中国の自治区の歴史と現状

中国の首都北京の天安門で、10月28日、広場北側の通りを走行する車が歩行者に突っ込んだ後に炎上し、5人が死亡、多数の負傷者が出ました。
この事件は、新疆ウイグル自治区出身の2人が起こしたことみたいですが、背景には自治区への侵略と弾圧の歴史を思い起こさせます。

中国は、23省(台湾を含む)・5自治区・4直轄市・2特別行政区に分けられ、計34の一級行政区が存在しています。
この中で、5自治区とは、
①広西チワン族自治区
②内モンゴル自治区
③寧夏回族自治区
④新疆ウイグル自治区
⑤チベット自治区
です。
自治区とは、元々は独立国だったのに、中国人民解放軍で侵略して併合した属国との扱いだと思います。
でも、植民地に近いような扱いも受けているところもあります。
1950年頃に、人民解放軍が侵攻して統治したのですが、この頃を含めて各自治区の歴史を調べてみました。

(1)広西チワン族自治区
広西チワン族自治区(こうせいチワンぞくじちく、チワン語:Gvangjsih Bouxcuengh Swcigih)は、中国南部の自治区です。
中国最大の少数民族チワン族の原住地で、隣の広東省と併せて「両広」と言われることもあります。
首府は南寧市です。
この広西チワン族自治区は、約5万年前の旧石器時代は柳江人、白蓮洞人の活動地域でした。
史書の中では、古くは百越あるいは百粤の名称で登場しています。
チワン族は、古代の百越の西甌及び雒越支系の末裔であると考えられ、広西に最も古くから居住していた民族です。
紀元前221年に、中国統一を達成した秦朝は、広西に桂林郡及び南海郡、象郡(後者2郡は一部)を設置しています。
宋代になると広南東路及び広南西路が設置され、現在の広西全域及び雷州半島及び海南島を管轄しました。
元末になると広西行中書省が設置され、ここで「広西」の名称が使用されて以降中国初期に至るまで広西省の名称が使用されました。
中華民国時代は新桂系軍閥の勢力下に於かれていました。
1949年12月11日、中国共産党により「解放」され、1958年3月5日、広西チワン族自治区に改編されました。
行政区域は14の地級市からなっています。
南寧市、柳州市、桂林市、梧州市、北海市、防城港市、欽州市、貴港市、玉林市、百色市、賀州市、河池市、来賓市、崇左市です。

(2)内モンゴル自治区
内モンゴル自治区(うちモンゴルじちく、中: 内蒙古自治区,英: Inner Mongolia Autonomous Region)は、中国が1947年にモンゴルの南部に設置した省級の自治体です。
中国領土の北沿に位置する自治区で、モンゴル語での名称は日本語に直訳すると「南モンゴル自治区」となります。
①モンゴル帝国以前
50万年前から20万年前ごろの原人の化石が見つかっています。
紀元前4700年から紀元前2900年にかけては紅山文化が燕山山脈の北方に栄え、紀元前20世紀ごろにはオルドス人が住みつき始め、春秋戦国時代には趙・燕と匈奴との間で抗争が繰り広げられたそうです。
②モンゴル帝国
1206年に建国した大モンゴル国(後に大モンゴル帝国)のチンギス・ハーンの弟ジョチ・カサルの領地となり、のちにはその子孫が支配しています。
1368年にモンゴル人が作った元が漢民族の明によって滅び、帰還したモンゴル人が、西部のオイラート・モンゴル(現在のカザフスタンや中央アジア)、ハルハ・モンゴル(現在のモンゴル国)、内モンゴルに大きく三つに分けられ、互いに権力争いを続けています。
そうした中、1646年、満州の女真人が内モンゴルと手を結び、明を倒し、清の時代が始まります。
③清朝による征服
1688年、モンゴル西部オイラート・モンゴルが作ったジュンガル王国のガルダン・ハーンが対ハルハ戦争を行い、成功しましたが、ハルハ・モンゴルの貴族が逃げ、1691年に清の支配を認めます。
ガルダン・ハーンがハルハ戦時中に、甥のツェウェーン・ラウダンに王位を奪われ、後ろからの援助が止まります。
1694年、事実上、最後の統一したモンゴルの王ガルダンが現在のモンゴルの中心部(現在のウランバートルのあたり)で清、ハルハ・モンゴル、内モンゴル軍の連合軍と死ぬか生きるかの戦いに出たのですが、圧倒的に強い連合軍に破れ、大敗します。
その後、半世紀にわたり、1755年、ハルハ・モンゴルと内モンゴルの手を借りた清がジュンガル王国を倒し1755年モンゴルが独立を失います。
④辛亥革命後
蒙古聯合自治政府主席徳王1911年、中国では辛亥革命後中華民国が成立するとともに、モンゴルが独立を宣言し、内モンゴルも合併を申し出ています。
1913年にモンゴル軍が内モンゴル解放戦争をはじめ、ほぼ全域から中華民国軍を追放しました。
しかし、帝政ロシアの介入で、この解放戦争は失敗に終わります。
1915年6月7日、モンゴルの国境にあるキャフタで露・蒙・華三国の間でキャフタ協定が結ばれ、中華民国北京政府は内モンゴルと外モンゴルを自治区としました(ただし外モンゴルは広範な自治権を獲得した)。
その後、内モンゴルでは、中国に進出していた日本の関東軍の援助で、清朝皇帝愛新覚羅溥儀を元首として建国された満州国と、チャハル部出身のデムチュクドンロブ(徳王)によって1939年張家口に蒙古聯合自治政府が成立しました。
1945年8月、ソビエト連邦軍(赤軍)の侵攻に、満州国と蒙古連合自治政府は崩壊しました。
⑤内モンゴル自治区の成立
ウランフ中国共産党の影響下で、蒙古自治邦政府(1941年蒙古聯合自治政府が改称、戦後解散)に対し抵抗運動を指揮したモンゴル族のウランフ(烏蘭夫)が、1947年に内モンゴル自治区の成立を宣言し、内モンゴル自治区人民政府が成立しました。
これが現在の内モンゴル自治区の起源で、中国の自治区としては最も早い成立です。
徳王は内モンゴルを追われ、外モンゴル(モンゴル人民共和国)へ逃亡を図り、逮捕されています。
外モンゴルは独立の道を歩んだのですが、内モンゴルは中国共産党の影響があったとはいえ、同じモンゴル族同士の運動と対立の結果自治区となりました。
その後ウランフは文化大革命の勃発により失脚し、1966年から内モンゴル人民革命党粛清事件によってモンゴル人数十万人が粛清されました。
1967年フフホトに革命委員会が成立し、中ソ対立の軍事的緊張下におかれました。
1969年には内モンゴル生産建設兵団が設置され、1970年には行政区画の大幅な変更が行われました。
これによって内モンゴル東部は東北三省に、西部は寧夏、甘粛に分割されましたが、1979年に復旧しました。
現在では、モンゴル自由連盟党や内モンゴル人民党などが内モンゴル独立運動を行っていますが、南モンゴル民主連盟(en)代表のハダが拘束されるなど、モンゴル民族の運動は徹底的に取り締まられています。
中国のレアアースは、ほとんどが内モンゴル自治区なので、今後の独立は到底無理でしょう。
内モンゴル自治区は、9地級市(地区クラスの市)、3盟を管轄しています。
下級行政区単位としては21市区、11県級市(県クラスの市)、17県、49旗、3自治旗があります。
9地級市と3盟は、フフホト市、包頭市、烏海市、赤峰市、通遼市、オルドス市、フルンボイル市、バヤンノール市、ウランチャブ市、シリンゴル盟、ヒンガン盟、アラシャ盟です。

(3)寧夏回族自治区
寧夏回族自治区(ねいかかいぞくじちく)は中国西北部に位置する自治区です。
ニンシヤホイ族自治区とも呼ばれています。
首府は銀川市です。
秦の属地・北地郡であり、漢代には朔方郡となりました。
宋代には党項民族が勢力を拡大して西夏王国を建国しました。
西夏の都は現・銀川に在り、シルクロードを押さえて強盛を誇ったのですが、蒙古に滅ぼされています。
元代に寧夏路が設置されましたが、この頃から西方民族が流入してイスラム化が進行しました。
明清代には寧夏府が設置されています。
中華民国成立後も甘粛省寧夏道とされましたが、1929年に寧夏省が新設されました。
中国成立後は甘粛省寧夏地区とされましたが、1958年に省級の寧夏回族自治区が設置され現在に至っています。
寧夏回族自治区は5地級市(地区クラスの市)を管轄しています。
5地級市は、銀川市、石嘴山市、呉忠市、固原市、中衛市です。

(4)新疆ウイグル自治区
新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく)は中国の西端にある自治区です。
ウイグル族の民族自治区であり、その領域は、一般に、東アジアの一部として定義されていますが、場合によっては中央アジアのトルキスタン地域東部(東トルキスタン)とみなされることもあるそうです。
ウイグル族のほか、漢族、カザフ族、キルギス族、モンゴル族(本来はオイラト族である)などさまざまな民族が居住する多民族地域であり、自治州、自治県など、様々なレベルの民族自治区画が置かれています。
中華民国時代には、1912年から新疆省という行政区分が置かれていました。
テュルク系民族が多いことから、伝統的にはペルシア語で「テュルク人(トルコ人)の土地」を意味するトルキスタンと呼ばれ、現在の国境を越えた幅広い地域の一角として、中央アジアの文化圏に属してきました。
その一方で、中国から西域と呼ばれたこの地域は中国との政治的・経済的な繋がりも古くから有しており、漢代と唐代には、中国の直接支配下に置かれた時期もありました。
①唐代後期から
唐代後期、ウイグル帝国の支配下に入り、9世紀、ウイグル帝国が瓦解したのちも、ウイグル人の残存勢力による支配が続きました。
13世紀、モンゴル帝国の勃興によりその支配下に組み込まれ、チャガタイとその子孫による支配が行われています。
16世紀に至り、ヤルカンド汗国が地域を統一しましたが、17世紀末にはジュンガルに征服されました。
18世紀になり、清のジュンガル征服に伴ってその支配下に入るに至り、「ムスリムの土地」を意味する「回疆」、「(新)しい(領)土」を意味する「新疆」などと清朝側から呼ばれています。
19世紀には各地で反清反乱が相継ぎ、ヤクブ・ベクの乱によって清朝の支配は崩れたが、左宗棠により再征服され、1884年に中国内地並の省制がひかれて新疆省となりました。
辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われました。
これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国が計られましたが、国共内戦後の1949年に再び共産党支配下の中国に統一され、1955年に新疆ウイグル自治区が設置されました。
②大躍進政策・文化大革命以後
しかし、直後に開始された大躍進政策とその影響による飢饉のため、中国全土で数千万人ともいわれる、大規模な死者を生み出しました。
自治区の経済及び住民生活も大打撃を受け、1962年には、中国共産党による支配に絶望した国境地帯の住民7万人以上がソ連領内に逃亡しました。
また、1966年には自治区内に文化大革命が波及し、モスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかりました。
文化大革命が終結し、言論統制の緩和がなされた1980年代には、ウイグル族住民の中で、新疆ウイグル自治区における民族自治の拡大を求める動きが見られました。
また、海外の汎トルコ主義者が独立を主張する動きも見られました。
しかし、このような動きを中国政府は厳しく取り締まっていました。
中国共産党政府はウイグル人の暮らすウイグル地区のロプノールで、1964年から1996年にかけて、地表、空中、地下で延べ46回、総爆発エネルギー20メガトンの核爆発実験を行っています。
地級市(地区クラスの市)は、ウルムチ市とカラマイ市です。
地区は、次の5地区です。
トゥルファン地区....主要都市:トゥルファン市
クムル地区....主要都市:クムル市
アクス地区....首府:アクス市
カシュガル地区....主要都市:カシュガル市、ヤルカンド県
ホータン地区....主要都市:ホータン市
自治州は、次の4自治州です。
ボルタラ・モンゴル(本来はオイラト族)自治州....州都:ボルタラ市
クズルス・キルギス自治州....州都:アルトゥシュ市
バインゴリン・モンゴル(本来はオイラト族)自治州....州都:コルラ市
昌吉回族自治州....州都:昌吉市
副省級自治州は、次の3自治州です。
イリ・カザフ自治州....州都:グルジャ市、主要都市:クイトゥン市
アルタイ地区....首府:アルタイ市
タルバガタイ地区....首府:チョチェク市
自治区直轄県級市は、石河子市、アラル市、トムシュク市、五家渠市の4市です。

(5)チベット自治区
チベット自治区(チベットじちく、西蔵、チベット語: プー・ランキョン・ジョン ワイリー方式:bod rang skyong ljongs)は、中国の西南部を占める区域自治区です。
①「西藏」の成立
中国内地に成立した政権、中国内地を征服し中国内地に本拠を置いた歴代の政権で、チベットの内部にまで直接の軍事的・行政的支配の手を延ばした政権としては、フビライ政権以降のモンゴル帝国と、雍正帝以降の清朝が存在します。
「西藏」と称する中国の行政単位の直接の起源は、1723年、雍正帝によるグシ・ハン一族の征服とそのチベット支配体制の解体に遡っています。
雍正帝は、グシ・ハン一族がチベット各地に保有していた、各地の諸侯や直轄地に対する支配権を接収し、グシ・ハン一族と麾下の青海モンゴルの各部族を青海(アムド)地方において30の「旗」に編成して理藩院の管轄下に置きました。
そして、その属領を二分してタンラ山脈(唐古拉山脈)、ディチュ河(金沙江)を結ぶ線の南側をダライラマ領に加え、この線の北側には青海地方を設けたほか、残る部分を隣接する甘粛省・四川省・雲南省などの諸省に分配し、これらの土地のチベット人諸侯に各級の土司職の称号を与え、兵部を通じて支配下に置きました。
このグシ・ハンによって1642年に寄進されたヤルンツァンポ河流域と、この分割により新たにダライラマ領に加えられた地域を併せた領域が「西藏」地方です。
②「西康地方」の成立から廃止まで
雍正帝によるチベットの行政区画は、基本的には20世紀初頭まで維持されましたが、1903年から1904年、ヤングハズバンド率いる英領インド軍の侵攻に驚いた清朝は、ダライラマや諸侯による自治に委ねてきた旧制を廃し、チベットを、中国に施行していた制度によって直接掌握することを決意します。
そして、1905年、趙爾豊ひきいる四川軍を西方に向かって進発させました。
趙爾豊軍はチベット人たちの抵抗を粉砕し、チベットを東方から次第に軍事的に制圧しながら1909年ラサに到達し、四川省の西部とダライラマ領の東部(すなわちカム地方)に「西康」、ダライラマ領に「西藏」という2つの「省」の設置に取り組もうとしました。
しかし1910年に中国の共和化を目指す辛亥革命が勃発すると、趙爾豊は本務地の四川に帰還し、そこで共和派によって殺害されました。
チベットを占領していた清朝軍は動揺し、インドに脱出していたダライ・ラマ13世は、1913年チベットに帰還し、チベットの独立を求めて清朝軍の残党に対する抵抗を指令し、中国人の占領軍はディチュ河の線まで押し戻されました。
チベット政府がチベット全域の領有を目指したのに対し、中国側では青海・甘粛で清代以来の旧状を保持したほか、中央チベットを「西藏」、趙爾豊が「西康省」を設けようとした地方を「川辺特別地区」と称し、チベット全体が中国領であると主張し続けました。
南京国民政府は、1931年、実際にはチベット政府の統治下にあるカム地方西部を含め、カム地方全域を管轄地域とする「西康省」を発足させました。
その当時、毛沢東率いる中国共産党は、蒋介石率いる国民党との内戦に勝利しています。
チベットに対しても、1949年までにアムド(青海)地方、カム地方を制圧し、この年の10月に「中華人民共和国の建国」を宣言して「中国人民政府」を発足させました。
そして1950年、「西藏和平解放」と称して人民解放軍を中央チベットに派兵し、1951年にラサを占領し、チベット全土を制圧しました。
この後、チベット動乱は常に起こっています。
この動乱は、1959年にラサに波及すると、ダライ・ラマ14世はインドへ亡命し、チベット亡命政府を樹立しました。
中国政府は「チベット政府の廃止」を宣言、西藏地方を「西藏自治区籌備委員会」の管轄下に置き、1966年、西藏自治区が発足しました。
以降、ダライ・ラマ14世のチベット亡命政府と、中国は、自治権・独立性・領域などについて、度々主張が衝突し、中国政府は、中国に批判的なチベット人を徹底して弾圧し、現在に至っています。

(6)自治区の将来は?
内モンゴル自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区は、常に中国共産党と衝突しています。
特に宗教の違いは、もともと独立国だったこともあり、当時から激しい衝突がありました。
チベット族やモンゴル族はチベット仏教を信奉し、ウイグル族はイスラム教を信奉しています。
尖閣でさえ横取りしようという国ですから、過去の歴史などは、どうにでもすりかえられると思っているのかも知れません。
ウイグル民族に対しての、中国共産党の実効支配の実態を書いている文献がありました。
私は、実際に見たわけではありませんが、天安門でのウイグル民族の行動を思うと、本当のような気がしてきます。
それは、次のようなものです。
①最初は、帝国主義の弾圧から解放するという理由で、国内に入ってきました。
そして、最初の数年間で、裕福者、学者、指導者、宗教指導者などその国のリーダー的な存在の者を最初に抹殺し、結果的に25万人を殺害し、ウイグル自治区のチカラを相対的に弱めたそうです。
②ウイグル自治区のチカラを弱めてから、土地を搾取し、漢民族に与えているそうです。
③社会的な基本的な生活を許さず、貧しい状況に追い込み、風呂なども利用できなくし、川を利用するよう強要されているそうです。
④犬とか猫などのペットを飼う事が好きな民族だったのですが、中国軍人は、その家のペットを捕まえ、家の前で虐殺したそうです。
⑤鳥を1日10匹殺すように強制して、足を政府に納めることを求めたそうです。
野蛮行為をすることにより一種の洗脳行為でしょうか。
⑥10人を一つの鍋で食事をさせ、20人を小さな部屋で寝泊まりするような生活を強要したそうです。
⑦意見を述べさせ、反対意見、主張をすると、反逆罪と確定し、6万1千人以上の人を投獄したそうです。
そして、タリム砂漠へ追放したそうで、戻った人は千人も満たないそうです。
⑧1ヶ月に250グラムの油が配給されたそうです。
8kgほどの食料も配給されるようになったそうです。
⑨ウイグル人は宗教の自由は認められてなく、母国語も禁止したそうです。
そして反対した者は投獄され、虐殺されたそうです。
⑩10代~20代の若い女性は、中国の本土につれていかれ、過酷の労働環境で働かせ、最終的は、漢民族と結婚させ、ウイグル民族の血を薄くするように仕向けているそうです。

言論の自由がない国はいけません。
でも、徐々に中国人もわかってきていると思います。
一日も早く、自治区は独立して、そして自由に喋れる国になって欲しいと思います。

名称中国語表記拼音略称略称拼音地域言語による表記首府
広西チワン族自治区广西壮族自治区Guǎngxī Zhuàngzú ZìzhìqūGuìチワン語: Gvangjish Bouxcuengh Swcigih南寧市
内モンゴル自治区内蒙古自治区Nèi Měnggǔ ZìzhìqūMěngモンゴル語: ᠦᠪᠦᠷ
ᠮᠣᠨᠭᠭᠣᠯ ᠣᠨ
ᠥᠪᠡᠷᠲᠡᠭᠡᠨ
ᠵᠠᠰᠠᠬᠤ
ᠣᠷᠤᠨ
フフホト市
寧夏回族自治区宁夏回族自治区Níngxià huízú ZìzhìqūNíng小児経: نٍ شيَا خُوِ ذُوْ ذِ جِ ثُوْ銀川市
新疆ウイグル自治区新疆维吾尔自治区Xīnjiāng Wéiwú'ěr ZìzhìqūXīnウイグル語: شىنجاڭ ئۇيغۇر ئاپتونوم رايونىウルムチ市
チベット自治区西藏自治区Xīzàng ZìzhìqūZàngチベット語: བོད་རང་སྐྱོང་ལྗོངསラサ市



一級行政区画で区分けされた地図
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