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愛媛県の松山城

日本一高くて美しい松山城を紹介します。

 
松山城の本丸から天守閣を見上げた写真です。


大天守から本丸を見ています。
右側には馬具櫓や太鼓櫓が見えます。
すごく広い本丸です。

  
天守閣の周辺の様子です。


松山城とその周辺の様子です。
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高知県の「ひろめ市場」

高知県の「ひろめ市場」を紹介します。

高知市の中心部・帯屋町(おびやまち)アーケードの西端に「ひろめ市場」はあります。
ここは、昼間から地元客と観光客が入り乱れて酒を酌み交わすという、いかにも酒好きな県民が多いといわれる高知県らしい名所だそうです。
1998年のオープン以来、いまだ客足が衰えない人気スポットです。


「ひろめ市場」の「ひろめ」は、土佐藩の名家老「深尾 弘人蕃顕(ふかお ひろめしげあき)」の屋敷があった場所から来ているそうです。
明治になって屋敷がなくなった後も、屋敷跡地周辺は「弘人(ひろめ)屋敷」と呼ばれていたそうです。
この「弘人屋敷」に商店街活性化のために平成10年に「ひろめ市場」が作られています。


和洋中の飲食店約40店、お土産物屋などの物販店約20店が入った、大きな屋台村をイメージした施設です。
いろんなお店から料理や飲み物を買って、好きな席で土佐の味が楽しめます。
初めての人の場合、そんな巨大宴会場の熱気に圧倒されます。
空席もなかなか見つかりません。
メインの「お城下広場」はいつも混み合っていますが、「いごっそう横丁」など路地のテーブルも混み合っています。

鹿児島県南大隅町の「雄川の滝」

鹿児島県南大隅町の中心街を流れる雄川の上流に落差46m、幅60mの「雄川の滝」があります。

「雄川の滝」は、江戸時代後期に薩摩藩が編纂した薩摩国、大隅国、及び日向国の一部を含む領内の地誌や名所を記した文書である「三国名勝図会」にも紹介されている名勝の滝で、雄川流域の一部が大隅南部県立自然公園の指定を受けています。
大地の末端をえぐった滝の一帯は、荒々しい岩があらわになった渓谷で、雄大な自然が魅力です。
滝の上流が発電所の取水口になっていて水量は、常時は少ないのですが、滝壁面の幾何学模様の節理と壁面の伏流水が美しい景観をなしています。
滝つぼは深くないですが透明感があり、エメラルドブルーに輝く水面が印象的です。
近年、滝までの遊歩道が整備され、雄川の渓谷風景や滝の全景を近くで観察することができます。
遊歩道から見上げるアーチ状のけた橋の滝見橋も迫力があり、見所ポイントとなっています。
地質的には、鹿児島湾南部の池田湖(池田カルデラ)がなどが含まれる阿多カルデラ(阿多南部カルデラ)から噴出した阿多火砕流堆積物(溶結凝灰岩)の台地(シラス台地)が浸食でえぐられて形成された貴重な地形です。
エメラルドグリーンの滝つぼは、「雄川の滝展望所」から眺めることができます。
鹿児島空港からは、車で約1時間45分、鹿児島市内からは、車で約3時間の場所にあります。

雄川の滝(南大隅町)
雄川上流にある落差46m、幅60mの「雄川の滝」は遊歩道の最後に唐突に姿を現します。
白糸のように流れ落ちる滝、荒々しくそそり立つ岸壁、岩の間からしみ出す清冽な水、そしてコバルトブルーの水をたたえる滝壺です。
圧倒的な自然美を展望台から楽しめます。


滝つぼは、見ての通り深くないですが、透明感があり、エメラルドブルーに輝く水面が印象的です。
また、岩盤の亀裂を伝わって、たれ落ちる水がカーテンのように見えます。

雄川の滝(南大隅町)
南大隅町の隣町である錦江町には、上から滝全景を見られるスポット「雄川の滝上流展望所」もあります。

雄川の滝の様子
現在では、「雄川の滝」の上流にある発電施設改修工事のため、上流の堰が解放され天然の水量がそのまま滝壺に流れ落ちているそうです。
そのため、水面の色はエメラルドグリーンには見えませんが、写真の通り迫力は増しています。
堰が解放されている期間は2019年6月5日までの予定です。
迫力ある滝をお好みの方はこの期間がいいと思います。
ただし、堰が解放されているため小量の降雨でも遊歩道が冠水する恐れがあります。
冠水した場合には、雄川の滝への遊歩道は立ち入り禁止となります。
また、遊歩道内では台風災害等で被害を受けた山林整備のため、樹木の伐採や倒木等の運搬作業を行っているそうです。
通行の際には注意が必要です。
駐車場から滝つぼまでは、約1,200mの遊歩道があり、渓流の音に癒されながら自然と一体になれる癒しのスポットです。
勾配のある遊歩道なので、トレッキングができるような服装が必要です。
また、滝つぼでの遊泳はできないそうです。

皇居「乾通り」の桜の観賞

皇居「乾通り」の桜を観賞しました。

例年、3月下旬から4月上旬頃の見頃の時期に公開される春季皇居乾通り一般公開は、毎年大勢の人たちが訪れるお花見スポットになっています。
今年の公開は 3月30日~4月7日の9日間でした。
たまたま東京に行っていた私は、4月3日に観賞しました。

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皇居前広場で、ボデイチェックと手荷物検査のあと、「坂下門」を通って「乾通り」に入りました。
「坂下門」は、江戸城西の丸の坂下にあったので、呼ばれるようになったそうです。
有名な事件として、「坂下門外の変」があります。
文久2年(1862)1月、老中・安藤信正が登城途中に、この坂下門の前で6名の水戸浪士に襲撃されました。
さいわい一命は取りとめたそうですが、老中は罷免されました。 
「桜田門外の変」で井伊直弼が殺害されて、わずか2年後の出来事でした。 
したがって警護も厳しかったせいか、襲撃した6名はその場で斬り倒されたそうです。
これが「坂下門外の変」です。
江戸時代は、高麗門と櫓門からなる枡形形式で、高麗門から入ると左に曲がって櫓門をくぐる形だったそうです。
しかし明治21年に高麗門は撤去され、櫓門の角度を90度変え、正面に向きを変えて建てなおされました。
現在は、こんな時以外は一般に開放されてはいません。
天皇家の通用門、また宮内庁職員の出入り口として利用され、警備は厳重です。
ものすごい人の列でした。

P4030099.jpg
目の前が宮内庁です。
宮内庁(くないちょう、Imperial Household Agency)は、日本の行政機関の一つで、 「皇室関係の国家事務、天皇の国事行為にあたる外国の大使・公使の接受に関する事務、皇室の儀式に係る事務をつかさどり、御璽・国璽を保管する内閣府の機関」です。
なお、宮内庁はかつて「総理府の外局」でしたが、現在は内閣府の外局(内閣府設置法第49条・第64条)ではなく「内閣府に置かれる独自の位置づけの機関」とされています(内閣府設置法48条)。
官報の掲載では内閣府については「外局」ではなく「外局等」として宮内庁を含めています。
庁舎は、1935年(昭和10年)に建設されました。
ただし、「宮内庁」の表札等はありません。
明治宮殿が焼失してから今の宮殿(新宮殿)が建設されるまでの間、仮宮殿として用いられたそうで、現在の宮殿とは渡り廊下(紅葉渡)で接しています。

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「乾通り(いぬいどおり)」は、皇居の北西部にある乾門から宮内庁の方へのびる通りの呼称で、坂下門から乾門までの約750メートルです。
大勢の人と一緒に「乾通り」を歩きましたが、ここには、ソメイヨシノやシダレザクラなど様々な種類の桜が植えられていました。
なお、一般公開期間は、申し込み不要で、午前9時から午後3時半まで坂下門から入場できました。

沖縄県の伊計島

沖縄県の伊計島を紹介します。

伊計島(いけいじま)は、沖縄県うるま市に属する島で、沖縄本島中部の東部海岸に突出する勝連半島の北東約10kmに位置しています。
面積1.72km2、周囲7.49kmの島で、琉球石灰岩に覆われています。
沖縄県の旅行は、南部や北部の観光地が多いので、沖縄県のほぼ真ん中の離れ島は、旅行客はあまり見かけません。
私は、30年くらい前に行ったのですが、ほぼ現地の人でした。
伊計ビーチも、その頃は地元の人のプライベートビーチみたいな感じで、現地語が飛び交っていました。
島全体としては、長さ約2kmの北東 - 南西へ向いた長方形を成し、最高標高は49mで、島の南西端の独立した丘陵が最高峰となっています。
そこに伊計グスクが鎮座し、グスク時代において、この丘陵は離れ小島であったと考えられています。
その後に砂州が形成され、伊計島と繋がる陸繋島となったとされています。
ただし、この伊計島にたどり着くのには、本島から海中道路を通り平安座島から宮城島、そして伊計大橋を渡らないといけません。
海中道路ですが、私が渡った頃はまだ砂利道のイメージで、満潮時には帰れないかもという不安もあったのを覚えています。

伊計島ドライブ
伊計島で抜群の透明度を誇るのが、伊計ビーチから車で10分ほど走った場所にある「大泊ビーチ(おおどまりビーチ)」だそうです。
もちろん伊計ビーチも今でも綺麗だそうですが、ビーチの広さ(大泊ビーチの砂浜は600mあります!)・海の透明度ではずいぶんと違うそうです。
30年前は、伊計ビーチでも信じられないくらい綺麗だったのを覚えています。

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これが海中道路です。
空からの眺めはこんな感じです。
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