野付半島の砂嘴

砂が造った地形の一つに砂嘴があります。

(1)野付半島の砂嘴とは
この砂嘴(さし sand spit)ですが、周囲の海岸付近の砂礫や河川から運搬された砂礫が、沿岸流により運ばれ、漂砂となって静水域で堆積して形成されるもので、嘴 (くちばし) 形の地形になっています。
砂嘴で有名なのは、北海道の東部根室海峡に面する野付半島(のつけはんとう)です。
野付半島は、知床半島と根室半島の中間の北海道標津町~別海町にある細長い半島で、オホーツク海に突き出た釣針状の延長28kmに及ぶ日本最大の砂嘴です。
野付半島の砂嘴は、海流によって運ばれてきた砂が長い年月をかけて堆積し、それを波が侵食し、その繰り返しによって形づくられた地形です。
北に位置する知床半島沿いに流れ込む定常的な海流によりつくられ、外海側では粗粒の、内陸側では細粒の堆積物が分布しています。
野付とはアイヌ語であごの意味で、半島の先端が陸地側に向かって大きく湾曲しているのが「人のあご」に似ているところから名付けられています。
この半島の形状は潮流によって運ばれた砂嘴が長い歳月に亘って堆積したもので所々湾内にもいくつかの岬を形成させています。
また、野付半島の周辺は潮流が早く海底が起伏に富み、沖は大変重要な漁場となっています。
野付半島は、根室海峡につきだしており、その長さは全長28kmに及んでいます。
「トドワラ」「ナラワラ」の特異な景観や、水と緑と野生鳥獣に象徴される風景は多くの観光客を魅了し、1962年12月に野付風連道立自然公園に指定されました。
2005年11月1日には、国指定野付半島・野付湾鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され(面積6,146ha、うち特別保護地区6,053ha)、同年11月8日にラムサール条約登録湿地にも登録されています。

(2)野付半島の歴史
野付半島の付け根にある標津町から北海道道950号線野付風蓮湖公園線を走ると、約3/4の部分まで車で行くことができます。
でも、この半島を車で走ると、半島中央部以遠には番屋以外、民家はありません。
砂嘴は、先に説明したように砂が造る地形なので、当然定住するとすれば不安なことは言うまでもありません。
しかし、昔はこの半島のあらゆる場所に集落が形成されていたそうです。
その理由としては、野付崎の外海は鰊(にしん)の漁場であったそうです。
春には根室地方から人が集まり、半島先端部の外海側アラハマワンドには50~60棟の建物が立ち並んでいた時期もあったようです。
今も敷石が残されており「荒浜岬遺跡」と呼ばれています。
そして、そうした鰊漁でにぎわう野付崎の先端部には幻の町「キラク」という集落があったとされています。
これは歓楽街であり、遊郭や鍛冶屋もあったと言われ、今も墓地などが残されています。
遺跡も数多く発見されています。
古くは擦文時代(さつもんじだいとは、7世紀ごろから13世紀で、日本では飛鳥時代から鎌倉時代後半にかけての時代)と思われる竪穴住居跡が半島中央部のオンニクルの森で発見されました。
文献としては、「津軽一統志」(1670年)の中で、「みむろよりのしけ着。・・・是よりらっこ島くなしりへわたり中候」、つまり野付崎から国後島へ渡っていたと記述されています。
1798年に択捉島に渡った近藤重蔵御一行も帰りに野付に宿泊したそうです。
ですから、当時宿泊可能な建物、つまり漁番屋のようなものがあったということがわかります。
1799年には江戸幕府により国後島へ渡るための通行屋が設置され、番人やアイヌ約8人が詰めていたり、ロシアの南下政策に備える武士も常駐していたとされています。
こんなに、にぎわっていた時代も終わりを迎えることになりました。
明治時代には、制度が変わり、交通が発達し、漁業も衰退し、自然災害の不安がある野付半島先端部からは人が去っていきました。
そして、野付半島ネイチャーセンターには、このような歴史が展示しています。
野付半島付け根から先端部にかけての遺跡としては、
①会津藩士の墓(標津町指定文化財)
会津藩が1859~1868年に開拓および北方警備をしました。
蝦夷地詰を命じられ標津に赴任し、文久年間に死去した藩士と家族の墓です。
②イドチ岬遺跡
中央部湾内側にあり、内径17mの円形チャシ跡と方形・楕円形の竪穴住居跡が7確認されています。
③オンニクル遺跡
中央部湾内側にあり、方形・長方形・円形の竪穴住居跡が108箇所確認されています。
④ポンニクル遺跡
中央部湾内側にあり、幅1.5m深さ50cmの溝が4本あり、円形の竪穴2個があります。
その他近くに竪穴1個あり、加賀伝蔵が開いた畑跡と思われる草原があります。
⑤エキタラウス遺跡
中央部にあり、会津藩陣屋跡とされています。
1963年には幅2m・深さ50cmの濠が26m×24mの範囲で巡らされていたと伝えられていますが、現存していません。
⑥ナカシベツ遺跡
先端部外海側にあります。
⑦荒浜岬遺跡
先端部外海側にあり、鰊番屋・蔵など50~60棟あったそうです。
陶磁器やガラス・金属などの遺物も採集されています。
⑧通行屋遺跡(幻の町キラク)
先端部にあり1799年設置しています。
昭和30年代後半に所在を確認し、土塁・貝塚・墓石・井戸の跡・約1万点の遺物が確認されています。

(3)野付半島の観光
野付半島は観光でも有名です。
砂嘴としては日本一ですが、半島としては小さな半島です。
でも、見どころはとても多いと言われています。
まずは季節ごとに咲き乱れる花ですが、センダイハギ、ハマナス、ヒオウギアヤメ、クロユリ、エゾカンゾウ、エゾフウロなどの野生の草花が半島を埋め尽くすそうです。
砂嘴によって囲まれた湾部は野付湾とよばれ干潟やアマモ場が分布しています。
そこには多様な底生生物(甲殻類や貝類など)が生息しており、またそれらを餌とする水鳥や渡り鳥もたくさん見られ、タンチョウヅルはもちろん、オオハクチョウやオジロワシ、コクガンなどのガン類やキアシシギなどのシギ類も多く、その数は毎年2万羽以上にもなるそうです。
1972年に国内で初めて繁殖が確認されたアカアシシギなど、貴重な水鳥もいるそうです。  
湾の内側は尾台沼と呼ばれる穏やかな浅瀬で、名物の北海シマエビがとれるそうです。
あとは、先に述べた「トドワラ」と「ナラワラ」ですが、「トドワラ」は先端部にあり、以前あったトドマツの森林が枯れて埋もれたところで、「ナラワラ」はミズナラの枯木群のことです。
それに、サンゴ草も分布するそうです。

(4)野付半島の今後
近年は、砂州からの砂の流出が激しく、また地球温暖化による海面上昇の影響により砂州が年々狭まり、道路近辺まで海面が押し寄せてきているそうです。
最近は低気圧、地震、高潮等の気象条件により立ち入り禁止になることも増えており、将来近いうちに砂州および道路が海水により切断され半島ではなく島となり、野付半島自体が消失することが危惧されています。
このような微地形は、地形が移り変わるのは仕方がないのかも知れません。
日本では、野付半島の他にも、三保の松原(静岡県静岡市清水区)や住吉浜(大分県杵築市)がありますが、砂嘴としては野付半島とは比較にもならない小さいものです。
砂嘴としての世界一は、ニュージーランド南島北端にある「フェアウェル・スピット」です。
「フェアウェル・スピット」は、クック海峡に突き出した全長35kmを超える砂嘴です。
この地はマオリ語で「堆積した砂」を意味するオネタフアと呼ばれています。
野付半島が28kmですから、規模はほとんど変わらないことになります。
なんとか永久に残ってほしいものです。 


人工衛星から見た野付半島です。

トドワラ
これが「トドワラ」です。
野付半島にはかつて森林が広がっていました。
地盤の沈降により森林の枯化が進み、このような
「トドワラ」ができたと言われています。
「トドワラ」では、海水に浸食され風化したミズ
ナラやトドマツ・ダケカンバなどの枯木が見られます。

ナラワラ
フラワーロードのほぼ中間にあるのが「ナラワラ」です。
ここでは海水で浸食され風化したミズナラの木々が立ち
枯れたまま林をつくっています。

別海市街地 
野付半島の観光マップです。

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