高知県の梼原高校の躍進には

私は、高校野球のファンです。

四国の高校くらいは、強豪高とそうでない高校の見分けくらいはつくと思っていたのですが、高知県の梼原高校が甲子園に王手をかけていたのにはびっくりしました。
たった126人の高校です。
それまでに何の実績もなく、(私が知らないだけかも知れませんが)突然決勝戦にまで勝ち続けるなんて本当に奇跡です。
調べてみると、まさに地域密着の野球部のようです。
まず、横川恒雄さんを監督に呼んだのが始まりだったようです。
横川さんは梼原町出身です。
伊野商で投手としてプレーし、法政大学を卒業後、母校の伊野商の監督になっています。
当初は人数が少なく、ソフトボール部に助っ人を頼んでいたほどだったそうですが、部員を増やし、1980年には秋季四国大会に出場しています。
その後、養護学級の教員を7年間、務め、1997年、室戸の監督に就任しています。
2年目の秋には部員が9人ぎりぎりになり、地道に部員を呼び込んだそうです。
2006年、秋季四国大会で4強入りしています。
準決勝は高知に0―7で敗れたのですが、高知がその後の明治神宮大会で優勝したこともあって、室戸も2007年春の選抜大会に出場しています。
そして、初戦は強豪の報徳学園(兵庫)でした。
室戸の選手たちはかつてない良いプレーを見せ、勝ち進み、そのまま勢いに乗り、ベスト8まで突き進んだそうです。
定年退職後は一線から退くつもりだったそうですが、梼原町民の熱心な誘いで、13年に梼原の監督に就任したそうです。
一時は9人ぎりぎりだった部員も次第に増え、現在は高知市や四万十市から40人以上が下宿する大所帯になったそうです。
たった10年で、県大会の決勝戦にまで、それもこんな小さい町の高校でたどり着けるのは、地域密着の努力としか言いようがありません。
決勝戦では甲子園常連校の明徳義塾に惜しくも負けましたが、いずれは念願が叶うものと期待しています。
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流紋岩について

流紋岩について調べてみました。

流紋岩(りゅうもんがん rhyolite)は、火山岩の一種で、花崗岩に対応する成分の火山岩です。
流紋岩は、花崗岩と同じく、ケイ酸分 (SiO2)を多く(70%以上) 含む粘っこいマグマからできますが、花崗岩は地下深部でゆっくり冷えて固まってできるのに対し、流紋岩は地表付近で急に冷えて固まってできます。
ただし、流紋岩は、マグマが直接冷えて固まったものよりも、高温の火山灰や火山れきなどが急激に堆積した火砕流堆積物や、それがそれ自身の熱で凝結してできた溶結凝灰岩が多いのが特徴です。
こう考えると堆積作用でできた火砕岩ですが、堆積岩ではなく、火山岩とされています。
流紋岩は、一般に石英とアルカリに富む長石の斑晶を含み、石英は細粒の結晶質またはガラス質です。
流紋岩の名称は、マグマの流動時に形成される斑晶の配列などによる流れ模様(流理構造)がしばしば見られることによるとされています。
日本語の流紋岩は1884年に小藤文次郎さんにより命名されたそうです。
以前は、流理構造の見られないものを石英粗面岩(せきえいそめんがん、liparite)と呼んでいましたが、現在では流紋岩に統一され、石英粗面岩の名称は用いられないそうです。
通常は斑状組織を持ち、色は白っぽいことが多いのですが、噴出条件や結晶度などにより黒い流紋岩もあるので、色だけでは判断できません。
斑晶および石基として、無色鉱物である石英・長石(カリ長石・斜長石)、有色鉱物である黒雲母・角閃石(まれに輝石)等を含んでいます。
流紋岩とデイサイトの中間的な性質の火山岩を流紋デイサイト(rhyodacite)と呼ぶことがあります。
流紋岩はきめが細かく,水がしみ込みにくく、侵食作用に耐え、丘陵地を構成する場合が多いのも特徴です。
特殊な流紋岩としては、
①黒曜岩(黒曜石、obsidian)
マグマが非常に急に冷えて固まってできた、石基がガラス質で、ガラス光沢のある流紋岩です。
拡大してみるとマグマの流れ模様(マグマの流れ模様で、流理組織という)が筋になって見えることがあります。
白い粉が集合したようなクリストバライトもしばしば見られ、まれに赤や灰色のものもあります。
これは直接,マグマが冷えて固まってできた流紋岩。
②ピッチストーン(松脂岩、pitchstone)
流紋岩質のガラス質火山岩です。
石基がガラス質で、樹脂状の光沢があるものです。
黒曜岩に似ていますが、国際地質科学連合の分類では、黒曜岩の水分が1%以下なのに対して、水を1~10%含むため別の物と扱われています。
③パーライト(真珠岩、perlite)
細かい曲面状の割れ目が多く見られる褐色や緑褐色の ガラス状の流紋岩です。
水分を数パーセント含みもろい岩石です。
これは直接マグマが冷えて固まってできた流紋岩です。
④球顆流紋岩(spherulitic rhyolite)
直径数mm~1cmの球形をした球顆を多数含んだ流紋岩です。
球顆は、外側を白色の玉髄が囲み、その内部に小さな水晶の結晶が多数ついています。
水晶は、皮膜状の褐鉄鉱に覆われている場合があります。
小さな球顆は、玉髄や石英に完全に埋められていますが、直径5mmを越えるようなものは内部が空隙になっています。
そして、流理を示す細かい縞模様が発達しています。
これも直接、マグマが冷えて固まってできた流紋岩です。
⑤軽石(かるいし、pumice、パミス)
火山砕屑物の一種で、塊状で多孔質のもののうち淡色のものです。
浮石(ふせき)あるいは浮岩(ふがん)とも呼んでいます。
例えば、流紋岩のマグマが地表付近に噴出したときに、圧力の減少によりマグマに含まれていた水分などの揮発成分が気体となりマグマが発泡しつつ固まっ たものは、やはり軽石にもなります。
引き伸ばされたような不規則な形の数mm程度の孔がたくさんあります。


最も普通の流紋岩で広くみられています。
全体が灰色できめ細かく、その中に白いアルカリ長石や斜長石、灰色の石英のなどの粒(斑晶)が点々と入っている斑状組織を示しています。
時に黒い黒雲母や普通角閃石の斑晶も見られます。
これは直接、マグマが冷えて固まってできた流紋岩の場合と、火砕流堆積物(火砕岩)としての流紋岩の場合とがあります。
石英や長石類の斑晶が破片状になっている場合は後者の可能性が高くなります。

松山市の「奥道後」について

愛媛県松山市の「奥道後」を紹介します。

「奥道後」は、石手川上流の渓谷に来島どっくグループが開発した滞在型リゾート施設で、ホテル奥道後を中心とした温泉レジャーランドです。
温泉は、湧出量が豊富なので浴槽は全て掛け流しで使用しています。
さらに松山市中心部の銭湯のほか、保養所、旅館も引湯しています。
温泉地の中心は、広大な敷地を誇る「奥道後 壱湯の守」です。
男女各7種からなる浴槽の敷地面積約1508㎡の大露天風呂は西日本最大級の広さで、アルカリ性単純硫黄泉(pH9.4)の泉質で湧出量が毎分約400Lの豊富な源泉を湧き出しています。
そして、「奥道後」では、四季折々で多彩な花々が咲き競います。
春には辺り一面に咲き誇る『桜』をはじめ、遊歩道の『藤棚』、初夏に『さつき展』、秋には『菊花展』、『紅葉』と、一年を通して美しい花景色です。

「湧ヶ淵」の伝説があります。
この界隈は、昔からこの川沿いの周辺に温湯の湧きでているところがあることから「湧ヶ淵」と呼ばれ、数億年の歳月をかけて水の流れが作り上げた花崗岩の渓谷で、奇岩奇跡は大自然の造形の美の深さを物語っており、全国でもまれな景勝の地として知られ、この淵にまつわる伝説として次のような興味深いものが語り伝えられています。
この渕に大蛇が棲み夜な夜な美女に化身して通行人をたぶらかしては、蒼く澄んだ渕に誘いこみ命を奪うなどの害をおよぼしたとの言い伝えがあります。
そこで、湯山菊ヶ森城主三好長門守秀吉の長男蔵人三郎秀勝が一夜ひそかに渕のほとりに潜んで突如水上に現れた美女めがけて鉄砲を打ち込んだところ、天地も崩れんばかりの鳴動と共に渕の水は渦を巻き、その中にのたうち廻る大蛇の姿が見えたそうです。
翌朝、果たして大蛇の死骸が浮かび血の川の流れは三日三晩つづいたそうです。
それ以来怪しい美女は二度と現れなかったそうです。
この大蛇の頭骨と文献はその後、三好家に代々伝えられていましたが、「奥道後」の開発事業が進むにつれて三好家よりこれを譲り受け、奥道後温泉の竜姫宮に神棚を設け供養されているそうです。

夏目漱石の句もあります。
「蛇を斬った 岩と聞けば淵寒し 漱石」


「奥道後」の全貌です。
桜の季節には素晴らしく華やかになります。
中央にはイベント会場があり、写真奥にはホテル本館やロッジが立ち並んでいます。


愛媛県松山市の奥座敷と言われる奥道後温泉からは、かつては松山市街を一望できる杉立山(松山市杉立町)に向けて観光ロープウェイ(奥道後ロープウェイ)が営業していました。
写真の左下にロープウェイが見えますが、中央の鉄塔はこのロープウェイの架線塔です。
奥道後ロープウェイは奥道後の観光開発の一つとして昭和39(1964)年にホテル奥道後が開業しています。
バブル期には多くの観光客で賑わっていましたが、社会情勢の変化と奥道後の観光産業が衰退した事に伴い乗客は激減し、遂に平成21(2009)年12月からは運行休止となり現在に至っています。

奥道後では藤が見頃です♪
奥道後園内の遊歩道には長さ1kmにも及ぶ藤棚があります。
毎年4月中旬~5月上旬になると、色鮮やかな紫色のトンネルができます。


遊歩道をずっと東に歩くと「不動滝トンネル」があります。
「不動滝トンネル」は50mほどの長さがあり、遊歩道と水路が折半しています。
トンネルの出口には破損した門が設けられています。
遊歩道が廃道となっていた平成20年2月現在では、この門が閉鎖ゲートの役割を果たしていました。
対岸から「不動滝トンネル」の出口を見ると、トンネル内水路から流れ出た水は瀑布となって石手川に降り注いでいます。
坑口には「不動滝」と記された看板も設置されており、地図や現地を見る限り、水路トンネルである「不動滝トンネル」を建設した目的は、用水とかではなく、観光目的だと思われます。
竣工したのは昭和30年代半ば頃のようです。

奥道後ロープウェイ08
「不動トンネル」から石手川の断崖を約50mほど進んだ遊歩道の終点には金閣寺を模した「錦晴殿」がありました。
この「錦晴殿」は、奥道後の創設者でもある故坪内壽夫さんが文化庁長官今日出海さんの兄である作家の今東光さんの依頼を受け、昭和36年に着手しました。
文化庁が保存していた図面を元に、文化庁職員の指導を受け、材料、寸法ともにあくまで焼失前の金閣寺を忠実に再現した建造物として高い評価を受けており、奥道後でも有数の観光スポットでした。
しました。金箔9万5千枚を使い、昭和41年に落成したそうですが、平成13年6月の大雨で土砂崩れが起き建物は崩落致しまし、以後は再建されないまま現在に至っています。

奥道後ロープウェイ02
奥道後駅に停車中の「あさなぎ号」です。(平成20年2月18日撮影)
この写真は、廃止される約2年前の奥道後ロープウェイ駅です。
運行時の奥道後ロープウェイは、9:30~16:30まで30分間隔の運転で、運賃は往復1,000円(小人500円)でした。


奥道後ロープウェイは、奥道後温泉から杉立山に向けて敷設されています。
「山麓つつじ園駅」から「山頂望海楼駅」まで、約20分程度の所要時間でした。
山頂では、「白雲楼」というバーベキューの食べれるレストランや喫茶「パーラー」それに動物の放し飼いもしていました。

松山では「渇水」が深刻になりそうです

日本全国で、ほとんどの地方が梅雨明けをしました。
そして、次にやってくるのが暑い夏です。
そして、もっと深刻なのが「渇水」です。

今年の梅雨は、梅雨らしい長雨がほとんど降っていません。
石手川ダムの貯水率は、今日が82.2%です。
梅雨の季節には100%が当たり前なのに、今日でも満杯ではありません。
7月の降水量は、20日までで84.5mmです。
1日に20mm程度降った日もありますが、だいたいは少し降っても蒸発の方が多いのが現状です。
関東地方でも深刻だそうですが、今年の夏は「渇水対策」を覚悟する必要があるようです。

狭いところでの井戸掘削の様子

工事現場での井戸掘削の様子です。

2017071410220000.jpg
狭いところで井戸を掘っています。
狭いスペースしかなかったので東邦D-1型のボーリングマシンで掘っています。
VP100仕上げなので、20m掘るのに5日かかりました。

2017071410170000.jpg
すぐ横に建物を建築するための足場がきています。
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