地質用語(62)

地質用語及び関連用語をまとめてみました。
前回に引き続き、(こ)から始まる用語です。

・神津俶祐 (こうずしゅくすけ)
神津 俶祐さんは、1880年6月5日~1955年2月11日の日本の岩石学者、鉱物学者です。
長野県生まれで、東北大教授になっています。
日本に近代岩石学を導入し、日本岩石鉱物鉱床学会・日本火山学会などの設立に貢献しています。
岩石学を専攻し、多くの造岩鉱物を研究し、月長石のX線による研究は有名です。
なお、1969年岩手県田野畑鉱山(田野畑村)で発見された新種の角閃石には神津閃石の名が献名されています。
・神津閃石 (こうずせんせき)
神津閃石( Kôzulite)は、1969年に発表された新鉱物で東北大学の鉱床学者南部松夫さんなどにより、岩手県の田野畑鉱山で発見されました。
化学組成はNaNa2Mn4(Fe3+,Al)Si8O22(OH,F)2で、単斜晶系です。
角閃石の一種で、東北大学の岩石学者・鉱物学者であった神津俶祐の業績を記念して命名されました。
2012年の角閃石グループの呼称の改訂により、この鉱物の学名は Mangano-ferri-eckermannite となりましたが、和名として神津閃石を用いることは差し支えないとされています。
・恒星 (こうせい)
恒星とは、太陽と同じように核融合反応によって自分自身で光り輝いている星のことを言います。
これに対して、惑星とは、恒星の周りを周る天体のうち、自分自身で光っていない天体のことです。
・坑井、鉱井 (こうせい)
坑井(well)は、鉱井とも言い、比較的小さな径の穴を主として鉛直方向に掘ったものの総称です。
地下の地質や鉱物などのサンプルを取る目的であったり、地下水をくみ上げる目的であったりで、坑井の径の大きさや深度,掘削方法に違いがありますが、石油や天然ガスを採収することを目的とする坑井が最も規模が大きく、通常数千mの深度であり、ときには1万mに近いものも掘られています。
地球物理学上の調査を目的とした坑井では1万mを超えるものもあります。
・合成海岸線 (ごうせいかいがんせん)
合成海岸線とは、沈水、離水、中性海岸線のうち、二つ以上の組み合わせによって形成された海岸線のことです。
・後生鉱床 (こうせいこうしょう)
後生鉱床(epigenetic deposit)とは、既存の岩石中に、後の時代の鉱化作用により生成した鉱床のことです。
鉱床を胚胎する岩石(母岩)が生成した時代と、鉱床そのものが生成した時代との関係により、鉱床を2大別したうちの一つで、同生鉱床の対語です。
既存の岩石の割れ目や断層に沿って生成される鉱脈鉱床や、既存の岩石と反応したり、これを溶解したりして生成される交代鉱床などが代表的な例です。
日本では、黒鉱鉱床、キースラーガー(層状含銅硫化鉄鉱床)、層状マンガン鉱床などが、かつて後生鉱床と考えられていましたが、研究の進展により現在これらはいずれも同生鉱床と考えられています。
後生か同生かは単に学問的に重要であるばかりでなく、鉱床の形や広がりに関係しているので鉱床探査の面でも重要な意味をもっています。
・合成鉱物 (ごうせいこうぶつ)
合成鉱物は、人造鉱物、人工鉱物とも言い、天然産鉱物と同じ物理・化学的性質をもった合成物のことです。
現在ではコランダム,水晶,雲母,ダイヤモンドなどの有用鉱物が実験室または工業的規模で相当量合成されており、純研究目的で複雑な鉱物も合成されています。
ただし、正確な定義はなく、塩,氷砂糖,種々の有機結晶は合成鉱物とは呼んでいません。
・恒星時 (こうせいじ)
恒星時(sidereal time)とは、春分点の見かけの日周運動によって計られる時間です。
春分点の日周運動は恒星の運動とほとんど同じですが、春分点は歳差によって恒星に対して動くため、両者は完全に同一ではありません。
・合成地震動記録 (ごうせいじしんどう・きろく)
合成地震動記録( synthetic seismograph)とは、速度検層と密度検層(または速度検層のみ)から作成される人工的な反射地震記録で、一般に速度と密度から求められる反射係数と波形要素のコンボリューションとして計算されます。
速度変化に比較して密度変化が十分に小さいときには、速度検層だけから作成されることも多く、波形要素としては震源波形や地層のフィルター効果、観測系の総含特性、データ処理過程で使用されるフィルターなどが考慮されます。
実際の反射地震記録と対比することによって特定の地層境界からの反射波の識別、層厚と岩相変化の推測、一次反射と多重反射の判別、データ処理効果の判定などが行われます。
・広生性 (こうせいせい)
広生性とは、環境要因の変動について、適応性の広い生物の性質のことです。
・後成説 (こうせいせつ)
後成説とは、生物の発生に関する仮説で、卵には幼生や胚の元になる構造が初めからあるのではなく、次第に作り上げられるものであると説くものです。
前成説に対して唱えられ、次第に認められました。
・合成扇状地 (ごうせいせんじょうち)
合成扇状地とは、地殻変動や気候変化、さらには河川の浸食基準面となる海面の変動などによって、扇状地の形成条件が変化した場合には、前の扇状地の上に、新たな扇状地が積み重なってできることを言います。
・後生双晶 (こうせいそうしょう)
双晶(twin)とは、特定の方位関係と境界面をもつ2つ以上の単結晶から成る結晶のことで、後生双晶となると母岩の生成後に生じた結晶ということになります。
・坑井柱状図 (こうせいちゅうじょうず)
坑井柱状図とは、坑井のカッテイングおよびコアの岩相、化石調査の結果や掘進時の記録に基づき、坑井内の岩相、地層区分、化石産状および化石帯、あるいは油、ガス徴などを記号を用いてその坑井の深度にしたがい表現した柱状図のことです。
・恒星天文学 (こうせいてんもんがく)
恒星天文学( stellar astronomy)は、恒星の天球上での分布,距離,運動,物理的・化学的諸特性の間の相関関係を統計的手法で解析し、サンプル星の諸特性を統計的に推測する天文学の一分野のことで、恒星統計学とも言います。
恒星のヘルツシュプルング=ラッセル図,恒星の質量・光度関係,恒星までの距離を推定するための永年視差および分光視差,ケフェイド変光星の変光周期・絶対光度関係,恒星のスペクトル型・速度分散関係,太陽運動,銀河回転などはすべて恒星に統計学を適用して見いだされたものです。
・後生動物 (こうせいどうぶつ)
後生動物 (Metazoa)は、原生動物以外のすべての動物の総称で、中生動物,側生動物,真正後生動物に分けられています。
多細胞動物ですが、単なる細胞の集合体ではなく、胚葉や組織の分化が種々の器官の形成に役立っていて、高等な体制を保持しています。
・恒星日 (こうせいび)
恒星日(sidereal day)は、こうせいじつとも言い、春分点が南中してから再び南中するまでの時間、もしくは春分点の南中をもって数えられる日数のことです。
太陽が黄道上を順行するため,平均太陽日よりわずかに短く、23時間 56分 4.09秒となります。
厳密にいえば春分点が逆行するため、地球の恒星天に対する1自転よりもさらに 0.009秒だけ短くなります。
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電気検層について

井戸工事の後で、水があるかないかを調べる目安として電気検層があります。

電気検層(でんきけんそう electric logging)は、井戸内の地層を電気的に調べる方法の総称です。
孔壁周辺の地層の抵抗率や、自然電位を連続的に測定することによって地下の地層の透水性,孔隙率の状態などが推定されます。
この比抵抗値をΩ-mで表しますが、あくまでも抵抗値なので、いくら水があるとかの数値がでるものではありません。
ただし、岩石コアを採取しないボーリングでは、きわめて重要な物理探査法です。
特に、井戸工事はコアどりをしないことがほとんどなので、ストレーナー位置はこの電気検層で決めていることが多いと思います。

①原 理
ボーリング孔内の孔壁周辺における地層の見かけ比抵抗と、孔内に発生している自然電位を測定します。
電流電極及び電位電極の配列の仕方で幾つかの手法がありますが、土木分野ではノルマル検層とマイクロ検層が多く利用されています。
②測定方法
地層に電流を流し、孔内に降下させた電極で地層の電位差や自然電位等を測定して地層の見かけ比抵抗を求めます。
ゾンデの引き上げ速度が等速度になるように調整しながら、孔底からゆっくりと引き上げて測定します。
・ノルマル検層の電極間隔は、25cm、50cm、100cmの3通りです。
・マイクロ検層の電極間隔は、2.5cm、5.0cmの2通りで、孔壁に圧着して測定します。
③特徴・適用限界
孔内水のある裸孔で測定します。
開孔率(5%)が確保できる場合は、孔内水のある有孔塩ビ管内での測定も可能です。
得られる比抵抗値は孔内泥水の影響を受けた見かけ比抵抗値であり、地層の真の比抵抗値ではありません。
見かけ比抵抗値及び自然電位の記録から、地層の孔隙率・飽和度・地層水の化学的性質を推察したり、地層の厚さ・連続性・地層対比・滞水層の検出・難透水層の判定を行ったりする等の目的に用いられます。
しかし、この見かけ比抵抗は地層の層厚・孔径・地層水比抵抗などによる影響を受けるため、解釈する場合は充分な考慮が必要です。
④裸孔と有孔塩ビ管との違い
電気検層においては、測定ゾンデと孔壁との間は、できるだけ障害物(ケーシング、塩ビパイプ等)がない裸孔の状態で測定することが望ましいとされています。
ただし、実際の現場においては孔壁状況が悪い場合、掘削時の泥水の影響が消失するまでに長時間を有する場合等、裸孔のまま放置すると電気検層の実施が不可能となる場合も多く、保孔管として有孔塩ビ管を挿入した後に電気検層を実施することも多くなっています。
ここで、同一の井戸において裸孔と有孔塩ビ管挿入後の2種類の状態で電気検層を実施した場合の事例があり、それぞれの検層結果の相違点としては次のようなことが挙げられます。
・裸孔よりも塩ビ管挿入後の見かけ比抵抗値の方が全般的に1.4~2.3倍程度高くなり、特に電極間隔が小さい方が、この傾向は顕著に表れます。
・見かけ比抵抗値のピークは、裸孔と塩ビ管挿入後とも、どの電極間隔でも同じ深度に現れてお り、見かけ比抵抗曲線の大きな形状は、どちら の状態でもほぼ同じです。
・見掛け比抵抗曲線において、見掛け比抵抗値の細かい高、低の変化(凹凸)は、裸孔の方が塩 ビ管挿入後よりもより明瞭に捉えられ、特に電極間隔が小さい方がその傾向は顕著です。
・有孔 管において、孔間隔が広いとこのようなスケールオーバーの状況になることがあります。

拡大表示:切替スイッチと検層器

当社の使っている井戸パック10です。
写真は、切替スイッチと検層器です。
特徴としては次の通りです。
・軽量・コンパクトなので、作業時間が短縮できます。
・供給電源は単三電池4本で、交換も容易です。
・測定電圧が10Vで、安全な作業が可能です。
・結線完了後は自動測定できます。
・屋外での使用を前提とした簡易防水です。
・オプションの電極切替スイッチを使えば、ショート、ロングを同時に計測し作業時間を短縮できます。

拡大表示:電極切替スイッチの使用例(2極法)
図-1 電極切替スイッチの使用例(2極法)

古城のような観音寺市の豊稔池堰堤

香川県観音寺市の豊稔池堰堤を紹介します。

豊稔池堰堤(ほうねんいけえんてい)つまり、豊稔池ダム(ほうねんいけダム)は、現存する日本最古の石積式マルチプルアーチダムです。
2006年(平成18年)、国の重要文化財(建造物)に指定されています。
指定名称は「豊稔池堰堤」で、命名は、香川県出身で大蔵大臣などを歴任した三土忠造さんだそうです。
豊稔池堰堤の規模は、
・堤高 - 32.3m
・堤頂長 - 158.4m
・堤体積 - 21,000m3
・総貯水容量 - 1,590,000m3
・有効貯水容量 - 1,590,000m3
・流域面積 - 9.9km2
・湛水面積 - 16ha
・利用目的 - 灌漑
豊稔池堰堤は、讃岐山脈から流れ出る柞田川を上流で堰き止め、柞田川の左岸に広がる水田を潤しています。
度重なる大旱魃への対策として1926年(大正15年)に着工され、1930年(昭和5年)に完成しました。
施工業者は、豊稔池土地改良区で、このとき、地元住民による組合が部分請負をして工事にあたり、延べ15万人による人海戦術により、たった3年8カ月の短期完成を実現するという地元一体となって成遂げられた公共事業だったそうです。
築堤材料と建設労力のほとんどが地元で、石材は付近の谷で採取し、砂は豊浜、観音寺から馬車で運んだそうです。
県営工事なのですが、実質的には地元民が施工し、数名の技師の指導で、夜講習会を開いて技能者を養成したそうです。
後に、清水建設とフジタによるダム補修工事によって上流部はコンクリート補強されていますが、下流部には当時の古い石積みが現存しています。
多連式アーチダムとしては、宮城県仙台市の大倉ダム(二連式)を含め、全国に二つしかなく、当時アメリカで最新技術であったマルチプルアーチが適用されるなど土木史、ダム技術史を語る上においても貴重な建造物だそうです。
この堰堤によって形成された人造湖は豊稔池として2010年(平成22年)3月25日に農林水産省により「ため池百選」に選定され、湖畔には「豊稔池遊水公園」が整備されています。
現在も、豊稔池からは約530haの灌漑を行っており、「大野原は月夜に焼ける」と詠われり、旧大野原町の大野原音頭では「……里をうるおす豊稔池の、石積堤は城のよ~う、城のよう……」と歌われて、豊かな大野原平野を潤している水源です。

豊稔池堰堤
山あいに凛とそびえる豊稔池堰堤は、まるで中世ヨーロッパの古城のような絶景です。
水不足を解消するために作られたこの堰堤は、延べ15万人による人海戦術で、昭和初期に3年8カ月の期間をかけて造られた当時の姿を今に保ったままです。
これだけ古風だと、特に周囲の山並みと調和していました。

豊稔池堰堤
午後は逆光になるので、撮影は午前中がいいそうです。
満水時には自然放水されています。

豊稔池ゆる抜き
田植えの時期には、地上30mの堤からの放水や、「ゆる抜き」行事(毎年7月中旬から下旬)の際には、そのヨーロッパの古城を思わせる概観と勢いよく流れ出る放水の絶景に多くの観光客が訪れています。
豊稔池の「ゆる抜き」(いわゆる放流のことです)は、下流にある井関池の貯水量が3割を切ったころを目安に行われるそうです。
上の写真はこの「ゆる抜き」の写真ですが、この行事は季節の風物詩として知られ、轟音とともに堰堤の中樋(なかび)とよばれる樋門から毎秒約4トンの水が放水される景色は壮観だそうです。

ナミブ砂漠のデッドフレイの奇異な景観

ナミビアのナミブ砂漠にあるデッドフレイを紹介します。

まず、ナミブ砂漠はナミビアの大西洋側にある砂漠でおよそ5万k㎡の広さがあり、約8000万年前に形成された世界最古の砂漠と言われています。
オレンジ色の砂で満たされたナミブ砂漠の中に、ぽっかりと地表が渇いた盆地が存在しています。
これが、デッドフレイ(Deadvlei)と言って、ナミビアの大西洋沿いに南北約1,300kmにわたって広がるナミブ砂漠の深部で、ナミブ・ノークラフト国立公園内にあります。
現地の言葉で「死の沼地」を意味しており、干上がった沼地と朽ちた木々が独特の景観を作り出しています。
ここにはかつてツァウチャブ川の洪水により沼地が形成されました。
その後の気候変動で沼の水が全て干上がってしまい現在のような状態になったそうです。
あまりに乾燥した気候のため、木は微生物によって分解されることもなく、ひび割れた白い地面に、900年前に枯れてしまった木々が砂漠の真ん中に存在しています。
死の砂漠ではありますが、地下にはまだ水分が残存しているため、動物や昆虫はこの地によく集まってくるみたいです。
そして、デッドフレイを有名にしたのは、この世のものとは思えないこの奇異な景観です。
奇異な景観と言うか、まるで絵のような光景と言うか、その美しさが最も増すのが日の出前のひとときだそうです。
燃えるような朝の光が周囲を金色に染め、陰ったままの銀色の大地と、それらを背景に枯れ木のシルエット浮かび上がってきます。
神秘的な光景を確かめてみたい人には、おすすめの絶景スポットです。
デッドフレイへの行き方としては、まずナミビアの首都ウィントフックへ向かいます。
日本からは直行便がないので、香港やドバイで乗継ぎ、南アフリカのヨハネスブルグへ入ったあと、ヨハネスブルグからウィントフックまでは南アフリカ航空で移動しないといけないそうです。
ウィントフックからナミブ砂漠まではレンタカーを借りて車で行くか、現地のオプショナルツアーに申し込む必要があるそうで、大変な旅になりそうです。

デッドフレイ
デッドフレイの看板があり、ここから1.1kmと書いてあります。

ナミブ砂漠
このような大砂丘を、デッドフレイに向かってひたすら歩きます。

Deadvlei
雪のように白くなっている部分がデッドフレイです。
遠くからなら、枯れ木もほとんど見えません。

Deadvlei
まだ、朝日が昇りきってはいませんが、デッドフレイからの写真です。
コントラストが、一枚の「絵」になる瞬間は、空の青と、灼熱の太陽でもえる砂漠のオレンジと、干上がった沼地の黒、そして影になった枯れ木です。
本当に、絵画にしか見ない風景です。

デッドフレイ
時間と共にどんどん陽が差し込み、デッドフレイの風景も刻々と変わっていきます。
「沼」とは言っても「死の沼」というだけあり、完全に地盤が乾き石のように硬くなっているそうです。
その石のように硬い地盤に枯れ木だけが残されているのが不思議です。

Deadvlei
完全に日が昇ったときの風景です。
干上がった沼地は、黒から白に変わっていきました。
そして、背後の砂丘から朝日が昇りきると、もう、その風景は消えてしまうそうです。

デッドフレイ
これが、セスリムキャンプサイトから約1時間ほど走った場所にあるデッドフレイの地図です。

松山市の野忽那島について

松山市には離島がたくさんあります。
この中で、今回は旧中島町から編入合併して松山市になった野忽那島を紹介します。

野忽那島(のぐつなじま)は、忽那七島の中で最も東にある1番小さな島であり、彼女が生まれた島「瀬の島」の映画で一躍有名になった島です。
面積は0.92km²で、周囲5.7kmです。
平成22年の国勢調査では、人口141人、世帯89戸でした。
南部のオイラン山(102m)を頂点に丘陵が続き、北部のくびれた低地に集落があります。
猫の島でも有名ですが、周辺の海にはアジ・メバル・サバ・アブラメなどの魚が多く、一年を通して釣り人が訪れます。
忽那七島は、どの島でもそうなのですが、みかんを中心とした農業と漁業の島であり、特に野忽那島は、小さな楽園のようなゆったりとした時間が感じられる島です。
映画のロケ地でもある標高71.4mの皿山展望台からの景色は、美しい瀬戸内を代表する風景となっています。
2002年に整備された遊歩道には、映画の登場人物の名前がつけられ、展望台には戦時中の監視所の一部が残っています。
野忽那小学校では、瀬戸内シーサイド留学という制度がありました。
この制度は、毎年数名の子どもたちを日本各地より受け入れて、島での生活を体験してもらうというものでした。
私も、父親になってからこの制度を知りました。
子供が小学生になる時に、野忽那小学校に入れようか真剣に悩んだほどでした。
2008年に野忽那小学校が休校となったことで、この制度は一旦中止になっているようです。
でも、この名残か、多くの卒業生が、今もなお島を訪れることもあるようです。
野忽那小学校から集落の路地を通り、島を横断した先にある美しい砂浜広がる「ヌカバ海水浴場」があります。
ここからは、高縄山、そして沖には往来する船などが望む、まるでプライベートビーチのようにゆっくりとした時を過ごすことができます。
また忽那諸島の中では、周辺をあまり損なわないで残っている貴重の遺跡「丸山古墳」は、鹿角装の刀や鉄剣・人骨などが出土しており、松山市指定史跡となっています。
他にも島の芸術家・石崎嘉吉さんの色鮮やかな絵馬がある「宇佐八幡神社」や、野忽那島と睦月島の間にある面積0.0033㎡の「芋子島」、島の北東にある無人島の「田ノ島」など、歴史文化が残り自然が溢れている島です。
野忽那島は古くは「野島」と呼ばれていたそうです。
地頭になったのは東浦地頭重俊の子重平でした。
安和年間(968-970)に風早郡北条から多田満仲の遺臣がこの島に移り、漁業を営んだのが定住の始まりと言われています。
島人の結束力の強さと群行動の統一は、七島中で最も漁村的性格の強い島とも言われており、昭和23年頃までは一本釣を修行としていましたが、昭和26年に衣類行商に転じた一例からも伺えるようです。

野忽那島全景の写真
野忽那島の全景です。
ぺっちゃんこの島なので、大地震の津波でも発生すると、島自体が浸かってしまいそうです。

皿山展望台の写真
皿山展望台です。
島北側にあります。
標高71.4mから360度のパノラマで望む瀬戸内海はまさに絶景で、怱那諸島でも有数の展望台として知られています。
平成14年に建設された山頂へ向かう遊歩道の一部には、映画「船を降りたら彼女の島」の登場人物の名前がつけられています。

ヌカバ海水浴場の写真
ヌカバ海水浴場です。
7月上旬からオープンする穴場スポットです。
休憩所、トイレ、シャワー、キャンプ場と設備が充実しています。

野忽那小学校の写真
野忽那小学校は、明治10年開校の歴史ある学校です。
昭和62年から離島では初めての試みとなるシーサイド留学制度を導入しました。
全国各地から小学生を募集し、里親のもとで1年間島生活を経験させると言う活動を21年間続け、延べ120名の留学生を受け入れました。
しかしながら、急激に進む過疎化の影響で、平成21年度をもって、地元の小学生がいなくなると共に留学制度もなくなり、現在は休校となっています。

監視所の一部の写真
皿山頂上には戦時中に使われていた監視所の一部が残っています。
港付近にある皿山は、標高73m、頂上には、丸太小屋と、戦争当時つかわれていた監視塔があり、瀬戸内海の島々を一望できます。

野忽那島の位置
野忽那島の詳細な地図です。
地図でもわかるように、周遊道路はありません。
オイラン山へは道がなく、港から歩くと1時間はかかるそうです。
それも、胸まで伸びている笹や草など掻き分けて登らないといけないと、誰かのブログに書いていました。
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