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黒潮古陸について

かつては当たり前の存在だった「黒潮古陸」について調べてみました。

和歌山県では、30年以上前の郷土の地質の教科書というか副読本に、「黒潮古陸」なるものが大まじめに載っていたそうです。
「ムー」と呼ばれる雑誌によると、「黒潮古陸」=「ムー大陸」だとかと、言われていたそうです。
「ムー大陸」については、当ブログの「ムー大陸の謎」で詳しく説明しています。
http://ntooffice.blog21.fc2.com/blog-entry-933.html

(1)横島の露頭の状況
さて、この「黒潮古陸」ですが、 和歌山県南部に、釣り客だけが渡る無人島の横島にヒントがありました。
そして、1968年に、この島の露頭を研究した地質学者さんたちによって「黒潮古陸」説が唱えられました。
この「黒潮古陸」説は、今から5000万年位前の古第三紀という時代に,紀伊半島の南の太平洋に大きな大陸が存在したという仮説です。
横島の露頭の状況では、
①礫岩の礫にオルソクォーツァイト(正珪岩orthoquartzite)という砂漠の砂でできた特殊な岩石が含まれること
②そして、その岩石でできた山は紀伊半島以北では見つからないこと
③地層の中の古流系(地層から読み取れる昔の水流の方向)は南の方向からの堆積物の供給を示し、どうしても古第三紀には紀伊半島の南に砂漠を持つような大陸があったと考えないとその島の地層を説明できないこと
があります。

(2)オルソクォーツァイトの不思議
オルソクォーツァイトとは、ほとんど石英だけからできている岩石です。
石英の化学組成は珪酸(SiO2)なので、岩石の化学組成も95%以上が珪酸になります。
顕微鏡でオルソクォーツァイトをみると、丸い石英が集まっていることがわります。
その石英の周囲は、赤い幕のように酸化鉄が覆っていることがあります。
つまりオルソクォーツァイトは、丸い石英が集まった砂岩なのです。
丸い石英だけが集まる砂岩ができるのは、大陸の内陸の砂漠や湖、あるいは大陸付近の海岸という大陸内部や、大陸の縁の環境です。
オルソクォーツァイトの地層は、先カンブリア紀の大陸地域から見つかります。
オルソクォーツァイトの地層は日本列島からは見つかりません。
ところが、オルソクォーツァイトの礫を含む地層は、日本列島のあちこちから報告されています。
これは、日本列島はかつてユーラシア大陸の端にくっついていたからです。
つまり、昔は日本海がなく、あるときに形成されたのです。
そのため、大陸の川が、オルソクォーツァイトの地層を侵食し、礫として運ばれ、大陸斜面に運ばれて地層となりました。
これが、日本各地のオルソクォーツァイト礫の由来となります。
ただし、横島の露頭のオルソクォーツァイトには、少々不思議なことがあります。
①礫サイズの不思議
一つ目は、礫サイズです。
オルソクォーツァイトの礫の径が、2~5cmもあります。
大きな礫は相対的には近いところから運ばれたことになります。
ですから、比較的近くにオルソクォーツァイトの地層があったはずだと考えられ、「黒潮古陸」説に繋がります。
②方向の不思議
二つ目は、地層が来た方向です。
地層に、堆積するときに生じた流れを記録していることがあります。
そのような流れを古流向と呼びます。
オルソクォーツァイトの礫を含む地層の古流向を復元すると、なんと現在の太平洋ある海側という結果が出てきました。
本来なら陸側であるべきです。
これも「黒潮古陸」説に繋がります。

(3)「黒潮古陸」の歴史
現在の紀南地方の陸地は2000万年前には海の底にあり、当時陸地であった「黒潮古陸」が海に沈んでしまった影響で、徐々に隆起して現在の地形になったと言われていました。
和歌山県の熊野灘に面した海岸では、かつてこの辺りが海であった時代に、はるか南方に陸地「 黒潮古陸」があったことを偲ばせるオルソクォーツァイトが見られます。
紀伊半島の地層が南の方から来た堆積物からできているということで、「黒潮古陸」があり、そこから堆積物が運ばれてきたとか言っていました。
紀伊半島の南といえば直接太平洋です。
しかも太平洋の一番深いところに近いのに、その間に陸地があったというのは変な話です。
今ならプレートに載ってやってきた「付加体」だというところなのですが、当時はそんな怪しげな言い訳が語られていたのです。
何はともあれ、1970年には、「黒潮古陸」は正式名称が与えられています。
但し、地学辞典では、1970年に発行されたものにはまだ載っていません。
オルソクォーツァイトですが、この礫は例外なく円磨されています。
つまり、「黒潮古陸」があったとして、この上を流れる川は、いくつかの岩石地帯を経て、海に流れるまでに、削り取ったその岩石を円礫にする距離が必要になります。
それを考えると、ある地質学者は「黒潮古陸」は少なくとも今の日本列島くらいの大きさはあったと推定しています。
もし、日本列島くらいの大きさの「黒潮古陸」があったとすると、どうしても海溝の外にまではみ出してしまいます。
海溝の外側は海洋型の地殻を成していることはよく知られており、プレートテクトニクス説では「黒潮古陸」が海溝の下にもぐり込んだことになります。
プレートテクトニクスは古くは「大陸移動説」といい、20世紀初頭に唱えられていたはずですが、そのころは無視されていました。
今から50年前頃になってようやく異端の説から、これが真実であると認められるようになってきました。
でも、日本ではその頃でも昔の理論が通用し、フィリピン海にはかつて大陸があったという説が日本の地質学者で言われていました。
この理由として、
①サイパン、グァム、ヤップ、パラオなどの諸島には花崗岩や閃緑岩などの陸的な要素を持った岩石がある
②陸と海とを境すると言われる安山岩線はフィリピン海のはるか東にあって太平洋を取り巻いている
③フィリピン海の地殻構造を検討すると、奄美海台・北大東海嶺・沖大東海嶺などは花崗岩や変成岩が採取され、陸的な要素がうかがえる

このような条件をあてはめると、日本の地質学者らがフィリピン海に大陸が存在するという仮説を発表したのも頷けるかも知れません。

(4)ムー大陸は沖縄?
それに付随して、「黒潮古陸」=「ムー大陸」という本が出ました。
この本は、「ムー大陸は琉球にあった!」(徳間書店発刊)という本で、この説が発表されたのは今から20年ほど前です。
琉球大学の木村政昭教授が発表したこの説は現在も検証が続けられています。
①沖縄与那国島の海底で発見された遺跡(神殿の跡ではないかと言われています)
②1987年の海洋科学技術センターの潜水艦「しんかい2000」によるケラマ(慶良間)・ギャップの調査で、かつての海岸が水没した(らしい)跡を発見
③沖縄のロゼッタストーンの発見、解読

等など、数々の証拠が提出されています。
沖縄のロゼッタストーンには、階段状のピラミッドのようなものが描かれ、頂上は平らで、エジプトのピラミッドとは違い、マヤ文明のピラミッドに似ています。
また、頂上に三本の柱のようなものが立っています。
沖縄のロゼッタストーン
     沖縄のロゼッタストーン

詳しいことは木村教授の著書を読んでいただきたいと思います。
また、沖縄マガジン「サバニ」がHPを開いていたのですが、今はエラーになっています。
1964年に、米国の海洋地質学者メナルドは太平洋の真中に巨大な海底の隆起地形(「ムー大陸」のような広大な大陸)を考えました。
しかし、その後の海底調査により、大陸が沈んだ地形ではないことが明らかになりました。

今となっては沖縄が「ムー大陸」だったというのは夢物語かも知れませんが、地質を仕事にしている人たちは、他の職業よりもすごく真面目な人たちが多いような気がします。
夢かもしれない大陸を想像する遊び心も、時には必要だと思います。

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