南スーダンの独立と韓国の対応

日本が、韓国軍に実弾1万発を無償で提供した場所の南スーダンについて調べてみました。

南スーダンは通称で、正式には南スーダン共和国(みなみスーダンきょうわこく)と言います。
ここは、北アフリカに位置する国家で、北にスーダン、東にエチオピア、南東にケニア、ウガンダ、南西にコンゴ民主共和国、西に中央アフリカと国境を接する内陸国です。
2011年7月8日までは、スーダン領でありながら南部スーダン自治政府の統治下にありました。
これは、2005年1月9日にケニアのナイバシャで結ばれた第二次スーダン内戦の包括的な暫定和平合意により、スーダン政府から自治を認められたためです。
2011年7月9日に、スーダンから分離独立し、「世界で最も新しい国」と言われていますが、独立までには、半世紀以上の闘争の歴史があります。

かつて南部の黒人達は、アラブ系やダルフール及びバハル・アル・ガザールなどの奴隷商人によって奴隷売買されていました。
1821年には、スーダンの北部はエジプトが、南部は1877年にイギリスが占領していました。
1898年にイギリスとエジプトによる共同統治(英埃領スーダン)が始まっています。
南部を支配していたイギリスはその南部のウガンダとの統合を望んだのですが、1947年のジュバ会議での合意により南北スーダンの統合が決められました。

1956年のスーダン独立後、政治の主導権を握ったのは、北部のアラブ系イスラム教徒でした。
この時、イスラム支配の拡大を恐れた南部では、早くも分離独立を目指す武力抗争が起こりました。
これが第一次内戦の勃発です。
1972年、南部の自治権を認めた「アディスアベバ和平合意」によって、一時は停戦に至りましたが、1983年にモハメド・アン=ヌメイリ政権が南部の自治権や将来の分離独立の住民投票を取り止め、イスラム法シャリーアを導入してイスラム勢力の取り込みを図り、また石油資源の独占を図り、南部の3つの州をそれぞれ分割しました。
この事実上の和平合意破棄に、南部の黒人キリスト教徒が反発し、南部最大の民族であるディンカ人の出身のジョン・ガラン大佐を中心としたスーダン人民解放軍が北部の政権に対して反乱を起こし内戦が再燃しました。
これが第二次内戦で、2005年まで続いています。
この内戦では、約200万人の死者、約400万人の避難民・難民を出しています。
「忘れられた戦争」と呼ばれた長期の内戦に収束の兆しが見えたのは、今世紀に入ってからです。
欧米諸国や周辺アフリカ諸国の「テロ支援国家スーダン」への圧力が強まり、政府はイスラム原理主義に基づく強権支配を緩和せざるを得なくなりました。
そして2005年、北部の連立政権を担う国民会議党(NCP)とスーダン人民解放運動(SPLM)の間で「南北包括和平合意(CPA)」が結ばれ、国連スーダン・ミッション(UNMIS)の監視下での暫定自治期間を経た後、南部自治政権の独立が認められることになりました。
これによって、アフリカ最長の内戦が終わり、南スーダン共和国独立への道筋が整えられました。

2010年1月20日、スーダンのバシール大統領は、南部スーダンの大統領サルバ・キール・マヤルディさんも出席したヤンビオで開催の南北の内戦終結5周年を祝う式典にて、「住民が選択(分離独立を)した場合にはスーダン政府は南部の独立を承認する」と発言しました。
そして、2011年1月に独立を問う住民投票が行われ、98%を超える圧倒的多数の支持で独立が決まり、2011年7月9日に、スーダン共和国の南部10州が、アフリカ大陸54番目の国家として分離独立しました。
これは、2006年のモンテネグロに続く、193カ国目の国連加盟国です。
首都は、白ナイル川河畔のジュバです。
面積は約64万平方キロメートルで、日本のおよそ1.7倍もあります。
人口は約830万人で、ディンカ人、ヌエル人、ザンテ人など、60以上といわれる民族集団からなっています。
アラブ系イスラム教徒が多数を占める北のスーダンに対して、ナイル語系(ナイロート)キリスト教徒及び土着の民族宗教を信仰する黒人が多いのが特徴です。
初代大統領は、スーダン人民解放軍の幹部サルバ・キール・マヤルディさんになりました。
しかし、新生国家のかじ取りには、当時から様々な課題が山積していました。
北のスーダンとは、
①国境に広がる油田地帯(アビエイ)の帰属
②石油権益の分配
③ナイル川の取水権

などが未解決で、とりわけ国内に豊富な石油資源は紛争再燃の火だねにもなりかねません。
内政では、難民の帰還受け入れ、農地の復興、インフラ整備の拡充、医療・教育の向上などが急務とされています。

こんな中、2013年12月14日に、2013年7月に解任されたマシャール副大統領派によるクーデター未遂事件が発生しました。
失敗に終わったとされていますが、その後も戦闘は継続しています。
戦闘の背景には、キール大統領が属するディンカ族とマシャール前副大統領のヌエル族との民族対立があるそうです。
現在では、停戦が合意したとか、停戦間近とかの報道がありますが、日本にいる私たちには詳しくはわかりません。

日本の自衛隊は、何故南スーダンに行ったのでしょう。
40年以上に及ぶ内戦の影響で、日本の約1.7倍の広さがある国土全域で開発がほとんどされてなくて、保健、教育、水供給などの基本的な社会サービスや、電力、道路などの基礎的なインフラが決定的に不足しているそうで、インフラ整備やガバナンス能力強化が目的だそうです。

なにはともあれ、現在の状態を見ると紛争当事国と言ってもいい状態です。
南スーダンに展開中の陸上自衛隊が、韓国軍に対し小銃の銃弾1万発(約80万円相当)を無償で提供したのは、「武器輸出三原則」に違反しています。
このことは、12月24日の夕方に、南スーダンの首都ジュバに派遣されている陸自施設部隊長と防衛相の小野寺五典さんのテレビ会議が行われていました。
小野寺さん「先週、ジュバでも銃撃事案が発生した。ボルではかなり緊張が高まっていると承知している。宿営地を包囲された韓国隊に銃弾1万発を提供したが、これは韓国隊と、避難民の生命を守る上で緊急的な人道的措置ということで判断した」
部隊長「21日22時45分ごろ、韓国隊の部隊長より直接電話があった。『現在、ボルの活動拠点内には1万5千名の避難民がいる。ボルを守る部隊は韓国隊のみで周りは敵だらけだ。現在、銃弾が不足している。1万発の銃弾を貸してくれないか』という差し迫った要請があった。銃弾を韓国隊に引き渡した際、韓国部隊指揮官からのお礼の電話を昨日16時50分にいただいた。『たった今、空港で銃弾を受領した。ありがとうございます。この銃弾はボルの宿営地と避難民を守るために使う。改めて日本隊の協力に感謝する。この銃弾は日本隊と韓国隊の強い絆の象徴だと考えている。ジュバを訪れることができたら、改めて感謝の気持ちを伝えたい』。このようなお礼の電話をいただいた」

しかし、韓国外務省報道官は全く異なる見解を表明しました。
「追加の防護力を確保するため、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に支援を要請し、UNMISSを通じて支援を受けたと承知している」と日本には直接要請をしていないと言い始めました。

これに、官房長官の菅義偉さんは、12月25日の記者会見で、在日韓国大使館から外務省に連絡があり、韓国政府としての要請と確認したことを明かしました。

ちなみに、韓国軍の現地部隊は兵士1人当たりの銃弾が15発だったそうですが、韓国国防省は「予備量を確保するため臨時で借りた。不足していない」と強弁しました。
韓国軍の現地部隊が切迫した様子で要請し、謝意まで示したというのに、「不足していない」とは理解に苦しむとのことです。
さらに、韓国国防省は12月27日、日本が提供した銃弾について、韓国から現地に追加物資が届いたら、国連に返却する方針を明らかにしたそうです。
これに菅さんは、「国連と韓国の要請を受け、政府は人道的、緊急的措置として徹夜で応えた」と不快感を表明しました。
さらに「危機的状況で緊迫しているとの韓国の要請があった。極めて難しい問題があったが、極めて大事な隣国なので協力した」とのことです。
日本政府が国内の批判を覚悟してまで、「緊急事態」に陥った韓国軍に手を差し伸べたにもかかわらず、韓国政府からいまだに謝意もないとのことです。
韓国メディアは安倍さんが掲げる「積極的平和主義」のアピールだと決めつけています。
韓国の朴槿恵(パク・クネ)政権は国内世論向けに日本との近さを隠す向きがあるそうです。
9月のロシア・サンクトペテルブルクで行われた20カ国・地域(G20)首脳会合の場でもそうでした。
朴大統領は安倍さんと握手して会話をしているのですが、韓国側の要請で握手した事実は伏せられたそうです。
安倍政権は、歴史認識を持ち出し首脳会談を拒み続ける朴政権に対し、「対話のドアは常に開いている」と首脳会談の重要性を説いてはいます。
中国も含めて課題があるからこそ、条件を付けずに首脳同士が会談することを呼びかけているそうですが、なかなか応じようとしないのが現状です。
国際社会には、どちらの姿勢がまともな国に映るかと論評しています。

なかなか難しい問題です。
韓国側に何かの意図があったのは事実だと思います。
ただ、日本には「武器輸出三原則」がありますし、たった80万円のために、国民世論に逆らうのもどうかとは思います。
そして、「靖国参拝」は、この韓国のこのような態度に腹をたてたと思わざるを得ません。
私は、「靖国参拝」は総理大臣しとて、戦没者の前で手を合わすのは当然だと思っている一人ですが、靖国には、極東国際軍事裁判(東京裁判)で重大戦争犯罪人として起訴されたA級戦犯28人のうち、東条英機元首相ら14人が合祀されているのには納得ができません。
但し、A級戦犯の分祀や廃祀がもし行われたとしても、それで問題が解決するかといえば、それはわからないと思います。
靖国にはBC級戦犯の英霊も祀られており、今の韓国や中国なら今度はそちらが攻撃対象になる可能性も十分あると思います。
これもすべて、韓国や中国の教育の仕方の間違いからくるものでしょうか?
なかなか難しい問題です。 


南スーダンの位置を示しました。
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