世界農業遺産の佐渡

日本には、国際連合食糧農業機関が認定する「世界農業遺産」があります。
今回は、新潟県のトキと共生する佐渡の里山を紹介します。

新潟県 トキと共生する佐渡の里山は、石川県 能登の里山里海と一緒に、2011年6月12日に先進国で初めて「世界農業遺産」の認定を受けました。
この理由として次のようなものがあります。
①豊かな生態系
佐渡はひとつの島としては珍しく、1,000m級の山々が連なる山脈をもつ島です。
山や深い森がもたらす恵みは大きく、トキが野生復帰できる豊かな生態系が維持されています。
また、トキのエサ場となる水田など佐渡の農業は、金山の歴史と深く関わることにより、生物多様性も保全されました。
②佐渡の歴史と金山
佐渡の農業と金山には歴史があります。
江戸時代初期に金山が発見された佐渡島は、江戸幕府直轄の天領となり、豊富な金銀の産出で隆盛を極めました。
江戸時代には、金や銀の採掘やそれに関わる商売を目当てに、全国各地から労働者や商人たちが、佐渡に集まり、人口は最大10万人にものぼりました。
農業や漁業で細々と生計を立てていた、日本海に浮かぶ小さな島は、まさにゴールドラッシュの状態でした。
島に流入したたくさんの人々の食をまかなうために、島民たちは山の斜面を開墾して棚田を作り、需要に応じて農産物の増産に励みました。
これらの水田に用水をくみ上げるために、金山の坑内排水技術である水上輪(すいしょうりん)が活用されました。
ここで生産された米や野菜は、供給が追いつかないほどの需要があり、生産した分だけ高値で売れました。
また、人口が多く消費が旺盛な金山では、わらじや蓑をはじめ農家でつくることができる生活物資なども売れることから、島の農家は困窮することがなく、大地主が育ちませんでした。
このため、近代化が進んできても小規模農家が多いことから農地管理に目が届き、農薬などに頼らない農業を続けることができたので、生物の多様性も保全されてきました。
こうして佐渡の農業は、島の経済を担う重要な産業となるとともに、人の手が加わった二次的自然を形成し、島の生態系を支えてきました。
このようにして金山の歴史が佐渡の農業と深く関わってきました。
③独自に発展した佐渡の伝統文化
金の積出港だった港の周辺地域はにぎわいを見せ、幕府の直轄地だった佐渡には、江戸からさまざまな物資が運ばれてきました。
運ばれてきたのは物資だけではありません。
今まで島になかった新しい知識や技術、ほかの地域の文化・芸能がもたらされました。
例えば、古くから田の神に豊作を祈る農耕儀礼「佐渡の車田植」は、全国でも佐渡と飛騨にしか残っておらず、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
それらは佐渡独自の文化と渾然一体となって発展していきます。
また、能や狂言もあります。
佐渡でも中世から能を親しんできたという資料が残されていますが、江戸時代において広がりを見せました。
かつて佐渡には200以上の能舞台があったといわれています。
現在は30余に減ったとはいえ、日本の能舞台の3分の1が佐渡に集中しているそうです。
多くの祭礼で舞われる鬼太鼓(オンデコ)は、約500年前に佐渡に伝わったとされる代表的な神事芸能です。
鬼太鼓は邪気を払い、五穀豊穣を祈る伝統芸能として、重要な役目を果たしてきました。
④トキの野生復帰活動を生んだ農業システム
佐渡の経済を支えた金山も、明治時代になると産出量も減り、やがて衰退していきます。
それでも、佐渡にはトキをはじめとする豊かな生きものを育む里山や、多くの人口を支える生産力をもった農業、さらにその農業と密接に結びついた農村の伝統文化が残りました。
かつて北海道の南部から九州・沖縄まで広く生息していたトキは、乱獲や開発によって激減しました。
そして、トキ最後の生息地となったのが佐渡でした。
佐渡では、トキの野生復帰の前提となるエサ場を確保し、生物の多様性を保全するため、地域に残されてきた農業システムに着目し、環境に配慮した農業を進め、ビオトープや水田魚道の設置、冬みずたんぼ(冬期湛水)の導入に取り組んでいます。
それが、佐渡の伝統文化とともに、人と自然の共生を目指す新たな農業の在り方として評価されたのだと思います。
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