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ウイグル人に対する人権侵害とは

中国・西北部に新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)という最大の自治区があります。
ウイグル人はテュルク系の言語を使用し、大部分が中央アジアを中心に長い歴史を持つ、スンニ派のイスラム教徒です。

ウイグル人は中国政府の民族政策によって脅かされています。
ウイグル語の使用制限、宗教の自由への厳しい制限、そして継続的な新彊ウイグル自治区への漢民族の流入など、中国政府の政策は、民族の習慣を破壊し、雇用差別とあいまって、不満や民族間の緊張を増幅しています。
そんな中、中国の新疆(しんきょう)ウイグル自治区で約9カ月間、拘束されたウイグル人女性が産経新聞のオンライン取材に応じ、収容所で性的暴行や拷問が組織的に行われていたと証言しました。
収容所内では「動物以下」と罵(ののし)られ、人権を主張すると「射殺する」と脅されたと語っており、深刻な人権侵害の実態が浮き彫りになりました。
証言した女性はウイグル族の元看護師、トゥルスナイ・ズヤウドゥンさん(42)です。
ズヤウドゥンさんは英BBC放送による2月の報道で性的暴行や拷問について自らの経験を話し、この問題が世界で広く知られる契機となりました。

ズヤウドゥンさんは2018年3月から同年12月まで同自治区の収容所で過ごしました。
3月9日に自治区の自宅にいたところ、警察から「あなたを再教育施設に入れる」と連絡があり、警察署に出向くと、理由を説明されずに拘束され、車で収容所に連行されたそうです。
ズヤウドゥンさんが収容所の建物に入ると「服を脱げ」と言われ、青色の「制服」を着るよう命じられたそうです。
身に着けていた耳飾りを警察官に乱暴に取られ、耳から血が流れたそうです。
そして、監視カメラ2台が設置された全長4メートル、幅3メートルほどの居住房に押し込められたそうで、一緒に入った20~70代の女性約20人は恐怖で涙を流していたそうです。
居住房にはトイレがなく、1日1回、3分間だけ房外のトイレに入ることが許されたそうです。
しかし、3分より長く入った女性が警棒で殴られる光景を見たことから、ズヤウドゥンさんたちは居住房のバケツで用を足していたそうです。
排泄(はいせつ)物が居住房に放置されていることにズヤウドゥンさんが抗議すると、警察官は「お前らは動物以下だ」と言い放ち、「中国政府はわれわれに『(ウイグル人を)もっとひどく扱え』と指示している。お前らを射殺しても何も文句は言われない」と怒鳴ったそうです。
尋問での暴力にも苦しんだそうです。
尋問は3日間続くこともあり「お前は米国のスパイか」などの質問が延々と続いたそうです。
尋問中は飲食や睡眠が一切許されず、ズヤウドゥンさんが思わず「(尋問を続けるなら)私を殺してくれ」と叫ぶと、殴り倒され、ブーツで胸や腹を踏まれ、意識を失ったそうです。
別の日には、監視カメラのない薄暗い部屋に突然連れて行かれ、顔に黒いマスクをかけた数人の男に強姦されたそうです。
さらに、電気棒のようなものを体内に入れられ、「体が内側からえぐられるような衝撃を受け、何回も気絶した」そうです。
そういった性的暴行を計3回受けたそうです。
収容された当初は3食の食事が提供されたそうですが、7~8月ごろから2食になったそうです。
薄いスープやおかゆのようなものしか出されず、空腹に苦しんだそうです。
ある日、空腹で立てなくなったズヤウドゥンさんに看守がカビの生えたパンを持ってきたが、別の女性収容者がそれを奪い取ってしまったそうです。
それでも、ズヤウドゥンさんはこう振り返っています。
「当時、飢えることは深刻な問題ではなかった。飢えよりも、恐ろしい虐待があったから。空腹で死んでいいとさえ思った」
収容所では「早朝から、中国共産党をたたえる歌を斉唱させられた」と明かしています。
イスラム教の習慣を捨てることを求められ、中国語などを学ぶ授業への出席を強要されたそうです。
授業では、中国政府の幹部の名前を暗記させられ、「習近平国家主席を信じろ」とたたき込まれたそうです。 
中国の象徴である龍が地球を飲み込む様子を捉えた絵を収容所の壁に描かされる収容者もいたそうで、ズヤウドゥンさんは「収容所では、中国が世界をコントロール下に置くと繰り返し聞かされた」と打ち明けています。
ズヤウドゥンさんらが収容所の方針に従い続けたのは、反抗すればさらにひどい扱いを受けるという「ルール」があったためだと思います。
収容者は「一般管理」「厳格管理」「強化管理」の3つのグループに分けられていたそうです。
グループによって、「制服」の色や管理の厳しさが異なったそうです。
強化管理は最も厳しく、ズヤウドゥンさんが所属した一般管理は収容者の中では規則が最も緩いとされていたそうです。
なぜかというと、一般管理の収容者は居住房にいるときは手錠と足かせを免除されたのですが、強化管理の者は24時間、つけなければならなかったそうです。
中国当局はビッグデータを活用して、ウイグル族の個人情報を収集していたそうです。
信仰や家族関係などを評価し、収容時に3つのグループに分け、その後も、収容者がどれだけ従順に従うかを監視し、各グループに再び振り分ける仕組みだそうです。
ズヤウドゥンさんには常に「強化管理」への恐怖がつきまとっていたそうです。
収容所内の病院で、片足の5本の指を全て切られた「強化管理」の男性収容者を見たこともあったそうです。
自治区の問題を研究する日本ウイグル連盟のトゥール・ムハメット会長は「中国当局は従わなければより恐ろしい境遇に陥れるルールを作り、恐怖におびえる収容者を洗脳している」と分析しています。
ズヤウドゥンさんは収容所で「謎の注射や薬」にも苦しめられたそうです。
3~4日間に1回、「栄養剤」と説明された薬の服用を迫られたそうです。
薬を飲んだ後は、意識がもうろうとしましたが、「感染症予防」と言われたそうです。
また、吐き気やしびれを引き起こす注射も約15日間の間隔で打たれたそうです。
収容中、体に異変が起きたそうです。
全身に虫がはいずり回っているような感覚になる症状が現れ、夜は寝られなかったそうです。
収容されてから約2カ月でズヤウドゥンさんの生理が止まったそうです。
ズヤウドゥンさんは、収容所の多くの女性が不妊手術を強要されている実態も知ったそうです。
収容中に生殖器の機能を壊す手術を施された男性もいたそうです。
「ウイグル族が子孫を残せないようにするのが、中国の目的だ」と断言しています。
ズヤウドゥンさんは18年12月、釈放されました。
その後、カザフスタンに逃れ、20年にアメリカに渡りました。
現在はワシントンに住み、亡命を申請しているそうです。
収容所を出てからも健康状態は悪化し、ワシントンに着いた直後に子宮摘出手術を受けたそうです。
ズヤウドゥンさんは「もう子供ができないという悲しみがあったが、身体に残った(性的暴行などの)悪夢が子宮とともに取り除かれたことで精神的に楽になった」と話しています。

ズヤウドゥンさんが収容所での性的暴行や拷問を明かした英BBC放送の報道を受け、同自治区への調査団の受け入れを中国に求める声が高まりました。
ズヤウドゥンさんは、国連監視団による同自治区の調査に「大賛成だ」とした上で、中国は収容所を別の施設に変えるなどして「人権侵害の証拠を隠滅している」と懸念を示しています。
被害を突き止めるために現地の状況に詳しい人間が必要だとし、「われわれのような(収容所で被害に遭った)ウイグル人を調査に連れていってほしい」と訴えています。
同自治区での人権侵害をめぐり、中国が欧米の制裁に対抗して発表した報復制裁について「相手を脅してコントロール下に置くのは、中国の常套(じょうとう)手段だ」と指摘しています。
そして、「欧米などは中国に強い姿勢で対応しなければならない」と言っています。
中国外務省の汪文斌(おう・ぶんひん)報道官は2月、収容所に「女性への組織的な性的暴行や虐待は全く存在しない」とBBCの報道内容を否定しましたが、ズヤウドゥンさんは自身の発言を「真実だ」と強調しています。

このズヤウドゥンさんの証言の通りのことがAP通信でも言われていました。

中国当局は少数民族ウイグル族の女性たちを強制的に避妊させたり、妊娠中絶を行っているそうです。
中国政府がウイグル族の人々の文化や民族性を消し去ろうとする中、2016年以降、少なくとも100万人のウイグル族の人々が収容施設に送り込まれているそうです。
また、ウイグル族の女性たちが定期的に妊娠検査を受けさせられ、妊娠が分かると強制的に中絶させられると報じています。
これだけではなく、子宮内避妊用具(IUD)を装着させられるなど、避妊を強いられるケースもあるとも言われています。
こうした措置は「数十万人」のウイグル族の女性たちに影響を及ぼしていると、AP通信は伝えています。
中国では、ウイグル族の女性たちを迫害するため、当局が強制的な中絶、避妊、産児制限といった戦術を用いているようです。
このことは、AP通信が元拘留者やその家族、収容施設の元教官ら30人の証言と政府の統計や当局の文書をもとに6月29日に報じています。
また、男性の輸精管を縛る不妊手術も急増しているそうです。
2016年以降、中国は少なくとも100万人のウイグル族の人々を500以上の収容施設、これは婉曲的に「再教育施設」または「職業訓練・教育施設」などと呼ばれているところにに抑留してきました。
実際はウイグル族の人々を思想改造し、その伝統や信仰を捨てさせるための強制収容施設だと言われています。
AP通信によると、収容施設や新疆ウイグル自治区では次の措置によって、出産を厳しく制限しているそうです。
・定期的に女性に妊娠検査を受けさせる
・検査で妊娠が分かった女性は強制的に中絶させる
・女性に子宮内避妊用具(IUD)の装着を強いる
・それが何であるかを伝えずに、女性に避妊薬を飲ませたり注射する
強制的な中絶や避妊に関する報道は過去にもあったそうですが、AP通信の今回の報道は、強制的な産児制限がこれまで考えられていた以上に広まっていることを示しているそうです。
こうした措置は「数十万人」のウイグル族の女性たちに影響を及ぼしていると、AP通信は伝えました。
また、ウイグル族の人々が収容施設に送られる主な理由の1つが、"子どもの数が多すぎる"ことだとも報じています。
政府は、ある中国生まれのカザフ族の女性に対し、3人目の子どもが生まれた後、IUDを装着するよう命じたとAP通信は報じました。
中国政府が「一人っ子」政策を廃止して出産の奨励を進めるなかでのこのような人権侵害は、はたして許されるのでしょうか?
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ミャンマーでのクーデターについて

ミャンマーでクーデターが起こりました。

ミャンマー国軍は2月1日、国家の権力を掌握したと宣言しました。
ミャンマーでは1962年の軍事クーデター以降軍事政権が続き、10年前に民政移管の合意がなされところです。
2月1日早朝、ミャンマーの事実上の最高責任者アウン・サン・スー・チーさんら政府要人が軍によって拘束されました。
首都ネピドー周辺では電話、インターネット回線も遮断されていると報じられています。
ミャンマー国軍は以前から、クーデタに向かう可能性を示唆していたそうです。
その理由は、昨年11月の総選挙でスー・チーさん率いる国民民主同盟(NLD)が、上院224議席中135議席、下院440議席中255議席を獲得し、この圧倒的な勝利によって単独政権を発足できるようになったことからです。
ミャンマーでは1988年にやはりクーデタで軍事政権が発足したのですが、2010年に民主政に移管した歴史があります。
ただし、その後も軍人が議会の4分の1を占めるなど、ミャンマー国軍が大きな政治的発言力を握ってきていました。
ところが、昨年11月の選挙では、軍が支援する連邦団結発展党(USDP)は上院で11議席、下院で30議席と圧倒的な少数派に転落しました。
これは民主主義がミャンマーで定着しつつあることを示したのですが、政治・経済に根をはった既得権益層である軍の警戒感を募らせることにもなりました。
その結果、ミャンマー国軍は「選挙での不正」を訴え、「政治危機を克服するための介入」を示唆するようになりました。
1月27日、ミャンマー国軍の最高実力者ともいわれるミン・アウン・フライン将軍は「憲法がないがしろにされている」と気勢をあげました。
その5日後、新政権の閣僚が初めて議会に着席する予定だった2月1日、ついにクーデターが発生したようです。
ミャンマー国軍は1年間の緊急事態宣言を発令し、この間、ミャンマー国軍による直接統治が行われるとみられます。
今後の展開については予断を許さないのですが、ミャンマー国軍がUSDPを通じて実質的に支配する構図ができるとみるのが順当な見方だそうです。
その場合、スー・チーさんらNLD幹部を厳罰に処せば国民からの反動が大きいため、自宅軟禁などで拘束する公算が大きいようです。
しかし、1988年の場合と比べて、今回アメリカなどがミャンマーのクーデターを「クーデター」と認定するハードルは高いそうです。
そこには中国の存在があるそうです。
欧米諸国が経済制裁を実施していた1980年代後半から2000年代後半までの20年間、ミャンマーに急速に進出したのは、中国、インド、タイなどの新興国でした。
なかでも中国にとってミャンマーは天然ガスやルビーの生産国であるだけでなく、陸路でインド洋に抜けるルート上にもあるため、積極的な進出を進めたそうです。
2010年の民主化と前後して制裁は解除され、ミャンマーは再び先進国とも取引できるようになりました。
それ以来、ミャンマーは「東南アジア最後のフロンティア」として先進国からの投資が相次ぐようになりました。
それでも、中国の存在感は圧倒的に大きいそうです。
国際通貨基金(IMF)の統計によると、2018年段階で中国の対ミャンマー貿易額は約118億ドルにのぼり、その金額は世界1位で、2位のタイ(約57億ドル)以下を大きく引き離しています。
つまり、ここで欧米諸国が制裁を行なえば、ミャンマーをより中国側へ押しやることにもなりかねないとのことです。
それはミャンマーを「一帯一路」により深く食い込ませることになるため、「中国包囲網」の形成を目指すバイデン政権にとって頭の痛いところとなります。
推測ですが、ミャンマー軍幹部はこの先進国の立場を理解し、「介入はない」と判断したうえでクーデタに向かったものともみられます。
その一方で、事実上の軍事政権が復活した場合、ミャンマーでは少数民族の迫害がエスカレートする公算が高いそうです。
なかでも2017年から注目されることが多いロヒンギャ問題への懸念は大きいそうです。
ミャンマーの少数民族ロヒンギャは、そのほとんどがイスラム教徒ですが、仏教ナショナリズムを掲げる僧侶などによって家屋が焼かれたり、暴行・殺害されたりしたため、現在では隣国バングラデシュなどに70万人以上が難民として逃れています。

ミャンマーは、NLDを政権に引き入れることになった2015年の選挙結果を受けて、国軍の司令官らが進んで民間人に権力を譲ったまれな事例として称賛されてきたそうです。
NLDの幹部らは、国軍に政治的に反対してきたことを理由に、何年間も刑務所で過ごしてきました。
同政党の守護神的存在のスー・チーさんは、15年間自宅軟禁生活を送り、彼女を閉じ込めた軍事政権に非暴力で抵抗したことで、1991年にノーベル平和賞を受賞しています。
しかし、ミン・アウン・フライン司令官いるミャンマー国軍は、国の重要な権力のレバーを握り続け、2月1日の政府トップ指導者の拘束は、その民主主義への献身が嘘であったことを証明しました。
ミャンマー国軍は、クーデターを起こさなくても恵まれた現行憲法があります。
昨年11月の総選挙では、ミャンマー国軍系の最大野党・連邦団結発展党(USDP)はわずかな票しか獲得できなかったようにみえるかも知れません。
だがそれでも、ミャンマー国軍は政府に対して大きな影響力を維持できています。
軍事政権下の2008年に制定され物議を醸した現行憲法は、ミャンマー国軍に議会議席の4分の1を自動的に与えるだけでなく、内務省や国防省、国境省の主要3省の支配権も付与しています。
つまり、現行憲法が変わらない限り、ミャンマー国軍はある程度の支配力を維持できるわけです。
そして、多数派のNLDが改憲することはできるのでしょううか?
改憲には議会で75%の支持が必要であることから、少なくとも25%を軍が占めている状況では、実現はほぼ不可能となります。

こんなにもミャンマー国軍にとって恵まれた現行憲法があるにもかかわらずクーデターを起こしました。
この理由を考えてみましょう。
国軍は2011年、紛らわしくも「規律と繁栄に満ちた民主主義」と呼ばれる政治体制への移行を始めました。
しかし、先に説明したように、実際には軍の権力が維持されています。
国会の4分の1は軍服を着た男性です。
主要省庁は軍の管理下にあります。
混沌とした民主化の始まりの数年の間、国家資産の投げ売りが行われたのですが、最も価値のあるものを手にしたのは軍の関連会社やその代理人であることが多かったそうです。
2017年、ミャンマー国軍はロヒンギャに対する残忍なキャンペーンを強化し、75万人のイスラム少数民族を強制的に隣国バングラデシュに逃避させ、同時代で最大規模の世界的な難民の流出につながりました。
国連当局者によると、ロヒンギャの村落での大規模な焼き討ちは、組織的な処刑と強姦を伴い、大量虐殺的な意図を持って行われたと言われています。
アメリカバイデン新政権は、アメリカがロヒンギャに対するミャンマー軍部による扱いを正式に大虐殺と呼ぶべきかどうかを検討しているそうです。
アメリカを含む欧米諸国はすでに、ロヒンギャへの暴力に関与しているミン・アウン・フライン国軍司令官を含む軍高官に経済制裁を加えています。
今回の騒動は、表向きは昨年11月の選挙での不正行為への懸念から引き起こされたもので、NLDが5年前に勝利したときよりも、さらに大きな地すべり的勝利をもたらしました。
政権与党が476議席中396議席を確保する一方で、国軍系野党・連邦団結発展党はわずか33議席にとどまりました。
今回のクーデターで、ミャンマー国軍の権威が回復すれば、今年の夏に引退することになっているミン・アウン・フライン司令官の支配を長期化させる可能性があります。
家業を中心としたフライン司令官の後援ネットワークは、同氏の引退によって損失を被る可能性が十分にあったそうで、今回のスー・チーさんらの拘束は、アントニオ・グテーレス国連事務総長が挑発行為に対して警告を発したわずか2日後に行われたとの事です。
グテーレス国連事務総長は、「すべての関係者は、いかなる形の扇動や挑発も自制し、リーダーシップを発揮し、民主主義の規範を守り、11月8日の総選挙の結果を尊重するように」と呼びかけていました。
かつて自宅軟禁中に軍事政権への良心的抵抗を行ったことで国際的な人権の推進者として賞賛されたスー・チーさんは、近年において、公的な場におけるミャンマー国軍のもっとも強力な擁護者として浮上していました。
ミャンマー国軍に対して不利な証拠が積み重なっているにもかかわらず、彼らががロヒンギャに対して虐殺を働いたという告発を公的に否定していました。
こんな状況の中に行われたクーデターです。
近年もエジプト(2013年)やタイ(2014年)で軍事クーデターが起こっています。
真っ当な人たちが起こしたクーデターと言えるものは中国の天安門事件をはじめ小規模にありますがどれも成功していません。
人間はしょせん丸腰では戦えないということかも知れません。
このクーデターがどういった末路をたどるのか見ていきたいと思います。

中村哲さんへの感謝

PMS(アフガニスタンで人道支援を行う国際NGO「ペシャワール会」の現地事業体 - ピース・ジャパン・メディカル・サービス)の代表である中村哲さんが、彼の警備にあたっていた5人と共に、ジャララバードで殺害されるという信じがたいニュースが飛び込んできました。
ナンガルハル州で、とても優れた灌漑システムによる#Afghan Green Ground Project(アフガニスタン緑化プロジェクト)を開始し、それによりかつて砂漠だった土地は緑豊かな土地に、数千ヘクタールもの肥沃な農地に変わったそうです。
それが無数のアフガニスタン人の生活をどんなに変えたことでしょう。

中村さんはアフガニスタンの人々の支援に35年を捧げ、アフガンの各地、特に地方の町に井戸と灌漑用水路を建設しました。
先に述べたように、ナンガルハル州などでは、不毛の土地を緑化させる事にも成功しています。
このような支援により、現地で深く敬愛されていた中村さん。
事件後には中村さんの追悼集会が各地で行われ、ネット上でも、中村さんの死を悼む声や、これまでの功績に対する感謝の声が殺到しています。
一人の日本人として、絶対にまねの出来ないことなので、尊敬の一言です。
そして、こんな偉大な人でも、鉄砲で撃たれれば亡くなってしまうほど、命ははかないものです。
よく35年もアフガニスタンで人助けができたものです。
その精神力は人間業ではありません。
亡くなってやっと安堵ができたのかなとは思います。
安らかにおやすみください。

オーストラリアのスーパー

オーストラリアのスーパーを紹介します。

オーストラリアは物価が高い国でした。
私に一番身近なビールでは、中ジョッキで9ドルでした。
日本のレート(1ドルを82円に換算して)で738円です。
日本ではどんなに高くても550円くらいなので、ものすごく高い印象です。
その割には、日本のジョッキよりも少し量は少なめでした。
オーストラリア人が良く好む500mlのコーラが300円くらいで、ちょっとレストランに入ってなにか1品注文すると外食2,000円近く支払う事がほとんどです。
したがって、お金のない人は外食もできないので、自然とスーパーに行くようになります。
ここで、スーパーの話題なのですが、オーストラリアには2つの大手スーパーがあります。
オーストラリアで有名なスーパーはWoolworthとColesです。
オーストラリア国内なら、どこの都市に行ってもすぐに見つけることができます。
そして、両方のスーパーに共通している事は、ホームブランド製品が豊富な所と、頻繁にセールを行っている所です。
①Woolworth
オーストラリア全土でもっとも大きいスーパーです。
読み方は「ウールワース」ですが、英語での発音がとても難しいそうです。
現地では略して「ウーリー」とも呼ばれています。
生鮮商品から生活用品まですべてがそろっているので、生活をする為に必要な物をすべて揃えることができます。
②Coles
オーストラリアで業界2位のシェアを誇るスーパーです。
読み方は「コールス」になります。
ウールワースと同様に生鮮食品から生活用品まですべてそろっています。
ウールワースよりもホームブランド製品が豊富なイメージだそうです。

そして、ColesとWoolworth以外にもスーパーはあります。
店舗数は2大スーパーと比べて少ないかもしれませんが、他にもIGAとALDIというスーパーがあります。
コールスやウルワ―スは人が集まる所に出店していますが、IGAとALDIは少し郊外に出店されている傾向があります。
③IGA
コールスやウールワースに次ぐ規模のスーパーです。
読み方は「アイジーエー」です。
人が集まる地域から少し離れた所にあり、店舗の規模は小さくなります。
地元の生鮮食品を揃えている所が強みになっています。
④ALDI
読み方は「アルディ」です。
店の特徴としては、今まで紹介してきた3つのスーパーよりも断トツで値段が安い事です。
値段が安すぎるので、正直安全な商品なのか疑問になってしまう程です。
また、店内の配置が面白く、キャンプセットが置いてある隣に巨大スピーカーが販売されていたり、コーヒーメーカーの隣に子供用のパジャマセットが売られていたりと、見ているだけでもおもしろいスーパーです。
注意する点としては、買い物袋を無料でもらう事ができないそうです。

P1270966.jpg
Woolworthの入り口です。
この写真はメルボルンで撮ったのですが、中の品揃えは日本とほとんど変わりはなかったです。
ただ、スーパーでのレジでは、日本のように買い物カゴから直接レジでカウントするのではなくて、ベルトコンベアーみたいな設備に一度移してからレジをします。
この時に、他の人の買い物との仕切り板は店のほうで用意してくれています。

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何でも揃っていました。
ディスプレィも日本と一緒です。

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野菜や果物は、日本のスーパーでは見かけないものも置いていました。

IMG_5909
これがレジのところのベルトコンベアーです。

オーストラリアの落書き事情

オーストラリアの落書きを紹介します。

去年の2月頃だったと思いますが、ビルの外壁に落書きをしたとしてオーストラリア国籍の少年2人が逮捕されています。
2人は観光で来日し、「街に描かれている落書きを見て、渋谷は落書きしていいと思った」と言っていました。
オーストラリアは、私が行ったのはパースとメルボルンだけですが、とにかく落書きが多い街でした。
きれいなアート風な落書きが多いのですが、それでも落書きは落書きです。
列車に乗って車窓から眺める景色の中には、落書きがひっきりなしに入ってきました。
特に、パースからフリーマントルへと向かう列車は、線路側の家の壁はほとんどが落書きでした。
オーストラリアは落書きを許可しているのかと思ったしだいです。
オーストラリアで目に付いた落書きを紹介します。

P1150283.jpg
パースの中心地から少し離れたレストラン街です。
この付近の壁は落書きだらけでした。

P1150287.jpg
ここはパースの中心地です。
画質が上の写真の落書きと似ているので、同じ人が落書きをしたのかも知れません。

P1170475.jpg
ここはパースの一番賑やかなところです。
壁だけでなく、柱にも落書きがあります。
あまりにも綺麗なので、落書きに見えませんでしたが、落書きは落書きです。

P1200581.jpg
メルボルンの中心地の路地です。
綺麗なアートですが、落書きには違いありません。

P1260885.jpg
メルボルンの中心地から少し離れたところです。
このように立体的な画像がオーストラリアの落書きの特徴のようです。
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