始新世について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回は始新世について調べてみました。

新生代 古第三紀 始新世(ししんせい、Eocene)は地質時代の時代区分の一つです。
【期間】
新生代の古第三紀を三つに分けたときの第二の世で、暁新世と漸新世との間に位置します。
約5,600万年前から約3,390万年前までの期間と言われていますが諸説あります。
この時期は、四つに細分されています。
・ヤプレシアン(Ypresian)5600万年前 - 4780万年前
・ルテシアン(Lutetian) 4780万年前 - 4130万年前
・バートニアン (Bartonian) 4130万年前 - 3800万年前
・プリアボニアン(Priabonian) 3800万年前 - 3390万年前
【名前の由来】
「古第三紀」の名前の由来は「暁新世について」で説明しました。
あと、始新世ですが、暁新世の”暁”よりは”始”のほうが後のようです。
漸新世の”漸”は、徐々にとか、しだいしだいにとかの意味なので”始”よりは明らかに後のようです。
1832年チャールズ・ライエルが命名したそうですが、漢字ではなかったと思います。
【生物】
高等有孔虫類・二枚貝類が繁栄していたそうです。
現存哺乳類のほとんどの目は始新世の初期には現れています。
鯨偶蹄目・奇蹄目(ウマ目)などが発展し始めました(クジラ類が鯨偶蹄目から現れたのもこの頃だそうです)。
新しい目の種の多くはまだ小さく、10kg以下ですが、ウインタテリウム(恐角目)のような巨獣も出現するなど、哺乳類の放散が始まっていました。
恐角目、汎歯目、紐歯目といったような原始的な哺乳類の多くはこの時代を乗り切れず、後期から末期には姿を消していました。その空白を埋めるように新たな哺乳類の出現が促され、第二次の適応放散が始まったと言えます。
その中でコウモリ類のように空にも哺乳類が進出しています。
霊長類では真猿亜目が出現したのがこの頃とされます。
鳥類の現存目もこの時代に完全に現れています。
北アメリカとヨーロッパの生物相は類似しており、この時代まで両者に陸橋があった名残だそうです。
始新世の巨大哺乳類について調べてみました。
・ウインタテリウム
ウインタテリウム(Uintatherium)は、新生代・古第三紀・始新世に北アメリカとアジアに分布した大型の哺乳類です。
サイくらいの大きさで、やわらかな草を食べる植物食獣だそうです。
ウインタテリウムの四肢はむしろゾウに似ていますが、頭には3対、計6本の短い角が2列に並び、上顎にはサーベルタイガーやティラコスミルスを思わせる長い牙が下向きに生えています。
下顎には、この牙を保護する「鞘」となる骨の隆起が存在しました。
現生動物では角と牙を同時に持つものは偶蹄類のキョンのみであり、化石種でもウインタテリウム以前はエステメノスクスなどの初期獣弓類まで遡ります。
・アルシノイテリウム
アルシノイテリウム(genus Arsinoitherium)は、約3,500万- 約2,300万年前(新生代古第三紀始新世後期後半「プリアボニン」〜 同紀漸新世末期「チャッティアン」のアフロアラビアに生息していた、植物食性有蹄哺乳類の一種(1属)です。
巨大な体躯と角を持ち、その外観からサイのような印象を受けますが、進化系統上は遠く、近縁関係が認められるのはともに近蹄類として総括される動物群、すなわち、ハイラックスやゾウ、ジュゴンなどです。
体長約3.0m、体高約1.8mです。
発見されている最大個体(Arsinoitherium giganteus)で、肩高約2.13m(約7ft)です。
重脚目の特徴として、骨太で頑丈な巨躯と、短くはあるが柱のようにがっしりとした四肢を持つ、重量感あふれる動物でした。
・アンドリューサルクス
アンドリューサルクス(genus Andrewsarchus)は、約4,500万- 約3,600万年前(新生代古第三紀始新世中期- 後期半ば)のユーラシア大陸東部地域(現在のモンゴル)に生息していた、原始的な大型肉食性哺乳類の一種(1属)です。
蹄(ひづめ)を持つ有蹄動物であり、推定体長(頭胴長)382cm、推定体重180-450kgというその体躯の巨大さゆえ、ときに「史上最大の陸生肉食獣」と称されています。
実際、メソニクス目で最大、史上でも最大級の陸生肉食哺乳類であったそうです。
アンドリューサルクスは、現在知られている限りの全ての陸生肉食哺乳類のなかで最大級の顎の持ち主でした。
長い吻部によく発達した顎を持ち、そこに生える歯はどれも大きかったそうです。
切歯、湾曲した鋭い犬歯、そして、獲物の骨を噛み砕いたかもしれない頑丈な臼歯を具えていました。
頭蓋骨は長さ83.4cm、最大幅56cmと巨大です。
頭骨長から単純計算されたアンドリューサルクスの大きさは、体長約382cm、肩高約189cmほどです。
オオカミかハイエナのような体形の大型獣で、やや短めの四肢とその指先に小さく丸まった蹄を具えている、というような姿で再現されています。
・インドリコテリウム
インドリコテリウム(Indricotherium) は、およそ3600万〜2400万年前(新生代第三紀の始新世末期から漸新世後期)に、中央アジアから中国、東ヨーロッパにかけて生息していたサイ科の巨大な哺乳動物です。
現在、学名はパラケラテリウムに変更されていますが、インドリコテリウムと呼ばれる事も多いようです。
これまで地球上に現われた最大の陸生哺乳類とされています。
サイの仲間ですが、角はなく、首が比較的長かったそうです。
頭胴長約8メートル、肩高約5.5メートル、長い首を伸ばせば7メートル近い高さに達しました。
体格はウマ的でやや細身であり、体重は約15〜20トンに達したと考えられています。
頭骨長は約1.3メートルですが、体躯に比してやや小さいようです。
雄の頭骨には骨の肥厚が認められ、縄張りや雌を巡っての儀礼的闘争を行ったとされています。
おそらくは柔軟な上唇を持ち、現生のキリンのように、上顎にある牙状の切歯で高木の小枝や葉をむしり取って食べたと想像されています。
当時の彼らの生息地域には、餌となる大きな樹木が生い茂っていたそうです。
胴体は前肢が長いため後方に向かってなだらかに傾斜しており、脊柱は空隙などで軽量化された構造になっていたそうです。
・ヒラコテリウム
ヒラコテリウム(Hyracotherium)は始新世に北アメリカ大陸およびヨーロッパ大陸に生息していた哺乳類です。
現生するウマ科動物の最古の祖先と考えられており、エオヒップス(Eohippus)という別名(シノニム)でも知られています。
和名は「あけぼのウマ」です。
主に北アメリカ大陸とヨーロッパの森林地帯に生息し、体高はおよそ20〜30cmと、現在見られるウマ科動物と比較すれば非常に小型です。
骨格では椎骨の発達が特に顕著であり、背から後躯にかけて強大な筋肉が備わり、優れた走力で捕食者から逃れていたと考えられています。
また前肢4本、後肢3本の指は本来5本でしたが、進化の過程で前肢の第1指、および後肢の第1指と第5指は退化し、完全に消失したと見られています。
食性は草食で、口腔正面手前からいずれも小型の切歯、犬歯、小臼歯、大臼歯を備え、木の若芽や草の実など柔らかい植物を摂取していたとされています。
生息域や食性から、各個体が独自のテリトリーを有する単独生活者であったと推測されています。
・エンボロテリウム
エンボロテリウム(Embolotherium)は始新世末期から漸新世前期(約4,000万年前〜約3,500万年前)に生息した哺乳類です。
奇蹄目・ブロントテリウム科です。
ブロントテリウムに近縁の大型の草食動物で、同様に頭部に大きな角を持っていました。
学名は、「大槌を持つ獣」の意で、頭部の角から命名されたそうです。
肩高約2.5mで、頭骨の全長は1.1m(角含む)です。
同科の多くの属同様鼻の上に大きく太い角を持ちますが、これは鼻骨が伸びたものであり、ブロントテリウムなど北アメリカのグループとは異なっています。
また角は板状で、それから額の上にまでかけて一体となった装甲板を持っていました。
この角は最大70cmにもなり、メスよりもオスの方が大きな角を持っていました。
恐らくこれで儀礼的闘争を行ったと思われますが、脆かったために捕食者から身を護る武器とはなり得なかったとされています。
【植物】
世界的な海進期であり、気候が著しく温暖で、温帯林が現在の北極海周辺地域にまで広がり、北ヨーロッパや北海道などにも亜熱帯林が生育していたようです。
カエデ、ブナ、ヤシなどが増加したそうです。
しかし始新世の末期になると南極大陸上に氷河の形成が始まり、寒冷化のきざしが現れてきたようです。
【岩石】
愛媛県では、中央構造線の断層活動がおさまったあと、始新世の中、後期になって久万層群と呼ばれる地層が堆積しました。
この断層が最も典型的にみられるのが伊予郡双海町上灘地区であり、この活動は「市ノ川時階」あるいは「上灘時階」と呼ばれています。
第三紀初め頃の日本列島地域はまだ大陸の一部でした。
四国付近における当時の海岸線はちょうど北宇和郡の北部のあたりにあったと推定されており、延々と続く中央構造線の断層崖を越えた南には青い太平洋が広がっていたと考えられています。
久万層群は、約4500万年前頃の始新世中期になると、上浮穴郡久万地方には西の方から入江が形成され、熱帯性の浅海域が出現しました。
①二名層
周辺の山地からは結晶片岩の岩屑がはこばれて堆清し、先に述べた久万層群の二名層(海成層)とよばれる地層をつくりました。
この二名層には、大型有孔虫や二枚貝類、サンゴ類、石灰藻類、コケムシ類のほかサメの歯などの化石が含まれ、全体としては結晶片岩の岩片を多量に含む角礫が主体となっています。
上浮穴郡美川村の岩屋寺や久万町の古岩屋付近にみられる奇岩はこの二名層から成っています。
②明神層
始新世後期になると、久万地方の浅い海域は次第に陸地となって久万層群明神層(湖沼~河成層)が堆積しています。
明神層には、現在の高縄半島方面などから運ばれた和泉層群、領家変成岩、花崗岩などの内帯の岩石が堆積し、ところどころに泥岩が挟まれています。
但し、近年では、この明神層については、新第三紀中新世の微化石が発見され、凝灰岩層から1600万年前という年代が得られ、新第三紀中新世の地層である可能性が高くなったそうです。
久万層群は、石鎚山系に広く分布しています。
この頃には、山口県南部地域でも浅い海が次第に陸化して、植物遺体が累積していました。
この植物遺体は、その後地中に埋もれて石炭となり、宇部炭田地域の石炭はこの時代にできたものです。
【気候】
5500万年前の暁新世・始新世境界で突発的温暖化事件(en:Paleocene–Eocene Thermal Maximum)が発生し、暁新世にやや低下した気温は始新世では再び温暖化に転じ、新生代では最も高温の時代になったそうで、(始新世温暖化極大・始新世高温期)湿度も高かったそうです。
その原因として北大西洋での海底火山活動やそれに伴う1500Gtのメタンハイドレートの融解などの温暖化ガスの大量放出があり、地表5-7℃の気温上昇の温暖化が起こり、元の二酸化炭素濃度に戻るのに3万年を要したそうです。
極地付近にも氷床はなく、ワニや有袋類の化石が出土しています。
始新世末或いは次の漸新世初期には一時的に気温が急に低下しましたが(始新世終末事件)、この原因として、この頃には彗星が頻繁に地球に衝突したためだとする説があります。
また当時大規模な海退が起こり、海の面積が減少したのが気温低下の原因であるとも言われています。
インド大陸がユーラシア大陸に接近し始めてテチス海が狭まっていき、南極大陸が南米大陸やオーストラリア大陸から分離するなど、始新世は海洋と大陸の配置が大きく変わりつつあった時代ですが、それに伴って地球規模で循環する海流の動きも大きく変動していたと思われ、これも、海退と寒冷化の一因とされています。
約3400万年前の始新世と漸新世の境界時代に南極大陸に巨大な氷床が形成されました。
これ以後が現在も続いている新生代後期氷河時代とされています。
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暁新世について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回は暁新世について調べてみました。

新生代 古第三紀 暁新世(ぎょうしんせい、Paleocene)は地質時代の時代区分の一つです。
【期間】
新生代の古第三紀を三つに分けたときの最初の時期で、中生代白亜紀と新生代古第三紀始新世との間に位置します。
約6,550万年前から約5,600万年前までの期間と言われていますが諸説あります。
この時期は、三つに細分されています。
・ダニアン(Danian )6550万年前 – 6160万年前
・セランディアン(Selandian) 6160万年前 – 5920万年前
・サネティアン(Thanetian) 5920万年前 – 5600万年前
【名前の由来】
まず、「古第三紀」の名前の由来についてですが、18世紀中頃にイタリアの地質学者ジョヴァンニ・アルドゥイノが、イタリアの南アルプスの地層やそこに含まれる化石の分類から、地質時代を3つの時代区分に定義しました。
第一紀( Primario)は化石の出ない時代だそうです。
第二紀( Secondario)は化石が出ますが、現生生物とは遙かに異なるものが出ます。
第三紀( Terziarioo)は現生生物に近い生物の化石が出る時代で、後に第三紀は分割され第四紀( Quaternaio)が追加されたそうです。
長らく、白亜紀の次に来る新生代の最初の時代(紀)は第三紀( Tertiary)とされてきたそうですが、1989年に国際地質科学連合(IUGS)は新生代をPaleogene(古第三紀), Neogene(新第三紀), Quaternary(第四紀)の3つの紀からなるものとし、Tertiary の語を正式な用語から外しました。
日本語では Paleogeneが「古第三紀」、Neogeneが「新第三紀」と訳され、2009年の新定義批准後も当面のこととして「第三紀」を含む訳が踏襲されています。
あと、暁新世ですが、暁(あかつき)は、夜明けや明け方という意味と、待ち望んでいたことが実現するという意味もあります。
これは、望んていたことが叶う、待ちに待っていたことが叶うとき、という意味とか、すべての始まりの光のイメージを持つ言葉としても知られているそうです。
新生代の始まりなので、始新世よりも、もっともっと原点ということで使われたのだろうと推察します。
【生物】
前時代である中生代白亜紀には主役であった恐竜のグループは、鳥類を唯一の例外として、そのほかはK-Pg境界においてことごとく絶滅しています。
ただし、アラモサウルスなどのごく一部の属は境界における絶滅を免れ、この時代のダニアン期まで生き延びていた可能性が化石から示唆されています。
海中におけるアンモナイトや首長竜類、モササウルス類も全て滅びたそうです。
絶滅した恐竜のニッチ(生態的地位)を埋めるように、陸上では哺乳類が、海洋では魚類が放散(radiation)進化を行なったのですが、哺乳類はまだ原始的で小型のものが多く見られました。
北アメリカとヨーロッパは北部でつながっていたので、動物相には共通するものが多く、発掘や研究も進んでいます。
繁栄した主な目は原真獣目(げんしんじゅうもく)・髁節目(かせつもく)・多丘歯目(たきゅうしもく)・霊長目などだそうです。
原真獣目は食虫類の仲間で、暁新世から次の始新世にかけて多くの目に分化し、発展しました。
髁節目は有蹄類(奇蹄目・偶蹄目)の祖先となりました。
ただし現在では食虫類や有蹄類が実は多系統であることが様々な研究から明らかになっています。
ここから、彼等の祖先とみられた原真獣目・髁節目も実は多系統のグループであり、これらから分岐したと思われていた多くの哺乳類の系統は、既にこの時代に分化・成立していたという見方も有力です。
多丘歯目は白亜紀から続いた小型哺乳類の系統で、始新世に齧歯目(げっしもく)の発展により衰退し、後に絶滅しました。
北アメリカ大陸に発した霊長目はこの時代にユーラシア大陸に分布を広げ、更に次の始新世にかけてはテチス海伝いにアフリカ大陸にも渡っていきました。
その多くは極めて原始的な種類ばかりで、ほとんどは現生のものにはつながらず絶滅しています。
現生のサルの二大グループである曲鼻猿類と直鼻猿類の祖先はこの時代に分岐したとされています。
哺乳類より先に種の分化をほぼ完成していた鳥類の一部は、地上性となり、ディアトリマのような強大な肉食鳥(恐鳥類)が出現しました。
恐鳥類は食物連鎖の頂点に立って哺乳類を捕食していたのですが、やがて肉歯目などの原始的な肉食性哺乳類との生存競争などによって、ほとんどの大陸で絶滅したそうです。
【植物】
植物は、白亜紀に引き続き被子植物が栄え、この時代にほぼ現代的な様相を示すようになりました。
【岩石】
この時代の堆積物は、白亜紀のそれと同様の岩石から構成されますが、白亜紀に卓越したチョークは暁新世にはなくなり、かわって海緑石を伴う緑色の砂岩が広範囲に堆積しました。
ただしその分布範囲は狭く、日本でも、熊本,長崎,北海道東部に知られるだけだそうです。
【気候】
白亜紀には既に超大陸・パンゲア大陸の分裂が始まっており、暁新世ではアフリカと南アメリカは完全に離れ、アフリカと南極大陸も大きく離れていたそうです。
ヨーロッパと北アメリカはまだ陸続き状態でした。
インドは巨大な島となってインド洋上を北に向かって移動しており、全ての大陸から孤立していたので、次の時代である始新世にアジアに接近するまでは哺乳類(有胎盤類)は生息していなかったそうです。
南極とオーストラリアは一つにまとまっていましたが、これらの大陸塊が南アメリカと切り離された時期は、白亜紀末とも、暁新世に入ってからとも言われ、はっきりしないそうです。
南北アメリカが分離した時期も白亜紀末頃と考えられていますが、狭い海峡で隔てられていただけであれば、動物の交流はそれ以降も継続した可能性があります。
気候は、白亜紀末に引き続き、やや不安定であったのですが、地球全体で気温は高めで湿度も高かったそうで、現在程度か多少温暖であった程度だそうです。
北極・南極とも温暖で氷河の形跡はなかったようです。

白亜紀について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回は白亜紀について調べてみました。

白亜紀(白堊紀、Cretaceous period)は、地質時代の年代区分の一つです。
【期間】
中生代を三つに区分した時代で、中生代のジュラ紀と新生代古第三紀との間に位置し、中生代の最後の紀です。
1億4500万年前から6550万年前までの期間と言われていますが諸説あります。
また白亜紀は、下記のように12階に区分されています。
①前期
・ベリアシアン 1億4500万年 - 1億3980万年前
・バランギニアン 1億3980万年 - 1億3290万年前
・オーテリビアン 1億3290万年 - 1億2940万年前
・バレミアン 1億2940万年 - 1億2500万年前
・アプチアン 1億2500万年 - 1億1300万年前
・アルビアン 1億1300万年 - 1億50万年前
②後期
・セノマニアン 1億50万年 - 9390万年前
・チューロニアン 9390万年 - 8980万年前
・コニアシアン 8980万年 - 8630万年前
・サントニアン 8630万年 - 8360万年前
・カンパニアン 8360万年 - 7210万年前
・マーストリヒチアン 7210万年 - 6550万年前
【名前の由来】
「白堊」の「堊(アク; アと読むのは慣習)」の字は粘土質な土、すなわち石灰岩を意味しているそうです。
石灰岩の地層から設定された地質年代のため白堊紀の名がついたのが由来だそうです。
「白亜」の「亜」は、「堊」の同音の漢字による書きかえです。
【生物】
①地上動物
超大陸パンゲアの分裂が一層進んだのですが、これによって地理的な隔離が起きたため、陸上の生物の多様性を更に高めることとなりました。
地上の動物は、恐竜やワニなどの爬虫類が支配的地位を占め、ジュラ紀に続いて全盛期でした。
地上、海洋及び空を含め多種多様な進化を遂げています。
白亜紀前期まではジュラ紀に栄えた恐竜の系統も依然健在でしたが、白亜紀後期においては、その多くは姿を消しました(広義のアロサウルス類、広義のディプロドクス類、ステゴサウルス類など)。
代わってジュラ紀にはあまり目立たなかった系統の恐竜が新たな進化を遂げ、放散することになります。
白亜紀後期の恐竜及び翼竜の代表的な種は、ティラノサウルス、トリケラトプス、プテラノドンなどが知られています。
しかし白亜紀末期に他の多くの生物と共に恐竜は衰退し、最終的に現生鳥類を除いて絶滅することになります。
また、翼竜類においては特に翼指竜亜目が白亜紀前期に多様化のピークを迎えていましたが(翼竜の中でも嘴口竜亜目は前期を最後に姿を消しました)、白亜紀後期には鳥類の発展と対照的に中・小型の翼竜類が衰え、プテラノドンやケツァルコアトルスなど大型種だけが残る状況となっていました。
有鱗目においてヘビ類が地中性又は水中性のトカゲ類から進化したのも、白亜紀であるとされています。
哺乳類は、この時代に形態を大きく進化させ、胎生を持つようになり、また、有袋類及び有胎盤類への分化を遂げました。
中には恐竜の幼体を襲っていた種もあります。
ただし、それらの形態は、小さな形の種にとどまっていたものが多いようです。
有胎盤類は、白亜紀後期には既に多くの系統へと分岐していたようです。
前時代に恐竜から分岐した鳥類では、この時代に真鳥類が出現しています。
しかし、大勢を占めたのは、古鳥類であり、陸上性では孔子鳥、エナンティオルニス類などが繁栄しました。
なお、海鳥では、真鳥類のヘスペロルニス、イクチオルニスなどが栄えました。
しかし、白亜紀に全盛を迎えたこれらの鳥類の集団は、白亜紀末期にほとんどが絶滅したようです。
この時期に現生鳥類の直系の祖先も出現しています。
多くの目は、白亜紀後期には分化していたようです。
②海洋動物
海洋では1億2000万年前に現在のオントンジャワ海台を形成した大規模な海底火山噴火が南太平洋で発生しました(その2000〜4000万年後には更に二次的な噴火が起きました)。
これに前後して海洋無酸素事変も発生しています。
白亜紀後期序盤に魚竜、海生ワニ類、大型のプリオサウルス類(首長竜の一群)が絶滅したのは、この影響ともされています。
代わってモササウルス類、エラスモサウルス類をはじめとする首長竜などが繁栄しました。
軟骨魚類では現在見られる型のエイ及びサメ、硬骨魚類ではニシン類が現れ、軟体動物では狭義のアンモナイトなどが進化を遂げました。
ジュラ紀中期に誕生した浮遊性有孔虫、及びココリスなどのナンノプランクトンは、この時期に生息域を大きく拡大させ、その遺骸は白亜紀の名称の元となった石灰岩層を形成しました。
【植物】
植物は、主流であった原始的な裸子植物やシダなどが減少し、被子植物が主流となって進化、繁栄を遂げました。
スギなどの針葉樹は現代と同じ形まで進化し、イチジク、スズカケノキ、モクレンなどが現在とほぼ同じ形となりました。
【岩石】
白亜紀の終わりにかけて、パンゲア大陸は完全に分裂し、配置は異なるものの現在ある大陸と同じ構成になりました。
ローラシア大陸は北アメリカとヨーロッパとに分かれて大西洋が広がり、ゴンドワナ大陸は南極大陸、オーストラリア大陸、アフリカ大陸、南アメリカ大陸に分割されました。
インド及びマダガスカルは,まだアフリカと陸続きであったのですが、末期には分裂し島大陸となっていました。
北アメリカ大陸に食い込むようにして形成されていた浅い海は、石炭層に挟まれて陸地となり、海の堆積物を多く残しました。
この他で重要な白亜紀の地層の露出は、中国とヨーロッパとで見られています。
また、インドのデカントラップにある大量の溶岩の地層は、白亜紀から暁新世にかけて形成されたものであることがわかっています。
愛媛県では、白亜紀に中央構造線の運動が始まっています。
四万十帯は、1億3000万年前からの地層です。
和泉層群は、1億年前からの地層です。
広島花崗岩類は8000万年前の地層です。
領家花崗岩類は、7500~8000万年前の地層です。
御荷鉾緑色岩類や三波川変成岩類は、ジュラ紀からの地層ですが、6500~8800万年前まで続いていました。
愛媛県の岩石のほとんどを構成しているのはこの時代でした。 
【気候】
温暖な気候と高海水準とで特徴付けられる時代であったそうです。
他の地質時代と同様に、開始と終了との地層には際立った特徴があるものの、正確な年代については、数百万年程度の誤差が見受けられます。
白亜紀末には、地球史の上で5回目の、規模としては古生代ペルム紀末期の大絶滅(P-T境界)に次ぐ大規模な絶滅が起きました(K-Pg境界)。
この大量絶滅では、陸上生物の約50%、海洋生物の約75%、生物全体で約70%が絶滅したと考えられています。
哺乳類・爬虫類・鳥類の多くが絶滅し、特に恐竜は(現生種につながる真鳥類を除いて)全てが絶滅しました。
また、海洋においても、カメ、カンプソサウルス(チャンプソサウルス)類以外の全ての海棲爬虫類、全てのアンモナイト類が絶滅しています。
しかし、アメリカで、この大量絶滅から70万年後とされる地層からアラモサウルスの化石が発見され、議論を呼んでいます。
この発見は、カナダのアルバータ大学などの研究により確認され、論文がアメリカ地質学協会の専門誌に掲載されました。
白亜紀の終わりを示すK-Pg境界においては、イリジウムが大量に含まれた粘土層が世界中に見つかっています。
これは、6,568万年前にユカタン半島及びメキシコ湾にある巨大なチクシュルーブ・クレーターを作った隕石の衝突によってその破片が地上に降り積もったものと考えられています。
この隕石の落下が引き起こした気候変動が、白亜紀末の大量絶滅に関係しているという学説は、現在では地質学者、古生物学者等の間で広く支持されています。
2010年3月5日には12ヶ国の研究機関による研究チームが同説が絶滅の直接の原因であると結論づけました。
ただし、それ以外の説も依然として存在するそうです。

ジュラ紀について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回はジュラ紀について調べてみました。

ジュラ紀(Jurassic period)は、地質時代の年代区分の一つです。
【期間】
中生代を三つに区分した時代で、中生代の2番目の紀です。
三畳紀と白亜紀との間の約2億130万年前から約1億4500万年前までの期間と言われていますが諸説あります。
またジュラ紀は、下記のように3期11階に区分されています。
①前期リアス
・ヘッタンギアン約2億130万年前 - 約1億9650万年前
・シネムーリアン約1億9650万年前 - 約1億8960万年前
・プリンスバッキアン約1億8960万年前 - 約1億8300万年前
・トアルシアン約1億8300万年前 - 約1億7560万年前
②中期ドッガー
・アーレニアン約1億7560万年前 - 約1億7160万年前
・バッジョシアン約1億7160万年前 - 約1億6770万年前
・バトニアン約1億6770万年前 - 約1億6470万年前
・カロビアン約1億6470万年前 - 約1億6120万年前
③後期マルム
・オクスフォーディアン約1億6120万年前 - 約1億5570万年前
・キンメリッジアン約1億5570万年前 - 約1億5080万年前
・チトニアン約1億5080万年前 - 約1億4500万年前
【名前の由来】
ジュラ紀の名称は、フランスとスイスの国境をなすジュラ山脈に広範囲に分布する石灰岩層にちなみ、1829年にフランスの古生物学者ブロニアールAdolphe-Thodore Brongniart(1801―1876)が地質時代を表す名として使ったのが始まりだそうです。
イギリスでは地質学者スミスがこの時代の地層を調査し、地層累重の法則や化石による地層同定など層序学の重要な基礎的概念を確立しました。
さらに19世紀中期にはフランスの古生物学者ドービニーやドイツの地質・古生物学者オッペルによって、より細かい時代区分の単位となる階や、特定の化石種(おもにアンモナイト)によって特徴づけられる化石帯の概念が生まれ、以後の層序学の規範となりました。
【生物】
ジュラ紀の開始は三畳紀末の大量絶滅から始まっています。
絶滅は地上と海洋の両方でおき、地上の方が数百万年早かったと言われています。
海洋生物の20%と恐竜・翼竜・ワニ以外の祖竜(主竜類)、獣弓類が死滅し(最近日本で白亜紀の地層から化石が見つかっているのでこの説は疑問視されているそうですが、少なくとも衰退したのは間違いないようです)、最後の巨大な両生類もこのときにほぼ姿を消しました。
この原因として隕石衝突など様々な説が提唱されていますが、現在は中央大西洋マグマ分布域における火山活動との関連が有力視されています。
三畳紀末期の絶滅を生き残った恐竜が栄えました。
三畳紀から相次いだ火山活動の結果、大気中の二酸化炭素濃度は高く、ジュラ紀は現在よりも暖かく、降水量も多く、湿度も高かったため、動物は種類が増え、大型化していったそうです。
海洋ではアンモナイトや、プランクトンが繁栄し、地上では恐竜が多種多様な進化を遂げました。
小型の恐竜の一部が鳥類に至る進化を果たし、始祖鳥が現れたのもこの時代だそうです。
ジュラ紀にもっとも進化した生命は海洋での魚類と、海洋で暮らす爬虫類(魚竜、首長竜など)です。
また無脊椎動物にはいくつかの新しいグループが現れました。
【植物】
植物も、種類が増え、大型化していきました。
植物ではイチョウ、ソテツなどの裸子植物が大きく繁栄し、それまで植物が無かった内陸部まで生育範囲を広げていきました。
またジュラ紀の後半には被子植物も現れました。
【岩石】
愛媛県にもジュラ紀の岩石は多く見られます。
高縄半島基部には領家帯の変成岩が見られますが、これは1億5000万年前までの地質時代で、堆積岩が原岩で、堆積した時期は化石(泥質岩からの放散虫)から、三畳紀からジュラ紀だと考えられています。
そして高温の変成作用を受けています。
三波川帯は1億3000万~2億年前からの地質時代で、三波川変成岩類からなり、東赤石山・石鎚山など四国の屋根といわれる四国山地から出石山脈・佐田岬半島にかけて、外帯側に東西に帯状に分布しています。
幅は所によっては25kmにも達しています。
三波川帯の北縁は、和泉層群と中央構造線で接しているところがほとんどです。
三波川変成岩類を構成する岩石は、緑色片岩・黒色片岩・珪質片岩をはじめ多種にわたっています。
三波川帯の南側には御荷鉾(みかぶ)帯があり、これも1億3000万~2億年前からの地質時代です。
御荷鉾帯は、玄武岩類などの火成岩を主とする岩体で、もともとは海洋地殻や海山、海洋島の一部だったと考えられています。
連続した帯はなしていないのですが、三波川帯の中で南側に点在しています。
主な分布地は徳島県では赤帽子山の東西、 高知県では笹ヶ峰周辺、愛媛県では旧美川村の置俵~大洲市菅田にかけての広範囲と八幡浜市横平地区周辺付近です。
御荷鉾帯の岩石は、玄武岩、輝緑岩や斑れい岩質の緑色岩のほか、凝灰岩などのみかぶ緑色岩類から構成されています。
御荷鉾帯の南に秩父帯があり、御荷鉾帯が一種の構造線となっています。
秩父帯は1億5000万年前までの地質時代で、東西の断層によって北帯・中帯(黒瀬川帯と呼ばれることもあります)・南帯(三宝山帯と呼ばれることもあります)に区分されています。
黒瀬川帯の分布は、高知県では越知町周辺、愛媛県では西予市城川町が有名です。
北帯は、三畳紀~ジュラ紀の地層からできていて、変成作用を受けています。
中帯は、蛇紋岩に取り込まれたさまざまな時代の地層や岩石やシルル紀の石灰岩、三畳紀の浅海の地層なども含まれています。
南帯は、ジュラ紀から白亜紀の地層からなり、変形作用を受けていません。
【気候】
今より気温が高く、北極圏の近くでも平均気温が15度くらいだったといわれています。
気候が温暖だった原因は、活発な火山活動にありました。
火山活動によって、大気中の二酸化炭素濃度は、現在の20倍にまで達していました。
その結果、大量の二酸化炭素が熱を閉じ込め、地球の平均気温は現在より10度以上も高かったと考えられています。
ジュラ紀の温暖な気候が植物を育んだことで、植物を食べる恐竜が増え、恐竜たちの繁栄につながったそうです。

三畳紀について

地質時代には、いろいろな時代がありますが、今回は三畳紀について調べてみました。

三畳紀(Triassic Period)は、トリアス紀と訳すこともありますが、地質時代の年代区分の一つです。
【期間】
中生代を三つに区分した時代で、古生代のペルム紀と中生代のジュラ紀の間に位置し、中生代の最初の紀です。
約 2億5217万年前から約 2億130万年前までの期間と言われていますが諸説あります。
【名前の由来】
三畳紀の名は、南ドイツで発見されたこの紀の地層において、この時代の地層の古典的研究が行われたドイツで、赤色の砂岩、白色の石灰岩、茶色の砂岩と堆積条件の異なる三つの地層群が累重していることに由来し、1834年に地質学者のフォン・アルベルティが名づけたそうです。
しかしドイツでは海成層は三畳紀の中期に限られているので、国際的な標準としてはアルプスやヒマラヤ、さらにカナダ北部の海生動物化石に富む地層に基づいて国際的な時代区分が行われているそうです。
一般には、前期(インドュアン、オレネキアン)、中期(アニシアン、ラディニアン)、後期(カーニアン、ノーリアン、レーティアン)の3期7階に区分されています。
【生物】
ペルム紀末の大量絶滅の後、空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるように、海生生物では、古生代型の海生動物にかわって、新しい分類群がつぎつぎに出現したそうです。
六放サンゴやさまざまな翼形(よくけい)二枚貝などが発展するようになり、アンモナイトは、中生代まで生き残った数種をもとにセラタイト型が爆発的に増えました。
また、類縁するベレムナイトが著しく多数にわたって現れました。
棘皮動物のうちウニ類は古生代においてはまだ十分な発達をとげなかったのですが、中生代には急激に進化しはじめ、多くの種を生じました。
このような新しい種の出現によって、三畳紀後期にはいったん損なわれた生物多様性を再び回復したそうです。
三畳紀の海成層の示準化石として重要なものとしては、セラタイト型アンモナイト、翼形二枚貝(ダオネラ、ハロビア、モノティス等)のほか、原生動物の放散虫、貝蝦(エステリア)、ウミユリ(棘皮動物)の一種エンクリヌス・リリイフォルミスがあり、歯状の微化石コノドントは生物学上の位置づけが未解決の部分もあるが、層位学的にはきわめて重要だそうです。
なお、ダオネラは、現在のホタテガイに近縁する絶滅種であり、ダオネラ頁岩は堆積学的見地からも重視されています。
陸上の動植物はペルム紀中に大変革を終えており、P-T境界においては海生生物におけるほどの劇的な変化をともなっていません。
ペルム紀においてすでに主竜類などをはじめとする爬虫類が水中のみならず陸上生活に適したものが増加し、三畳紀には体躯の大きなものも出現して繁栄しました。
主竜類の中から三畳紀中期にはエオラプトルやヘレラサウルスなどの恐竜や翼竜、ワニが出現、また主竜類に近い系統からカメ類が現れました。
爬虫類はまた、肺呼吸を完全にし、種類によっては皮膚をウロコや硬い甲羅でおおうことによって乾燥した陸地への生活に適応していきました。
この時代の恐竜(初期恐竜)は、陸生脊椎動物のなかにあって特に大型であったわけではなく、初期恐竜と併存していた恐竜以外の爬虫類のなかに、それよりもはるかに大きく、個体数の多い種もあったと推定されています。
中でもこの時代にワニ類を輩出したクルロタルシ類は繁栄の絶頂にあり、陸上生態系において支配的地位を占めていました。
三畳紀の恐竜化石は特に南アメリカ大陸で多数検出されており、北米・アフリカ・ヨーロッパなどでも確認されています。
湿地帯などにのこされた爬虫類の足跡化石が多く発見されるようになるのも三畳紀に入ってからであり、これにより、肉食種が植物食種を捕食するシステムが成立していたことが推測されています。
カメは、現存種には歯のある種はないものの、オドントケリスやプロガノケリスなど初期のカメには顎に歯があったことが確認されています。
また、四肢は現在のゾウガメに類似しており、陸上生活者であると考えられています。
三畳紀のワニ類もまた陸上生活者であり、全長は1メートルにおよばなかったそうです。
最初の哺乳類が現れたのも三畳紀であったと言われています。
哺乳類は、中生代を通じて小型であり、大きくてもネコか小型犬ほどの大きさであり、多くの種はドブネズミかハツカネズミの大きさほどしかなかったそうです。
三畳紀には、従前は陸上でしかみられなかった爬虫類であったそうですが、三畳紀に入ってその一部が海に進出しました。
イクチオサウルスなどの魚竜や、泳ぐのに特化したひれ状の足をもつプラコドンなどの鰭竜類(Sauropterygia)、タラットサウルス類、板歯目などです。
魚類のうち、サメのなかまはペルム紀末の大量絶滅によって打撃を受け、その繁殖は限定的でありましたが、硬骨魚類は海中において顕著に繁殖しました。
両生類は、中期に体長5メートルを越すと推定されるマストドンサウルスがあり、これは史上最大級の両生類の一つと考えられています。
両生類には、分椎目のアファネランマに代表されるトレマトサウルス類のように海水に適応した種さえありましたが、三畳紀を通じてその多くは衰退していったそうです。
【植物】
陸上の植物では、シダ植物や裸子植物が著しく分布域を広げ、ボルチアやアメリカ合衆国アリゾナ州におけるアラウカリオキシロンの珪化森林にみられるようにマツやスギの遠祖となる針葉樹が現れました。
種子植物でありながら独立した精子をつくるイチョウ類やソテツ類、ベネティティス類も多く見られました。
湿地帯には、現在のシダ植物のヒカゲノカズラ科の類縁種である古代リンボクが豊富にのこり、シダやトクサも密に分布していました。
また、古生代後期からひきつづき、ゴンドワナ植物群とアンガラ植物群とが植生を競いあっていました。
【岩石】
三畳紀は大規模な海進がなかったので、安定大陸上には陸成層や台地玄武岩が知られ、海成層はほとんど分布していないそうです。
ただし、テチス海域や環太平洋の変動帯および準安定地域には、しばしば石灰岩や層状チャートを含む三畳紀の海成層が発達しています。
これらは、プレートテクトニクスの発展に伴って、海洋底堆積物が小陸地とともにプレートの水平運動によって大陸縁部に順次付加されて形成されたと解釈されるようになりました。
日本の三畳紀層は、かつては分布が狭いと考えられていたのですが、従来古生代とされてきた外帯(太平洋側)各地のチャート層や石炭岩から相次いで本紀を示すコノドント化石が検出されました。
さらに放散虫の研究により、これらの多くはジュラ紀から白亜紀前期の泥質岩にとりこまれた異地性の岩体であることが判明しました。
これらは激しく褶曲していますが、もともとは広大な海洋底にたまった薄い堆積物で、大陸縁をなしていた日本列島に付加されたと考えられています。
一方、内帯(日本海側)および外帯の一部には、三畳紀前後に形成された花崗岩や広域変成岩とすでに付加されていた古生代の地層が分布し、これらを基盤とする三畳紀後期の陸棚性ないし瀕海(ひんかい)性の厚い堆積物がいくつかの小地域に分布しています。
これらはしばしば炭層を含み、産出する軟体動物化石にはシベリア方面と共通する種が多く知られています。
愛媛県でも、領家変成岩類 (2億2000万年前) の分布が見られます。
領家変成岩類は高縄半島の基部に分布しています。
岩盤は、砂質,泥質,石灰質,塩基性のホルンフェルス~片麻岩から成り、泥質のホルンフェルスから三畳紀~ジュラ紀の放散虫化石が発見されています(鹿島・増井,1985)。
この領家変成岩類は、南縁部で和泉層群に不整合に覆われています。
【気候】
古生代の終わり頃には、ほとんど全ての大陸が合体し、三畳紀には北極から南極に至るパンゲア大陸と呼ばれる超大陸が形成されました。
また、山地をくずして内陸部に広大な平野をつくる陸地の平原化現象があり、内陸部の平野には乾燥気候の影響で砂漠化の進行が著しく、赤色の砂が堆積していったそうです。
また、砂漠のところどころにはオアシスが点在したそうです。
パンゲア大陸の周囲には、パンサラッサと称されるひとつながりの巨大な海洋と、大陸の東側にはテチス海と呼ばれる湾状の海が広がり、一部は珊瑚礁となっていました。
古生代終期に寒冷化した気候も、三畳紀を通じて気温は徐々に上昇していったものと推定されています。
ペルム紀に30パーセントほどあった酸素濃度も10パーセント程度まで低下し、ジュラ紀頃までの約1億年間、低酸素状態が続いたそうです。
三畳紀は、広大な大テチス地向斜の発展がみられた時期と考えられています。
この地向斜から、2億もの年月を経たのち、アルプス・ヒマラヤ造山帯など新期造山帯と称される若い山脈が形成されていくものとみられています。
三畳紀の終わりに、地球上の陸と海の生物の少なくとも半分が絶滅したそうです。
これを契機に恐竜が勢力を拡大し、その後1億3500万年にわたり地球を支配することになりますが、ワシントンD.C.にあるカーネギー研究所で地質学を研究するテレンス・ブラックバーン(Terrence Blackburn)さんによると、多数の動植物種が化石にその痕跡を残さなくなるのと同時期に、非常に大規模な溶岩の噴出が起こっていることが確認されたそうです。
この溶岩がアメリカ一国の上に堆積したと仮定すると、その高さは90メートルを超える計算になるそうです。
このとき噴出した溶岩は洪水玄武岩と呼ばれ、60万年の間に4回に分けて噴出したそうですが、そのうち最初の火山活動が、多くの生物種の絶滅につながったとブラックバーンさんは見ているそうです。
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