数奇な運命からなる「馬毛島」の行く末について

いろいろと問題になっている馬毛島について調べてみました。

馬毛島(まげしま)は、大隅諸島の島の一つ日本で2番目に大きな無人島です。
(なお、日本で一番大きな無人島は渡島大島(北海道松前町)の面積9.73km²です。)
この馬毛島の名の由来は、ポルトガル宣教師たちが鉄砲とともに渡来させた馬を養っていたことによるものて゜、鉄砲伝来の地である鹿児島県の種子島の西方、12kmの東シナ海上に浮かんでいます。
この馬毛島の概略の歴史は次の通りです。

・弥生時代(紀元前10世紀頃~紀元後3世紀中頃)・・・・島内からは弥生時代の遺跡が見つかったり中世の頃からトビウオ漁の季節移住があったことは知られています。
・1868年(明治元年)・・・・これ以降に本格的に島の利用が始まっています。
国有地となった土地を、西之表の士族が借り上げ牧畜業を開始しています。
・1880年(明治13年)・・・・政府の緬羊飼育場が造られるなど開拓が進んでいます。
・1941年(昭和16年)・・・・太平洋戦争が始まり、無人島になります。
・1951年(昭和26年)・・・・緊急開拓事業による農業開拓団が入植を開始しています。
・1959年(昭和34年)・・・・この頃がピークで、113世帯528人が島に住み、サトウキビ栽培や酪農を営んでいたそうです。
・1963年(昭和38年)・・・・西之表港から定期船が就航しました。
・1965年(昭和40年)・・・・製糖工場が閉鎖になっています。
これだけでなく、干ばつや風害で農業の不振が続いたことやまた、農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿の農作物被害や食害が増加し、生活が困窮したため、島民は徐々に島を離れていきました。
・1974年(昭和49年)・・・・平和相互銀行により馬毛島開発株式会社が設立されています。
当初はレジャー施設の建設を計画していたが挫折し、馬毛島が国の石油備蓄基地の候補地になったことから土地買収が進みました。
・1975年(昭和50年)・・・・この頃から馬毛島開発株式会社による馬毛島買収が始まり、土地利用を巡って翻弄される時代が続きます。
・1980年(昭和55年)・・・・3月に最後の島民が島外に移住し、西之表市立馬毛島小・中学校も最後の卒業生を送り出して閉校し島は無人島となりました。
このあと馬毛島は、日本の無人島の中では北海道の渡島大島(面積9.73km²)に次いで2番目に面積が大きい島となりました。
この頃に、核施設誘致案が浮上しています。
・1983年(昭和58年)・・・・馬毛島事件がありました。
右翼活動家の豊田一夫さんが、平和相銀監査役の伊坂重昭(元東京地検特捜検事)さんらにもちかけ、馬毛島の土地をレーダ基地として防衛庁に売却することを計画し、政界工作として総額20億円を20人近い自民党議員に渡したとされています。
しかし、結局レーダ基地は建設されることはありませんでした。
・1984年(昭和59年)・・・・石油備蓄基地は、志布志湾地区に立地が決定し、馬毛島は候補地から外れました。
これ以後島は放置されています。
・1985年(昭和60年)・・・・山火事が発生した影響で、集団化したトノサマバッタが大発生(蝗害)しました。
・1986年(昭和61年)・・・・馬毛島事件が発覚し、経営が悪化していた平和相互銀行は住友銀行に救済合併されました。
トノサマバッタの大発生は収束したそうです。
・1995年(平成7年)・・・・立石建設工業(会長は立石勲さん)が馬毛島開発を買収して子会社(現在のタストン・エアポート株式会社)とします。
馬毛島開発は島の土地の買収を進め、西之表市の公有地である市道と旧学校地を除く大半を所有地としました。
馬毛島開発では、日本版スペースシャトル (HOPE) の着陸場、使用済み核燃料中間貯蔵施設などを誘致するとの構想を持っていましたが、実際の開発は進まず、わずかに採石事業などが行われていました。
・1999年(平成11年)・・・・この年に、使用済み核燃料中間貯蔵施設建設候補地として検討されていることが判明しています。
・2005年(平成17年)・・・・国勢調査では、馬毛島開発の従業員15人が住民として登録されており、再び有人島扱いとなっています。
・2007年(平成19年)・・・・硫黄島に代わるアメリカ海軍空母艦載機の陸上空母離着陸訓練 (FCLP) に利用する可能性が報道されました。
これに対し周辺自治体議会は反対決議を可決しています。
・2008年(平成20年)・・・・立石建設工業の会長である立石勲さんが、日本政府から内々にある申し出を受けています。
「馬毛島を日本政府に譲渡してほしい」と言われ、立石さんは政府からの申し出に、「譲渡ではなく貸し出しならば交渉してもいい」と回答したと事情を知る関係者が語っています。
「これまで島内の整備にあたって立石さんは一銭の補助も受けていない。投資額を回収するために、できるだけ政府からお金を引きだそうとしたんです」といわれています。
この後も、日本政府側、つまり防衛省と立石さんとのやり取りは内々に続けられたそうですが、買い取りを要求する防衛省側と、貸与を主張する立石さん側の溝は埋まらなかったそうです。
この年には、米軍厚木基地の空母艦載機の夜間離着陸訓練(NLP)の候補地として馬毛島の名前が浮上しています。
防衛省は水面下で調査検討したらしいのですが、訓練区域の一部に屋久島が入ることから自然環境に配慮して断念したそうです。
・2009年(平成21年)・・・・政権が自民党から民主党に変わり、12月に沖縄県宜野湾市にある普天間飛行場の移設候補地として検討されました。
馬毛島開発は島で土木工事を進めており、4,000m級の滑走路を建設するとしていました。
民主党として初の政権を担った鳩山内閣を瓦解させることになった米軍普天間基地の移転問題ですが、その鳩山由紀夫元首相が移転先の「腹案」として徳之島を挙げる前に、閣内で最初に検討されていたのが馬毛島だったそうです。
これも結局、沖縄本島から遠いことで立ち消えになったそうですが、鳩山さんは当初賛成の意向だったと言われています。
・2011年(平成23年)・・・・5月に、北沢俊美防衛相が陸上空母離着陸訓練施設の候補として検討を指示していることが報道されました。
2011年6月になり土地の99.6%を所有するタストン・エアポート社(馬毛島開発から商号変更)と防衛省の間で、用地交渉開始の合意書が締結されました。
また日米安全保障協議委員会(2プラス2)において、FCLPの移転先として馬毛島を検討対象とすることが共同文書に明記されました。
報道等では、馬毛島開発が島を十字に横切る「滑走路」を建設してるとしています。
馬毛島開発はあくまでも測量名目で樹木を伐採し表面を整地しており、この開発は鹿児島県への森林伐採届および林地開発の許可を得ていましたが、実際には届出よりも大規模な伐採・整地・盛土をおこなっているとされています。
この月には、過去に汚職の舞台となり、また立石建設および実質的なオーナーの立石勲さんが、法人税3億2000万円を脱税したとして在宅起訴され、有罪判決を受けています。
2011年7月には、開発工事によりマゲシカが2000年以降半減しているとの研究者による調査結果が報道されました。
これを受けて実態調査を鹿児島県に要望する動きも出ていました。
2011年9月には、タストン・エアポート社による乱開発により土砂が流出して漁場が破壊されたとして、地元種子島の漁師らが工事の差し止めや漁獲量の減少に対する慰謝料を求める訴訟を起こしました。
またこの他に、地元住民が行政(鹿児島県・国)を相手に開発の違法性を放置した責任を問う行政訴訟、および馬毛島の港周辺の入会地の一部を入会権を有する漁民の一部が旧馬毛島開発社に切り売りしたことの無効性を問う入会権裁判も起こしています。
なお、地元西之表市は、タストン・エアポート社による馬毛島の森林開発等の現状を確認するための立ち入り調査を再三申し入れていますが、同社は一貫して拒否し、2011年9月15日には鹿児島県が同社の大規模造成に対して違法伐採の疑いや課税上の問題があるとして現地調査の受け入れを要請しています。
・2012年(平成24年)・・・・防衛省と折り合いがつかないことになったことより、所有者である立石さんが、触手を伸ばす中国企業に「売却してもよい」と発言したことが話題になっています。
「中国の企業が何社か接触してきている。日本の対応次第では売ってもいい」と言っています。
「それまでは、本意ではないだろうと高を括っていたんですが、8月の尖閣諸島騒動で事態は一変した。馬毛島の周辺には佐世保や沖縄などの米軍基地があって地政学上、非常に重要な場所です。ここを本当に中国に取られたら国防上、危機的な状況に陥ると省内で危ぶむ声が高まってきた」との政府談です。
・2016年(平成28年)・・・・1月に島の土地を担保として5億円の根抵当権が仮登記されています。
その権利者であるAさんは広域暴力団の元組長だった人物と言われています。
Aさんは2009年に組織を破門されたものの、その後も配下を別の組に所属させてみかじめ料を徴収していたほか、2011年には銃刀法違反で逮捕されたこともあるとのことです。
4月に、おおさか維新の会が米軍普天間飛行場の「5年以内の運用停止」に向けて、暫定的な機能移転先の候補として政府に提案している馬毛島(西之表市)の地権者が土地の賃借・売却条件を政府に提示したことが27日までに分かったそうです。
年間20億円で5年間の賃借契約後に売却する意思を示す要望書を、同党を通じて菅義偉官房長官と防衛省に提出したとのことです。
同党政調会長の下地幹郎衆院議員は「沖縄の基地負担軽減と普天間飛行場の5年以内の運用停止を実現するには、馬毛島を活用して訓練移転するしかない。年間賃貸料は普天間飛行場の軍用地料の3分の1程度だ」と話しました。
総理大臣の安倍晋三さんは4月18日の国会答弁で「一時的なものであっても、馬毛島に普天間飛行場のオスプレイなどの運用機能を移転することは困難ではないかと考えている」と消極的な見解を示しました。
11月4日、防衛省による用地買収について、土地所有者のタストン・エアポート社との契約に目途が立ったことが明らかになりました。
立石勲さんと日本政府の間で売買交渉が進められ、当事者の立石さんも取材で、「当方と政府がそれぞれ土地の鑑定を進めている段階」と言っていました。「(2017年)3月にはお互いに鑑定額を出し合う予定です」とも答えていましたが、先に述べたような”5億円の根抵当権が仮登記” の問題があると、立石さんとの金額交渉が折り合えば済む問題ではなくなっているみたいです。

このように、いろんなことがあった馬毛島です。
2009年に、民主党政権になって、当時の防衛大臣だった北澤俊美さんが、自ら立石さんとの交渉にあたったそうです。
北澤さんは、防衛官僚がいやがる交渉の矢面に立ち、具体的な金額提示まで行なったそうです。
立石さんもいったんは売却に気持ちが傾いたようです。
でも、その金額は150億円も島に投資した立石さん側の希望と余りにかけ離れていたそうです。
明らかにされてはいないのですが、50億円にも満たない金額だったようです。
今になって、「買う」とか「借りる」とかの問題がクローズアップされていますが、例えば年間20億円で5年間の賃借契約をするとすれば、7年半で150億円です。
2009年に150億円以上で買っていれば、国家の問題にはならなかったと思います。
8年経ってからこのようなごたごたは、当然起きなかったのだろうと思いますし、民主党政権の先見の目も見直されたのだろうと想像します。
公共事業なら150億円といえばそんなに大規模な工事じゃないはずです。
ましてや、日本で2番目に大きい島なら150億円でも手ごろだと思います。
それだけではなく、アメリカの基地がある岩国から馬毛島までは約400kmで、無人島のため騒音問題も生じにくく、土地が平らで大規模造成が不要な上、X字形に滑走路2本も造成されており、「これ以上の適地はない」(防衛省幹部)と指摘されてきた経緯があります。
これだけではありません。
例えば、中国側に売り渡したとしたら、
「外国企業が離島を買うとなっても法的に禁止することができません。さらに問題なのが日本の法体系の中には買った土地に対する禁止条項がないこと。個々の自治体による行政上の制約はあるが、安全保障上の規制ではない。例えば通信施設が作られたとしても、国として強制的に立ち入り調査することはできないんです。外国企業に島を買い取られた場合、島を日本の監視下におくことは現実的に難しい」という防衛省幹部の話です。
これは、尖閣諸島どころではありません。
日本の真ん中に中国があるのですから。

それと、日本人が中国の土地は購入できないのに、中国人が自由に日本の土地を購入できるのは問題があると思います。
「外国企業が離島を買うとなっても法的に禁止することができません。さらに問題なのが日本の法体系の中には買った土地に対する禁止条項がないこと。個々の自治体による行政上の制約はあるが、安全保障上の規制ではない。例えば通信施設が作られたとしても、国として強制的に立ち入り調査することはできないんです。外国企業に島を買い取られた場合、島を日本の監視下におくことは現実的に難しい」
これは、先ほどと同じことを書きましたが、これにはびっくりです。
例えば、日本人が中国で土地を購入することはできず、購入できるのは土地使用権のみです。
期限に達すると、再び評価額を提示され、再度その支払いを強要されるか、或いは別の場所に移るしかありません。
土地に限らず、国債も買えないし、株式も香港上場株しか買えません。
そのことを考えると、あまりにも一方通行の政策です。
中国にいいようにされるのは、もう勘弁願いたいものです。

20150910232735c7c.jpg
馬毛島はオスプレイ訓練の移転先としてだけでなく、自衛隊にとっても先島諸島緊急増強部隊への「事前集積拠点」として予定されているとされています。
鹿児島県のみららず、日本の中心みたいな場所です。
こんなところを中国が買ったらと思うとぞっとします。

馬毛島地図
馬毛島の全体図です。
整備しているかどうかはわかりませんが、滑走路はあります。
なにも開発をしていない島なら、滑走路にするための平坦地にするだけで何十億はかかると思います。
スポンサーサイト

日本とアメリカは同盟国か?

「日本とアメリカは同盟国」という言葉はよく聞きます。

「同盟」とは、「個人・団体または国家などが、互いに共通の目的を達成するために同一の行動をとることを約束すること」という意味だそうです。
このような意味だと、果たして平等な「同盟国」とは言いがたいのですが、現在ではアメリカ以外に、2007年オーストラリア、2008年インドと安全保障協力を結んではいます。
テロ対策と銘は打っていますが、明らかに日米安全保障条約と同様の軍事同盟の一種だと思います。
過去には、イギリスと日英同盟、ドイツ・イタリアと三国同盟を結んだことがありました。
「同盟国」のアメリカですが、これは日米安全保障条約を結んでいることでそう言っていますが、日本の主権を放棄させた不平等条約と思っている人もいます。
今の日本は、基本的には集団的自衛権を行使しないと明言しているのですから、アメリカが日本を助けてくれても、日本はアメリカを助けられないという、つまり「同盟」という意味とは外れていると思います。
実は、韓国の「同盟国」もアメリカだけです。
韓国は徴兵制もあり、軍隊もあるので、日本よりは少しは「同盟国」に近づいていると思います。

アメリカの同盟国は、
カナダ・イギリス・ドイツ・デンマーク・ノルウェー・トルコ・スペイン・オランダ・ポルトガル・アイスランド・イタリア・ルクセンブルク・マルタ(NATO加盟国)
メキシコ・アルゼンチン・ペルー・エクアドル・パナマ・ブラジル・チリ(米州機構)
オーストラリア・ニュージーランド(太平洋条約)
日本・韓国(個別の条約)
実に24カ国もあります。
でも、本当の意味での「同盟国」はイギリスくらいかなとは思います。

ロシアにも同盟国があります。
CIS諸国とのCIS集団安保条約があります。
CISの加盟国は、
・1991年発足時
ロシア、カザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、ベラルーシ、アルメニア、アゼルバイジャン、モルドバ(客員参加国)、トルクメニスタン(1994年に客員参加国へ移行)
・1993年加盟
グルジア
ウクライナはベロヴェーシ合意に調印したのですが、正式的にCIS憲章を承認していません。
そのため、法律上は加盟国・客員参加国の資格を有していないのですが、事実上の客員参加国です。
他にも同条約が期限を迎えた際、更新しなかった国がいくつかあります。
1999年4月20日に、条約の期限が終了したのですが、アゼルバイジャン、グルジア、ウズベキスタンの3カ国は延長しませんでした。
アメノカでの同時多発テロ後に、アメリカ軍の中央アジア駐留に対抗して、2002年12月にはロシアなどがキルギスのカント基地への駐留を決め、2003年4月にはカザフスタンでCIS集団安保軍が合同演習を行いました。
同年4月末にタジキスタンに集団安保条約に加盟するロシア、ベラルーシ、アルメニア、カザフスタン、キルギス、タジキスタンの6カ国の首脳が集まり、CIS集団安全保障機構の初代事務総長にニコライ・ボルジュジャ・ロシア元大統領府長官を任命しています。
2005年にはグルジアやモルドバでロシア軍撤退の要求が強まり、CIS諸国がまとまって軍事協力を行うのはほぼ不可能となりました。
2005年に急速にロシアに接近したウズベキスタンは、2006年6月に復帰しました。
ウズベキスタンは2005年には駐留していたアメリカ軍を撤退させていました。
最近はロシアを中心にこの機構を強化する動きが目立っているようです。

また、中国に関しては、北朝鮮との間に、中朝友好協力相互援助条約があります。
ただし、中朝関係は2013年12月、北朝鮮の張成沢・国防委員会副委員長の処刑以来、急激に悪化しています。
中国はすでに北朝鮮への石油輸出をストップしているほか、経済支援もほとんど行なっていないそうです。

今の日本はデフレーション

今の日本は、デフレと言われています。

デフレとは、「デフレーション」の略なのですが、いまひとつ理解できていない人が多いようです。
デフレはインフレとは逆に、物価の価値が下がり、お金の価値が上がっている状態です。
商品で例えると、1000円のものが、500円に値下がりした状態を言います。
物価が下がり、お金の価値が上がった状態です。
半分のお金でものが買えることになります。
デフレの良いところとしては、
物が安く買えるため消費が進む
     ↓
消費が進めば企業に利益が出る
     ↓
企業に利益が出れば給料が上がる
     ↓
給料が上がればさらに消費が進む
となり、お金が回り、経済が潤います。

次に、インフレですが、「インフレーション」の略で、物価が上昇し、お金の価値が下がっている状態です。
商品で例えると、1000円のものが、2000円に値上がりした状態を言います。
物価が上がり、お金の価値が下がったことになります。
インフレのいい点としては、
物価の価値が高いため企業に利益が出る
     ↓
企業に利益が出れば給料が上がる
     ↓
給料が上がれば消費が進む
となり、デフレと一緒で、お金が回り、経済が発展していきます。
バブルと呼ばれた時代は、正にインフレの時代でした
一見良いことだらけに見えるインフレも、行き過ぎてしまうと、経済が破綻してしまいます。
例えば、1000円のものが2000円くらいならまだいいのですが、これが10000円になったしまったとすると、貨幣価値としては、1000円の価値が100円にまで下がってしまうことになります。
こうなると、お金の価値がドンドン下がっていくため、欲しい物が買えなくなり、お金が回らなくなります。
この結果、企業にお金が入らなくなり、物が作れず、経済が破綻することになります。
これが、「ハイパーインフレ」と呼ばれる状態です。

今の経済状態であるデフレもインフレと同じように、良いことだらけに見えるのですが、デフレは、進むスピードがインフレとは違い、あっという間に、行き過ぎてしまいます。
安いものが増えれば、当然、消費者はもっと安いものを求めます。
     ↓
そうすると、企業に入る利益が、どんどん少なくなってきます。
     ↓
物は売れるのですが、利益が少ないため、給料が上がることはありません。
     ↓
給料が上がらなければ、消費が進むことはないので、お金が回らなくなります。
     ↓
でも、物価はどんどん安くなっていきます。
     ↓
企業は利益が上がらなくなってくるので、給料を下げざるをえません。
     ↓
そうなると、ますます消費は進みません。
     ↓
でも物価は安くなります。

こうやって悪循環が進み、経済が悪化していきます。
これが、「デフレスパイラル」です。
今の日本がこの状態で、なんとかデフレを止めようと、政策を打ち出していますが、あまり効果は出ていないようです。
悪循環である、デフレスパイラルを止めるには、世の中に、お金を流通させることが一番だと言われています。
ダムやトンネルなど、民主党政権では毛嫌いしていた公共事業で大金を動かします。
また、定額給付金などのお金を配って消費を促します。
どれもうまくいってないのは、どうしても日本人は、貯蓄志向が強いからと分析されています。
特にお年寄りがお金を持っていると言われていますが、使われていないのが現状です。
墓場へ持っていく前に、無駄使いをしてほしいものです。

「歯舞」の読み方を知らない北方領土大臣

またまた大臣になってはいけない人が大臣になっているようです。

沖縄北方担当相である島尻安伊子さんが、9日の記者会見で、北方領土の一つである「歯舞(はぼまい)群島」を読めず、発言をストップさせる場面がありました。
島尻さんは会見の中で、北方領土の元島民でつくる団体「千島歯舞諸島居住者連盟」に言及する際、手元の資料にあった「歯舞」について「はぼ、何だっけ」と、読み進めなくなり、そばにいた秘書官が「はぼまい」と伝えました。
仮にも大臣でしょう。
それも沖縄だけでなく北方領土の大臣でもあるのに、一番基本的な四島の島の名前も知らないなんて、常識はずれなんてものじゃあないです。
こんな調子だと、択捉、国後、色丹だってあやしいものです。
島尻さんは、沖縄に移住してきた日本人で、沖縄人と結婚して子どもを育て、議員になり、最初は革新系の議員だったのですが、いつのまにやら保守になり、沖縄選出の自民党議員となって国会に行き、辺野古移設容認を言ったはずですが、民主党が政権を取った途端「沖縄人の声を代弁して基地は県外へ」と言い、県外移設を公約に掲げ当選したものの、また自民党が政権を取ったので「沖縄の取るべき道は辺野古移設」と言った人です。
安倍さんは、わかっていてこんな人を大臣にしたのでしょうか?
任命責任とは、まさに島尻さんみたいな人を大臣にしたことでしょう。

戦争で亡くなった竹内浩三さんの詩

日本では、安保関連法案について、各種世論調査では、8割を超える大多数の人々が、今国会での強行採決は、主権者としての国民の意思を踏みにじる立憲主義と民主主義の破壊として反対との事です。
6月の時点では、5割ちよっとの人たちの反対だったはずなのに、やはり国会での対応に問題があったのでしょう。

では、安保関連法案が成立すれば何が変わるのでしょうか?
柱になるのは集団的自衛権の行使を限定容認した点だと思います。
密接な関係にある国が攻撃されれば、政府は「存立危機事態」に当たるかどうかを判断し、日本の存立や国民の権利が危うくなるケースのことで、これに該当すれば自衛隊は他国軍と一緒に戦うことができるという法案です。
危機管理としては当たり前のことなのですが、戦争法制としての本質をもつと捉えると、今までの戦争の経験がある人たちにとっては不安なのは言うまでもありません。
在日アメリカ軍は、日本を守るために活動すると言われていますが、アメリカ軍が攻撃されても日本の自衛隊は一緒に戦うことができないのが今の日本の憲法です。
そんな事態が実際に起きれば日米同盟は立ちゆかなくなる恐れがあるので集団的自衛権を行使すべきだという議論は昔からあったのですが、それは日本人の本質ではないはずです。

戦争で命を落とした多くの若者たちの中に、陸軍の兵士としてフィリピンのルソン島に送られ、1945年4月9日の戦闘で、わずか23歳の若さで命を落とした、竹内浩三さんという人がいました。
70年前に戦争で亡くなった三重県伊勢市出身の詩人・竹内浩三さんの作品を集めた展示会が、今、名古屋市内で行われているそうなので、この作品を紹介します。

特に、「骨のうたう」は今なお多くの人々の心を打ちます。

「骨のうたう」(原型のまま)
戦死やあわれ
兵隊の死ぬるやあわれ
とおい他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

苔いじらしや あわれや兵隊の死ぬるや
こらえきれないさびしさや
なかず 咆えず ひたすら 銃を持つ
白い箱にて 故国をながめる
音もなく なにもない 骨
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や 女のみだしなみが大切で
骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は骨 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきを 聞きたかった
それはなかった
がらがらどんどん事務と常識が流れていた
骨は骨として崇められた
骨は チンチン音を立てて粉になった

ああ 戦場やあわれ
故国の風は 骨を吹きとばした
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった
なんにもないところで
骨は なんにもなしになった

竹内浩三さんは、1921年(大正10年)、三重県宇治山田市・現在の伊勢市で、呉服屋のうちに生まれました。
十代のうちに両親をなくし、たった一人の肉親である姉を頼りにして、学生時代を送っています。
詩を書き、友人たちと漫画の雑誌を作るなどしていたそうですが、映画にも深い関心を抱き、1940年(昭和15年)日本大学の専門部・映画学科に入学します。
1942年(昭和17年)9月、半年早い繰りあげ卒業によって故郷に戻り、陸軍の部隊に入ることになります。
1943年(昭和18年)9月に、茨城県西筑波飛行場の滑空部隊に所属してからも、言葉を書きつけることはやめませんでした。
小さなノートに、日記をつけたのです。
見つかれば取り上げられてしまうようなものなので、トイレやふとんの中でこっそり書いたそうです。
いっぱいになったノートは、姉のもとに送られ、現在において私たちのもとに届いています。
日記は、竹内浩三さん自身によって「筑波日記」と名付けられ、二冊が残されています。
漫画や日記を、読めば読むほど、竹内浩三さんという人がいきいきと身近に感じられてきて、心をつかまれます。
死にたくはなかったのに強いられて死ぬことになる一人の若者の姿が、ありありと浮かび上がってくる内容となっています。
1944年4月14日の日記の一節です。
「戦争ガアル。ソノ文学ガアル。ソレハ、ロマンデ、戦争デハナイ。感動シ、アコガレサエスル。アリノママ写スト云ウニュース映画デモ、美シイ。トコロガ戦争ハウツクシクナイ。地獄デアル。地獄モ絵ニカクトウツクシイ。カイテイル本人モ、ウツクシイト思ッテイル。人生モ、ソノトオリ」。
1944年6月19日の日記の途中からですが、
「おれだって、人に負けないだけ、国のためにつくすすべはもっている。自分にあった仕事をあたえられたら、死ぬるともそれをやるよ。でも、キカン銃かついでたたかって死ぬると云うのは、なさけない気がするんだ。こんなときだから、そんなゼイタクもゆるされないかもしれぬ。自分にあたえられた仕事が、自分にむいていようがいなかろうが、それを、力一ぱいやるべきかもしれぬ。しかし、おれはなさけないんだ」。
こういう内容を、軍隊での生活の中でこっそり書きとめています。
まだあります。
「兵営の桜」
十月の兵営に
桜が咲いた
ちっぽけな樹に
ちっぽけな花だ
しかも 五つか六つだ
さむそうにしながら
咲いているのだ
ばか桜だ
おれは はらがたった

「南からの種子」
南から帰った兵隊が
おれたちの班に入ってきた
マラリヤがなおるまでいるのだそうな
大切にもってきたのであろう
小さい木綿袋に
見たこともない色んな木の種子
おれたちは暖炉に集って
その種子を手にして説明をまった
これがマンゴウの種子
楠のような大木に
真っ赤な大きな実がなるという
これがドリアンの種子
ああこのうまさといったら
気も狂わんばかりだ
手をふるわし 身もだえさえして
語る南の国の果実
おれたち初年兵は
この石ころみたいな種子をにぎって
消えかかった暖炉のそばで
吹雪をきいている

現在行われている竹内浩三さんの展示会は、竹内浩三さんの作品を通して戦争について考えてもらおうと企画されたそうです。
戦時中の日本を独自の視点で詠んだ詩や、軍隊に内緒で綴った日記など、約40点が展示されているそうです。
展示会は、来月30日までだそうです。
近くの方は、ぜひ行ってみてください。
最新記事
カテゴリ
リンク
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

月別アーカイブ
カウンター
検索フォーム
QRコード
QR