ぐらいの防御施設があるにすぎないものでした。
虎口はひとつで、少人数で守りやすいように工夫されている。
・塞(さい)
敵の侵入を防ぐという意味をもつ要害のことです。
だいたい国境に設けられるので、「塞」の字は国境という意味もありました。
・境目の城(さかいめのしろ)
国境守備の目的で設けられた城のことです。
相模北条氏が、境目の城にあたる「浜居場城」あてに出した「掟書」が残されています。
内容は、草木や鳥獣を獲るな、綺麗にせよ、火の用心、賭博の禁止などで、国境に詰めた兵士達の城中の生活がうかがえて興味深いものです。
・番城(ばんじろ)
支城がいくつかある場合、、家臣を封ぜず直轄領として、交替で侍大将などを派遣して守備させる城のことです。
領内での境目の城、適地内では占領した城などです。
また、江戸時代、「駿府城」・「甲府城」は一時城番のいる番城で、「江戸城」の支城でした。
・狼煙台(のろしだい)
城郭ではないのですが、急を告げる通信として狼煙を使った場所です。
城の分身ともいえる施設で、多くは、街道に沿って2~3里(8~12km)の距離で見通しのよい峰上に築かれました。
そこには、簡単な塁を設け、守護する番士の住居と、燃料貯蔵所などを置いていました。
越後上杉氏の「春日山城」からの連絡網が有名です。
他には、甲斐武田氏・相模北条氏にもその設備かありました。
通信は、昼間は火薬を打上げて煙を、夜間には火を焚いて合図しました。
古代には狼の糞を焚いたので、煙ことを「狼煙」(のろし)と表示するようになったそうです。
色彩によって、数十種類の通信が可能でした。
武田家では100ヶ所以上設けられ、後世になって、城山などと呼ばれています。
・対の城(たいのしろ)
敵の城を攻めるにあたり、攻撃の軍の拠点として築いた城のことです。
敵を監視し、周辺を制圧する目的で設けられていました。
・向い城(むかいのしろ)
敵の城が容易に落としがたい場合、敵城の向かいに設けられる城のことです。
対の城のうちで、寄せ手の大将が駐留する城をも指し、一般の付城よりは念入りに築造されています。
小田原城攻めの際に、豊臣秀吉が築いた「石垣山城」は、対の城でもあり、向い城とも呼んでいました。
・付城(つけじろ)
敵城を攻めるにあたり、攻撃軍の拠点として築いた小城、支城です。
「対の城」よりは少し小さいものを付城と呼び、1~2郭ぐらいの規模で、土塁、堀が設けられています。
敵の戦力が強かったり、敵城が要害堅固であった場合に築かれ、城主としては、侍大将クラスが置かれました。
・陣城(じんじろ)
戦国時代には、城攻めも大規模になり、長陣とよばれる包囲戦が盛んになりました。
攻撃軍が、攻めるに都合のよい場合に臨時的に築城するするものを陣城と呼んでいました。
簡単なものは、攻城時柵を巡らしたものから、大規模なものでは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵するために肥前(佐賀県)に築いた「名護屋城」まであります。
特に秀吉は陣城を多く築いています。
「三木城」攻めには平井山に、「鳥取城」攻めには太閤ヶ平山頂に、備中(岡山県)「高松城」には竜王山に、「小田原城」攻めでは石垣山などに築いていました。
陣城は通常、戦いが終了すると廃城とされました。
・足城 (あしじろ)
一揆などが挙兵の際、その拠点として臨時に構えた城のことで、簡単に造られています。
掻きあげの城 (かきあげのしろ)
ごく簡単に造られた城で、空堀を掘り、土を掻揚げて土塁を築いたものです。
・掛城 (かけじろ)
臨時に造られた比較的簡単な城のことで、堀の土を掛けあげて、小屋をかけたように臨時的に築城された城です。
掻揚げの城と同意語ではないのですが、通常は、砦、足場、営等と呼ばれることが多いようです。
・館 (やかた)
中世において、豪族・貴族・貴人の屋敷や宿所を呼んでいます。
特に領主や上層武士の居館を指すことが多く、古くは「たち」または「たて」と呼ばれていましたが、鎌倉時代には「やかた」の呼称が用いられました。
同じ「やかた」でも、南北朝時代以降は「屋形」と書いて、守護クラスの大名の居所を呼んでいました。
中世の武家領主が居住する館は、通常要害の地に設けられ、周囲は堀や土塁で囲む、小さい城でした。
戦国時代の館跡として、越前・「一乗谷朝倉氏館跡」や甲斐・「勝沼氏館跡」は、広さ90m×60mの小さな地方豪族の館跡です。
・館城(やかたじろ)
中世豪族が、館に城郭風の防御設備を施したもので、館のような城という意味です。
屋形城(やかたじろ)
中世の末期ごろ、「屋形」の主人である守護クラスの大名が高級官職をおびると、「お屋形様」と呼ばれました。
すると居館に、公家風の様式を加味するようになり、そのような城のことを呼んでいます。
・屋敷城 (やしきじょう)
中世では、屋敷に防御設備を施したものを屋敷城と言い、近世になると、城の使用目的が住居であるものを呼んでいます。
京都の「聚楽第」・「二条城」がそれに当たります。
・根小屋 (ねごや)
戦国時代、山城の麓に置かれた城兵の居住区域や集落のことです。
根子屋、根古屋とも書かれ、主に東日本・関東に多く、西日本の「山下」(さんげ)と対比されています。
後北条氏の属城である武蔵の「八王子城」・「松山城」に、根子屋があったことが史料で確認されています。
又、根子屋の分布は、栃木県内に多く100余を数えています。
・山下 (さんげ)
中世の後期、西日本、主に中国地方で山城の麓にある武士集落を呼んでいました。
・宿城 (しゅくじょう)
平城で、武士や商人たちの居住区域を含んだ外郭のことです。
関東地方で使われた中世用語で、山城では「根子屋」に相当します。
・詰城(つめのしろ)
最後に籠る一番奥にある城のことです。
たいてい敵からは一番遠い山奥か山頂にありました。
近世では、二の丸・三の丸に対して本丸のことを言います。
また、出城に対して、根拠とする根城をいうこともります。
・将軍城 (しょうぐんじょう)
将軍の居城のことで、近世では「江戸城」を指しています。
・要害 (ようがい)
地勢が険阻で、守るに便利なところを言います。
中世初期は、平常は平地の居館に住み、戦時は要害の山に籠ったその山のことを言います。
甲斐武田氏の要害山城が好例で、江戸時代には、配下の城を要害とも称しました。
・陣屋(じんや)
これは、3つの意味があります。
一つは、将兵が宿営する臨時の舎のことで、二つ目は、近世に、城のない小大名及び交代寄合の屋敷のことです。
また、三つ目としては、幕府の郡代や代官の駐在する役所のことも言います。
・稜堡 (りょうほ)
近世の日本では、平和な時代が続き、築城技術は衰退したまし。
ヨーロッパでは、大砲の急激な発達によって稜堡式城郭が築造されつつありました。
稜(りょう)とは、角のとがった形を言い、稜堡とは大砲を活用するために作られた堡塁のことであり、日本では函館の「五稜郭」が代表的です。
・台場 (だいば)
台場とは、大砲を置く台のある場所のことで、砲台とも略称されます。
また、大砲を発射するために設けられた防塁をも指します。
幕末になると、日本近海に異国船が出没しはじめ、幕府も対外防備の必要性を感じることになり、そして、軍備に様式砲を採用し稜堡式築城にも着手し、それが台場の構造にも取り入れられた。
台場構造の重点地区として幕府は、函館・江戸湾(東京湾)・摂津海(大阪湾北部)・長崎の4地区を指定しました。
・海堡 (かいほ)
海上に築かれた要塞のことで、古くは瀬戸内海の海賊も同じ意義を持っていました。
幕末に築かれたものとして、江戸湾品川台場の第1・第2・第3・第6海堡が有名である。
・チャシ
アイヌ語で、砦・館・柵囲いのことを言います。
アイヌ人の築いた居住館のあった場所、環濠集落ではないかと考えられています。
海や湖・沼や川に近い丘陵の先の断崖に堀を掘り、その土を利用して塁が造られています。
内部からは貝塚や縦穴も発見され、城の前身である防御施設であろうという説とともに、祭祀霊域説もあります。
北海道から、東北北部・千島・樺太に存在し、北海道だけでも、100箇所以上所在しています。
・蝦夷館 (えぞたて)
東北地方の北部で、中世武士の館とは別に、古代遺跡を含む城塞で「館」(たて)と呼ばれるものがあります。
この地方に住む人々は、昔「蝦夷」(えみし)と呼ばれていたそうです。
近世になり「蝦夷」(えぞ)と訓むようになり、アイヌ族をさすようになります。
そのため、東北地方でアイヌ族が築造した城塞も、「チャシ」と呼び変えられました。
しかし、アイヌ族と「えみし」は決して同一の人々ではありません。
そこで「チャシ」とは別の「蝦夷館」の存在があるといわれるようになったそうです。
・グスク
沖縄地方では「城」を「グスク」と読みます。
「グスク」の語源には諸説があって定説はありません。
「グ」は石など、「スク」はシキ(磁城)またはソコ(底・塞)のことを指しますが、但し、グスク=城ではありません。
神を祀る拝所のなかにも「グスク」とよばれているものがあるそうです。
「グスク」は、北の奄美大島から、南は与那国島にいたる旧琉球王国の領域に分布しています。
・構え(かまえ)
本来は城の広い範囲の施設のことで、曲輪・郭と同じ意味になります。
しかし、播磨国では、地方豪族の住む館のことを、「構え」と称しました。
現在も兵庫県内には、「構え」と呼ばれる館跡がいくつか存在しています。
スポンサーサイト
最新記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
カウンター
検索フォーム
QRコード
QR