世界一暑いデスバレー

世界中で異常気象です。
これは、5月から6月にかけての大気の流れが関係していると言われており、アメリカ南西部では偏西風の蛇行が続いています。

(1)今年の異常気象
ロシアのシベリア西部の町では、6月13日が真夏日で、翌日の14日には季節はずれの雪が降ったことは、当ブログでも紹介しましたが、アメリカのデスバレーでは53.3℃の記録的猛暑が発生しました。
また、デスバレーに限らず、アメリカの広い範囲で記録的猛暑が発生しています。
つい最近でも、ニューヨーク州では5月26日に91cmの大雪が降り、ドイツを中心とするヨーロッパ各地を豪雨が襲いました。
インド北部では大洪水が続き、80年間で最も雨量の多い年となりました。
カナダのアルバータ州でも豪雨が発生し、メキシコでは5450mの火山が噴火し、住民5万人に危険が及ぶ恐れもあるそうです。

(2)デスバレーの記録
とにかく、デスバレーの53.3℃には驚きですが、ここは世界一の暑い所だそうです。
普通に考えると、赤道直下やアフリカの砂漠地帯の方が暑いと思われがちですが、1913年7月10日にデスバレーで観測された56.7℃が、地球上での史上最高気温だったと認定されています。
1913年のデスバレーは、異常気象に見舞われ、7月は5日連続で約54℃を超える猛暑が続く一方、同年1月8日には同地の観測史上最低となるマイナス10℃を記録していたそうです。
デスバレーの気温は、今年や1913年だけでなく、1960年、1998年、2005年、2007年にも、今年より高い54℃以上に達しています。

(3)雨の降らないデスバレー
デスバレーは国立公園で、カリフォルニア州とネバダ州の東部州境に沿って、カリフォルニア州ロサンゼルスから北東に約330kmの場所に位置しています。
デスバレーの全長はほぼ165kmで、シエラネバダ山脈の東に82km以内にあり、全く雨も降らず、レインシャドー砂漠という荒地に位置しているため、太平洋を抜ける湿気は、シエラネバダ山頂の上部に雨をもたらし、そのためデスバレーにはほとんど雨が降らないそうです。
デスバレーの谷底の年間降水量は、5cmだそうで全く降らないと言ってもいい数字です。
雲のない晴れた青い空が年間を通しどの季節でも見られるそうです。

(4)デスバレーの由来
デスバレーという名前は、カリフォルニアに向かって陸路を行く移民者たちの幌馬車隊が、数週間この谷で道に迷ってしまい、この谷でメンバーのうち数人が命を落としたと言われています。
その後、谷から脱出した直後、このうちの一人が「グッバイ・デスバレー(死の谷よ、さようなら)」と言ったとされており、これがデスバレーという名前の由来とされ、1849年に名付けられたそうです。

(5)デスバレーの資源
死の谷という、なんとも恐ろしい名前が付いた国立公園ですが、このデスバレーは、アメリカの国立公園の中で最大の面積があり、海抜下86mの灼熱砂漠から標高3368mの高山まで横にも縦にも広域に渡っています。
アメリカで最も暑く、最も乾燥し、最も標高が低いのがデスバレーです。
現在のデスバレー地域が国立公園として指定される以前、この地域は採鉱で栄えていました。
硼砂(ホウ酸塩鉱物)の採掘は長期間安定し、この地域に利益をもたらしています。
硼砂は石鹸や工業加工品に利用され、ガラスに混ぜると熱衝撃や化学的浸食に強いホウケイ酸ガラスとなるため、耐熱ガラスなどの原料となります。
デスバレーは1933年に国定公園と指定され、1994年に国立公園へと認定されました。

(6)デスバレーの地質
デスバレーの自然環境は長い時間をかけて形成されたものであり、複雑な地質が観察出来ます。
最も古い岩石は17億年前に形成された変成岩です。
まだ地球上に大陸が誕生する前のものです。
長い間続いた温暖な気候下でこの地域が浅瀬だったころ大量の泥や砂が堆積しました。
その後、大陸移動があり、堆積した地層は海底から地上へと隆起し、北米大陸と太平洋プレートの摩擦で火山帯が形成し、さらに地殻の東西伸張運動が起こり現在の様な地形が形成されました。
氷河期にはデスバレー全体を満たすような湖がいくつもあったらしいのですが、現在は干上がってしまっています。
公園内にはデスバレーとパナミントという二つの谷があり、いずれも数百万年前に形成された比較的新しい渓谷ですが、南北に走る山脈によって分けられています。
デスバレー中心部には断層が縦断し、せん断作用が働いている為に中央部が拡大し沈下しています。
周囲の山脈隆起と谷の沈下は同時に進行しており、パナミント山脈と向かい合うブラックマウンテンの隆起速度の方が若干速いため勾配がきつく、ブラックマウンテン沿いには扇状地が小さく谷が多いのが特徴です。

(7)デスバレーの歴史と人々
現在のデスバレー地域には紀元前8000年頃から、先住民が居住していたことが解っています。
定住を始めたのは紀元前7000年前で、狩猟採集民族であるネバーレス・スプリングと呼ばれる人々です。
当時最後の氷河期が終焉してまだ間もなく地球の温暖化がはじまったばかりなので、当時この地域にはマンリー湖やパナミント湖等の、デスバレーをほぼ埋め尽くすほどの巨大な湖が点在していました。
当時の気候は、現在よりもずいぶん涼しく、比較的温暖であり、狩猟の対象となる動物が数多く生息していました。
紀元前3000年前ごろになると、メスキート・フラットと呼ばれる人々が定住を始めます。
メスキートはその後ネバダ南部まで移動して言った事が確認されているますが、ネバーレス・スプリングに似た文化を持っていました。
西暦元年の頃になると、デスバレー一帯の沙漠化が進み、高温で乾燥してしまったこの地域にはサラトガ・スプリングと呼ばれる人々が移住してきました。
サラトガ・スプリングは、集団で狩猟を行うなど、当時の先住民族には珍しい技術を持っており、手工芸にも長けていました。
デスバレーの谷底からは、サラトガ・スプリングの人達によって作られたとされる石の工芸品が見つかっています。
西暦1000年頃になると、遊牧民のティンビシャが移住し、彼らは元々ショショニーと呼ばれ、豆や松の実を採集して定住していました。
季節が変わるごとに高地と低地の移動を繰り返し、水源を元に暮らしていたようです。
ティンビシャの子孫は、現在も公園内にあるファーニス・クリーク部落にて暮らしています。
デスバレーに白人が最初に足を踏み入れたのは、19世紀半ばに起こったゴールドラッシュがきっかけで、1849年12月、100台の荷馬車とともにカリフォルニア州へと向かっていた2組のグループが、近道をしようとして道に迷い、巨大な谷に入り込んでしまったそうです。
ベネット・アーケイン移民団と呼ばれた彼らは数週間もの間、この谷から脱出出来ず、生き残るために数頭の牛を食べ、この谷に数多く存在する泉から飲用水を確保しましたが、先に述べたように、この谷でメンバーのうち数人が命を落としたと言われています。
そして、谷から脱出した直後に、「グッバイ・デスバレー(死の谷よ、さようなら)」の言葉になります。
今年の53.3℃の記録的猛暑ですが、ジョギングで、アスファルトの上を走っていた人の靴底が溶けたとも噂されています。
でも、噂だけではないような、そんな想像を絶する気温だと思います。

DeathValley Top デスバレー国立公園
この写真だけを見ると砂漠地帯ですが、遠くに山々も見えています。
いわゆる盆地だと思いますが、サハラ砂漠などの平野部の砂漠地帯より、盆地の中の砂漠の方が気温が高くなるようです。
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