ロシアとチェチェン紛争
ロシアについて調べてみました。
ロシアは、ロシア連邦と言って、ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家で、首都はモスクワ市です。
領土は旧ロシア帝国およびソビエト連邦の大半を引き継いでおり、ヨーロッパからシベリア・極東に及びます。
面積は1709万平方キロメートル以上と世界最大です。
この、ロシア連邦下の構成共和国について説明します。
ロシア連邦は85の連邦構成主体に分かれていますが、そのうち22主体が共和国を称しています。
1.アディゲ共和国
2.アルタイ共和国
3.バシコルトスタン共和国
4.ブリヤート共和国
5.ダゲスタン共和国
6.イングーシ共和国
7.カバルダ・バルカル共和国
8.カルムイク共和国
9.カラチャイ・チェルケス共和国
10.カレリア共和国
11.コミ共和国
12.マリ・エル共和国
13.モルドヴィア共和国
14.サハ共和国(ヤクート共和国)
15.北オセチア共和国
16.タタールスタン共和国
17.トゥヴァ共和国
18.ウドムルト共和国
19.ハカス共和国
20.チェチェン共和国
21.チュヴァシ共和国
22.クリミア共和国(ロシアが勝手にとった所なので、本当はウクライナですが)
共和国は、ロシア民族以外の民族が郷土としている地域に建てられています。
自民族の名を共和国の名にできる民族集団(ナーツィヤ、国民国家を持てる規模の民族)のことをロシアでは「基幹民族」(Titular nation、名義上国民国家の主体となる民族)と呼んでいます。
彼らはロシア連邦の枠内で自らの国土や国語を持つことができ、名義上の国民国家を形成しています。
ただし国語はキリル文字で表記することが求められ、タタール語やクリミア・タタール語といったラテン表記がある言語も共和国内の公文書ではキリル文字の使用を必要とするそうです。
ソビエト連邦成立後の数十年、あるいはそれよりも何世紀も前からロシア人などが多数移住しているために、こうした先住民族・基幹民族はすでに共和国の多数派ではないことが多いそうです。
また、2014年のロシアによるクリミアの併合によりクリミア共和国はロシアに編入され、ロシアの共和国となったとロシアではされていますが、ロシア以外の国の多数はウクライナに属するとしており、ロシア領と認めていません。
「共和国」は、州や地方や自治管区といった連邦構成主体とは持つ権利などが異なります。
まず共和国は、独自の公用語(ロシア連邦憲法第68条による)や独自の憲法を持つことができるそうです。
ただし公用語の正書法はキリル表記であることが求められています。
共和国という連邦構成主体に対して認められる実際の自治のレベルや範囲はそれぞれに異なっていますが、一般的には非常に広範にわたります。
各共和国は議会が立法権を持つのですが、共和国の作った法律は連邦の憲法としばしば衝突を起こしています。
また各共和国の首長(大統領)も非常に強い権力を持つそうです。
ただし2000年代に入りウラジーミル・プーチンが大統領を務めた時期に、連邦憲法の優位と中央集権を確立する目的で共和国の自治権は大きく削減されています。
連邦大統領が地方を監督するために、プーチンは連邦を7つに区分して州や共和国の上に連邦管区を置き、連邦の法や憲法に違反しないかどうか共和国の活動を監督するようにしました。
さらにプーチンは各共和国の立法府の権限を強め、逆に首長(大統領)の権限を弱めたそうです。
共和国の首長(大統領)の選び方も、プーチンの時期に直接選挙が廃止されてロシア連邦大統領が指名するようになっているそうですが、各共和国の議会の承認は必要だそうです。
中央集権化の動きは、共和国首脳の呼称にも影響しています。
共和国の首脳は、知事ではなく大統領の称号を持っていました。
ソビエト連邦の崩壊直後、タタールスタン共和国やバシコルトスタン共和国などで、「ソビエト最高会議議長」などと呼ばれていた共和国首脳を「大統領」と呼ぶ動きが起こったことから各共和国での大統領呼称が定着したのですが、2010年8月にチェチェン共和国でラムザン・カディロフ大統領が自らの呼称を「首長」とする案を議会に提出し、2010年9月2日に議会で改憲案が通ったことを皮切りに各共和国で同調の動きが起こり、2011年1月にはドミートリー・メドヴェージェフ連邦大統領が各共和国首脳が大統領と名乗れなくする法律にサインしたことにより、大統領の称号は「首長」「代表」などと呼びかえられることになったそうです。
各共和国には一定規模の分離主義者がいるのですが、一般的にその勢力はあまり強くないそうです。
しかしソ連崩壊直後の時期には、タタールスタン共和国、バシコルトスタン共和国、サハ共和国、チェチェン共和国が分離独立を宣言して各共和国国民の支持を得ました。
チェチェンの場合はチェチェン戦争にまでつながっています。
各共和国では、「基幹民族」となる主要民族以外にロシア人などの民族が多数住んでいるため、分離主義に対しては一定の歯止めになっていると言われています。
また各共和国の「基幹民族」となる民族はその共和国内にほとんどが住む場合が多いのですが、タタール人の場合はタタールスタン共和国の外に大多数が住んでおり、こうしたことも分離独立の歯止めになっているとの事です。
チェチェンはグルジアに隣接する人口約80万、日本の四国ほどの大きさのイスラム系住民が中心の共和国です。
首都はグロズヌイで、旧ソ連時代には石油を年間400万tほど産出し、交通、運輸、地政学上の要衝の地にあります。
このように石油産地で、石油採取・精製業が発達し、カスピ海,黒海にパイプラインが延びています。
ほかに機械 (電機,石油・化学工業用機械) 、木材加工、食品 (ワイン,果実・野菜缶詰) などの工業があります。
農業ではスンジャ川、テレク川などの河川を利用する灌漑農業が発達し、ブドウその他の果樹、小麦、テンサイ、ヒマワリ、野菜などが栽培され、北部ではヒツジの放牧が盛んだそうです。
ロストフナドヌーとアゼルバイジャンの首都バクーを結ぶ幹線鉄道、グロズヌイを中心として放射状に延びるハイウェーが主要交通路です。
チェチェン人は19世紀以来ロシアの支配に対して激しく抵抗しています。
1922年にチェチェン自治州、36年にチェチェン・イングーシ自治共和国が成立、43〜44年にはドイツ軍に協力したとしてスターリンによって民族ごと中央アジアに強制移住させられ、57年に帰国が許され自治共和国が再建されました。
91年11月に独立国家を宣言しドゥダエフが大統領に就任したのですが、モスクワはこれを認めなかったそうです。
92年6月にイングーシ共和国が分離独立しています。
94年12月、ロシア軍の攻撃で内戦状態に発展し、96年4月にドゥダエフは戦死しました。
同年8月に和平合意が成立し、選挙で穏健独立派のアスラン・マスハドフが大統領に選ばれました。
97年1月、ロシア軍はチェチェンから撤退しています。
モスクワが最大限の自治を保証するタタルスタン方式を主張しているのに対して、独立派はあくまで完全独立を主張、やがて独立運動は激化しました。
99年9月にロシア軍は空爆を開始、再び内戦化して、プーチンは2000年6月に臨時行政府を設置、マスハドフ大統領を追放し、イスラム教指導者で親ロシア派のアフマト・カドイロフを行政長官に任命しました。
03年10月の共和国大統領選挙で、カドイロフが大統領に選ばれましたが、04年5月のテロで倒れています。
同年8月29日に大統領選挙が実施され、共和国内相のアル・アルハノフが当選しましたが、独立派はモスクワの傀儡(かいらい)政権として認めていません。
元大統領のマスハドフ司令官は05年3月にロシアとの戦闘で死亡しました。
強硬な独立派で対ロシアテロ活動の指導者シャミル・バサエフ野戦司令官も06年7月にロシア連邦保安局の作戦で死亡しています。
紛争による死者は 10万人をこえています。
1999年、チェチェンの独立を目指す武装グループが蜂起して、第二次チェチェン紛争が始まった時に、プーチンは、チェチェンの独立は認めず、武力による鎮圧を開始しました。
ロシア軍は軍隊をチェチェンに派遣したり、空爆による攻撃をするなどしました。
それに対しチェチェン側も、モスクワの学校や劇場といった施設に襲撃し、ロシア軍に対抗しました。
そして、圧倒的な戦力を有するロシア軍は、2009年にチェチェンの武装グループを鎮圧し、独立の運動を終了させました。
こうして終戦に至った第2次チェチェン紛争ですが、チェチェンはいまだに独立を要求しています。
このような経緯のチェチェン紛争です。
ウクライナは、元はソビエト連邦の中の共和国だったので、プーチンからみたら内紛くらいのつもりだったのでしょうか?
クリミアもロシアのつもりでいるみたいです。
そして、この戦争はチェチェンみたいに10年続いていくのでしょうか?
力で奪い取っていくのは時代錯誤だということがまだわかっていないのはすごく残念ですが、これが核を持っている大きな国のトップとなると始末が悪いですね。
ロシアは、ロシア連邦と言って、ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家で、首都はモスクワ市です。
領土は旧ロシア帝国およびソビエト連邦の大半を引き継いでおり、ヨーロッパからシベリア・極東に及びます。
面積は1709万平方キロメートル以上と世界最大です。
この、ロシア連邦下の構成共和国について説明します。
ロシア連邦は85の連邦構成主体に分かれていますが、そのうち22主体が共和国を称しています。
1.アディゲ共和国
2.アルタイ共和国
3.バシコルトスタン共和国
4.ブリヤート共和国
5.ダゲスタン共和国
6.イングーシ共和国
7.カバルダ・バルカル共和国
8.カルムイク共和国
9.カラチャイ・チェルケス共和国
10.カレリア共和国
11.コミ共和国
12.マリ・エル共和国
13.モルドヴィア共和国
14.サハ共和国(ヤクート共和国)
15.北オセチア共和国
16.タタールスタン共和国
17.トゥヴァ共和国
18.ウドムルト共和国
19.ハカス共和国
20.チェチェン共和国
21.チュヴァシ共和国
22.クリミア共和国(ロシアが勝手にとった所なので、本当はウクライナですが)
共和国は、ロシア民族以外の民族が郷土としている地域に建てられています。
自民族の名を共和国の名にできる民族集団(ナーツィヤ、国民国家を持てる規模の民族)のことをロシアでは「基幹民族」(Titular nation、名義上国民国家の主体となる民族)と呼んでいます。
彼らはロシア連邦の枠内で自らの国土や国語を持つことができ、名義上の国民国家を形成しています。
ただし国語はキリル文字で表記することが求められ、タタール語やクリミア・タタール語といったラテン表記がある言語も共和国内の公文書ではキリル文字の使用を必要とするそうです。
ソビエト連邦成立後の数十年、あるいはそれよりも何世紀も前からロシア人などが多数移住しているために、こうした先住民族・基幹民族はすでに共和国の多数派ではないことが多いそうです。
また、2014年のロシアによるクリミアの併合によりクリミア共和国はロシアに編入され、ロシアの共和国となったとロシアではされていますが、ロシア以外の国の多数はウクライナに属するとしており、ロシア領と認めていません。
「共和国」は、州や地方や自治管区といった連邦構成主体とは持つ権利などが異なります。
まず共和国は、独自の公用語(ロシア連邦憲法第68条による)や独自の憲法を持つことができるそうです。
ただし公用語の正書法はキリル表記であることが求められています。
共和国という連邦構成主体に対して認められる実際の自治のレベルや範囲はそれぞれに異なっていますが、一般的には非常に広範にわたります。
各共和国は議会が立法権を持つのですが、共和国の作った法律は連邦の憲法としばしば衝突を起こしています。
また各共和国の首長(大統領)も非常に強い権力を持つそうです。
ただし2000年代に入りウラジーミル・プーチンが大統領を務めた時期に、連邦憲法の優位と中央集権を確立する目的で共和国の自治権は大きく削減されています。
連邦大統領が地方を監督するために、プーチンは連邦を7つに区分して州や共和国の上に連邦管区を置き、連邦の法や憲法に違反しないかどうか共和国の活動を監督するようにしました。
さらにプーチンは各共和国の立法府の権限を強め、逆に首長(大統領)の権限を弱めたそうです。
共和国の首長(大統領)の選び方も、プーチンの時期に直接選挙が廃止されてロシア連邦大統領が指名するようになっているそうですが、各共和国の議会の承認は必要だそうです。
中央集権化の動きは、共和国首脳の呼称にも影響しています。
共和国の首脳は、知事ではなく大統領の称号を持っていました。
ソビエト連邦の崩壊直後、タタールスタン共和国やバシコルトスタン共和国などで、「ソビエト最高会議議長」などと呼ばれていた共和国首脳を「大統領」と呼ぶ動きが起こったことから各共和国での大統領呼称が定着したのですが、2010年8月にチェチェン共和国でラムザン・カディロフ大統領が自らの呼称を「首長」とする案を議会に提出し、2010年9月2日に議会で改憲案が通ったことを皮切りに各共和国で同調の動きが起こり、2011年1月にはドミートリー・メドヴェージェフ連邦大統領が各共和国首脳が大統領と名乗れなくする法律にサインしたことにより、大統領の称号は「首長」「代表」などと呼びかえられることになったそうです。
各共和国には一定規模の分離主義者がいるのですが、一般的にその勢力はあまり強くないそうです。
しかしソ連崩壊直後の時期には、タタールスタン共和国、バシコルトスタン共和国、サハ共和国、チェチェン共和国が分離独立を宣言して各共和国国民の支持を得ました。
チェチェンの場合はチェチェン戦争にまでつながっています。
各共和国では、「基幹民族」となる主要民族以外にロシア人などの民族が多数住んでいるため、分離主義に対しては一定の歯止めになっていると言われています。
また各共和国の「基幹民族」となる民族はその共和国内にほとんどが住む場合が多いのですが、タタール人の場合はタタールスタン共和国の外に大多数が住んでおり、こうしたことも分離独立の歯止めになっているとの事です。
チェチェンはグルジアに隣接する人口約80万、日本の四国ほどの大きさのイスラム系住民が中心の共和国です。
首都はグロズヌイで、旧ソ連時代には石油を年間400万tほど産出し、交通、運輸、地政学上の要衝の地にあります。
このように石油産地で、石油採取・精製業が発達し、カスピ海,黒海にパイプラインが延びています。
ほかに機械 (電機,石油・化学工業用機械) 、木材加工、食品 (ワイン,果実・野菜缶詰) などの工業があります。
農業ではスンジャ川、テレク川などの河川を利用する灌漑農業が発達し、ブドウその他の果樹、小麦、テンサイ、ヒマワリ、野菜などが栽培され、北部ではヒツジの放牧が盛んだそうです。
ロストフナドヌーとアゼルバイジャンの首都バクーを結ぶ幹線鉄道、グロズヌイを中心として放射状に延びるハイウェーが主要交通路です。
チェチェン人は19世紀以来ロシアの支配に対して激しく抵抗しています。
1922年にチェチェン自治州、36年にチェチェン・イングーシ自治共和国が成立、43〜44年にはドイツ軍に協力したとしてスターリンによって民族ごと中央アジアに強制移住させられ、57年に帰国が許され自治共和国が再建されました。
91年11月に独立国家を宣言しドゥダエフが大統領に就任したのですが、モスクワはこれを認めなかったそうです。
92年6月にイングーシ共和国が分離独立しています。
94年12月、ロシア軍の攻撃で内戦状態に発展し、96年4月にドゥダエフは戦死しました。
同年8月に和平合意が成立し、選挙で穏健独立派のアスラン・マスハドフが大統領に選ばれました。
97年1月、ロシア軍はチェチェンから撤退しています。
モスクワが最大限の自治を保証するタタルスタン方式を主張しているのに対して、独立派はあくまで完全独立を主張、やがて独立運動は激化しました。
99年9月にロシア軍は空爆を開始、再び内戦化して、プーチンは2000年6月に臨時行政府を設置、マスハドフ大統領を追放し、イスラム教指導者で親ロシア派のアフマト・カドイロフを行政長官に任命しました。
03年10月の共和国大統領選挙で、カドイロフが大統領に選ばれましたが、04年5月のテロで倒れています。
同年8月29日に大統領選挙が実施され、共和国内相のアル・アルハノフが当選しましたが、独立派はモスクワの傀儡(かいらい)政権として認めていません。
元大統領のマスハドフ司令官は05年3月にロシアとの戦闘で死亡しました。
強硬な独立派で対ロシアテロ活動の指導者シャミル・バサエフ野戦司令官も06年7月にロシア連邦保安局の作戦で死亡しています。
紛争による死者は 10万人をこえています。
1999年、チェチェンの独立を目指す武装グループが蜂起して、第二次チェチェン紛争が始まった時に、プーチンは、チェチェンの独立は認めず、武力による鎮圧を開始しました。
ロシア軍は軍隊をチェチェンに派遣したり、空爆による攻撃をするなどしました。
それに対しチェチェン側も、モスクワの学校や劇場といった施設に襲撃し、ロシア軍に対抗しました。
そして、圧倒的な戦力を有するロシア軍は、2009年にチェチェンの武装グループを鎮圧し、独立の運動を終了させました。
こうして終戦に至った第2次チェチェン紛争ですが、チェチェンはいまだに独立を要求しています。
このような経緯のチェチェン紛争です。
ウクライナは、元はソビエト連邦の中の共和国だったので、プーチンからみたら内紛くらいのつもりだったのでしょうか?
クリミアもロシアのつもりでいるみたいです。
そして、この戦争はチェチェンみたいに10年続いていくのでしょうか?
力で奪い取っていくのは時代錯誤だということがまだわかっていないのはすごく残念ですが、これが核を持っている大きな国のトップとなると始末が悪いですね。
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