新潟県の「清津峡」と「清津峡峡谷トンネル」

雄大な岩礁と清流からなる日本有数の景勝地「清津峡」を紹介します。

「清津峡」は、新潟県十日町市小出から湯沢町八木沢にかけての全長約12.5kmの渓谷で、信濃川の支流である清津川が形成した峡谷です。
昭和24年9月に上信越高原国立公園に指定され、その荘厳なる閃緑ひん岩と柱状節理の美しさから、黒部峡谷、大杉谷とともに日本三大峡谷の一つに数えられています。
清津川を挟んで切り立つ巨大な岸壁がV字型の大峡谷をつくり、雄大な柱状節理の岩肌とエメラルドグリーンの清流が、訪れる人々に深い感動を与えます。
観賞用として「清津峡峡谷トンネル」があり、中にある4つの見晴所から雄大な渓谷美を堪能できます。
この「清津峡峡谷トンネル」ですが、これを造ったのには経緯があります。
昔は、清津川に沿って、清津峡温泉から八木沢にぬける遊歩道(登山道)があり観光客の立入、通行が可能だったのですが、春先はなだれや残雪で通行不能だったり、また大小の落石や土砂崩れが頻発し、大変危険な道でした。
こんな中、1988年(昭和63年)7月、落石が頭にあたり男性1名が亡くなるという事故が発生しました。
以来、通行の安全が保証できないということで、この歩道は通行はもちろん立ち入りも一切禁止となりました。
これにより、温泉街から奥に入ることができなくなり、もっとも柱状節理の渓谷美が見事な場所(屏風岩)を見ることができないという状態が続きました。
地元や観光客から、せめて渓谷美だけでも見られるようにしてほしいという要望が多く、環境庁(国立公園担当)、文化庁(天然記念物担当)、新潟県などの関係機関と地元中里村との間で検討が始まりました。
そこで、
①閉鎖した遊歩道の再開は不可能
②岩が崩れやすく安全な歩道の整備は困難
③国立公園内であり、外観を損なう大規模な人工物の建設は認められない
④国立公園とはひろく国民に利用されることが目的であり、観光資源としてもこのまま放置しておくことはできない
などのことから、歩道の代替施設として、安全に通行でき外観を損ねない歩道トンネルの建設が決まりました。
新潟県の補助金をうけ、中里村が事業主体で、総工費約20億円です。
平成4年に着工され、平成8年10月1日に「清津峡渓谷トンネル」としてオープンしました。
完成によって、閉鎖されてから8年ぶりに、清津峡の渓谷美がその一部ではあるが見られるようになりました。
ただし、川沿いの遊歩道は、現在も立ち入り禁止となっており、山越えの登山道が整備されています。
川沿いの遊歩道に比べるとつまらないとか、トンネルが長くて見るところが少ない等々、不満の声もあるそうですが、頭上(天候や落石)や、足もと(段差や石など)を気にせず安全に鑑賞できることや、ベビーカーや車椅子の利用ができます。

[ V字谷 ]  左右に切り立つ柱状節理の絶壁。V字谷のパノラマに圧倒されます。

左右に切り立つ柱状節理の絶壁「昇天閣」です。
V字谷に入り込んでいる臨場感に圧倒されます。
清津峡は信濃川の支流である清津川によって作られた渓谷で、1941年に国の名勝と天然記念物に指定されています。

[  ]  第二見晴所。ここは丸淵と呼ばれており、川が蛇行して流れています。

ここは丸淵と呼ばれ、川が蛇行して流れています。
下流方面は順光となり手前の崖と奥の崖の陰影差が強く出ます。

[  ]  第二見晴所(丸淵)の正面。くの字に曲がる川と柱状節理の絶壁。

正面を見ると川が曲がっており、その奥に迫力ある柱状節理の絶壁が見えます。
柱状節理(ちゅうじょうせつり)とは、マグマがゆっくりと冷え固まるときに五角形・六角形の柱状になった岩のことです。

[  ]  1996年に全長750mの「清津峡渓谷トンネル」が完成し、3つの見晴所とパノラマステーションからの眺めを楽しめるようになりました。

「清津峡」では以前は、川沿いの遊歩道を歩いて眺望ポイントに行っていましたが、落石事故により死者が出たため、1996年に全長750メートルの歩行者専用トンネル「清津峡渓谷トンネル」が作られ、安全に眺望を楽しめるようになりました。
駐車場は3ヶ所(約200台)入坑口で料金(大人:600円)を払い、清津峡渓谷トンネルに入ります。
4ヶ所の見晴所、終点にはパノラマステーションが設けられており、柱状節理の渓谷美を味わうことができます。
トンネル入り口から第一見晴所までは、清津峡の成立ち、四季などを紹介する展示スペースが続いています。
このような、コンクリートだらけのトンネルを歩くのは何か味気のない気がしますが、やはり安全が一番ですね。

清津峡渓谷トンネル施設案内
「清津峡渓谷トンネル」の施設案内です。
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日本最古の井戸について

元々井戸は井の入り口の事を「井戸」と呼ぶ様になったのがきっかけだそうです。
現在では、普段から井戸を利用している方は減ってきていると思います。
松山だと、井戸は珍しくもなんともないのですが、都会では神社等でしか見た事ない人もあるでしょう。
昔から人々は、川や池や湧き水等、水がある所に住居を構えて村や町をつくってきました。
水が乏しい時には雨水を溜めたり、井戸を掘って水を溜めたりして水源を確保してきました。
井戸は生活に必要不可欠な存在だったと言えます。
そんな井戸ですが、日本で一番古い井戸について調べてみました。
日本最古の井戸がある神社は島根県出雲市にある「御井神社」で、斐川インターから近く、小山にある安産祈願の神社として知られています。
「御井神社」は、古事記等日本最古の史書十三の文献に記された由緒正しき神社だそうです。
安産の水神の祖であると言う歴史は、記紀に記された故事による物です。
ここでは
・生井(いくい)・・・・生井安産と子育て水神
・福井(さくい)・・・・福井母子の幸せを司る水神
・綱長井(つながい)・・・・綱長井母子の寿命を司る水神
の三つの最古の井戸があり、今でも清水が沸いています。
パワースポットとして遠方から参拝に来る方も見えるそうですが、地元では、お産の神様としてお礼参りや七五三や子どもも成長を祈って参拝される方が多い神社です。
この様に古い良き井戸は現在も清水を沸かせて人々の暮らしや祈りの支えとなっています。



生井


福井


綱長井



生井、福井、綱長井の場所
 
 

工事現場の中での井戸掘削

松山市内の、工事現場の中での井戸掘削の様子です。

IMGP0548.jpg
盛土したばかりなので、鉄板を敷いてその上に機械を据付ました。
雨降りなので、よけいに軟質です。

IMGP0549.jpg
玉石が多くて、ダウンザホールハンマー工法でも苦労しています。
でも、水量は多いので井戸としては最適でした。

高知県の梼原高校の躍進には

私は、高校野球のファンです。

四国の高校くらいは、強豪高とそうでない高校の見分けくらいはつくと思っていたのですが、高知県の梼原高校が甲子園に王手をかけていたのにはびっくりしました。
たった126人の高校です。
それまでに何の実績もなく、(私が知らないだけかも知れませんが)突然決勝戦にまで勝ち続けるなんて本当に奇跡です。
調べてみると、まさに地域密着の野球部のようです。
まず、横川恒雄さんを監督に呼んだのが始まりだったようです。
横川さんは梼原町出身です。
伊野商で投手としてプレーし、法政大学を卒業後、母校の伊野商の監督になっています。
当初は人数が少なく、ソフトボール部に助っ人を頼んでいたほどだったそうですが、部員を増やし、1980年には秋季四国大会に出場しています。
その後、養護学級の教員を7年間、務め、1997年、室戸の監督に就任しています。
2年目の秋には部員が9人ぎりぎりになり、地道に部員を呼び込んだそうです。
2006年、秋季四国大会で4強入りしています。
準決勝は高知に0―7で敗れたのですが、高知がその後の明治神宮大会で優勝したこともあって、室戸も2007年春の選抜大会に出場しています。
そして、初戦は強豪の報徳学園(兵庫)でした。
室戸の選手たちはかつてない良いプレーを見せ、勝ち進み、そのまま勢いに乗り、ベスト8まで突き進んだそうです。
定年退職後は一線から退くつもりだったそうですが、梼原町民の熱心な誘いで、13年に梼原の監督に就任したそうです。
一時は9人ぎりぎりだった部員も次第に増え、現在は高知市や四万十市から40人以上が下宿する大所帯になったそうです。
たった10年で、県大会の決勝戦にまで、それもこんな小さい町の高校でたどり着けるのは、地域密着の努力としか言いようがありません。
決勝戦では甲子園常連校の明徳義塾に惜しくも負けましたが、いずれは念願が叶うものと期待しています。

流紋岩について

流紋岩について調べてみました。

流紋岩(りゅうもんがん rhyolite)は、火山岩の一種で、花崗岩に対応する成分の火山岩です。
流紋岩は、花崗岩と同じく、ケイ酸分 (SiO2)を多く(70%以上) 含む粘っこいマグマからできますが、花崗岩は地下深部でゆっくり冷えて固まってできるのに対し、流紋岩は地表付近で急に冷えて固まってできます。
ただし、流紋岩は、マグマが直接冷えて固まったものよりも、高温の火山灰や火山れきなどが急激に堆積した火砕流堆積物や、それがそれ自身の熱で凝結してできた溶結凝灰岩が多いのが特徴です。
こう考えると堆積作用でできた火砕岩ですが、堆積岩ではなく、火山岩とされています。
流紋岩は、一般に石英とアルカリに富む長石の斑晶を含み、石英は細粒の結晶質またはガラス質です。
流紋岩の名称は、マグマの流動時に形成される斑晶の配列などによる流れ模様(流理構造)がしばしば見られることによるとされています。
日本語の流紋岩は1884年に小藤文次郎さんにより命名されたそうです。
以前は、流理構造の見られないものを石英粗面岩(せきえいそめんがん、liparite)と呼んでいましたが、現在では流紋岩に統一され、石英粗面岩の名称は用いられないそうです。
通常は斑状組織を持ち、色は白っぽいことが多いのですが、噴出条件や結晶度などにより黒い流紋岩もあるので、色だけでは判断できません。
斑晶および石基として、無色鉱物である石英・長石(カリ長石・斜長石)、有色鉱物である黒雲母・角閃石(まれに輝石)等を含んでいます。
流紋岩とデイサイトの中間的な性質の火山岩を流紋デイサイト(rhyodacite)と呼ぶことがあります。
流紋岩はきめが細かく,水がしみ込みにくく、侵食作用に耐え、丘陵地を構成する場合が多いのも特徴です。
特殊な流紋岩としては、
①黒曜岩(黒曜石、obsidian)
マグマが非常に急に冷えて固まってできた、石基がガラス質で、ガラス光沢のある流紋岩です。
拡大してみるとマグマの流れ模様(マグマの流れ模様で、流理組織という)が筋になって見えることがあります。
白い粉が集合したようなクリストバライトもしばしば見られ、まれに赤や灰色のものもあります。
これは直接,マグマが冷えて固まってできた流紋岩。
②ピッチストーン(松脂岩、pitchstone)
流紋岩質のガラス質火山岩です。
石基がガラス質で、樹脂状の光沢があるものです。
黒曜岩に似ていますが、国際地質科学連合の分類では、黒曜岩の水分が1%以下なのに対して、水を1~10%含むため別の物と扱われています。
③パーライト(真珠岩、perlite)
細かい曲面状の割れ目が多く見られる褐色や緑褐色の ガラス状の流紋岩です。
水分を数パーセント含みもろい岩石です。
これは直接マグマが冷えて固まってできた流紋岩です。
④球顆流紋岩(spherulitic rhyolite)
直径数mm~1cmの球形をした球顆を多数含んだ流紋岩です。
球顆は、外側を白色の玉髄が囲み、その内部に小さな水晶の結晶が多数ついています。
水晶は、皮膜状の褐鉄鉱に覆われている場合があります。
小さな球顆は、玉髄や石英に完全に埋められていますが、直径5mmを越えるようなものは内部が空隙になっています。
そして、流理を示す細かい縞模様が発達しています。
これも直接、マグマが冷えて固まってできた流紋岩です。
⑤軽石(かるいし、pumice、パミス)
火山砕屑物の一種で、塊状で多孔質のもののうち淡色のものです。
浮石(ふせき)あるいは浮岩(ふがん)とも呼んでいます。
例えば、流紋岩のマグマが地表付近に噴出したときに、圧力の減少によりマグマに含まれていた水分などの揮発成分が気体となりマグマが発泡しつつ固まっ たものは、やはり軽石にもなります。
引き伸ばされたような不規則な形の数mm程度の孔がたくさんあります。


最も普通の流紋岩で広くみられています。
全体が灰色できめ細かく、その中に白いアルカリ長石や斜長石、灰色の石英のなどの粒(斑晶)が点々と入っている斑状組織を示しています。
時に黒い黒雲母や普通角閃石の斑晶も見られます。
これは直接、マグマが冷えて固まってできた流紋岩の場合と、火砕流堆積物(火砕岩)としての流紋岩の場合とがあります。
石英や長石類の斑晶が破片状になっている場合は後者の可能性が高くなります。
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