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「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョ

「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョを紹介します。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(Civita di Bagnoregio)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落(フラツィオーネ)です。
首都ローマから約100キロのラッツィオ州の北に位置する小さな村で、ラッツィオ州とトスカーナ州ウンブリア州の境にあります。
チヴィタの歴史はローマよりも古く、2500年以上前にエトルリア人によって作られたと伝えられています。
海抜は462mあり、トゥーフォと呼ばれる火山噴火による貧弱な棚状地層の凝灰岩でできた大地は、雨や風、川の侵食などの影響を受けやすいため、エトルリア時代から古代ローマ時代にかけて、自然の城壁を利用する目的で丘の上に町が作られ、チヴィタもそのひとつだったそうです。
現在では「陸の孤島」といった風貌になっていますが、もともとこういう状態で作られたわけではありません。
長い歴史のなかで、凝灰岩を支える広大な粘土質部分が、地震と雨風で浸食され、町の崩壊は約1000年にも渡って続いたそうです。
1287年から5回の地震に見舞われ、1764年の大地震で隣町バニョレージョへつながる道が崩壊し、多くの住民が町を離れたことにより、チヴィタは廃墟の町になりました。
今でも、雨や風などによる浸食に加え、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされています。
そのため、イタリアの小説家ボナベントゥーラ・テッキにより、「死にゆく町」(il paese che muore)と呼ばれるようになりました。
町の入口の道路標識にも、イタリア語で「il paese che muore(死にゆく町)」と書かれているそうです。
現在では数人ほどの住人が暮らすのみだそうです。
自然の城壁に囲まれ、町全体が要塞のようになっているチヴィタですが、町に入る唯一の道である300mもの長い橋を渡ってサンタマリア城門をくぐると、中世にタイムスリップしたかのような町並みが広がります。
石畳の道に石造りの建物が並び、町の中心広場には聖ドナート教会が建ち、1500年代の粉ひき場などがあります。
町の真ん中にメイン通りとなる道がまっすぐ通っており、小1時間あれば町中を散策することができます。
少し歩いているとすぐに町の端っこへと出てしまいますが、そこから見渡す周囲の景色も見事です。
小さな町とはいえ、カフェやレストラン、バー、土産店、宿泊施設もあるので、立ち寄り散策だけでなく、町に泊まってのんびり過ごすこともできます。
訪れる観光客は後を絶たないそうです。

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これを絶景と呼ぶのでしょうか?
それとも危険なところというひとくくりの観光地なのでしょうか?
このチヴィタを訪れるには、ローマやフィレンツェからの日帰り観光ツアーもありますが、チヴィタと同じく崖の上にあり、「世界一美しい丘上都市」といわれるオルヴィエートを拠点にするのが便利だそうです。
チヴィタとオルヴィエートの2つの天空の町をめぐる観光ツアーもあり、オルヴィエートに宿泊してチヴィタへ日帰り観光するという旅程もおすすめだそうです。
また、オルヴィエートの見どころは、なんといっても中央にそびえる大聖堂です。
300年もの歳月をかけて建設された荘厳なドゥオモでは、素晴らしいイタリアゴシック建築だけでなく、ミケランジェロが絶賛したフレスコ画やイタリア最大級のパイプオルガンも必見だそうです。


チヴィタとは1本の細い橋で結ばれており、途中から坂道になっています。
こちらでは1.5ユーロの入場料を払います。
この橋は新しく見えますが、1965年完成だそうです。
10分弱かけて坂道の橋を登ります。
日陰などは全く無いので、日差しが強い季節には帽子やサングラス、履きやすい靴が必要になります。


イタリアの村なので、ちゃんと教会もあります。
小さなお土産屋さんや、ホテル、レストランなどがあるだけですが、雰囲気は中世そのままです。
食料品屋やスーパーは当然ないので、バーニョレージョまで行かないといけません。
それを考えると、住民のかたは、なかなかの労働です。

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