世界文化遺産の富士山

富士山が世界文化遺産になりました。
25件の構成資産を紹介します。

①富士山域(山梨県・静岡県)
富士山の価値にとって特に重要な地域(標高約1,500m以上)を資産範囲としています。
その理由は、有名な絵画に描かれた範囲が重なり合う部分にあたり、信仰の上では神聖性の境界のひとつであった「馬返」以上にあたります。
この範囲の中には、浅間大神が鎮座するとされる八合目以上や、現在発行されている千円札等に採用された本栖湖からの景観が含まれています。
①-1 山頂の信仰遺跡群(山梨県・静岡県)
山頂には、火口壁に沿って神社等の宗教関連施設があります。
山頂において「ご来光(日の出)」を拝むことや、頂部を巡る「お鉢めぐり」の行為は、現代においても多くの登山者が行っています。
①-2 大宮・村山口登山道(現富士宮口登山道)(富士宮市)
富士山本宮浅間大社を起点とし、村山浅間神社を経て山頂南側に至るまでの登山道です。
富士山では、12世紀前半から中ごろにかけての末代上人の活動をきっかけに登山が開始されたと考えられています。
①-3 須山口登山道(現御殿場口登山道)(御殿場市)
須山浅間神社を起点とし、山頂南東部に至るまでの登山道です。
その起源は明確ではありませんが、古文書では1486年にその存在が確認できます。
①-4 須走口登山道(小山町)
冨士浅間神社を起点とし、八合目で吉田口登山道と合流し山頂東部に至るまでの登山道です。
その起源は明確ではありませんが、登山道からは1384年の年号が入った懸仏が出土しています。
①-5 吉田口登山道(富士吉田市・富士河口湖町)
北口本宮冨士浅間神社を起点とし、富士山頂を目指す登山道です。
14世紀後半には参詣の道者のための宿坊も出来始め、大勢の人々が登るための設備が整うようになりました。
①-6 北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市)
浅間大神(あさまのおおかみ)が祀られていた遙拝所を起源とし、1480年には「富士山」の鳥居が建立され、16世紀半ばには浅間神社の社殿が整っていました。
富士講とのつながりが強く、1730年代に富士講の指導者である村上光清(むらかみこうせい)の寄進によって建造物群の修復工事が行われ、現在にみる境内の景観の礎が形成されました。
①-7 西湖(富士河口湖町)
富士五湖の一つです。
富士河口湖町に属し、青木ヶ原樹海に囲まれた湖です。
水深は最も深いところで78mで、冬でも決して結氷することがありません。
透明度が高くひっそりとしたたたずまいを見せています。
ヒメマス釣りやウィンドサーフィンなどでも有名で、また多くのキャンパーが訪れます。
①-8 精進湖(富士河口湖町)
富士五湖の一つです。
上九一色村に属し、富士五湖中最も小さい湖です。
避暑地としての歴史は古く、湖の真ん中まで溶岩がせり出しているのが特徴的です。
冬には全面結氷することもあり、富士五湖の中で最も表情豊かな湖です。
①-9 本栖湖(身延町・富士河口湖町)
富士五湖の一つです。
上九一色村と身延町に属し、五湖の西端にあります。
130mの深さがあって、富士五湖で最も深い湖です。
透明度も30近くあり、その深さと静けさ故か、神秘的な部分を残し、武田信玄の隠し財宝が沈めてあるとか、巨大魚が棲んでいるとかいった噂が絶えません。
千円札(旧5千円札)裏面の富士山は本栖湖北岸からのものです。
② 富士山本宮浅間大社(富士宮市)
富士山を浅間大神として祀ったことを起源とする神社で、富士山本宮浅間大社はその総本宮です。
社伝によれば、山宮から現在地に遷座されました。
平安時代から信仰を集め、特に徳川家康の保護を受けて現在の社殿が造営されました。
また、家康の寄進をきっかけに富士山八合目以上を御神体として管理しています。
境内には富士山の湧水である「湧玉池」があり、かつては道者がここで登山前の水垢離(みずごり)を行ったそうです。
③ 山宮浅間神社(富士宮市)
富士山本宮浅間大社の社伝によれば、富士山本宮浅間大社の前身で、日本武尊(やまとたけるのみこと)が創建したとされています。
本殿に当たる場所に建物がなく、富士山を望む遙拝所を設けるという独特な形態は、噴火を鎮めるために山を遥拝していた古代の富士山祭祀の形をとどめていると推定されています。
④ 村山浅間神社(富士宮市)
平安時代末期に富士山の噴火が沈静化すると末代上人(まつだいしょうにん)など山中で修行する人々が現れました。
これが発展し、鎌倉時代の終わりには富士山における修験道が成立します。
この中心となったのが村山浅間神社(興法寺(こうほうじ)とも呼ばれました。)です。
江戸時代末までここの修験者たちが大宮・村山口登山道を管理しました。
⑤ 須山浅間神社(裾野市)
須山口登山道の起点となったのが須山浅間神社です。
1707年の宝永噴火により社殿は、登山道も含め大きな被害を受け、現在の本殿は1823年に再建されました。
神社は、社伝では日本武尊が創建したとされ、1524年には存在していたことが棟札により確認できます。
⑥ 冨士浅間神社(須走浅間神社)(小山町)
須走口登山道の起点となる神社で、富士講信者が多く立ち寄り、33回を一つの区切りとする登拝回数等の記念碑が約70基残されています。
社伝によれば、807年に造営したと伝えられます。
宝永噴火(1707年)では大きな被害を受けましたが、1718年に再建され、修理を重ねながら現在に至っています。
⑦ 河口浅間神社(富士河口湖町)
9世紀後半に起こった噴火を契機に、北麓側に初めて建立された浅間神社であると伝えられています。
浅間神社を中心とした河口の地は、富士登拝が大衆化した中世後半から江戸時代まで御師集落として発展を遂げました。
現在も富士山と密接に結びついた宗教行事を行っています。
⑧ 冨士御室浅間神社(富士河口湖町)
吉田口登山道二合目の地に9世紀の初めに建立されたという伝承があり、富士山中に最も早く祀られた神社であるとする文献もあります。
本殿は1970年代に里宮の地にそのまま移設されましたが、修験や登拝といった様々な富士山信仰の拠点として位置づけられる二合目の本宮(もとみや)と、土地の産土神としての里宮が一体となって機能してきた神社です。
⑨.⑩ 御師住宅(富士吉田市)(旧外川(とがわ)家住宅・小佐野(おさの)家住宅)
御師は、富士講信者が登拝を行うのに当たり、宿や食事を提供するなど一切の世話をするとともに、日常は富士山信仰の布教活動と祈祷を行うことを業としました。
御師屋敷の多くは短冊状をなし、表通りに面して導入路を設け、敷地を流れる水路の奥に住宅兼宿坊の建物が建てられています。
⑪ 山中湖(山中湖村)
富士五湖の一つです。
とても大きくて、モーターボートが走ったり、遊覧船が回遊していたりしています。
湖畔には、小粋なレストランやホテル、ちょっと雰囲気の良い美術館、体験館、公園なんかも整備されていて、おしゃれなリゾートといった印象があります。
⑫ 河口湖(富士河口湖町)
富士五湖の一つです。
富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点(標高831m)にあり、湖の中央には富士五湖唯一の「鵜の島」と呼ばれる小さな島があります。
富士五湖のうち最も早く開拓され、湖畔にはたくさんの観光施設が建ち並んでいます。
⑬ 忍野八海(出口池) (忍野村)
富士山の伏流水による八つの湧水地で、富士山信仰に関わる巡拝地として八海それぞれに八大竜王を祀っています。
富士登拝を行う道者たちはこの水で穢れを祓いました。
長谷川角行(はせがわかくぎょう)が行った富士八海修行になぞらえ「富士山根元八湖(ふじさんねもとはっこ)」と唱えられた古跡の霊場と伝えられ、1843年に富士講信者によって再興されたとされています。
出口池は、忍野八海中最大の池で、高台に出口稲荷社が建立しています。
ここが第1の霊場で、難陀竜王(なんだりゅうおう)を祀っています。
⑭ 忍野八海(お釜池) (忍野村)
池の中央に直径2m水深4mの穴があいており、水量が豊富です。
ここが第2の霊場で、跋難陀竜王(ばつなんだりゅうおう)を祀っています。
⑮ 忍野八海(底抜池) (忍野村)
はんのき資料館の一番奥にある池で、資料館(有料)に入場しなければ見る事ができません。
ここが第3の霊場で、釈迦羅竜王(しゃからりゅうおう)を祀っています。
⑯ 忍野八海(銚子池) (忍野村)
湧水が間欠的です。
名前の由来は長柄の銚子に似ていることからだそうです。
ここが第4の霊場で、和脩吉竜王(わしゅきちりゅうおう)を祀っています。
⑰ 忍野八海(湧池) (忍野村)
八海中最大の湧水量を誇り、珪藻土層でなる水中洞窟は奥に続いています。
景観も良く、周辺住民の飲み水にも利用されています。
ここが第5の霊場で、徳叉迦竜王(とくしゃかりゅうおう)を祀っています。
⑱ 忍野八海(濁池) (忍野村)
池本荘にある池から大きな排水溝が空いており、湧水は池底から少しだけ湧き出ています。
川に隣接し、部分的に濁っています。
ここが第6の霊場で、阿那婆達多竜王(あなばたつだりゅうおう)を祀っています。
⑲ 忍野八海(鏡池) (忍野村)
水は濁り、湧水の綺麗なイメージとは異なっています。
名前の由来は逆さ富士が映る事からきています。
ここが第7の霊場で、麻那斯竜王(まなしりゅうおう)を祀っています。
⑳ 忍野八海(菖蒲池) (忍野村)
現在は沼地と化しており、その名の通り周囲に菖蒲が生えています。
ここが第8の霊場で、優鉢羅竜王(うはつらりゅうおう)を祀っています。
(21) 船津胎内樹型(富士河口湖町)
1617年に長谷川角行が富士登拝した際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見し、浅間大神を祀りました。
富士講信者によって、1673年には現在の船津胎内樹型が発見され、1892年には新たな「御胎内(おたいない)」として吉田胎内樹型が整備されました。
洞内には木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が祀られています。
(22) 吉田胎内樹型(富士吉田市)
1617年に長谷川角行が富士登拝した際、北麓に洞穴(船津胎内樹型指定範囲内に点在する小規模な溶岩樹型のひとつと考えられる)を発見し、浅間大神を祀りました。
富士講信者によって、1673年には現在の船津胎内樹型が発見され、1892年には新たな「御胎内(おたいない)」として吉田胎内樹型が整備されました。
洞内には木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)が祀られています。
(23) 人穴富士講遺跡(富士宮市)
「浅間大菩薩(せんげんだいぼさつ)(富士山の神の名称の一つ)の御在所」と伝えられた風穴(溶岩洞穴)の人穴は、富士講の開祖とされる長谷川角行(はせがわかくぎょう)が16から17世紀に修行し、入定したと伝えられる聖地です。
境内には、信者たちが建立した角行や先達等の供養碑や顕彰碑、登拝記念碑が約230基残されています。
(24) 白糸ノ滝(富士宮市)
富士山の湧水が約200mにわたって噴出している白糸ノ滝は、16から17世紀、富士講の開祖とされる長谷川角行が修行を行った地とされ、富士講を中心とした人々の巡礼・修行の場となりました。
(25) 三保松原(静岡市)
三保松原は『万葉集』以降多くの和歌の題材となり、謡曲『羽衣(はごろも)』の舞台にもなりました。
また、15から16世紀以降は三保松原を手前に配した構図が富士山画の典型となりました。
それらの絵画をはじめ多くの芸術作品を通じて三保松原は富士山を望む景勝地として広く知られています。

富士山が文化遺産とは、なにかピンときません。
自然遺産ならもっとわかりやすいとは思いますが、あれだけゴミ問題が騒がれると美しさも半減するようです。
山頂には霊水の湧き出る「銀明水」という井戸があり、その回りを囲ってあるのですが、その中にまで紙コップやゴミが散らかっているという有り様だったそうですが、今では毎シーズンごとに大がかりなゴミ集めが実施されています。
登山家の人たちもマナーがよくなってきて、五合目より上はゴミが少なくなっているようです。
観光地である富士山は、やはり文化というより、自然の美しさが魅力だと思います。
世界遺産になったことにより、世界から、富士山を目当てに来る人たちをがっかりさせないように、一人一人が心がけるいい機会だと思います。
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