六角井戸のはなし

日本には六角形で造られた井戸があります。

(1)長崎県平戸市浦の町の六角井戸
まず、「六角井戸」で有名なのは、長崎県平戸市にあります。
平戸市(ひらどし)は、長崎県北西部の平戸島とその周辺を行政区域とする市で長崎県と九州本土の市としては最西端に位置する都市で、「六角井戸」は、平戸市浦の町の平戸湾付近にあります。
ここは旧平戸藩松浦氏の城下町で、鎖国前は中国やポルトガル、オランダなどとの国際貿易港だったので、ここが外国との交流が盛んであった頃に明の商人も多く平戸に定住しており、この頃にゆかりのあるものだと言われています。
平戸は17世紀の頃にオランダ商館やイギリス商館などができ、外国との交流が盛んでした。
その少し前の天文11年(1542年)に明(中国)の海商、王直は松浦家25代隆信(道可)の優遇を得て平戸に居を構えています。
先に述べたように、平戸を根拠として貿易を行い、多くの明商人が平戸に定住しました。
「六角井戸」は、中国商人の居住地域にあり、その当時、明の様式で作られたといわれています。
明のデザインを真似て邦人が掘削した可能性もあり、明の人が造ったかどうかはわかっていません。
なぜ六角形なのかを推定すると、井戸枠は、水を各方面から一時に汲むのに便利なように六角形にしたものと思われています。
そして、中国との交流があったことを示す貴重な遺構だそうです。
今も現存し、この「六角井戸」は県指定史跡になっています。
尚、旧平戸市は、平戸島と度島などの離島を行政区域としていましたが、2005年10月1日に周辺の北松浦郡田平町・生月町・大島村と合併(新設合併)して新たに平戸市となりました。

(2)長崎県平戸市的山大島の六角井戸
「六角井戸」は、同じ平戸市の的山大島(通称大島)にもあります。
的山大島(あづちおおしま)は、長崎県の平戸島の北方にある島(有人島)です。
全島が長崎県平戸市に属していますが、2005年10月1日の現平戸市発足以前は北松浦郡大島村でした。
「六角井戸」は、寛文7年(1667)、鯨組井元氏の真教寺創建時に寺付きの井戸として掘られたものだそうです。
尚、この的山大島には、「六角井戸」だけでなく、「朝鮮井戸」「殿川」「勘定場の井戸」など由緒ある井戸などの名水があります。

(3)長崎県五島市江川町の六角井戸
福江島にも「六角井戸」があります。
長崎県五島列島の一番西側の福江島にある、五島市江川町の「六角井戸」です。
天文9年(1540年)、当時、東シナ海を舞台に貿易商として活躍していた明国の王直は、通商を求めて福江(当時は深江)に来航しました。
財政に苦しんでいた領主宇久盛定公は喜んで通商を許し、江川城城下川向こうの高台の地に居住地を与えたそうです。
これが現在の唐人町で、更に飲料、船舶用水として江川城本丸下に井戸を掘らせたのが「六角井戸」と言われています。
平戸市にある「六角井戸」より早く造られたこの井戸は、明の技法で掘削され、井戸枠(広いところで125cm)を六角形に板石で囲み、井戸の中も水面下まで六角形の井壁が板石で造られているので、ちょうど六角柱を地中に立てたような形になっています。
これが五島市における倭寇時代の貴重な遺跡の一つで、県指定史跡になっています。
五島市には、同じような「六角井戸」が戸岐町にもあります。
ここも港町で、中国との交易が持たれた場所と思われます。

(4)長崎県雲仙市小浜町の六角井戸
雲仙市小浜町にも「六角井戸」があります。
同じく長崎県ですが、雲仙市小浜町富津地区にある「六角井戸」は、弘法大師ゆかりの井戸と言い伝えられています。
場所は、港町で魚港のすぐそばなので、四国の井戸伝説みたいでなにか信用できないものもありますが。
伝説から紹介すると、その昔、弘法大師が諸国巡礼の際この地に立ち寄り、老婆に一杯の水を求めたそうです。
老婆は快く応じてくれたのですが、長時間待たされてようやく飲むことが出来たそうです。
訳を尋ねると、近くに井戸水が出ないためだと言われ、住民の難儀を見かねた弘法大師が、六角の杖で大地を突くとそこから水が湧き出し、水不足を救ったといわれる伝説の井戸だそうです。
雲仙はかって「温泉山」とかいて「うんぜんざん」と呼ばれ、島原半島全体が温泉山満明寺を中心とした修験道の聖山だったそうです。
しかし、どこにでも弘法大師は登場しますが、長崎県の「六角井戸」で港町となると、中国商人と明の様式の井戸の方が信憑性は高いと思います。

(5)京都府井手町の六角井戸
京都府井手町にも「六角井戸」があります。
京都府綴喜郡井手町石垣字宮ノ本にある「六角井戸」は、聖武天皇の玉井頓宮にあったものと言い伝えられ「公(橘諸兄)の井戸」として語りつがれてきたようです。
天平時代の左大臣橘諸兄公は、井手左大臣とも呼ばれていたように、井手町に別荘を構え住まれていました。
この六角形に組まれた珍しい井戸は、諸兄公の館ー玉井頓宮のなごりとして今に伝わるものです。
この井戸は、据え付けられた石版が6枚組み合わせたもので、六角の形となっていることから「六角井戸」と呼ばれています。
底までずっと六角形かどうかは写真だけでは判断できませんでしたが、どうも石の井桁部分だけが六角形みたいなので、形状はどうも長崎県にあるものとは違うようです。
1953年(昭和28年)に受けた水害以前には水が豊富で、村の共同井戸として使用されていたそうです。
この井戸のあるあたりが玉井頓宮があったとされ、「続日本記」には740年(天平12年)12月、聖武天皇がこの玉井頓宮を訪れたとありますが、「六角井戸」については触れていません。

(6)奈良県奈良市の六角井戸
2年前の2011年3月3日に、平城宮の正面玄関だった奈良市の朱雀門近くで、方形と六角形の枠を組み合わせた井戸跡が見つかっています。
朱雀門から南東に約130m離れた平城京左京三条一坊一坪の一画で、井戸跡は上部が一辺約2.4mの正方形で、下部は六角形の井戸枠が七段に組まれていました。
現状の深さは約2.6mですが、抜き取られた上部を加えると3m強と推定できるそうです。
奈文研によると、平城京跡での多角形井戸は昭和58年の八角形(一辺60cm)出土以来2例目で、六角形は昭和13年に橿原遺跡(奈良県橿原市)で発見例があるそうです。
祭祀など特別な用途に使ったとみられ、奈文研副所長の井上和人さんは「六角形の井戸だけ水をはり、のぞき込む人の視覚効果を狙った一種の舞台装置だったのではないか。朱雀門に近く、周辺が広場など公的スペースだったことを裏付ける貴重な資料になる」と想像しています。
これも、長崎県の「六角井戸」とは関係はないようです。

平戸が外国との交流が盛んであった頃に明の商人も多く平戸に定住しており、当時の明式の六角形の井戸
長崎県平戸市浦の町の六角井戸です。


長崎県平戸市的山大島の六角井戸です。

イメージ 2
長崎県五島市江川町の六角井戸です。


長崎県雲仙市小浜町の六角井戸です。

六角井戸
京都府井手町の六角井戸です。



奈良県奈良市の六角井戸です。
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