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ミャンマーでのクーデターについて

ミャンマーでクーデターが起こりました。

ミャンマー国軍は2月1日、国家の権力を掌握したと宣言しました。
ミャンマーでは1962年の軍事クーデター以降軍事政権が続き、10年前に民政移管の合意がなされところです。
2月1日早朝、ミャンマーの事実上の最高責任者アウン・サン・スー・チーさんら政府要人が軍によって拘束されました。
首都ネピドー周辺では電話、インターネット回線も遮断されていると報じられています。
ミャンマー国軍は以前から、クーデタに向かう可能性を示唆していたそうです。
その理由は、昨年11月の総選挙でスー・チーさん率いる国民民主同盟(NLD)が、上院224議席中135議席、下院440議席中255議席を獲得し、この圧倒的な勝利によって単独政権を発足できるようになったことからです。
ミャンマーでは1988年にやはりクーデタで軍事政権が発足したのですが、2010年に民主政に移管した歴史があります。
ただし、その後も軍人が議会の4分の1を占めるなど、ミャンマー国軍が大きな政治的発言力を握ってきていました。
ところが、昨年11月の選挙では、軍が支援する連邦団結発展党(USDP)は上院で11議席、下院で30議席と圧倒的な少数派に転落しました。
これは民主主義がミャンマーで定着しつつあることを示したのですが、政治・経済に根をはった既得権益層である軍の警戒感を募らせることにもなりました。
その結果、ミャンマー国軍は「選挙での不正」を訴え、「政治危機を克服するための介入」を示唆するようになりました。
1月27日、ミャンマー国軍の最高実力者ともいわれるミン・アウン・フライン将軍は「憲法がないがしろにされている」と気勢をあげました。
その5日後、新政権の閣僚が初めて議会に着席する予定だった2月1日、ついにクーデターが発生したようです。
ミャンマー国軍は1年間の緊急事態宣言を発令し、この間、ミャンマー国軍による直接統治が行われるとみられます。
今後の展開については予断を許さないのですが、ミャンマー国軍がUSDPを通じて実質的に支配する構図ができるとみるのが順当な見方だそうです。
その場合、スー・チーさんらNLD幹部を厳罰に処せば国民からの反動が大きいため、自宅軟禁などで拘束する公算が大きいようです。
しかし、1988年の場合と比べて、今回アメリカなどがミャンマーのクーデターを「クーデター」と認定するハードルは高いそうです。
そこには中国の存在があるそうです。
欧米諸国が経済制裁を実施していた1980年代後半から2000年代後半までの20年間、ミャンマーに急速に進出したのは、中国、インド、タイなどの新興国でした。
なかでも中国にとってミャンマーは天然ガスやルビーの生産国であるだけでなく、陸路でインド洋に抜けるルート上にもあるため、積極的な進出を進めたそうです。
2010年の民主化と前後して制裁は解除され、ミャンマーは再び先進国とも取引できるようになりました。
それ以来、ミャンマーは「東南アジア最後のフロンティア」として先進国からの投資が相次ぐようになりました。
それでも、中国の存在感は圧倒的に大きいそうです。
国際通貨基金(IMF)の統計によると、2018年段階で中国の対ミャンマー貿易額は約118億ドルにのぼり、その金額は世界1位で、2位のタイ(約57億ドル)以下を大きく引き離しています。
つまり、ここで欧米諸国が制裁を行なえば、ミャンマーをより中国側へ押しやることにもなりかねないとのことです。
それはミャンマーを「一帯一路」により深く食い込ませることになるため、「中国包囲網」の形成を目指すバイデン政権にとって頭の痛いところとなります。
推測ですが、ミャンマー軍幹部はこの先進国の立場を理解し、「介入はない」と判断したうえでクーデタに向かったものともみられます。
その一方で、事実上の軍事政権が復活した場合、ミャンマーでは少数民族の迫害がエスカレートする公算が高いそうです。
なかでも2017年から注目されることが多いロヒンギャ問題への懸念は大きいそうです。
ミャンマーの少数民族ロヒンギャは、そのほとんどがイスラム教徒ですが、仏教ナショナリズムを掲げる僧侶などによって家屋が焼かれたり、暴行・殺害されたりしたため、現在では隣国バングラデシュなどに70万人以上が難民として逃れています。

ミャンマーは、NLDを政権に引き入れることになった2015年の選挙結果を受けて、国軍の司令官らが進んで民間人に権力を譲ったまれな事例として称賛されてきたそうです。
NLDの幹部らは、国軍に政治的に反対してきたことを理由に、何年間も刑務所で過ごしてきました。
同政党の守護神的存在のスー・チーさんは、15年間自宅軟禁生活を送り、彼女を閉じ込めた軍事政権に非暴力で抵抗したことで、1991年にノーベル平和賞を受賞しています。
しかし、ミン・アウン・フライン司令官いるミャンマー国軍は、国の重要な権力のレバーを握り続け、2月1日の政府トップ指導者の拘束は、その民主主義への献身が嘘であったことを証明しました。
ミャンマー国軍は、クーデターを起こさなくても恵まれた現行憲法があります。
昨年11月の総選挙では、ミャンマー国軍系の最大野党・連邦団結発展党(USDP)はわずかな票しか獲得できなかったようにみえるかも知れません。
だがそれでも、ミャンマー国軍は政府に対して大きな影響力を維持できています。
軍事政権下の2008年に制定され物議を醸した現行憲法は、ミャンマー国軍に議会議席の4分の1を自動的に与えるだけでなく、内務省や国防省、国境省の主要3省の支配権も付与しています。
つまり、現行憲法が変わらない限り、ミャンマー国軍はある程度の支配力を維持できるわけです。
そして、多数派のNLDが改憲することはできるのでしょううか?
改憲には議会で75%の支持が必要であることから、少なくとも25%を軍が占めている状況では、実現はほぼ不可能となります。

こんなにもミャンマー国軍にとって恵まれた現行憲法があるにもかかわらずクーデターを起こしました。
この理由を考えてみましょう。
国軍は2011年、紛らわしくも「規律と繁栄に満ちた民主主義」と呼ばれる政治体制への移行を始めました。
しかし、先に説明したように、実際には軍の権力が維持されています。
国会の4分の1は軍服を着た男性です。
主要省庁は軍の管理下にあります。
混沌とした民主化の始まりの数年の間、国家資産の投げ売りが行われたのですが、最も価値のあるものを手にしたのは軍の関連会社やその代理人であることが多かったそうです。
2017年、ミャンマー国軍はロヒンギャに対する残忍なキャンペーンを強化し、75万人のイスラム少数民族を強制的に隣国バングラデシュに逃避させ、同時代で最大規模の世界的な難民の流出につながりました。
国連当局者によると、ロヒンギャの村落での大規模な焼き討ちは、組織的な処刑と強姦を伴い、大量虐殺的な意図を持って行われたと言われています。
アメリカバイデン新政権は、アメリカがロヒンギャに対するミャンマー軍部による扱いを正式に大虐殺と呼ぶべきかどうかを検討しているそうです。
アメリカを含む欧米諸国はすでに、ロヒンギャへの暴力に関与しているミン・アウン・フライン国軍司令官を含む軍高官に経済制裁を加えています。
今回の騒動は、表向きは昨年11月の選挙での不正行為への懸念から引き起こされたもので、NLDが5年前に勝利したときよりも、さらに大きな地すべり的勝利をもたらしました。
政権与党が476議席中396議席を確保する一方で、国軍系野党・連邦団結発展党はわずか33議席にとどまりました。
今回のクーデターで、ミャンマー国軍の権威が回復すれば、今年の夏に引退することになっているミン・アウン・フライン司令官の支配を長期化させる可能性があります。
家業を中心としたフライン司令官の後援ネットワークは、同氏の引退によって損失を被る可能性が十分にあったそうで、今回のスー・チーさんらの拘束は、アントニオ・グテーレス国連事務総長が挑発行為に対して警告を発したわずか2日後に行われたとの事です。
グテーレス国連事務総長は、「すべての関係者は、いかなる形の扇動や挑発も自制し、リーダーシップを発揮し、民主主義の規範を守り、11月8日の総選挙の結果を尊重するように」と呼びかけていました。
かつて自宅軟禁中に軍事政権への良心的抵抗を行ったことで国際的な人権の推進者として賞賛されたスー・チーさんは、近年において、公的な場におけるミャンマー国軍のもっとも強力な擁護者として浮上していました。
ミャンマー国軍に対して不利な証拠が積み重なっているにもかかわらず、彼らががロヒンギャに対して虐殺を働いたという告発を公的に否定していました。
こんな状況の中に行われたクーデターです。
近年もエジプト(2013年)やタイ(2014年)で軍事クーデターが起こっています。
真っ当な人たちが起こしたクーデターと言えるものは中国の天安門事件をはじめ小規模にありますがどれも成功していません。
人間はしょせん丸腰では戦えないということかも知れません。
このクーデターがどういった末路をたどるのか見ていきたいと思います。
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