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南スーダンの人々の理不尽な思い

みなさんは、今南スーダンで何が起きているかご存じでしょうか?

東アフリカに位置する南スーダン共和国は現在、国の3分の2が洪水に見舞われ、北部ユニティ州の州都ベンティウの街は、海に浮かぶ島のようになっています。
屋根だけを残し、完全に水没した家ばっかりです。
被害を受けた人々が詰め掛ける避難民キャンプも、地面が水面より低く、国連などの協力で築かれた堤防でかろうじて守られている状態だそうです。
4年連続で、記録的な大雨と洪水に見舞われている南スーダンでは、今回の洪水で90万人以上が影響を受け、深刻な食糧危機に瀕しています。
また、井戸やトイレが水没して水源が汚染され、感染症などの発生も心配されています。
国連難民高等弁務官事務所は、「気候変動が加速するにつれ、状況はさらに悪化する恐れがある」として国際的な支援を求めています。

これが、現実に起こっている自然災害ですが、南スーダンはここ10年間にも及ぶ辛い歴史があります。
南スーダンは2011年に長い内戦の末に独立を果たした「世界で一番新しい国」です。
南スーダンは半世紀に及ぶ内戦を経て2011年7月、分離独立を果たしました。
いわゆる「世界で一番新しい国」ですが、しかしその後たった2年で再び内戦に陥り、2019年からは全国的に7つの州にまたがるような洪水被害、そして直近では武装勢力による襲撃と多くの人々が命を失い、逃れてきた人々も生きる希望を奪われるような状態へ追い詰められています。
これは独立当初から脆弱な政府には到底対処できない惨事(もしくは政治的理由で意図的に画策されたもの)であり、国連機関も必死の支援を続けますが、それでも増え続ける避難民を支えきれません。
南スーダン・ユニティ州レール郡(Leer County, Unity State)において、2022年4月上旬に軍の訓練施設で武力衝突が発生しました。
それを契機に、郡内の村々が広範囲にわたり武装グループに襲撃され、4月中旬に事態が鎮静化するまでに、現地のNGOによれば8万人以上が国内避難民となりました。
軍施設での衝突と武装グループによる村落襲撃の背景には、南スーダン政治・軍事における敵対的な二大勢力の緊張関係や駆け引きがあると言われており、聞き取りをした避難民リーダーは「自分たちは政治の道具として殺されている」と私たちに訴えました。
ユニティ州はもともと洪水により甚大な被害を被っていました。
2019年から3年続き、2021年は「60年に一度」といわれるほどで、22万人以上が被災しています。
その中でも州都ベンティウには相当数の国連機関、国際NGOの事務所があり人道支援が行われている一方、南のレール郡は活動する団体が限られることもあり、支援が十分に行き届いていません。
そのような状況のなか、武力衝突によりさらに多くの人々が避難民となり、状況は悪化の一途を辿っています。
この延々と続く非常事態に人々は為す術もなく翻弄されれ、何度も何度も避難を繰返す生活の実態は、私たちの想像を絶する残酷極まりないものです。
理由も分からないまま誰かが殺しに来るので、子どもたちを連れて逃げるだけで精一杯だそうです。
着の身着のままでナイル川に飛び込み、夜があけるまで川の中に身をひそめ、日が昇ってから中洲の小島にやっと上がるそうです。
日中に移動すると見つかって殺されるので、夜な夜な川の中を移動するそうです。
国連平和維持部隊が避難民を保護する地域を目指して逃げたが、そのさなかで大勢の人が沼に溺れ、木の上から襲ってきた猛獣に子どもを食われ、毒蛇に噛まれ、ワニの餌食となり、死んでいったこともあるそうです。
命からがら避難民地区にたどりつき殺される心配がなくなったとしても、凄惨な体験に精神を病んで病気となり父親が亡くなったという人もいます。
また、支援の行き届かない中での生活環境はかなり厳しく、トイレがないために数千人が連日野外排泄をし、味気ない植物の根っこを1日1回食べるのがやっと、汚い水もそのまま飲みながら命をつないでいるそうです。
更に避難民の多くは屋根すらもない地べたで寝て夜を過ごしているために、雨季が本格的になれば、大人も子どもも豪雨に打たれながら寝られない夜を過ごすことになります。
これはもはや人間の最も基本的な尊厳に対する侵害です。
JVCインターン生の阿見さんの話では、避難民地区を訪れた私たちに過酷な体験を話してくれた避難民の人々からは、「このことを日本に伝えてほしい」「今までもいろんな団体が話を聞きに来たが何も起こらなかった」という声もあったそうです。
南スーダン出張で、JVCインターン生の阿見さんは想像を遥かに上まわる惨状に何度も圧倒されたそうです。
南スーダンの洪水は目を疑うほどに広大な面積を水没させる、まさに天変地異と呼ぶに相応しいものだそうです。
また、避難民キャンプの衛生環境の劣悪さに、阿見さんはすぐに病気に罹り病院で治療を受けることになったそうです。
避難民の人たちには南スーダンしか居場所がありません。
同じ地球なのに、同じ人間なのに、なぜこの人たちばかりが何年も何年も理不尽な思いを強いられ続けるのでしょうか。
このJVCの阿見さんの言葉からも、南スーダンで起きている差し迫った状況が伝わってきます。
日本にいると、荷物を持たず、命からがら逃げること、雨風を凌げず夜を明かすこと、毎日野外での排泄を強いられることのどれもが想像絶するものです。
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本当に潮目が変わったのかウクライナへの侵略戦争

ロシア・ウクライナ戦争(露宇戦争)の戦況は明らかに変化し、ロシアはこれからは苦境に立たされると分析されてもいます。

そのきっかけは米国のウクライナへの高機動ロケット砲システムHIMARS(ハイマース)供与であり、これによりウクライナ軍の反攻は近いと思われています。
ウクライナ軍は5月中旬から7月中旬にかけて、ウクライナ東部ドンバス地方の戦闘において苦戦していました。
理由は、ロシア軍のロケット砲や榴弾砲の圧倒的な火力により大きな被害(1日100人から200人の死者)が出たからです。
しかし、ウクライナ軍はHIMARSを入手してから、ロシア軍の重要な燃料庫・弾薬庫などを数十箇所破壊する作戦を開始し、ロシアの兵站施設とくに弾薬集積所、司令部、砲兵戦力などを破壊しています。
その後、ウクライナ軍はロシア軍が支配する飛行場、橋、輸送拠点に対してHIMARSを使用するようになりました。
さらに、ロシアの防空網を直接攻撃し、前線のはるか後方にある高価な高性能レーダーを破壊し、ロシア軍の航空優勢を拒否しています。
これは画期的なことだそうです。
ロシア軍の直近1カ月間のHIMARSへの対策を観察すると、これへの有効な対抗手段を見出せていないそうです。
HIMARSは今後ともロシア軍にとって最大の脅威となると言われています。
そしてウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、次のように述べてHIMARSの登場により戦況が大きく変化しつつあることを明らかにしました。
「HIMARSなどのお陰で、ウクライナ側の死傷者数が減少している」
「戦闘が最も激しかった5月と6月の時期には、1日当たり100~200人の兵士が死亡していたものの、今は30人ほどに減り、負傷者は250人前後だ」
また、7月24日付のワシントンポスト紙*1によると、ウクライナ第2の都市ハルキウの南東に位置するイジウムの敵弾薬庫を最近HIMARSで攻撃して以来、ロシアの砲撃は以前の10の1に激減し、死傷者の数も劇的に減少しているそうです。
一方、ロシア軍ですが、米国防省高官の7月22日の発言によると、ロシア軍が毎日数百人の死傷者を出しており、これまでに数千人の将校を失っているために指揮系統が混乱しているそうです。
ウイリアム・バーンズ米中央情報局(CIA)長官は7月20日、露宇戦争でこれまでにロシア側の死者が約1万5000人、負傷者は4万5000人に達し、人員不足の原因になっているという見方を示しています。
ゼレンスキー大統領は7月22日、次のように述べてこの戦争の継続を明らかにしました。
「ロシアが2月の侵攻後に占領したウクライナ領土を支配し続ける形での停戦はさらなる紛争拡大を招き、ロシアに次の作戦に向けて軍の立て直しを図る絶好の機会を与えることになる」
「ロシアとの戦闘をやめることは、ロシアに一息つくための休止を与えるということだ」
「2つの地域を飲み込んだマッコウクジラ(ロシア)が、今になって戦闘をやめろと言っている」
「クジラは一休みして、2年後か3年後にさらに2つの地域を占領し、またこう言う、戦闘をやめろと。それが何度も何度も繰り返されることになる」
以上のことでも明らかなように、ウクライナ軍がHIMARSを供与されたことにより、戦況が明らかに好転し、ゼレンスキー大統領の戦争継続意思も固く、ウクライナ軍の反攻は近いと思われています。
ドニプロ川を抜きにしてウクライナの歴史・政治・経済・文化などを語ることはできませんが、軍事についても同じことが言えます。

ドニプロ川はウクライナを北から南に流れ黒海に至り、ウクライナを東西に分断しています。
ロシア軍がドニプロ川を越えて東から西に攻撃しようとすると川が大きな障害となり、既存の橋は非常に価値の高い作戦上の要点になります。
現在、ウクライナが作戦上の焦点にしているのがヘルソン州の州都であるヘルソン市です。
ヘルソン市は、ドニプロ川の西岸に位置し、黒海近くの戦略的に重要な都市です。
ヘルソン市は、戦争の初期に抵抗らしい抵抗をすることなくロシア軍に占領され、露宇戦争でロシアが占領した最初の主要都市となってしまいました。
英国の秘密情報部(MI6)のリチャード・ムーア長官は7月21日、米コロラド州で開かれたアスペン安全保障フォーラムで講演を行いました。
その際に、ウクライナに侵攻を続けるロシア軍について次のように発言しました。
「そろそろ力が尽きようとしている」
「我々の評価では、ロシアは今後数週間、ますます人員と物資の確保が困難になるだろう」
「彼らは何らかの方法で一時停止しなければならず、それがウクライナ人に反撃の機会を与えることになる」

また、次のようにも述べて引き続き西側諸国によるウクライナ支援の必要性を強調しました。
「戦場で何らかの成功を収めれば、欧州の他の国々に、これは勝てる作戦だということを思い出させる重要なものとなる。特に、ガスの供給が逼迫する冬を前にしてだ」
「ウクライナ側が勝利するため、少なくとも相当な強さをもって交渉するためにウクライナへの支援を維持しなければいけない」
「もう一つの理由は、中国の習近平が鷹のように見張っているからだ」
ドンバス地方での戦いはまだ終わっていませんが、ゼレンスキー大統領は、ヘルソン市のようなロシアに占領されている都市を包囲・封鎖し、ロシアの守備隊への物資や援軍を遮断し、ロシアが降伏するまで封鎖を続ける意向だと思われます。
ウクライナがロシアに大勝利を収め、戦局を好転させるためには、ヘルソン奪還が最も現実的な方法だというのが政府の立場です。
そして、ヘルソン市民に対して、ウクライナ軍の反攻が開始される前に一刻も早く避難するよう促しています。
ドニプロ川の地形障害やロシア軍の配備が薄い弱点もあり、ウクライナの計画は実際、現実的かもしれません。
ゼレンスキー大統領はすでに軍に、ウクライナ南部の海辺の地域は国家経済にとって不可欠であるとして、奪還作戦を行う計画を確立するよう命令しています。
ゼレンスキー大統領は、ヘルソン市に向けて軍が「一歩一歩」前進していると述べています。
ウクライナ軍の前進は、ドニプロ川の西に存在するロシアの補給線の道路が「ますます危険にさらされる」ことを意味します。
ウクライナ軍は、ロシアの補給線に打撃を与えるために、この地域の河川に架かる橋を標的にしています。
7月19日には、ロシア軍が支配する2つの橋のうちの1つであるインヒュレット(Inhulets)川に架かるダリブスキー(Darivka)橋をHIMARSで攻撃し、大型車両が通過できないほどの大きな損害を与えました。
ここでもHIMARSが活躍しています。
橋が完全に破壊されてしまいますと、ドニプロ川西岸に存在するロシア軍が完全に孤立することを意味します。
反対に、ウクライナ軍がドニプロ川の東側に攻撃する際には障害となります。
ウクライナはすでにヘルソン州で作戦の一部を開始しています。
その結果、ウクライナのヘルソン州地方軍民管理局によれば、合計44の村や町を解放したと言われています。

驚くべきニュースが入っています。
ゼレンスキー大統領の国防上級顧問は、ヘルソン市北東部のヴィソコピリヤ(Vysokopillya)に駐屯する約1000人のロシア軍がウクライナ軍に包囲されたと主張していますし、それを裏付ける報道もあります。
1000人ということは規模的には1個大隊戦術群(BTG)が増強されたレベルです。
現時点での情報では、1000人のロシア軍が包囲されたというのは「完全に包囲された」という状況ではなく、ウクライナ軍が包囲の体制を作ったという段階だそうです。
今後、その包囲網を狭くし圧力を強化して、ロシア軍の投降を強いることになると思われています。
ロシアは現在、ヘルソン州全体で10個以上のBTGを配備している可能性があります。
ちなみに、ロシアはドンバス地方での作戦を最優先しており、イジウムとバフムートの間の最も重要な地帯に約50個のBTGを配備しているため、ヘルソンがロシアにとって最も手薄な正面になっています。
ロシア占領下のドンバスで動員されヘルソンに配備された訓練不足の部隊が増加していることも指摘されていて、人手不足が続いていることを示唆しています。
彼らは塹壕の完全なラインを構築することができません。
せいぜい人口密集地や道路の交差点を守備するくらいでしょう。
多くの場合、彼らは行動を調整することができません。
そしてウクライナは、彼らを一人ずつ掃討することになります。
また、ロシアはドンバスでの攻勢を大幅に減らすか放棄しなければならないため、南部地域に迅速な援軍を送ることはできない状態です。
キーウ・インディペンデントの有名な記者イリア・ポノマレンコは、ヘルソン奪還作戦図を提示しています。
その作戦図では、ウクライナがヘルソンでロシア軍を包囲し、降伏させるために満たすべき重要な留意事項を3つ示しています。
①ウクライナ南部ヘルソン州にあるロシアの重要拠点の一つで、最近新たに納入された西側兵器によってロシアの弾薬庫が攻撃されたノーバ・カホフカとヘルソンの東を走る高速道路をウクライナがしっかりコントロールすること。
②ヘルソン郊外のアントニフカという町の近くにある、ドニプロ川にかかる2つのアントニフスキー橋(車両用と鉄道用)を破壊する必要があり、この2つの橋は現在、ロシアが対岸の占領地からヘルソンの守備隊を強化するために使われています。
③ヘルソンの東55キロにあるノーバ・カホフカのカホフスカ水力発電所も確保すること。このダムは、高速道路が通る橋の役割も果たしています。
ウクライナによって高速道路が遮断されれば、ロシア軍はドニプロ川を渡ることができなくなります。
アントニフスキー橋が破壊されると、ドニプロ川東岸に渡るには、ヘルソンから200キロ以上離れたウクライナ支配下のザポリージャーに行くしかありません。
ロシア軍が包囲され、補給と援軍から遮断されて初めて成功といえます。
もし成功すれば、ヘルソンのロシア軍は巨大な自然の障害物(ドニプロ川)に移動を拒否されることになります。
ウクライナがロシア軍をヘルソンにおいて包囲した場合、ウクライナは迅速かつ確実に領土を確保する必要があります。
現地の地形は、ウクライナにとって好都合となります。
州内に道路がなく、ドニプロ川を渡る橋もほとんどないため、ヘルソンではロシアの兵站が滞っています。
また、輸送のボトルネックにより、ロシア軍は物資を鉄道駅周辺の数カ所に集中させなければいけません。

このような飽和状態の地域は、最近米国がウクライナに供与したHIMARSの格好のターゲットとなります。
7月11日にノーバ・カホフカの巨大な軍需品貯蔵所が攻撃されたのはその一例です。
ヘルソン州は、ここ数週間、ロシア軍の50近い重要施設を破壊する攻撃作戦の焦点となっています。
また、ロシアがヘルソンに軍事力を展開すればするほど、現地の地形から必然的にその兵站に問題が生じます。
ロシアがヘルソ州に設ける兵站線は、ウクライナ戦争における他のどの兵站線よりも長くなります。
ウクライナがHIMARSなどでロシアの防空網にできるだけ大きなダメージを与え、同時にウクライナ自身の強固で多層的な防空網を構築することが極めて重要です。
ロシアの「S-300」「S-400」「Tor-Ms」「Buk-Ms」の各種防空システムを破壊できれば、現在は使用制限をしているウクライナのバイラクタルTB2無人機に攻撃のゴーサインが出ることになるでしょう。
なお、HIMARSの威力については、7月13日にルハンスク州でロシア軍のS-400を破壊してその能力を証明しています。
ウクライナの無人機は、HIMARSとMLRSシステムの標的となる高価値目標(ロシア軍の兵站拠点とくに弾薬集積所、指揮所、飛行場、終結しているロシア軍など)の情報を収集し、ターゲッティングに貢献し、射撃効果の確認のために不可欠になっています。
また、クリミアに大量に駐留するロシア軍機に対する強力な防空も必要です。
一般に、大規模な攻勢作戦を成功させるには、完全装備で強力な歩兵旅団を数個編成し、強力な航空支援とロシアの榴弾砲・ロケット砲を圧倒する強力な砲兵火力が必要ですが、ウクライナ軍はそれを十分に保有していません。
その意味ではウクライナ軍の攻勢作戦が簡単に成功すると考えるのは楽観的過ぎます。
しかし、勝ち目はあります。
まずはHIMARSなどの長射程精密誘導兵器を活用して、ロシア軍の高価値目標を徹底的に破壊することで、相対戦闘力を有利な状況に持っていくことです。
繰り返しになりますが、高価値目標とは兵站施設とくに弾薬集積所、司令部、砲兵戦力、対空組織、レーダー、飛行場、橋、輸送拠点などです。
第2に、ロシア軍の兵力が枯渇状態にあることは注目すべき点です。
今後、HIMARSなどの火力が威力を発揮し、戦況がウクライナ軍に有利になると、もともと士気が低いロシア軍の士気がさらに低下し、戦闘拒否や脱走などが増加する可能性はあります。
第3に、ウクライナ軍が南部で攻勢をかけることは、ロシア軍に戦略的なジレンマを与えます。
徹底的に戦闘力を集中した東部ドンバス2州における作戦をどうするのか。その一部を削減して南部に転用すると、東部の作戦は進捗しなくなるでしょう。
いずれにしても、この戦争は長期間継続すると思います。
プーチンに勝利を提供しないためには、西側諸国の迅速かつ継続的支援が不可欠となります。

いろいろなニュースを読んでの素人の分析です。
ウクライナの攻撃でロシアが撤退してくれればいいのですが、こんな戦争がこれから何年も続くとなると、ウクライナやロシアだけでなく、平和な日本にいる私たちにとっても憂鬱な日々が続くことになります。
早く終わってほしいと思うのは、プーチンをはじめロシアの一握りの人たち以外の世界中の人たちだと思います。

飛び地のカリーニングラード

ロシア連邦を構成する89の行政単位の一つであるカリーニングラードは、ヨーロッパの飛び地です。

ここは、ロシア連邦西部にあるカリーニングラード州の州都です。
バルト海に接する港湾都市で、カリーニングラード州はポーランドとリトアニアに挟まれたロシアの飛地領で、人口はおよそ95万人、世界有数の琥珀の産地です。
カリーニングラードはもともと1255年にドイツ人の東方植民によって建設された都市で、1946年まで使われていた旧名はケーニヒスベルク(ドイツ語で「王の山」の意)だそうです。
20世紀前半まではドイツの東北辺境の重要都市でした。
ハンザ同盟に属して、海上貿易で繁栄しました。

第一次世界大戦の結果、ドイツは敗北し、ポーランドが再独立を果たしました。
ケーニヒスベルクの地域は、ドイツ領のまま残されたのですが、この際にドイツ本土から離れた飛び地になりました。
北はリトアニアと国境を接し、それ以外はポーランドに囲まれました。
第二次世界大戦では、ナチス・ドイツがポーランドを占領し、「飛び地」は解消されました。
1945年にソ連がナチス・ドイツを破りこの地域を征服、ソ連領となり、この時に名前がロシア語名になりました。
そして、冷戦が終了した1991年に、ソ連からバルト三国が独立しました。
この土地はもともとリトアニアには含まれていなかったので、同国は飛び地は含まずに独立し、飛び地はそのままロシア領となって残されたのでした。
その後、ポーランドやバルト3国は、NATOに警備の強化を要請して受け入れられました。
そのようなNATO軍増派に対応するため、ロシアは2016年に戦術弾道ミサイル「トーチカ」に代わる核搭載ミサイル「イスカンデル」を配備しました。
射程距離400〜500キロの新兵器は、近隣諸国を全て脅かすことになりました。

リトアニアがソ連から独立した結果、カリーニングラードは今度はソ連・ロシア連邦の飛び地となりましたが、冷戦後の造船需要の悪化で造船業が衰退して失業率が増加し、市民の4割が貧困層といわれるほど経済状況が悪化し、琥珀も密売者の間で高騰したそうです。
ソ連崩壊後の一時期は東欧各国の中心にある地理的特性を活かして「バルト海の香港」としようという夢が語られたのですが、それとは程遠い状態になりつつあります。
ソ連崩壊直後にロシアはここをポーランド領とする案を用意(代わりにドイツはシュチェチンを得るという話であったそうです)したものの頓挫し、結局そのまま放置されたそうです。
そして、カリーニングラードの経済は崩壊し、この町が東ヨーロッパの中心に位置するということもあって、麻薬取引、人身売買、盗難車の取引中継地など、東欧・旧ソ連全域を舞台にしたさまざまな犯罪の拠点に使われるほど治安が悪化、エイズなどの感染症も蔓延し始めました。
さらに、軍事都市時代の有害な廃棄物が放置されており、住めない土地が各地に広がりました。

独立後10年を経て、ロシア政府は、カリーニングラードの復興をてこ入れすることにし、経済対策として経済特区を設け、輸入関税を免除するなど外貨獲得を目指しました。
しかし、当初はロシア国内向けの家電組立工場が多数成立した他は、特区の効果はあまり出ず、さらに2004年に周囲を取り囲むリトアニアとポーランドが共にEUに加盟したため、カリーニングラードとロシア本土との通行にリトアニアがビザを課すようになったなど、周囲との通行に障害が生じ、先の見通しが立たないとまで言われたそうです。
その後、ロシア本土との通行にリトアニアのビザ取得が簡素化され、物流も整備された結果、カリーニングラードの経済は成長しているそうです。
カリーニングラードの今後のさらなる発展は、東方拡大を進めてきたEUとロシアの関係の重要な課題となっている。現在では、ソ連時代に破壊された大聖堂などの歴史的建造物の再建が進められていると言われています。

今年になってロシアはウクライナを攻撃しました。
こんなことはあってはいけない事ですが、これによって当たり前の日常がそうではなくなって来ています。
ロシア本土と飛び地カリーニングラードの間には、列車が走っています。
ベラルーシとリトアニアを通るものですが、旅客も貨物もあります。
欧州連合(EU)がロシアに対して制裁をしています。
第4次制裁では、石炭、金属、建設資材、化学物質、コンピューター、携帯電話などが適用されています。
7月にはセメントとアルコールにも拡大される予定ですが、これらの物資は、列車でカリーニングラードに運ばれています。
リトアニアは、制裁によって前述の物資は、同国を通過させないと6月21日に発表しました。
これはカリーニングラードにとって輸入品の4割から5割に影響を及ぼすと言われています。
今年の、ロシアのウクライナ侵攻時には強襲揚陸艦3隻が寄港し、対岸のスウェーデンが軍事的な警戒態勢を強化しました。
陸だけではなく、カリーニングラードの港は、ロシアのバルト艦隊の要衝です。
戦争が始まってからロシアのバルト艦隊の活動が活発になったことは、フィンランドやスウェーデンがNATO加盟を要請することを決めた大きな要因の一つでもあります。

また、カリーニングラードは、日本人にとって無視しえない地域でもあります。
先に述べたように、ソ連邦崩壊後リトアニアが独立国となったために、カリーニングラードは、ロシア本土から地理的に切り離された陸の孤島となったのですが、モスクワの中央政府は、そのような境遇となった同地方に「経済特区」の地位を認めました。
経済特区とは、関税・査証・為替通貨などにかんし優遇措置を与えることを通じて内外からの投資を惹きつけ、よって当該地域の経済活動を活性化しようとする工夫のことです。
ソ連邦解体後の1991~1992年にかけて、ロシア連邦内には約14ヶ所の「経済特区」が設立されました。
また、ロシア政府は、1996年11月以来、日本から領土返還を要求されている北方領土で日ロ両国が「共同経済開発」を行うことを提案しています。
「共同経済開発」とは、ロシア側の解釈によれば、一種の「経済特区」のことのようです。
ロシアによる「共同経済開発」提案の諾否を決定するにあたり、日本側は、類似の「経済特区」構想が現実にはどのような運命を辿っているのか、研究する必要があります。
そのような観点からカリーニングラードの経済特区研究を行った研究は、皆無だそうです。
結局、ロシアの「経済特区」構想は、現在スローガン倒れに終わったそうです。
そのアイディアはロシア連邦の13ヶ所で失敗し、わずかにカリーニングラードで「自由関税地区」としてのささやかな形をとり生き長らえているにすぎません。

近い将来、リトアニアとポーランドのEU加盟が確実視されています。
これが実現すると、両国に囲まれたカリーニングラードとEUとの間の壁が現在以上に高くなり、同地方は数々の分野で甚大なる被害をこうむるだろうと言われています。
そのような事態に直面し、モスクワは一体どのようなカリーニングラード政策をとるのでしょうか。

いずれにせよ、戦争を平気でする国とは仲間には入れないと思います。
カリーニングラード国民は、もともとロシア国民なのである程度は耐えれるとは思いますが、攻め込まれているウクライナや、領土を勝手にとられた日本にとっては不条理そのものです。

「クルド人」についての歴史

「クルド人」について調べてみました。

トルコで嫌われている「クルド人」とはどのような人たちなのでしょうか?
そして、なぜトルコはここまでクルド人を目の敵にするのでしょうか?
まず、クルド人の歴史についてまとめていきます。
クルド人は中世から近世にかけてオスマン帝国の中で暮らしていました。
しかし、第一次世界大戦によってオスマン帝国が敗れると、フランスやイギリスやロシアによって複数の国に分割されてしまいました。
1946年には、ソ連の後押しによって、クルディスタン共和国ができましたが、最終的には独立することができませんでした。
その結果、クルド人は複数の国家にまたがってしまい、それぞれの国では少数民族として扱われてしまうようになってしまいます。
そして、各国の政府はクルド人に対して、同化政策をとり、クルド人が独立しないようにしました。
20世紀の後半になると、トルコやイラクなど多くのクルド人が住んでいる国で、分離独立しようとする動きが加速し、長い間政府と武力闘争を繰り広げられています。
最近までは、クルド人の居住域周辺で過激派組織ISIL(イスラム国)が勢力を拡大していて、さらに緊張感が高まっていました。
るというのが現状です。

ISILの戦闘員数は、2015年の最盛期には約3万3,000人であったそうですが、その後減少が続き、2017年12月時点では、1,000人未満になったとされています。
他方で、2020年8月には、シリア及びイラクに戦闘員ら1万人以上が残存しているとも指摘されていました。
こんな中、アメリカのバイデン大統領は、2022年2月3日、アメリカ軍がシリア北部で急襲作戦を実行し、「イスラム国」の指導者と幹部が死亡したと発表しました。
バイデンさんは演説で、これにより「世界からテロの脅威が取り除かれた」と述べていました。
その後は、「イスラム国」のニュースは入ってきていないのでわかりませんが、、「イスラム国」というのはそもそも、指導者の指導力やカリスマ性によって勢力を維持している組織ではなく、「イスラム国」ならびにその戦闘員は、イスラム教徒が神の言葉そのものと信じる啓典『コーラン』を典拠とするイスラム法に従い、全世界をイスラム法の統治下におくまで戦い続けることこそが自らに課せられた義務だと信じている人たちの集まりなので、クルド人に交じって潜伏しているものと思われます。

このように、クルド人は約3000万人という人口を誇っているにもかかわらず、独立することができないというのがクルド人問題のおおまかなところです。
元々は、一つの民族としてまとまりがあったにもかかわらず、民族と関係なく国境を定められたせいで、分断されてしまったというなんとも可哀想な歴史が生み出した悲劇というわけですね。
クルド人は、民族衣装が独特で、シリアに住むアラブ系の人々とも少し違っています。
トルコ、シリア、イラク、イランなどにまたがって暮らしている約3000万人の民族グループで、共通の言語や習慣を持っていますが、一度も自分たちの国を持ったことがなく、「国を持たない最大の民族」と呼ばれています。
多くの人々が複数の国境にまたがっていることから、クルド人はしばしば周辺国にゲームの駒として利用されてきました。
1980年代には「クルド労働者党(PKK)」がトルコ国内で武装闘争を開始しています。
クルド人国家の分離独立を目指しましたが果たせず、死者は4万人にも上っています。
この結果を受け、トルコ政府は「クルド人はトルコを脅かすテロリスト集団」と見なしました。
そして、2011年に始まったシリア内戦ではクルド人が活躍しました。
トルコ、シリア、イラク、イランなどにまたがって住んでいるため、どの国で問題が起きた場合もクルドはその影響を受けます。
自らの身を守るためにシリアのアサド政権と対立し、さらにアメリカと結託して過激派組織「イスラム国」に勝利しました。
その見返りとしてシリア北部での自治権獲得を目指していたのですが、これを見たトルコは、「このままではトルコ国内での自治要求が強まるかもしれない。トルコを割ってクルドの国を作ろうとしている」と警戒心を募らせ、クルドを叩こうとシリア北部のクルド人地域に侵攻しました。
アメリカは、これまでずっとクルドを守ってきました。
クルド人が住んでいるのは、シリアの石油資源が豊富な場所です。
つまり、クルドと結託していれば、アメリカはクルドを通して間接的に石油を手に入れることができ、イランやロシアの介入を防ぐことができます。
しかし、トランプ大統領はアメリカの利益だけを優先して、中東の終わらない戦争に関与しない姿勢を示しました。
そして、何の前触れもなくいきなりアメリカ軍を撤退してしまいました。
この結果、次の3つのことが危惧されています。
(1)生じた隙間にロシアが介入し、このエリアは事実上、しばらくの間ロシアの影響下に入るということ。
(2)トルコがシリア側の国境沿いに「安全地帯」を作り、そこへトルコに何百万人といるシリア難民を戻すと言っています。
しかし、元から住んでいるわけでもない場所にアラブ系シリア人を大勢投入することで、そこにいるクルド人を薄めようとしているのではないか、ゆっくりと民族浄化を行っているのではないかという説があります。
(3)アメリカ軍が撤退すると、シリアの軍勢がイランを後ろ盾にして、イスラエルの国境にまで進出する可能性がありますが、イスラエルにとってイランは絶対に許せない存在です。
すぐ近くにイラン軍が来ているとなると我慢できずに一方的に攻撃し、次なる戦争が起きてしまうというリスクもあるのです。
つまり、アメリカが外した安全装置は、実は大きかったのではないかということになります。


元々中世から近世にかけて、オスマン帝国内を移動しながら遊牧をしている民族でした。
なので、結構広い範囲に分布しています。
しかし、このように複数の国にまたがって住んでいることが問題に結びついていると思います。

ロシアとチェチェン紛争

ロシアについて調べてみました。

ロシアは、ロシア連邦と言って、ユーラシア大陸北部に位置する連邦共和制国家で、首都はモスクワ市です。
領土は旧ロシア帝国およびソビエト連邦の大半を引き継いでおり、ヨーロッパからシベリア・極東に及びます。
面積は1709万平方キロメートル以上と世界最大です。
この、ロシア連邦下の構成共和国について説明します。
ロシア連邦は85の連邦構成主体に分かれていますが、そのうち22主体が共和国を称しています。
1.アディゲ共和国
2.アルタイ共和国
3.バシコルトスタン共和国
4.ブリヤート共和国
5.ダゲスタン共和国
6.イングーシ共和国
7.カバルダ・バルカル共和国
8.カルムイク共和国
9.カラチャイ・チェルケス共和国
10.カレリア共和国
11.コミ共和国
12.マリ・エル共和国
13.モルドヴィア共和国
14.サハ共和国(ヤクート共和国)
15.北オセチア共和国
16.タタールスタン共和国
17.トゥヴァ共和国
18.ウドムルト共和国
19.ハカス共和国
20.チェチェン共和国
21.チュヴァシ共和国
22.クリミア共和国(ロシアが勝手にとった所なので、本当はウクライナですが)

共和国は、ロシア民族以外の民族が郷土としている地域に建てられています。
自民族の名を共和国の名にできる民族集団(ナーツィヤ、国民国家を持てる規模の民族)のことをロシアでは「基幹民族」(Titular nation、名義上国民国家の主体となる民族)と呼んでいます。
彼らはロシア連邦の枠内で自らの国土や国語を持つことができ、名義上の国民国家を形成しています。
ただし国語はキリル文字で表記することが求められ、タタール語やクリミア・タタール語といったラテン表記がある言語も共和国内の公文書ではキリル文字の使用を必要とするそうです。
ソビエト連邦成立後の数十年、あるいはそれよりも何世紀も前からロシア人などが多数移住しているために、こうした先住民族・基幹民族はすでに共和国の多数派ではないことが多いそうです。
また、2014年のロシアによるクリミアの併合によりクリミア共和国はロシアに編入され、ロシアの共和国となったとロシアではされていますが、ロシア以外の国の多数はウクライナに属するとしており、ロシア領と認めていません。

「共和国」は、州や地方や自治管区といった連邦構成主体とは持つ権利などが異なります。
まず共和国は、独自の公用語(ロシア連邦憲法第68条による)や独自の憲法を持つことができるそうです。
ただし公用語の正書法はキリル表記であることが求められています。
共和国という連邦構成主体に対して認められる実際の自治のレベルや範囲はそれぞれに異なっていますが、一般的には非常に広範にわたります。
各共和国は議会が立法権を持つのですが、共和国の作った法律は連邦の憲法としばしば衝突を起こしています。
また各共和国の首長(大統領)も非常に強い権力を持つそうです。
ただし2000年代に入りウラジーミル・プーチンが大統領を務めた時期に、連邦憲法の優位と中央集権を確立する目的で共和国の自治権は大きく削減されています。
連邦大統領が地方を監督するために、プーチンは連邦を7つに区分して州や共和国の上に連邦管区を置き、連邦の法や憲法に違反しないかどうか共和国の活動を監督するようにしました。
さらにプーチンは各共和国の立法府の権限を強め、逆に首長(大統領)の権限を弱めたそうです。
共和国の首長(大統領)の選び方も、プーチンの時期に直接選挙が廃止されてロシア連邦大統領が指名するようになっているそうですが、各共和国の議会の承認は必要だそうです。
中央集権化の動きは、共和国首脳の呼称にも影響しています。
共和国の首脳は、知事ではなく大統領の称号を持っていました。
ソビエト連邦の崩壊直後、タタールスタン共和国やバシコルトスタン共和国などで、「ソビエト最高会議議長」などと呼ばれていた共和国首脳を「大統領」と呼ぶ動きが起こったことから各共和国での大統領呼称が定着したのですが、2010年8月にチェチェン共和国でラムザン・カディロフ大統領が自らの呼称を「首長」とする案を議会に提出し、2010年9月2日に議会で改憲案が通ったことを皮切りに各共和国で同調の動きが起こり、2011年1月にはドミートリー・メドヴェージェフ連邦大統領が各共和国首脳が大統領と名乗れなくする法律にサインしたことにより、大統領の称号は「首長」「代表」などと呼びかえられることになったそうです。
各共和国には一定規模の分離主義者がいるのですが、一般的にその勢力はあまり強くないそうです。
しかしソ連崩壊直後の時期には、タタールスタン共和国、バシコルトスタン共和国、サハ共和国、チェチェン共和国が分離独立を宣言して各共和国国民の支持を得ました。
チェチェンの場合はチェチェン戦争にまでつながっています。
各共和国では、「基幹民族」となる主要民族以外にロシア人などの民族が多数住んでいるため、分離主義に対しては一定の歯止めになっていると言われています。
また各共和国の「基幹民族」となる民族はその共和国内にほとんどが住む場合が多いのですが、タタール人の場合はタタールスタン共和国の外に大多数が住んでおり、こうしたことも分離独立の歯止めになっているとの事です。

チェチェンはグルジアに隣接する人口約80万、日本の四国ほどの大きさのイスラム系住民が中心の共和国です。
首都はグロズヌイで、旧ソ連時代には石油を年間400万tほど産出し、交通、運輸、地政学上の要衝の地にあります。
このように石油産地で、石油採取・精製業が発達し、カスピ海,黒海にパイプラインが延びています。
ほかに機械 (電機,石油・化学工業用機械) 、木材加工、食品 (ワイン,果実・野菜缶詰) などの工業があります。
農業ではスンジャ川、テレク川などの河川を利用する灌漑農業が発達し、ブドウその他の果樹、小麦、テンサイ、ヒマワリ、野菜などが栽培され、北部ではヒツジの放牧が盛んだそうです。
ロストフナドヌーとアゼルバイジャンの首都バクーを結ぶ幹線鉄道、グロズヌイを中心として放射状に延びるハイウェーが主要交通路です。
チェチェン人は19世紀以来ロシアの支配に対して激しく抵抗しています。
1922年にチェチェン自治州、36年にチェチェン・イングーシ自治共和国が成立、43〜44年にはドイツ軍に協力したとしてスターリンによって民族ごと中央アジアに強制移住させられ、57年に帰国が許され自治共和国が再建されました。
91年11月に独立国家を宣言しドゥダエフが大統領に就任したのですが、モスクワはこれを認めなかったそうです。
92年6月にイングーシ共和国が分離独立しています。
94年12月、ロシア軍の攻撃で内戦状態に発展し、96年4月にドゥダエフは戦死しました。
同年8月に和平合意が成立し、選挙で穏健独立派のアスラン・マスハドフが大統領に選ばれました。
97年1月、ロシア軍はチェチェンから撤退しています。
モスクワが最大限の自治を保証するタタルスタン方式を主張しているのに対して、独立派はあくまで完全独立を主張、やがて独立運動は激化しました。
99年9月にロシア軍は空爆を開始、再び内戦化して、プーチンは2000年6月に臨時行政府を設置、マスハドフ大統領を追放し、イスラム教指導者で親ロシア派のアフマト・カドイロフを行政長官に任命しました。
03年10月の共和国大統領選挙で、カドイロフが大統領に選ばれましたが、04年5月のテロで倒れています。
同年8月29日に大統領選挙が実施され、共和国内相のアル・アルハノフが当選しましたが、独立派はモスクワの傀儡(かいらい)政権として認めていません。
元大統領のマスハドフ司令官は05年3月にロシアとの戦闘で死亡しました。
強硬な独立派で対ロシアテロ活動の指導者シャミル・バサエフ野戦司令官も06年7月にロシア連邦保安局の作戦で死亡しています。
紛争による死者は 10万人をこえています。
1999年、チェチェンの独立を目指す武装グループが蜂起して、第二次チェチェン紛争が始まった時に、プーチンは、チェチェンの独立は認めず、武力による鎮圧を開始しました。
ロシア軍は軍隊をチェチェンに派遣したり、空爆による攻撃をするなどしました。
それに対しチェチェン側も、モスクワの学校や劇場といった施設に襲撃し、ロシア軍に対抗しました。
そして、圧倒的な戦力を有するロシア軍は、2009年にチェチェンの武装グループを鎮圧し、独立の運動を終了させました。
こうして終戦に至った第2次チェチェン紛争ですが、チェチェンはいまだに独立を要求しています。

このような経緯のチェチェン紛争です。
ウクライナは、元はソビエト連邦の中の共和国だったので、プーチンからみたら内紛くらいのつもりだったのでしょうか?
クリミアもロシアのつもりでいるみたいです。
そして、この戦争はチェチェンみたいに10年続いていくのでしょうか?
力で奪い取っていくのは時代錯誤だということがまだわかっていないのはすごく残念ですが、これが核を持っている大きな国のトップとなると始末が悪いですね。
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