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松山市の石手川ダム

松山市民の貴重な水がめである石手川ダムを紹介します。

石手川ダム(いしてがわダム)は、愛媛県松山市の一級河川・重信川水系石手川に位置するダムです。
洪水調節や上水道・灌漑用水の供給を目的に、建設省四国地方建設局(現国土交通省四国地方整備局)により建設されました。
堤高は87mで、松山市で最も高い建築物であるいよてつ髙島屋の観覧車よりも2メートルほど高いそうです。

河川: 重信川水系石手川
型式: 重力式コンクリート
提高:87m
堤頂長:277.7m
堤体積: 423千m3
流域面積:72.6km2 ( 直接:6.4km2 間接:66.2km2 )
湛水面積: 50ha
総貯水容量: 12800千m3
有効貯水容量: 10600千m3
本体施工者: 清水建設
着手:1966年
竣工:1972年
ダム湖名: 白鷺湖 (しらさぎこ)

松山市は、少雨と需要増大に起因する慢性的な水不足に悩まされています。
石手川ダムは、昭和30年代当時、将来のピーク人口を約37万人と予測して建設されたため、現在の50万人を超える都市の構えとしては非常に脆弱です。
石手川ダムでは、松山市の約半分(松山市中心部の大部分)の上水道水を賄っていますが、例年の如く渇水による取水制限が実施されています。
ダム完成後、取水制限が実施されずに済んだ年は、1980年、1987年、1988年、1989年、1991年、1993年、1999年、2004年、2006年、2010年、2012年の11か年に留まり、平均すると年に約100日間は取水制限が実施された計算になります。
近年は市民の節水意識の高まりや節水型製品の普及により、渇水問題は緩和されつつありますが、今年も6月に取水制限がありました。


松山市の水がめとしてはものすごく小さいダムです。


まだまだ奥までありますが、だんだん細くなっていて、規模は小さいです。
流域面積も、目の前の山の頂上までです。
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日本のバットレスダムについて

ダムの形状にはいろいろな種類がありますが、今回はバットレスダムを紹介します。

バットレスダム(buttress dam)はダムの型式のうち、水圧を受けるコンクリートの止水壁を鉄筋コンクリートの扶壁(ふへき=バットレス)で支え、水をせき止める構造のダムで、扶壁式ダムとも言われています。
バットレスダムには、
・バットレスダム・・・・遮水版が平版(スラブ)であるダムで、フラットスラブバットレスダムとも呼んでいます
・マルチプルアーチダム・・・・複数のアーチになっているダム
の2種類があります。
バットレスダムは以前は石で造られていましたが、19世紀末にダムの建設材料としてコンクリートが使われるようになりました。
コンクリートの使用量を少なくするために、20世紀初頭に鉄筋コンクリートを使う近代的なバットレスダム、マルチプルアーチダムがアメリカ合衆国で考案されました。
2011年版ダム年鑑(日本ダム協会)によると、日本にはバットレスダムは6箇所、マルチプルアーチダムは3箇所あります。
日本のバットレスダムには耐震性を高めるために扶壁と扶壁の間に水平支材が入れられています。
日本最初のバットレスダムは1923年(大正12)に竣工した函館市亀田川水系笹流(ささながれ)川の笹流ダム(高さ25.3m)で、もっとも高いのは丸沼ダム(群馬県利根川水系片品川、高さ32.1m、1931年竣工)です。
日本最初のマルチプルアーチダムは1930年に竣工した香川県柞田(くにた)川水系田野口川の石造りの豊稔池ダム(高さ30.4メートル)で、もっとも高いのは大倉ダム(宮城県名取川水系大倉川、高さ82メートル、1961年竣工)です。
世界でもっとも高いバットレスダムは1991年にブラジルとパラガイの国境を流れるパラナ川につくられた中空重力ダム、バットレスダム、ロックフィルダム、アースダムの異なるタイプの四つのダムで構成されているイタイプダムのバットレスダムで、高さは196mです。
世界でもっとも高いマルチプルアーチダムは高さ214mのカナダのダニエル‐ジョンソンダム(1968年竣工)です。

日本においては、1923年(大正12年)に函館市(函館市水道局などを経て現・函館市企業局上下水道部)が上水道の水確保のために第2次拡張事業の一環として建設した笹流ダムが最初だそうです。
当時は大井ダム等の大規模重力式コンクリートダム建設が主流になりつつあったのですが、セメントが極めて高価だったために工費コストを削減し利潤を追求したい電力会社はコンクリート量を節約できるバットレスダムに注目し、続々と建設され始めました。
特に東京電燈(現・東京電力)が建設した丸沼ダムは堤高及び総貯水容量で日本一の規模でした。
しかし、
・次第にコンクリートが安価になり大量に使用できるようになったこと
・ダムを支える扶壁は複雑な形状のため、型枠設計や完成後の扶壁へのメンテナンスにコストが掛かるため長期的スパンでのコストパフォーマンスに劣ること
・地震に弱いこと
このように欠点もあり、大規模なダムを建設することができず、大規模発電用ダム建設を志向していた電力会社のメリットに合致しなくなりました。
こうして1937年(昭和12年)に鳥取県で完成した三滝ダムを最後に以後全く建設されることはなくなりました。
日本国内では8基建設されたのですが、長野県の旧小諸発電所第一調整池は崩壊、新潟県の高野山ダムは再開発によりロックフィルダム(表面アスファルト遮水壁型フィルダム)に変更されたため、現存するのは6基です。
ほとんどが補強・改築され完成当時の姿を残すのは少ないのですが、いずれも土木史的に貴重な建造物であるため土木学会選奨の「土木遺産」に選定されています。
また、丸沼ダムは完成当時の姿が残存していること、堤高日本一であることなどが評価されて2003年(平成15年)に電力会社管理ダムとしては初めて国の重要文化財に指定されました(ダム自体としては秋田県の藤倉ダム、現役のダムとしては広島県の本庄ダムが初指定)。


このバットレスダムが、国の重要文化財に指定された、群馬県利根川水系片品川にある、堤高及び総貯水容量で日本一の規模を誇った丸沼ダムです。

古城のような観音寺市の豊稔池堰堤

香川県観音寺市の豊稔池堰堤を紹介します。

豊稔池堰堤(ほうねんいけえんてい)つまり、豊稔池ダム(ほうねんいけダム)は、現存する日本最古の石積式マルチプルアーチダムです。
2006年(平成18年)、国の重要文化財(建造物)に指定されています。
指定名称は「豊稔池堰堤」で、命名は、香川県出身で大蔵大臣などを歴任した三土忠造さんだそうです。
豊稔池堰堤の規模は、
・堤高 - 32.3m
・堤頂長 - 158.4m
・堤体積 - 21,000m3
・総貯水容量 - 1,590,000m3
・有効貯水容量 - 1,590,000m3
・流域面積 - 9.9km2
・湛水面積 - 16ha
・利用目的 - 灌漑
豊稔池堰堤は、讃岐山脈から流れ出る柞田川を上流で堰き止め、柞田川の左岸に広がる水田を潤しています。
度重なる大旱魃への対策として1926年(大正15年)に着工され、1930年(昭和5年)に完成しました。
施工業者は、豊稔池土地改良区で、このとき、地元住民による組合が部分請負をして工事にあたり、延べ15万人による人海戦術により、たった3年8カ月の短期完成を実現するという地元一体となって成遂げられた公共事業だったそうです。
築堤材料と建設労力のほとんどが地元で、石材は付近の谷で採取し、砂は豊浜、観音寺から馬車で運んだそうです。
県営工事なのですが、実質的には地元民が施工し、数名の技師の指導で、夜講習会を開いて技能者を養成したそうです。
後に、清水建設とフジタによるダム補修工事によって上流部はコンクリート補強されていますが、下流部には当時の古い石積みが現存しています。
多連式アーチダムとしては、宮城県仙台市の大倉ダム(二連式)を含め、全国に二つしかなく、当時アメリカで最新技術であったマルチプルアーチが適用されるなど土木史、ダム技術史を語る上においても貴重な建造物だそうです。
この堰堤によって形成された人造湖は豊稔池として2010年(平成22年)3月25日に農林水産省により「ため池百選」に選定され、湖畔には「豊稔池遊水公園」が整備されています。
現在も、豊稔池からは約530haの灌漑を行っており、「大野原は月夜に焼ける」と詠われり、旧大野原町の大野原音頭では「……里をうるおす豊稔池の、石積堤は城のよ~う、城のよう……」と歌われて、豊かな大野原平野を潤している水源です。

豊稔池堰堤
山あいに凛とそびえる豊稔池堰堤は、まるで中世ヨーロッパの古城のような絶景です。
水不足を解消するために作られたこの堰堤は、延べ15万人による人海戦術で、昭和初期に3年8カ月の期間をかけて造られた当時の姿を今に保ったままです。
これだけ古風だと、特に周囲の山並みと調和していました。

豊稔池堰堤
午後は逆光になるので、撮影は午前中がいいそうです。
満水時には自然放水されています。

豊稔池ゆる抜き
田植えの時期には、地上30mの堤からの放水や、「ゆる抜き」行事(毎年7月中旬から下旬)の際には、そのヨーロッパの古城を思わせる概観と勢いよく流れ出る放水の絶景に多くの観光客が訪れています。
豊稔池の「ゆる抜き」(いわゆる放流のことです)は、下流にある井関池の貯水量が3割を切ったころを目安に行われるそうです。
上の写真はこの「ゆる抜き」の写真ですが、この行事は季節の風物詩として知られ、轟音とともに堰堤の中樋(なかび)とよばれる樋門から毎秒約4トンの水が放水される景色は壮観だそうです。

満濃池が「世界かんがい施設遺産」に

今年も、「世界かんがい施設遺産」についての認定がありました。

平成28年11月8日、タイ王国チェンマイで開催された国際かんがい排水委員会(ICID)理事会において、「世界かんがい施設遺産」への認定審査が行われ、四国からは満濃池土地改良区が申請していた満濃池が「世界かんがい施設遺産」に認定・登録されました。
「世界かんがい施設遺産」とは、国際かんがい排水委員会(ICID)が、かんがいの歴史・発展を明らかにし、理解醸成を図るとともに、かんがい施設の適切な保全に資することを目的として、平成26年度より登録・表彰されています。
登録・表彰の条件としては、建設から100年以上経過し、かんがい農業の発展に貢献したもの、卓越した技術により建設されたもの等、歴史的・技術的・社会的価値のあるかんがい施設を選ぶことになります。
登録により、かんがい施設の持続的な活用・保全方法の蓄積、研究者・一般市民への教育機会の提供、かんがい施設の維持管理に関する意識向上に寄与するとともに、かんがい施設を核とした地域づくりに活用されることが期待されているそうです。
今回新たに登録された施設は5カ国25施設で、日本からは満濃池を含めて下記の14施設が登録されています。

(1)平成28年度世界かんがい施設遺産登録施設
1. 照井堰用水(てるいぜきようすい)【岩手県一関市、平泉町】
2. 内川(うちかわ)【宮城県大崎市】
3. 安積疏水(あさかそすい)【福島県郡山市、猪苗代町】
4. 長野堰用水(ながのせきようすい)【群馬県高崎市】
5. 村山六ヶ村堰疏水(むらやまろっかむらせぎそすい)【山梨県北杜市】
6. 滝之湯堰・大河原堰(たきのゆせぎ・おおかわらせぎ)【長野県茅野市】
7. 拾ヶ堰(じっかせぎ)【長野県安曇野市、松本市】
8. 源兵衛川(げんべえがわ)【静岡県三島市】
9. 足羽川用水(あすわがわようすい)【福井県福井市】
10. 明治用水(めいじようすい)【愛知県安城市、岡崎市、豊田市、知立市、刈谷市、高浜市、碧南市、西尾市】
11. 南家城川口井水(みなみいえきかわぐちゆすい)【三重県津市】
12. 常盤湖(ときわこ)【山口県宇部市】
13. 満濃池(まんのういけ)【香川県まんのう町】
14. 幸野溝・百太郎溝水路群(こうのみぞ・ひゃくたろうみぞすいろぐん)【熊本県湯前町、多良木町、あさぎり町、錦町】

なお、過去に登録された施設は以下の通りです。
(2)平成26年度世界かんがい施設遺産登録施設
平成26年9月16日(火曜日)に大韓民国光州広域市で開催された第65回国際執行理事会において、下記の施設がかんがい施設遺産に登録されました。
1. 稲生川(いなおいがわ)(青森県十和田市他)
2. 雄川堰(おがわぜき)(群馬県甘楽町)
3. 深良用水(ふからようすい)(静岡県裾野市他)
4. 七ヶ用水(しちかようすい)(石川県白山市他)
5. 立梅用水(たちばいようすい)(三重県多気町他)
6. 狭山池(さやまいけ)(大阪府大阪狭山市)
7. 淡山疏水(たんざんそすい)(兵庫県神戸市他)
8. 山田堰、堀川用水、水車群(やまだぜき、ほりかわようすい、すいしゃぐん)(福岡県朝倉市)
9. 通潤用水(つうじゅんようすい)(熊本県山都町)

(3)平成27年度世界かんがい施設遺産登録施設
平成27年10月12日(月曜日)にフランス共和国モンペリエ市で開催された第66回国際執行理事会において、下記の施設が世界かんがい施設遺産に登録されました。
1. 上江用水路(うわえようすいろ)(新潟県上越市、妙高市)
2. 曽代用水(そだいようすい)(岐阜県関市、美濃市)
3. 入鹿池(いるかいけ)(愛知県犬山市)
4. 久米田池(くめだいけ)(大阪府岸和田市)

「世界かんがい施設遺産」は、今年を含めて全部で50施設あるみたいですが、そのうち日本は27施設もあります。
他の国は、中国、韓国、タイ、スリランカ、パキスタンで、すべてアジアの国々です。
かんがい施設は、米作地域が主になるので、おのずとアジアの国々になるのでしょうが、「世界かんがい施設遺産」イコール「アジアかんがい施設遺産」となってしまっています。
国際かんがい排水委員会(International Commission on Irrigationand Drainage, ICID)は、かんがい・排水・治水等の分野で、科学技術の研究・開発、経験知見等の交流の奨励及び促進を図ることを目的に、1950年(昭和25年)にインドで設立されたそうです。
日本は、翌年の1951年(昭和26年)に、ICID日本国内委員会が組織され、ICIDへ加盟しています。
ICID日本国内委員会は、主にアジア・アフリカの稲作の生産性向上のための各種技術的課題を中心に研究・支援活動を行っていまるそうで、近年においては、世界の水使用量の増加や気候変動による降水量の変動等、持続的なかんがいの実現に向けた新たな課題への支援にも取り組んでいるそうです。
こんな中で、「世界かんがい施設遺産」の認定・登録を始めたと思いますが、建設から100年以上経過した施設に限定すると、アフリカのかんがい施設はあるのでしょうか?
調べれば調べるほど、日本寄りの「世界かんがい施設遺産」と思えてきます。

早明浦ダムと大川村

早明浦ダムの話をします。

早明浦ダム(さめうらダム)は、高知県長岡郡本山町と土佐郡土佐町にまたがる、一級河川・吉野川本流上流部に建設された多目的の重力式コンクリートダムです。
本川村瓶ヶ森を源とする吉野川は、その支流の水を集めながら、早明浦ダム湖へと注ぎ、­徳島県へと流れています。
四国一の大河で流路194kmあります。
早明浦ダムは、­吉野川総合開発計画に基づくもので、昭和42年(1971年)に着工し、昭和48年(1977年)に完成しました。­
・堤高・・・・106.0 m
・堤頂長・・・・400.0 m
・堤体積・・・・1,200,000 m³
・流域面積・・・・472.0 km²
・湛水面積・・・・750.0 ha
・総貯水容量・・・・316,000,000 m³ (3億1,600万トン)
・有効貯水容量・・・・289,000,000 m³ (2億8,900万トン)
早明浦ダムは、多目的ダムとして西日本一の規模を誇り、貯水量は全国第4位です。
四国4県に分水され、「­四国の水がめ」として、多くの人々の暮らしや産業を支えるとともに、流域の洪水被害も­軽減しました。

こうして、ダムが完成すると渇水対策や洪水対策には効果があるのですが、ダムが完成することによって沈んだ集落があるのも現実です。
大川村(おおかわむら)は、早明浦ダムの完政により、村役場を含め村の大部分が水没したことで有名です。
ピーク時に約4,000人いた人口は白滝鉱山の閉鎖、そして、早明浦ダムの完成による集落の水没などがあり、約500人まで落ち込みました。
2005年(平成17年)11月27日に、日本の離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村となりました。
2016年2月1日における推計人口は、402人だそうです。

早明浦ダムは、経済安定本部が示した当初の計画では、堤高72.0m、総貯水容量1億4,700万トンであり、現在の規模の半分でした。
その当時は、下流に小歩危ダムが建設される予定であり、この小歩危ダムの方が大規模でした。
しかし小歩危ダムは、計画の度重なる縮小があり、そして中止になりました。
また当初一緒に建設される予定であった、早明浦ダムより上流に計画されていた桃ヶ谷ダムは1950年の段階で計画が中止されました。
このような状況になると、早明浦ダムの規模は徐々に拡大することになり、もしダムが建設されると奈良県の池原ダム(北山川)に次ぐ西日本最大級の人造湖が誕生することになります。
そして、これにより本山町、土佐町及び大川村の2町1村で385戸・387世帯が水没の対象となりました。
この水没世帯数は当時としては大規模な部類であり、1960年(昭和35年)に建設省がダム計画の構想を発表すると同時に猛烈な建設反対運動が巻き起こりました。
特に大川村の場合は村役場を始めとする村内の主要公共施設を含め、主要集落の大部分が水没することになります。
加えてダムが完成した後の固定資産税はダム所在地である本山町と土佐町に配分され、大川村には入りません。
こうしたことからダム建設に全くメリットがない大川村は官民一体となった反対運動を繰り広げることとなりました。
このパターンは、現在でも反対運動が繰り広げられている、群馬県の八ッ場ダム(吾妻川)での吾妻郡長野原町、熊本県の川辺川ダム(川辺川)での球磨郡五木村と全く同様のケースでした。
大川村には「ダム建設反対」の立看板が至るところに設置され、中切地区に立てられた「ダム建設絶対反対」の大看板を筆頭にその数は600箇所にも上ったとされています。
さらに1968年(昭和43年)には大川村民大会が開かれ全村民が参加し全会一致で「ダム建設絶対阻止」を議決しています。
大川村当局は新たに村役場庁舎を新設し、ダム事業への抵抗をあらわにしました。
現在でも、渇水時になると現れるこの庁舎はダム建設に反対する村役場当局が抗議意思の強さを示すものとして、ダム建設計画後にあえて想定水没地に建てたものだそうです。
この庁舎が建っている所は、ダム建設前には、洪水になっても絶対に浸水しない高台でした。
また、高知県側の犠牲が大きいにも拘わらず、高知県が得られる高知分水への利水率はわずか4%しかなく、地元民に対しての分水率はゼロであったため、このことも公団側と激しく対立する要因となりました。
こうした激しい反対運動によって住民との補償交渉はダムの試験湛水中にまでもつれ、1963年の調査開始から10年余に及ぶ長期の交渉となりました。
最終的には、補償総額125億5,000万円(当時の推定額です)で妥結し、これとは別に電源開発による早明浦発電所建設補償費が2億9,200万円(当時の推定額です)が支払われたそうです。
しかしこれら主要集落が水没したことで大川村の過疎化はより加速することになり、住民は四国四県の新たな水資源開発のために住み慣れた故郷を永久に失うという犠牲を払いました。

この早明浦ダムですが、利水目的では吉野川北岸用水・香川用水・愛媛分水・高知分水を利用し四国四県へ供給しています。
灌漑用水は高知県を除く三県に対し平均で通年毎秒3トン、農繁期に毎秒11.96トンを供給し、上水道・工業用水道は四国四県にそれぞれ一日量で440,000トン、1,420,000トンを供給しています。
①徳島県への利水配分率は48%と最も大きく、吉野川北岸用水の水源として利用されるほか、慣行水利権分の不特定利水補給が行われています。
②香川県への利水配分率は29%で、池田ダムより取水した吉野川の水を香川県に送水しています。
ただし、吉野川の異常渇水で、下流の水利権者に影響が出ると予想されるときには香川県は水利用の制限、または停止されるそうです。
③愛媛県への利水配分率は19%で、早明浦ダム完成によって徳島県への慣行水利権分の不特定利水が補給されることから、柳瀬ダム完成時に愛媛・徳島両県で合意していた柳瀬ダムの責任放流が廃止され、間接的にではありますが、四国中央市への利水が強化されました。
④高知県への利水配分率は4%と最も少なく、ダムの水は瀬戸川から地蔵寺川へ2つの取水堰を通じて四国山地を縦断し、鏡川に建設された高知県営ダムである鏡ダムに流路変更され、高知市の上水道に供給されるています。

早明浦ダムによる各新規用水の総合開発量は年間8億6,300万トンです。
とりわけ、香川県には大きな河川がなく、同県の水利用は、水道使用量の50%を占める香川用水へ依存している所が大きく、香川用水は、この早明浦ダムを中心として開発された新規用水であり、香川県の水利用において早明浦ダムの果たしている役割は非常に大きいものです。
それと同時に早明浦ダムの渇水は、まず香川県の水事情に大きく影響します。
また、ダムが高知県長岡郡本山町にあるため、渇水になると高知県内も生活用水に影響があるのではないかと思われがちですが、高知県側への利水配分は前述の通りわずか4%に過ぎず、状況によっては高知分水への放流を完全にカットすることもあります。
このことより高知県側は早明浦ダムの渇水による影響は少ないと言えますが、高知県は四万十川や仁淀川などの大きい河川があるので早明浦ダムよりの取水にはあまり期待していないのも当然でしょう。
愛媛県は、早明浦ダムの渇水では、四国中央市が影響しますが、富郷ダム、新宮ダム、柳瀬ダムもあるので香川県ほどではありません。

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早明浦ダムの渇水中の底には、旧・大川村役場が、貯水率が30%ぐらいになると顔を出します。

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ここ2~3年くらいはまだ顔を出していませんが、顔を出すと香川県は一番ピンチです。
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