日本の天然橋について

日本には天然橋がたくさんあります。
その中で、代表的な天然橋を紹介します。

①北石橋
北石橋(きたしゃっきょう)は、宮城県仙台市 蔵王国定公園二口峡谷にある、自然が作った巨大な石橋です。
北石橋は、宮城県の秋保(あきう)温泉、秋保大滝からさらに奥に行った、大東岳裏コースと呼ばれる大行沢(おおなめさわ)に沿った登山道を行かなければいけません。
北石橋は天然のアーチ橋で、長い年月をかけて水流が岩に穴を穿って出来たものだそうです。
この付近では、他にも、鳴虫沢の南石橋、ムジナ森沢のムジナ森石橋が知られています。
ブリッジになったところの沢からの高さは20mぐらいはありそうです。
ブリッジの長さは10メートルを越えるそうで巨大だそうです。

イメージ 13
この写真だけ見ると、山の中の普通の洞窟みたいに見えて、巨大なイメージはありません。
山の中だけに、自然の中で、20mクラスの天然橋が見られるのは感動するかも知れません。

②大棧橋
大棧橋(だいさんきょう)秋田県男鹿市の、男鹿国定公園内の海上にかかる天然の石橋で、男鹿半島の西海岸を代表する景勝地となっています。
大桟橋は、男鹿の荒波により、長い年月を経て大きな岩がくりぬかれています。
その大きさは、観光遊覧船が、この自然の大橋の下をくぐり抜けるほどです。
大桟橋道路(おが潮風街道)からは突き出た岩の造形美が楽しめます。

大棧橋 
立派な天然橋です。
観光遊覧船が、くぐり抜けるほどなので、幅20m以上、高さ15m以上はありそうです。

③円月島
円月島(えんげつとう)は、和歌山県白浜町白浜のシンボルとして親しまれている島です。
正式には「高嶋」といい、臨海浦の南海上に浮かぶ南北130m、東西35m、高さ25mの小島ですが、島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり開いていることから「円月島」と呼ばれ親しまれているそうです。
円月島に沈む夕陽は「和歌山県の夕日100選」に選ばれており、日の沈む夕景の美しさは格別だそうで、夏は6時30分頃、冬は4時30分頃に見るのが最高だそうです。


左右対称の島で、円月島の穴の中に夕日が沈む時期があるそうです。
これは なかなか見れない光景だそうです。

④羅生門
羅生門(らしょうもん)は、岡山県新見市草間にある国の天然記念物で、陥没ドリーネ群中の巨大な天然橋と鍾乳洞です。
多数の鍾乳洞や、ドリーネの点在するカルスト地形の広がる、「阿哲台」と呼ばれる標高約400メートルのカルスト台地上にあります。
1930年(昭和5年)8月25日に国の天然記念物に指定され、2007年には、日本の地質百選にも選定されました。
鍾乳洞の天井が陥没し、残った部分が天然橋になったもので、第一門から第四門まであります。
第一門は高さ38m、幅17mのアーチ状の天然橋で、他とは独立しており、上部を通行できるそうです。
第二門と第三門は一体に連結していて、洞口を三つ有する一つのカルストトンネルです。
第四門は吸い込み穴型の長大な鍾乳洞で、約300m奥の最奥部は地底湖になっています。

写真
立派なカルストトンネルです。
この羅生門も写真で見るのと、実際に潜り抜けたのとでは全く違った印象だと思います。

⑤雄橋
雄橋(おんばし)は広島県庄原市東城町の帝釈峡にある天然橋です。
比婆道後帝釈国定公園の一角を担う景勝地で、1987年(昭和62年)5月12日に国の天然記念物に指定されています。
広島県北東部の帝釈川中流域に広がるカルスト地形(石灰石台地)で、帝釈川の浸食作用によって形成された石灰石の天然橋です。
もともとは鍾乳洞であったものが、地底川の侵食の進行によって洞門が大きくなったことで天井部分が落盤し、一部分だけが橋状に残されたと考えられています。
したがって、雄橋の橋床部分がかつての帝釈川の川底であったところだと考えられています。
台地の浸食が始まり橋が形成された時期は資料によってまちまちですが、最近では第四紀の終わり、数十万年前以降とされています。

ひょっとして夜は動き出すかも?! 
この雄橋は、私も8年程前に行ったことがあります。
全長90m・幅18m・厚さ24m・川底からの高さ40mで、日本を代表し世界でも類を見ない石灰岩の天然橋です。
渓水の浸食作用により、巨大な岩盤の下部が長い年月をかけて貫通して出来たそうです。
この橋を架けたのは「神様」または「鬼」ともいわれ、神秘的な佇まいを留めているとの謳い文句でしたが、あまり神秘的な印象はなく、少し大きい石橋くらいに思えました。
その昔は、東城と西城・庄原方面を結ぶ街道として人通りも多く、馬や籠も通っていたそうで、備後路を往来する人々が使用していた形跡が今でも残っているそうです。

⑥千貫松島
千貫松島(せんがんまつしま)は、鳥取県岩美郡岩美町にある、花崗岩の離れ岩で、トンネルのように穴が貫通している「海食洞門」です。
高さ10mの洞門の頂には、1本の見事な緑の松が生えています。
旧鳥取藩主の池田綱清公がここで舟遊びをした時、この島のあまりの美しさに「わが庭にこの岩つきの松を移すことができた者に、禄千貫を与えよう。」と言ったことから、「千貫松島」と呼ぶようになったそうです。

千貫松島 -花崗岩に形成された天然橋-(c)FUMIO YOSHIDA/SEBUN PHOTO
このような島は、瀬戸内海にはいくつもありそうですが、ぱっくりと穴が開いているのはやはり珍しいと思います。

⑦通天橋
通天橋は、島根県隠岐郡西ノ島町の、大山隠岐国立公園の一部、国の名勝地である国賀海岸にあります。
急崖の連続する摩天崖の一部に、アルカリ玄武岩と凝灰岩の互層を削って形成された海食洞が崖を突き抜けて、橋梁状になっています。
大正時代の豊岡地震で半壊したそうなので、以前より規模が小さくなっているそうです。
典型的な天然橋で、アーチ状の海食洞門です。
海食洞門は、海食洞の侵食が進んで両側に開口しています。
地層は新生代鮮新世のアルカリ玄武岩の溶岩や火砕岩です。


立派な海食洞門です。
断崖には縞模様が見られますが、こfれが地層の層理面に当たり、西ノ島のほとんどはこの玄武岩から構成されているそうです。

⑧川辺の天然橋
川辺の天然橋は、鹿児島県南九州市上山田柿房虚空蔵獄にあり、鹿児島県指定天然記念物です。
付近一帯の地形は 300 ~ 400m の低平な山地と、その周囲を取り囲むように分布するシラス台地から構成されています。
山地は基盤をつくる四万十累層群と、それを覆う数百万年前の南薩層群に属する火山噴出物で造られています。
天然橋は、虚空蔵岳の頂上付近の、安山岩質凝灰角礫岩層を東西にまたいだもので、長さ8 m、高さ 3.3mあり、アーチ型をしています。
橋床から橋上まで高さ 10m、橋上の幅 3.5mで、人が自由に往来できる広さがあります。
この天然橋は、風雨による長年にわたる浸食作用の結果できたもので、凝灰角礫岩の割れ目に雨水がしみ込み、それが徐々に拡大してついに穴が形成され、アーチ型になったものだそうです。
この天然橋は、かつては修験の場となったことがあるそうです。

イメージ 15 
この天然橋も、写真だけではわかりずらいところがあります。
草とかが生えて通行もままならないような写真ですが、天然記念物なので、実際は整備が行き届いていることと思います。
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奈良県の行者還岳

奈良県の行者還岳を紹介します。

行者還岳(ぎょうじゃがえりだけ)は、奈良県の天川村と上北山村にまたがる標高1,546mの山です。
その険しい山容により、役行者をして一度は引き返させたという伝承からこの名が与えられているそうです。
地理としては、大峰山脈の北部にあたり、北に山上ヶ岳・大普賢岳、南西方に弥山・八経ヶ岳が連なる稜線の上に位置しています。
頂上は、この稜線を通る大峯奥駈道からは、徒歩にして10分程度離れたところにあります。
行者還岳にはいくつかのルートから登ることができるそうです。
最も登山者が多いのは、国道309号の行者還トンネル西口からのルートで、1時間50分ほどで登頂することができるそうです。
同じ行者還トンネルの東口からのルートもあり、こちらは2時間15分ほどです。
また、大峯奥駈道を通って南北からアプローチすることもでき、弥山からは3時間半、大普賢岳からは4時間程度の時間が必要だそうです。


稜線沿いの道はものすごく綺麗な紅葉です。
中腹が針葉樹だけによけいにめだった道になっています。


コース概要図です。

新潟県の「清津峡」と「清津峡峡谷トンネル」

雄大な岩礁と清流からなる日本有数の景勝地「清津峡」を紹介します。

「清津峡」は、新潟県十日町市小出から湯沢町八木沢にかけての全長約12.5kmの渓谷で、信濃川の支流である清津川が形成した峡谷です。
昭和24年9月に上信越高原国立公園に指定され、その荘厳なる閃緑ひん岩と柱状節理の美しさから、黒部峡谷、大杉谷とともに日本三大峡谷の一つに数えられています。
清津川を挟んで切り立つ巨大な岸壁がV字型の大峡谷をつくり、雄大な柱状節理の岩肌とエメラルドグリーンの清流が、訪れる人々に深い感動を与えます。
観賞用として「清津峡峡谷トンネル」があり、中にある4つの見晴所から雄大な渓谷美を堪能できます。
この「清津峡峡谷トンネル」ですが、これを造ったのには経緯があります。
昔は、清津川に沿って、清津峡温泉から八木沢にぬける遊歩道(登山道)があり観光客の立入、通行が可能だったのですが、春先はなだれや残雪で通行不能だったり、また大小の落石や土砂崩れが頻発し、大変危険な道でした。
こんな中、1988年(昭和63年)7月、落石が頭にあたり男性1名が亡くなるという事故が発生しました。
以来、通行の安全が保証できないということで、この歩道は通行はもちろん立ち入りも一切禁止となりました。
これにより、温泉街から奥に入ることができなくなり、もっとも柱状節理の渓谷美が見事な場所(屏風岩)を見ることができないという状態が続きました。
地元や観光客から、せめて渓谷美だけでも見られるようにしてほしいという要望が多く、環境庁(国立公園担当)、文化庁(天然記念物担当)、新潟県などの関係機関と地元中里村との間で検討が始まりました。
そこで、
①閉鎖した遊歩道の再開は不可能
②岩が崩れやすく安全な歩道の整備は困難
③国立公園内であり、外観を損なう大規模な人工物の建設は認められない
④国立公園とはひろく国民に利用されることが目的であり、観光資源としてもこのまま放置しておくことはできない
などのことから、歩道の代替施設として、安全に通行でき外観を損ねない歩道トンネルの建設が決まりました。
新潟県の補助金をうけ、中里村が事業主体で、総工費約20億円です。
平成4年に着工され、平成8年10月1日に「清津峡渓谷トンネル」としてオープンしました。
完成によって、閉鎖されてから8年ぶりに、清津峡の渓谷美がその一部ではあるが見られるようになりました。
ただし、川沿いの遊歩道は、現在も立ち入り禁止となっており、山越えの登山道が整備されています。
川沿いの遊歩道に比べるとつまらないとか、トンネルが長くて見るところが少ない等々、不満の声もあるそうですが、頭上(天候や落石)や、足もと(段差や石など)を気にせず安全に鑑賞できることや、ベビーカーや車椅子の利用ができます。

[ V字谷 ]  左右に切り立つ柱状節理の絶壁。V字谷のパノラマに圧倒されます。

左右に切り立つ柱状節理の絶壁「昇天閣」です。
V字谷に入り込んでいる臨場感に圧倒されます。
清津峡は信濃川の支流である清津川によって作られた渓谷で、1941年に国の名勝と天然記念物に指定されています。

[  ]  第二見晴所。ここは丸淵と呼ばれており、川が蛇行して流れています。

ここは丸淵と呼ばれ、川が蛇行して流れています。
下流方面は順光となり手前の崖と奥の崖の陰影差が強く出ます。

[  ]  第二見晴所(丸淵)の正面。くの字に曲がる川と柱状節理の絶壁。

正面を見ると川が曲がっており、その奥に迫力ある柱状節理の絶壁が見えます。
柱状節理(ちゅうじょうせつり)とは、マグマがゆっくりと冷え固まるときに五角形・六角形の柱状になった岩のことです。

[  ]  1996年に全長750mの「清津峡渓谷トンネル」が完成し、3つの見晴所とパノラマステーションからの眺めを楽しめるようになりました。

「清津峡」では以前は、川沿いの遊歩道を歩いて眺望ポイントに行っていましたが、落石事故により死者が出たため、1996年に全長750メートルの歩行者専用トンネル「清津峡渓谷トンネル」が作られ、安全に眺望を楽しめるようになりました。
駐車場は3ヶ所(約200台)入坑口で料金(大人:600円)を払い、清津峡渓谷トンネルに入ります。
4ヶ所の見晴所、終点にはパノラマステーションが設けられており、柱状節理の渓谷美を味わうことができます。
トンネル入り口から第一見晴所までは、清津峡の成立ち、四季などを紹介する展示スペースが続いています。
このような、コンクリートだらけのトンネルを歩くのは何か味気のない気がしますが、やはり安全が一番ですね。

清津峡渓谷トンネル施設案内
「清津峡渓谷トンネル」の施設案内です。

松山市の「奥道後」について

愛媛県松山市の「奥道後」を紹介します。

「奥道後」は、石手川上流の渓谷に来島どっくグループが開発した滞在型リゾート施設で、ホテル奥道後を中心とした温泉レジャーランドです。
温泉は、湧出量が豊富なので浴槽は全て掛け流しで使用しています。
さらに松山市中心部の銭湯のほか、保養所、旅館も引湯しています。
温泉地の中心は、広大な敷地を誇る「奥道後 壱湯の守」です。
男女各7種からなる浴槽の敷地面積約1508㎡の大露天風呂は西日本最大級の広さで、アルカリ性単純硫黄泉(pH9.4)の泉質で湧出量が毎分約400Lの豊富な源泉を湧き出しています。
そして、「奥道後」では、四季折々で多彩な花々が咲き競います。
春には辺り一面に咲き誇る『桜』をはじめ、遊歩道の『藤棚』、初夏に『さつき展』、秋には『菊花展』、『紅葉』と、一年を通して美しい花景色です。

「湧ヶ淵」の伝説があります。
この界隈は、昔からこの川沿いの周辺に温湯の湧きでているところがあることから「湧ヶ淵」と呼ばれ、数億年の歳月をかけて水の流れが作り上げた花崗岩の渓谷で、奇岩奇跡は大自然の造形の美の深さを物語っており、全国でもまれな景勝の地として知られ、この淵にまつわる伝説として次のような興味深いものが語り伝えられています。
この渕に大蛇が棲み夜な夜な美女に化身して通行人をたぶらかしては、蒼く澄んだ渕に誘いこみ命を奪うなどの害をおよぼしたとの言い伝えがあります。
そこで、湯山菊ヶ森城主三好長門守秀吉の長男蔵人三郎秀勝が一夜ひそかに渕のほとりに潜んで突如水上に現れた美女めがけて鉄砲を打ち込んだところ、天地も崩れんばかりの鳴動と共に渕の水は渦を巻き、その中にのたうち廻る大蛇の姿が見えたそうです。
翌朝、果たして大蛇の死骸が浮かび血の川の流れは三日三晩つづいたそうです。
それ以来怪しい美女は二度と現れなかったそうです。
この大蛇の頭骨と文献はその後、三好家に代々伝えられていましたが、「奥道後」の開発事業が進むにつれて三好家よりこれを譲り受け、奥道後温泉の竜姫宮に神棚を設け供養されているそうです。

夏目漱石の句もあります。
「蛇を斬った 岩と聞けば淵寒し 漱石」


「奥道後」の全貌です。
桜の季節には素晴らしく華やかになります。
中央にはイベント会場があり、写真奥にはホテル本館やロッジが立ち並んでいます。


愛媛県松山市の奥座敷と言われる奥道後温泉からは、かつては松山市街を一望できる杉立山(松山市杉立町)に向けて観光ロープウェイ(奥道後ロープウェイ)が営業していました。
写真の左下にロープウェイが見えますが、中央の鉄塔はこのロープウェイの架線塔です。
奥道後ロープウェイは奥道後の観光開発の一つとして昭和39(1964)年にホテル奥道後が開業しています。
バブル期には多くの観光客で賑わっていましたが、社会情勢の変化と奥道後の観光産業が衰退した事に伴い乗客は激減し、遂に平成21(2009)年12月からは運行休止となり現在に至っています。

奥道後では藤が見頃です♪
奥道後園内の遊歩道には長さ1kmにも及ぶ藤棚があります。
毎年4月中旬~5月上旬になると、色鮮やかな紫色のトンネルができます。


遊歩道をずっと東に歩くと「不動滝トンネル」があります。
「不動滝トンネル」は50mほどの長さがあり、遊歩道と水路が折半しています。
トンネルの出口には破損した門が設けられています。
遊歩道が廃道となっていた平成20年2月現在では、この門が閉鎖ゲートの役割を果たしていました。
対岸から「不動滝トンネル」の出口を見ると、トンネル内水路から流れ出た水は瀑布となって石手川に降り注いでいます。
坑口には「不動滝」と記された看板も設置されており、地図や現地を見る限り、水路トンネルである「不動滝トンネル」を建設した目的は、用水とかではなく、観光目的だと思われます。
竣工したのは昭和30年代半ば頃のようです。

奥道後ロープウェイ08
「不動トンネル」から石手川の断崖を約50mほど進んだ遊歩道の終点には金閣寺を模した「錦晴殿」がありました。
この「錦晴殿」は、奥道後の創設者でもある故坪内壽夫さんが文化庁長官今日出海さんの兄である作家の今東光さんの依頼を受け、昭和36年に着手しました。
文化庁が保存していた図面を元に、文化庁職員の指導を受け、材料、寸法ともにあくまで焼失前の金閣寺を忠実に再現した建造物として高い評価を受けており、奥道後でも有数の観光スポットでした。
しました。金箔9万5千枚を使い、昭和41年に落成したそうですが、平成13年6月の大雨で土砂崩れが起き建物は崩落致しまし、以後は再建されないまま現在に至っています。

奥道後ロープウェイ02
奥道後駅に停車中の「あさなぎ号」です。(平成20年2月18日撮影)
この写真は、廃止される約2年前の奥道後ロープウェイ駅です。
運行時の奥道後ロープウェイは、9:30~16:30まで30分間隔の運転で、運賃は往復1,000円(小人500円)でした。


奥道後ロープウェイは、奥道後温泉から杉立山に向けて敷設されています。
「山麓つつじ園駅」から「山頂望海楼駅」まで、約20分程度の所要時間でした。
山頂では、「白雲楼」というバーベキューの食べれるレストランや喫茶「パーラー」それに動物の放し飼いもしていました。

トルコの世界遺産「ヒエラポリス-パムッカレ」

トルコに「ヒエラポリス-パムッカレ」という世界遺産があります。

「ヒエラポリス-パムッカレ」はトルコ西部・デニズリ県にあるユネスコの世界遺産(複合遺産)の登録名です。
この中の「パムッカレ」は、石灰華段丘からなる丘陵地の名前であり、「ヒエラポリス」は、ローマ帝国の都市の名前で、現在では遺跡が残っています。
トルコのデニズリ県に入ると、遠くに見える山肌が、一部分だけ白く輝いているそうです。
その光景はあまりに唐突に、突然現れるので誰もがびっくりするはずだそうです。
山の一部が白いのは、石灰を含む地下水が地熱で温められ、温泉となり、地上に流れ出た時に石灰分が周りのものに付着して残り、沈殿した結果作り上げられた景観だそうです。
「ヒエラポリス」は、紀元前2世紀に建設された古代都市です。
良質な温泉「パムッカレ」の丘の上に、温泉保養地として多くの人々が集まり、都市が形成されました。
「ヒエラポリス」は、聖なる都市という意味があるそうです。
2度の大きな地震で、今は廃墟となっていますが、古代ローマ時代の後1世紀から2世紀にかけて建造された円形劇場、共同墓地、公衆浴場などの立派な遺跡が残っています。
「ヒエラポリス」の遺跡を右手に見ながらしばらく坂道を歩いていくと、「パムッカレ」に着きます。
真っ白な棚田から、キラキラと輝くブルーの温泉が下の石灰棚に静かに流れ落ちる、幻想的で不思議な光景です。
「パムッカレ」とは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味です。
綿とあるのは昔からこのあたりが良質の綿花の一大生産地だったそうです。
ここは、二酸化炭素を含む弱酸性の雨水が台地を作っている石灰岩中に浸透し、炭酸カルシウム(石灰)を溶かした地下水となります。
その地下水が地熱で温められて地表に湧き出て温泉となり、その温水中から炭酸カルシウムが沈殿して、純白の棚田のような景観を作り出しています。
棚田の畦の部分は、流れてきた植物片などがひっかかり、これに石灰分が沈着して次第に堤のように成長します。
これは温水が畦を越流する時に石灰分の沈積が化学的に加速するためでもあるそうです。
このような景観が約200mの高さにわたって形成されています。
規模はずっと小さいのですが、同種の微地形が鍾乳洞内にもみられることがあり、これを「畦石池」と呼んでいます。

トルコの世界遺産パムッカレ02
ここが「パムッカレ」ですが、2世紀頃にはローマ帝国の温泉保養地として「ヒエラポリス」という都市が石灰棚の一番上に建設されています。
地震によって現在は廃墟となっていますが、ローマ時代の遺跡がごろごろしているそうです。


世界遺産に登録されている、トルコの「パムッカレ」ですが、まるで人の手によって造られたような、美しい純白の棚です。
大小合わせて100以上の棚のプールがあります。
丘陵地帯の石灰棚が弱酸性の雨によって溶け、地熱によって温泉となり沈殿した石灰が固まった結果、この芸術的な景観が生まれたそうです。
まるで雪景色のようですが、白いのは石灰によるものです。


「パムッカレ」の入り口にはパムッカレ・テルマルがあります。
温泉プールのような、天然の炭酸泉の温泉施設。大理石の柱など、ヒエラポリスの遺跡が足元にそのまま沈んでいます。
もともとは水の神を祭る神殿跡だそうですが、そんな場所を温泉プールとして開放しているのには驚きです。
一番深いところの水深は7mです。
でも、透明な温泉なので、底に眠っている遺跡の柱などがしっかりと確認できます。
水温は人肌ぐらいで、施設内は暖かい空気に包まれています。
果物が豊富なトルコらしく、店内ではたくさんのカットフルーツが売られています。

トルコの世界遺産パムッカレ08
「パムッカレ」とはトルコ語で「綿の宮殿」という意味です。
かつてはこの地域は綿花の一大生産地だったことに由来しているそうです。

トルコの世界遺産パムッカレ07
大勢が、この「パムッカレ」に観光に来ています。
この角度の写真だと高所恐怖症の人には少し怖いかもしれません。

トルコ旅行 パムッカレ 写真 画像
「パムッカレ」は現在景観保護のためほとんどが立ち入り禁止で 一部だけしか入ることができないそうです。
本来は、この石灰棚にはたっぷりのお湯が入っている超絶景だったそうですが、周辺の温泉ホテルの開発ラッシュでそちらにも温泉を供給したことで棚が枯れてしまったところもあるそうです。
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