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新居浜市にある「銚子の滝」

愛媛県新居浜市に「銚子の滝」があります。

「銚子の滝」(ちょうしのたき)は、市内南西部、大生院地区を流れる渦井川沿いの道を上流に向かって進み、途中林道を折れると「銚子の滝」に通じる遊歩道の入口に着きます。
ここから渦井川沿いの遊歩道を10分程登ると滝が見えて来ます。
さらに10分程登ると大きな滝壷を持った滝正面に着きます。
私が行った時は、仮設の遊歩道みたいなところを歩きました。
ここが、山吹谷と呼ばれるこの渓谷道の遊歩道だそうで、吊橋の「銚子橋」を渡ると「銚子の滝」に到着します。
この滝は、滝口の岩が銚子の口に似ているので、名付けられたそうです。
落差約30mのこの滝は、年間を通じて豊かな水量を誇り、滝つぼにもなみなみと水を貯えています。
付近一帯はヤマブキが多く、初夏には色鮮やかな渓谷となり、家族連れのハイキングなどに最適なところです。
なお、昭和53年(1978年)4月6日に、市の名勝に指定されているようです。
ただし、「銚子の滝」へ向かう市道渦井川大野山線は、平成25年9月の土砂崩れのため、通行止めとなりました。
現在でも通行止めのため、まだ行けないようです。

 
迫力のある滝でした。
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岐阜県にある「モネの池」について

「モネの池」を紹介します。

「モネの池」は、岐阜県関市板取の根道神社参道脇にある貯水池です。
高賀山の伏流水を利用して1980年頃に灌漑用に整備されました。
「モネの池」は通称であり正式な池の名称ではありません。
地元では根道神社の池もしくは単に池と呼んでいる程度です。
では、何故「モネの池」と呼ばれるようになったかというと、2012年写真雑誌「風景写真 2012年7-8月号[33]」(創刊1989年)に栄馬智太郎さんが投稿し、最優秀作品賞(審査員:前田博史[35])及び2012年度フォトコンテストグランプリ受賞を受賞したのをきっかけにテレビ放映やインターネットの会員制交流サイト(SNS) を通じて有名になり、「モネの池」と呼ばれるようになったと言われています。
これ以後、インターネット上には「モネの池」に関する写真が大量に投稿されています。
1999年、池は雑草が生い茂っていたのですが、近くで花苗の生産販売をする「フラワーパーク板取」の経営者、小林佐富朗さんが除草を行い、スイレンやコウホネを植えたそうです。
また、池で泳ぐコイは地元住民が自宅で飼えなくなって持ち込んだものだそうで、観光目的で作られた池では無く、偶然が積み重なってクロード・モネの後期の睡蓮連作群と似た池となりました。
池の大きさはテニスコートよりも少し大きい程度です。
また、常に湧き水が流れ込み、湧水池となっています。
このため年間水温がおよそ14°Cで一定となっており、冬に咲いた花は枯れにくく、コウホネが冬に咲くと、黄色→オレンジ色→赤色と色が変化します。
また、日差しの傾き、池の水量によって池の水の色も変化しています。
池の透明度が高い理由は、高賀山の山体が流紋岩類で構成されているためで、そこからの湧き水には養分が含まれず、微生物が育たないことが原因です。
2015年6月頃、ブログやTwitterやInstagramなどのSNSでこの池が話題に上り始め、同年秋頃に新聞・情報番組で取り上げられたことで情報が一気に拡散、観光客が激増する要因になりました。
このため、岐阜県および関市では公式ホームページにて「名もなき池」「モネの池(通称)」として観光案内を掲載しています。
2015年11月の報道によれば、休日には3000人ほどが訪れる観光地にまでなりました。
そして、2016年には東海地方の観光地を紹介する情報誌にも掲載されるとともに、新聞、テレビニュースでも大きく取り上げられました。
また2016年5月には板取地区の愛好家で作る板取錦鯉振興会が稚魚から育てたニシキゴイを提供しています。
この年の5月のゴールデンウィーク中には1日平均約3000人の観光客が訪れ、国道256号線が15kmにわたり渋滞し、警察が出動して交通整理を行っています。
「モネの池」は5月から11月にかけてが見頃だそうですが、おおまかな季節の状況は次のようです。
【年中】
総勢で30匹を超える鯉がお出迎えします。
【4月上旬~中旬】
寺尾ヶ原千本桜(モネの池への道中)でお花見を楽しめます。
【5月頃~秋頃】
「モネの池」に入ってくる湧き水の量が増えて透明度が高くなります。
【5月末頃~10月頃】
池に浮かぶスイレンの花を楽しめ、ピークは6~7月です。
【6月下旬~7月】
池の周りに植えられているアジサイが咲き乱れます。
板取あじさい祭りが、今年は平成30年6月30日・7月1日にありました。
【11月頃】
紅葉が色づき、"鏡池"のような「モネの池」を楽しめます。
【12月~2月頃】
白銀の雪の中に映える「モネの池」が絶景だそうです。

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水中花の中を錦鯉が泳いでいます。

モネの池
まさに絶景で、フランスの画家・モネの名画「睡蓮」にそっくりに見えます。

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「モネの池」は長さ40mほどあります。
池沿を歩くと、スイレンの花が見られます。
スイレンの花は、朝の8時頃から開き始め、11時には咲いてしまいます。
ものすごいスピードです。

フランスの秘境と呼ばれるコルシカ島

フランスの秘境と呼ばれるコルシカ島を紹介します。

コルシカ島 corsica(フランス語では corse)は、地中海の島で現在はフランス領だそうです。
古代にはローマの属領、ゲルマン人の諸国の支配を受けた後、ジェノヴァ共和国領となっています。
18世紀にジェノヴァから独立運動が起きたそうですが、結果的にフランス領となりました。
コルシカ島は、フランスに最も近く、その南にサルデーニャ島があります。
中心都市は現在は西岸のアジャクシオです。
コルシカ島は、ナポレオンが生まれたところです。
ナポレオンのボナパルト家は、北イタリアから16世紀初めにコルシカに移住して地主となった家で、ナポレオンの父のカルロは農園を経営してはじめは独立運動に加わったのですが、フランス王が介入してくるとそれに協力したことによって貴族の称号を与えられました。
コルシカ独立運動がしっぱに終わった翌年の1769年8月15日、ナポレオンはカルロ=ボナパルトの子としてにコルシカの中心都市アジャクシオで生まれました。
その生家は現在も残されており、記念館になっています。
1779年、10歳のナポレオン少年は家族と共にコルシカを離れ、ブーリエンヌ陸軍幼年学校に入学しました。
ナポレオンはコルシカがフランス領に戻ってから、1799年に3日間だけ滞在しただけで、その後は足を向けることはなかったそうです。
コルシカ島はナポレオンだけが見所ではありません。
地中海にある山の多い島で、スタイリッシュな海岸沿いの町、鬱蒼とした森、険しい山(最高峰はサント山)が特徴です。
島の約半分は公園内にあり、難関の GR20 を含むハイキング コースがあります。
大勢の人で賑わうピエトラコラバから、遠く離れたサレッチアやロンディナラまで数多くのビーチがあります。
1768 年以来フランス領になっていますが、イタリア文化の影響が今でもはっきりと見られます。

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何と言っても、コルシカ島の見どころは断崖絶壁と、その上に立つボニファシオの街並みです。
美しい地中海に、険しくそびえ立つ絶壁、そしてその上に風情のある街並みは、絶賛された絵画のようです。

コルシカ ナポレオンの生家
これは、19世紀の絵画ですが、コルシカ島アジャクシオのナポレオンの生家を描いています。

「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョ

「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョを紹介します。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(Civita di Bagnoregio)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落(フラツィオーネ)です。
首都ローマから約100キロのラッツィオ州の北に位置する小さな村で、ラッツィオ州とトスカーナ州ウンブリア州の境にあります。
チヴィタの歴史はローマよりも古く、2500年以上前にエトルリア人によって作られたと伝えられています。
海抜は462mあり、トゥーフォと呼ばれる火山噴火による貧弱な棚状地層の凝灰岩でできた大地は、雨や風、川の侵食などの影響を受けやすいため、エトルリア時代から古代ローマ時代にかけて、自然の城壁を利用する目的で丘の上に町が作られ、チヴィタもそのひとつだったそうです。
現在では「陸の孤島」といった風貌になっていますが、もともとこういう状態で作られたわけではありません。
長い歴史のなかで、凝灰岩を支える広大な粘土質部分が、地震と雨風で浸食され、町の崩壊は約1000年にも渡って続いたそうです。
1287年から5回の地震に見舞われ、1764年の大地震で隣町バニョレージョへつながる道が崩壊し、多くの住民が町を離れたことにより、チヴィタは廃墟の町になりました。
今でも、雨や風などによる浸食に加え、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされています。
そのため、イタリアの小説家ボナベントゥーラ・テッキにより、「死にゆく町」(il paese che muore)と呼ばれるようになりました。
町の入口の道路標識にも、イタリア語で「il paese che muore(死にゆく町)」と書かれているそうです。
現在では数人ほどの住人が暮らすのみだそうです。
自然の城壁に囲まれ、町全体が要塞のようになっているチヴィタですが、町に入る唯一の道である300mもの長い橋を渡ってサンタマリア城門をくぐると、中世にタイムスリップしたかのような町並みが広がります。
石畳の道に石造りの建物が並び、町の中心広場には聖ドナート教会が建ち、1500年代の粉ひき場などがあります。
町の真ん中にメイン通りとなる道がまっすぐ通っており、小1時間あれば町中を散策することができます。
少し歩いているとすぐに町の端っこへと出てしまいますが、そこから見渡す周囲の景色も見事です。
小さな町とはいえ、カフェやレストラン、バー、土産店、宿泊施設もあるので、立ち寄り散策だけでなく、町に泊まってのんびり過ごすこともできます。
訪れる観光客は後を絶たないそうです。

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これを絶景と呼ぶのでしょうか?
それとも危険なところというひとくくりの観光地なのでしょうか?
このチヴィタを訪れるには、ローマやフィレンツェからの日帰り観光ツアーもありますが、チヴィタと同じく崖の上にあり、「世界一美しい丘上都市」といわれるオルヴィエートを拠点にするのが便利だそうです。
チヴィタとオルヴィエートの2つの天空の町をめぐる観光ツアーもあり、オルヴィエートに宿泊してチヴィタへ日帰り観光するという旅程もおすすめだそうです。
また、オルヴィエートの見どころは、なんといっても中央にそびえる大聖堂です。
300年もの歳月をかけて建設された荘厳なドゥオモでは、素晴らしいイタリアゴシック建築だけでなく、ミケランジェロが絶賛したフレスコ画やイタリア最大級のパイプオルガンも必見だそうです。


チヴィタとは1本の細い橋で結ばれており、途中から坂道になっています。
こちらでは1.5ユーロの入場料を払います。
この橋は新しく見えますが、1965年完成だそうです。
10分弱かけて坂道の橋を登ります。
日陰などは全く無いので、日差しが強い季節には帽子やサングラス、履きやすい靴が必要になります。


イタリアの村なので、ちゃんと教会もあります。
小さなお土産屋さんや、ホテル、レストランなどがあるだけですが、雰囲気は中世そのままです。
食料品屋やスーパーは当然ないので、バーニョレージョまで行かないといけません。
それを考えると、住民のかたは、なかなかの労働です。

京都嵯峨野の「竹林の散策路」

京都の有名な観光地「嵐山」から徒歩で行ける、嵯峨野の竹林を紹介します。

京都嵯峨野に広がる竹林は数々のCMなどに使われ、多くの観光客が訪れる人気スポットです。
その竹林に2015年秋、新たな観光スポットが登場しました。
「竹林の散策路」と名付けられた遊歩道です。
竹林の中心でもある野宮神社の少し北に、ゆっくりと竹林の情景を楽しめる穴場的な新散策ルートとなっています。
ここは、日本のみならず世界中からの観光客が連日たくさん訪れる大人気のエリアです。
観光客を乗せて人力車が行き交っています。
特に野宮神社から大河内山荘にかけては竹林の道のハイライトです。
入場はもちろん無料で、9:00から17:00までの解放されています。
「竹林の散策路」は想像以上に広い空間です。
青々とした竹林を回遊できるように、ゆったりとした道幅の散策路がはりめぐらされています。
春の桜や秋の紅葉と違って竹林は一年中楽しめるスポットです。
冬でも緑を絶やさず、夏でも涼しげなその光景は嵯峨野、そして京都観光の象徴的な情景です。
今年は特に暑い京都の中にあっても、この「竹林の散策路」の、見渡す限りの青々とした竹林からは、涼しい風が吹いてきます。
京都の真ん中の避暑地と言えるでしょう。

京都の有名な観光地「嵐山」から徒歩で行ける、嵯峨野の竹林。見渡す限りの青々とした竹林からは、涼しい風が吹いてきます。日中は人出が多いので、早朝に行くのがおすすめ!
真夏でも、ここだけは涼しそうです。

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