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拉致問題の進展は?

拉致問題の進展があるかも知れません。
日本と北朝鮮の両政府は8月29日午後、中国・北京で4年ぶりに政府間協議を行うことになりました。
日朝による公式な政府間協議は、北朝鮮が金正恩(キムジョンウン)体制になってからは初めてです。

今回の協議は、日朝赤十字が8月9、10両日に先の大戦末期の混乱で朝鮮半島に残った日本人の遺骨返還や遺族らの墓参について意見交換したのを受け、両政府が協議を再開することで一致しています。
拉致問題を議題に含めるよう求める日本側に対し、北朝鮮側は「会談を不純な政治目的に利用しようとしている」 (朝鮮中央通信)として応じる構えを見せてはいません。

但し、8月25日のニュースでは北朝鮮で2001年まで金正日総書記の専属料理人を務め、先月、11年ぶりに訪れた北朝鮮で、後継者の金正恩第1書記と面会した藤本健二さんがNHKのインタビューに応じ、横田めぐみさんの名前を出して、拉致問題解決や日朝関係の改善を求めるメッセージを伝えたことを明らかにしました。
藤本健二さんの話によると、面会は平壌で行われた歓迎会で実現し、会には金正恩と夫人、それに、金正恩の後見役とされるチャン・ソンテク氏をはじめ、思想統制や体制の宣伝を担当する「宣伝扇動部」の幹部や、金正日の4人目の夫人とされるキム・オク氏ら17人が出席し、この中で金正恩は、突然、北朝鮮を去った藤本さんに対し「裏切り行為があったが、すべて忘れ去った」との言葉をかけたということです。
そして会場では、藤本さんがあらかじめ用意していた、拉致問題の解決や日朝関係の改善を求めるメッセージ文が通訳によって読み上げられたということです。
このとき、藤本さん自身も「『父親の時代の話なので知らない』では国際社会の仲間入りはできません。今こそ横田めぐみさんたちの調査をしていただきたい」などと直接呼びかけたということです。
こうした発言を止めようとした出席者はおらず、金正恩も黙ってうなずいていたということです。
また、金正恩は藤本氏に「いつ北朝鮮に来ても歓迎する」と述べ、今後、日本と北朝鮮を自由に行き来してよいとする考えを示したということです。

拉致問題をめぐっては、2002年9月に当時の総理大臣だった小泉さんが訪朝し、その後拉致被害者5人と家族が帰国しましたが、北朝鮮側は横田めぐみさんら8人を「死亡」としており、08年8月の実務者協議で合意した再調査も一方的に白紙化を通告したままとなっています。

藤本さんは1982年に板橋調理師会事務所の会長の紹介で初めて北朝鮮へ渡り、寿司屋で働いていた時に、招待所へ寿司を作りに出張した際に金正日と知り合い、1989年から金正日の専属料理人として仕えたと言われています。
藤本さんの証言から、藤本さんが単なる料理人としてのみ仕えたのではなく、金正日および家族から信頼され、子供達から胸の内を発露される立場にさえあったことが伺えます。
1990年に朝鮮労働党員になり、同時に朴哲(パク・チョル)という朝鮮名が与えられ、金正日から2人の王子たち(金正恩 - 当時7歳、金正哲 - 当時9歳)の遊び相手として指名されたとも言われています。
1998年、平壌から北京に買出しに行った際に日本の警視庁の部長に電話したことがばれ、1年6ヵ月軟禁状態におかれて、いつ強制収容所に送られるかという恐怖を味わわされたため、2001年に意を決して北朝鮮を脱出したとされています。
そして、その際脱出の心添えをしたのが金正恩の母である高英姫だったと言われています。

藤本さんは、7月21日から2週間、平壌を訪問した際に、金正恩に寿司を振る舞おうとして、本マグロを持って行ったそうです。
でも、日本では06年の北朝鮮の最初の核実験の後に、対北朝鮮制裁措置として高価な本マグロ、キャビア、牛肉、自動車、カメラなどを輸出規制品目に含めました。
「藤本氏がぜいたく品に該当する大トロを金正恩第1書記に振る舞って問題になっている」と言われていますが、拉致問題を解決するためには、私からみれば小さいことだと思います。
一縷の望みは今のところ藤本さんだけなので、日本政府も、藤本さんを架け橋にして一日も速く拉致問題を解決してもらいたいと思います。
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