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岐阜県にある「モネの池」について

「モネの池」を紹介します。

「モネの池」は、岐阜県関市板取の根道神社参道脇にある貯水池です。
高賀山の伏流水を利用して1980年頃に灌漑用に整備されました。
「モネの池」は通称であり正式な池の名称ではありません。
地元では根道神社の池もしくは単に池と呼んでいる程度です。
では、何故「モネの池」と呼ばれるようになったかというと、2012年写真雑誌「風景写真 2012年7-8月号[33]」(創刊1989年)に栄馬智太郎さんが投稿し、最優秀作品賞(審査員:前田博史[35])及び2012年度フォトコンテストグランプリ受賞を受賞したのをきっかけにテレビ放映やインターネットの会員制交流サイト(SNS) を通じて有名になり、「モネの池」と呼ばれるようになったと言われています。
これ以後、インターネット上には「モネの池」に関する写真が大量に投稿されています。
1999年、池は雑草が生い茂っていたのですが、近くで花苗の生産販売をする「フラワーパーク板取」の経営者、小林佐富朗さんが除草を行い、スイレンやコウホネを植えたそうです。
また、池で泳ぐコイは地元住民が自宅で飼えなくなって持ち込んだものだそうで、観光目的で作られた池では無く、偶然が積み重なってクロード・モネの後期の睡蓮連作群と似た池となりました。
池の大きさはテニスコートよりも少し大きい程度です。
また、常に湧き水が流れ込み、湧水池となっています。
このため年間水温がおよそ14°Cで一定となっており、冬に咲いた花は枯れにくく、コウホネが冬に咲くと、黄色→オレンジ色→赤色と色が変化します。
また、日差しの傾き、池の水量によって池の水の色も変化しています。
池の透明度が高い理由は、高賀山の山体が流紋岩類で構成されているためで、そこからの湧き水には養分が含まれず、微生物が育たないことが原因です。
2015年6月頃、ブログやTwitterやInstagramなどのSNSでこの池が話題に上り始め、同年秋頃に新聞・情報番組で取り上げられたことで情報が一気に拡散、観光客が激増する要因になりました。
このため、岐阜県および関市では公式ホームページにて「名もなき池」「モネの池(通称)」として観光案内を掲載しています。
2015年11月の報道によれば、休日には3000人ほどが訪れる観光地にまでなりました。
そして、2016年には東海地方の観光地を紹介する情報誌にも掲載されるとともに、新聞、テレビニュースでも大きく取り上げられました。
また2016年5月には板取地区の愛好家で作る板取錦鯉振興会が稚魚から育てたニシキゴイを提供しています。
この年の5月のゴールデンウィーク中には1日平均約3000人の観光客が訪れ、国道256号線が15kmにわたり渋滞し、警察が出動して交通整理を行っています。
「モネの池」は5月から11月にかけてが見頃だそうですが、おおまかな季節の状況は次のようです。
【年中】
総勢で30匹を超える鯉がお出迎えします。
【4月上旬~中旬】
寺尾ヶ原千本桜(モネの池への道中)でお花見を楽しめます。
【5月頃~秋頃】
「モネの池」に入ってくる湧き水の量が増えて透明度が高くなります。
【5月末頃~10月頃】
池に浮かぶスイレンの花を楽しめ、ピークは6~7月です。
【6月下旬~7月】
池の周りに植えられているアジサイが咲き乱れます。
板取あじさい祭りが、今年は平成30年6月30日・7月1日にありました。
【11月頃】
紅葉が色づき、"鏡池"のような「モネの池」を楽しめます。
【12月~2月頃】
白銀の雪の中に映える「モネの池」が絶景だそうです。

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水中花の中を錦鯉が泳いでいます。

モネの池
まさに絶景で、フランスの画家・モネの名画「睡蓮」にそっくりに見えます。

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「モネの池」は長さ40mほどあります。
池沿を歩くと、スイレンの花が見られます。
スイレンの花は、朝の8時頃から開き始め、11時には咲いてしまいます。
ものすごいスピードです。
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大型クローラ運搬車について

当社の大型のクローラ運搬車を紹介します。

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1.1m×0.9mなので、たっぷり資材が入ります。
荷台を倒すとボーリングマシンも分解せずに運べます。

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幅は0.8mあるので、安定しています。

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特に、川原などのでこぼこ道を運ぶのには適しています。

フランスの秘境と呼ばれるコルシカ島

フランスの秘境と呼ばれるコルシカ島を紹介します。

コルシカ島 corsica(フランス語では corse)は、地中海の島で現在はフランス領だそうです。
古代にはローマの属領、ゲルマン人の諸国の支配を受けた後、ジェノヴァ共和国領となっています。
18世紀にジェノヴァから独立運動が起きたそうですが、結果的にフランス領となりました。
コルシカ島は、フランスに最も近く、その南にサルデーニャ島があります。
中心都市は現在は西岸のアジャクシオです。
コルシカ島は、ナポレオンが生まれたところです。
ナポレオンのボナパルト家は、北イタリアから16世紀初めにコルシカに移住して地主となった家で、ナポレオンの父のカルロは農園を経営してはじめは独立運動に加わったのですが、フランス王が介入してくるとそれに協力したことによって貴族の称号を与えられました。
コルシカ独立運動がしっぱに終わった翌年の1769年8月15日、ナポレオンはカルロ=ボナパルトの子としてにコルシカの中心都市アジャクシオで生まれました。
その生家は現在も残されており、記念館になっています。
1779年、10歳のナポレオン少年は家族と共にコルシカを離れ、ブーリエンヌ陸軍幼年学校に入学しました。
ナポレオンはコルシカがフランス領に戻ってから、1799年に3日間だけ滞在しただけで、その後は足を向けることはなかったそうです。
コルシカ島はナポレオンだけが見所ではありません。
地中海にある山の多い島で、スタイリッシュな海岸沿いの町、鬱蒼とした森、険しい山(最高峰はサント山)が特徴です。
島の約半分は公園内にあり、難関の GR20 を含むハイキング コースがあります。
大勢の人で賑わうピエトラコラバから、遠く離れたサレッチアやロンディナラまで数多くのビーチがあります。
1768 年以来フランス領になっていますが、イタリア文化の影響が今でもはっきりと見られます。

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何と言っても、コルシカ島の見どころは断崖絶壁と、その上に立つボニファシオの街並みです。
美しい地中海に、険しくそびえ立つ絶壁、そしてその上に風情のある街並みは、絶賛された絵画のようです。

コルシカ ナポレオンの生家
これは、19世紀の絵画ですが、コルシカ島アジャクシオのナポレオンの生家を描いています。

「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョ

「天空の町」とも呼ばれるチヴィタ・ディ・バニョレージョを紹介します。

チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(Civita di Bagnoregio)は、イタリア共和国ラツィオ州ヴィテルボ県バニョレージョに属する分離集落(フラツィオーネ)です。
首都ローマから約100キロのラッツィオ州の北に位置する小さな村で、ラッツィオ州とトスカーナ州ウンブリア州の境にあります。
チヴィタの歴史はローマよりも古く、2500年以上前にエトルリア人によって作られたと伝えられています。
海抜は462mあり、トゥーフォと呼ばれる火山噴火による貧弱な棚状地層の凝灰岩でできた大地は、雨や風、川の侵食などの影響を受けやすいため、エトルリア時代から古代ローマ時代にかけて、自然の城壁を利用する目的で丘の上に町が作られ、チヴィタもそのひとつだったそうです。
現在では「陸の孤島」といった風貌になっていますが、もともとこういう状態で作られたわけではありません。
長い歴史のなかで、凝灰岩を支える広大な粘土質部分が、地震と雨風で浸食され、町の崩壊は約1000年にも渡って続いたそうです。
1287年から5回の地震に見舞われ、1764年の大地震で隣町バニョレージョへつながる道が崩壊し、多くの住民が町を離れたことにより、チヴィタは廃墟の町になりました。
今でも、雨や風などによる浸食に加え、台地辺縁部の崩落によってその上の建物が崩れる危機に常にさらされています。
そのため、イタリアの小説家ボナベントゥーラ・テッキにより、「死にゆく町」(il paese che muore)と呼ばれるようになりました。
町の入口の道路標識にも、イタリア語で「il paese che muore(死にゆく町)」と書かれているそうです。
現在では数人ほどの住人が暮らすのみだそうです。
自然の城壁に囲まれ、町全体が要塞のようになっているチヴィタですが、町に入る唯一の道である300mもの長い橋を渡ってサンタマリア城門をくぐると、中世にタイムスリップしたかのような町並みが広がります。
石畳の道に石造りの建物が並び、町の中心広場には聖ドナート教会が建ち、1500年代の粉ひき場などがあります。
町の真ん中にメイン通りとなる道がまっすぐ通っており、小1時間あれば町中を散策することができます。
少し歩いているとすぐに町の端っこへと出てしまいますが、そこから見渡す周囲の景色も見事です。
小さな町とはいえ、カフェやレストラン、バー、土産店、宿泊施設もあるので、立ち寄り散策だけでなく、町に泊まってのんびり過ごすこともできます。
訪れる観光客は後を絶たないそうです。

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これを絶景と呼ぶのでしょうか?
それとも危険なところというひとくくりの観光地なのでしょうか?
このチヴィタを訪れるには、ローマやフィレンツェからの日帰り観光ツアーもありますが、チヴィタと同じく崖の上にあり、「世界一美しい丘上都市」といわれるオルヴィエートを拠点にするのが便利だそうです。
チヴィタとオルヴィエートの2つの天空の町をめぐる観光ツアーもあり、オルヴィエートに宿泊してチヴィタへ日帰り観光するという旅程もおすすめだそうです。
また、オルヴィエートの見どころは、なんといっても中央にそびえる大聖堂です。
300年もの歳月をかけて建設された荘厳なドゥオモでは、素晴らしいイタリアゴシック建築だけでなく、ミケランジェロが絶賛したフレスコ画やイタリア最大級のパイプオルガンも必見だそうです。


チヴィタとは1本の細い橋で結ばれており、途中から坂道になっています。
こちらでは1.5ユーロの入場料を払います。
この橋は新しく見えますが、1965年完成だそうです。
10分弱かけて坂道の橋を登ります。
日陰などは全く無いので、日差しが強い季節には帽子やサングラス、履きやすい靴が必要になります。


イタリアの村なので、ちゃんと教会もあります。
小さなお土産屋さんや、ホテル、レストランなどがあるだけですが、雰囲気は中世そのままです。
食料品屋やスーパーは当然ないので、バーニョレージョまで行かないといけません。
それを考えると、住民のかたは、なかなかの労働です。

「雲母」は「きらら」と呼ぶの?

「雲母」について調べてみました。

少しでも岩石を知っている人なら「雲母」という鉱物名は知っていると思います。
実は、日本人の姓でも、この珍しい「雲母」という姓があるそうです。
静岡県に多く、特に小笠郡菊川町吉沢に集中してみられるそうです。
また、北海道にもみられるようです。
そして、「雲母」は、当然「うんも」と読むかと思いましたが、「きらら」と読むそうです。
姓の由来としては、雲母(うんも:鉱石)の産地であり、きらきらと光ることから名前がついたそうです。
そして、この「雲母」と、「きらら」≒「吉良」とは深い関係があるようです。

「吉良」と言えば、真っ先に吉良上野介を思い出しますが、もともと吉良家のルーツは清和源氏で、源義家(八幡太郎)の孫に当たる足利義康(よしやす)を始祖としているそうです。
義康は父から下野国足利庄(今の栃木県足利市)を贈与されて拠点としていました。
後の足利幕府を担う足利氏のルーツもここになるそうです。
三河の吉良氏はこの足利の流れから誕生しているそうです。

愛知県では、幡豆郡に「吉良町」(きらちょう)がありました。
2011年4月1日に西尾市に編入され、現在では表面から姿を消してしまいましたが、名鉄の駅名として「吉良吉田駅」はまだ健在だそうです。
そして、この地は江戸の高家として名高い吉良上野介義央(よしなか)公が治めていたところです。
足利義康の孫に当たる足利義氏(よしうじ)という人が、三河国吉良荘を与えられてこの地に赴任したのが発祥だそうです。
義氏はこれを機に「足利」姓を改め「吉良」姓に変えたそうです。
これは、言うまでもなく、この地が「吉良」という地名だったからということになります。

そして、「吉良」はどんな意味かというと、それが「雲母」に由来するそうです。
「雲母」はアルカリ性金属・鉄・アルミニウムなどを含む六角状の結晶でうすく剥がれる性質を持っています。
その光沢が美しいことから「きらら」とも呼ばれてきたそうです。
つまり「雲母」と書いて「きらら」とも読むことの由来です。
その「きらら」から「吉良」という地名が生まれたことを知って、義氏は姓を「吉良」に変えたそうです。
実際、この地に雲母が採れたという証拠もあります。
平安時代に出された『続日本紀』の元明天皇記に和銅6年(713)、大倭・三河の両国から「雲母」(きらら)を「輸納」させたと書かれています。
その雲母が採れたのは旧吉良町北部にある八ツ面山(やつおもてやま)別名「きらら山」だったとされています。

元禄14年(1701)に起こった赤穂藩主浅野長矩(ながのり)の江戸城内での刃傷(にんじょう)事件の後、吉良上野介は翌年討ち入りによって殺害されてしまいます。
その後ドラマ化された「忠臣蔵」「赤穂浪士」などで吉良上野介は一方的に悪者にされてきた感があります。
これは、地元の人にとっては遺憾というしかないそうで、何故かというと、いかなる理由があろうとも殿中で刀を抜いたのは浅野長矩であったのは事実だからだそうです。
吉良上野介は地元に多大な貢献をしたことで知られています。
特に治水工事で知られ、洪水に悩まされていた「鎧ヶ淵」と呼ばれていた沼地に全長180mの堤を一夜にして築かせ、人々を驚かせたそうです。
その結果稲穂が豊かに実るようになったことから「黄金堤」(こがねづつみ)と呼ばれたそうです。
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